こんばんは。今日は午後から晴れて来ました。驚いたことに山桜が咲き始めたのです。ここにきて25年になりますが、御彼岸もまだ来ないうちにこの様に咲いたということは初めてです。驚きと共に何か困惑しているようですね。
乾山はよっぽど土器皿が好きだったようですね。土を変え色々な形態のものをたくさん作っています。何ともかわいらしく、手作り感一杯の風合いがいいのでしょう。
日本固有の焼き物の一つに「楽焼」があります。この焼のもは手びねりで全てを作っていきます。轆轤は使うのですが、いわゆる量産用の轆轤とは違って、小轆轤といわれる小型のものです。土の塊をその轆轤に載せ、手でたたきながら土を伸ばし板状にして、その上にひも状に伸ばした土を付けていく技法です。何も変わった方法でもなく、むしろ大昔から行われていた伝統技法です。縄文土器や弥生土器のこの様に作られたものでしょう。
量産に使われる轆轤が入ってきたのは、須恵器以降とされていますが、その前にも轆轤は使われていたとも言われていますが。弥生土器の流れが須恵器にとって変えられたと云うとそうでもなく、神事に使われる器はずっとそのまま弥生土器のようにてひねりで作られていました。このことに乾山は意識したかどうか定かではありませんが、てひねりを主体にした作品が多く見られるのは、偶然とも思えませんが。その辺が乾山の先生にあたる仁清との違いのようにも思えます。乾山がデザイン上からこの様な焼ものを好んだというより、日本固有の伝統を意識していたのではないかと推測するのです。
王朝復興を乾山は美術の世界で実現しようとしたのかも知れません。私はそのように思っているのですが、他の京焼との大きな違いと受け取っているのです。それの意識の違いが作品を独特の世界まで昇華させているとも思っているのです。



昨年末乾山土器皿をようびに納めました。土器皿なんて聞きなれない言葉でしょうが、今も日本で土器を作っているところもあるのです。神事に使う器はかわらけ(土器)と云い、素焼きの姉さん程度の温度で焼いた無釉陶器を使います。それを専門に作る方も昔は居られたようです。土の塊を肘に当て、形を出していくところを写真で見たことがあります。実際の現場は伊勢神宮かどこかで見た様に記憶しているのですが、定かではありません。

工房は教室の作品を焼く為、昨日は窯を詰めました。色々な大きさの作品ですが、無事平均に皆さんの作品を入れることが出来ました。 

