陶主日記

乾山陶器の土見本

乾山陶器の土見本が焼けています。窯の根、中、天にそれぞれ見本を置いてみましたが、根の部分は酸化で焼けていますが、天のところはどうしても還元状態になります。赤土をブレンドすることで、どうしても還元が掛かりやすくなるのです。白い土だと還元が掛かっても、分かりにくいのでしょうが。この結果はもう少し考えなくてはならないでしょう。 やはり、窯を変えて焼いてみたいと思います。とりあえず形にしてみたいと思う土を決め、一窯当たりを付けた作品で一度焼いてみたいと思います。


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雅という符号

工房はぶりぶり香合の続きですが、昨日削り仕上げした物が乾いてきました。やはり歪みが出てきました。口の面がうまく合わないので、思案しています。一旦乾かしきってから修正をかけるのでしょうが、生の状態で身と蓋を合わせても、焼くとまた違った歪みが生じるでしょう。肉厚が問題になるのでしょうか。色んな角度から検討していかなくてはならない仕事です。じっくり腰を据えて研究いたします。

仁清 香合この様な小物でも、仁清陶器はどの様に作ったのだろうかと深く考えさせられる作品が多く有ります。一つの作品に仁清は一ひねりも二ひねりもしてくるので、単純にかかって行くと大きな落とし穴があります。これは古清水も言えることですし、乾山にも言えることです。他の窯業地にはあまり見られない独特の仕掛けが色々と施されています。やはり都の持つニュアンスの複雑さ、掛け言葉などで飛躍させるイメージなど、一筋縄ではない、手の込んだ仕掛けが散りばめられています。

京都の持つ独特の文化が仁清陶器に色濃く仕組まれていて、そこを読み解きながら進めていく仕事だと、痛感しています。奥が深いというのはそのことを全て含めて、理解が必要だと感じています。やっと、その入口の存在に気づいたという段階で、まだまだ鳥羽口にも立てていない状態を感じています。

しかし、一歩一歩ダビンチコードではないけれど京都という雅という暗号めいた世界を解き進んで行きたいと思います。

乾山陶器、土のテストピース

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乾山陶器の土のテストピースを作りました。4種類赤土の割合を変えて作ってみました。今夜の窯に入れる予定です。

窯は、午後7時半に火が入りました。12時まで乾燥を兼ねたあぶり焼きをします。それ以降は睡眠を挿んで朝までに800度位に上げる予定です。

今夜はこの状態で少し休みます。

「ぶりぶり香合」の仕上げ

こんばんは。師走は駆け足で過ぎて行きます。うかうかしていると早4日、窯の準備に追われ出しました。今日は箸置きが乾いたので、歪みを修正するのにサンドペーパーを掛けてガタつきを直しました。思ったより歪みが少なく、修正も少なくて済みました。来客があり予定の時間が大きく狂い、4時半に素焼きが入りました。10時前に上がる予定です。


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ぶりぶり香合の仕上げに掛かりました。前回の経験から学ぶところが多く、また参考資料の見方も依然と比べて、仔細なところまで気が行くようになってきました。作り方もまた、土も前回と変えて作っていますが、この香合は難攻します。非常に難度が高いものです。

仁清の写しですが、非常に奥が深く手の込んだ作品です。仁清の写しをしてみるとよく分かるのですが、実に写実的で造形に隙がなく、緻密でありそれでいて独特の「軽み」がある。天才と一言でいえば済むのでしょうが、真剣に写して初めて分かる、作品に対する凄味を感じてきます。それでいて、どの作品も「はんなり」とした柔らかさがあります。

今回はその領域に一歩でも踏み込みたいと願って挑戦しています。

原点回帰

独立して初めに作った窯は、壁の厚みが25センチもある、それもSK34番の耐火煉瓦で、30時間位掛けて焼く体力勝負の窯でした。この窯で実にすばらしい釉調の作品を多く焼くことが出来ました。また窯が冷めるには、まるまる2日以上かかり、徐冷がしっかり効いて釉薬が自然と柚子肌になってくれました。特に素地がしっかり焼けてくれるので、昔ながらの焼き物本来の焼きが実現されました。この窯の灯油の量はドラム缶一本でした。それでもすべてが焼き上がることはなく、温度差は軽く100度位出来ました。その温度に合わせるため、土を何種類も変え、またその土に合った釉薬も多く調合し色々な焼き物が一つの窯で焼けるということになりました。

しかしこの窯のおかげで多くの事が学べました。今の時代では出来ない素晴らしい作品を、若い年齢にも関わらず作ることが出来たことは今の自信に繋がっています。

ookama.jpg 振り返れば今までに色々な窯を焼いて来ました。鉄砲窯、登り窯、瓦斯窯、電気窯、灯油窯、穴窯、等々。色々な窯で色々な火を体験してきました。そこで数々の作品を見て来ました。その経験が今生かされています。一目見ればどの様な土でどのように焼いたか、かなり誤差がないくらい分かる様になりました。

この様な経験から、乾山を作るにはどうしても窯を変える必要が出てきました。それでないとスッキリした筋道が立たないように思うからです。なんと焼き物って複雑なのでしょうか。世間に広く出回っている物に、筋道が違うまま色々な写しといって焼いている物が多くあります。故にこれが乾山(?)が横行するのでしょうが。どうしても私は譲れないところです。

この様な事を考えていると、面白いことに自分が原点へ戻って行く様に思えるのですが。

窯の中の風景

これから寒くなってくると窯場はほっこりと暖かくて気持ちが良いですね。今回の窯はいつもより時間が掛かってしまいました。原因は天井近くまで作品を置いた事にあると思います。私たちが今使っている窯の形式はシャットル式と云って、いったん火を立ち上げ天井に添わせてから根(窯の底面)に開けてある引き穴から煙突に火が抜けて行くように作られています。そこに天井近くまで作品を置くと火の回りが悪くなり温度が上がりにくくなります。由って燃料もずい分とかかり、効率が悪くなるということです。大きな窯でも小さな窯でも原理は同じことなので基本は外してはいけませんね。


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私どもの窯は素地をたまご色にほんわかと焼くのが特徴です。薄い素地に色絵付けを施すので柔らかな色合いが好まれます。1230度付近になると窯から色見を取り出します。どの位焼けたかを見るためです。色見は全部で4個入れて置きます。1200度で一度出し、また機会を見ながら何回かに分けて見るようにしています。

想定した温度が来ると今度は「ねらし」といって窯の温度をならす様な焚き方に変えます。窯は上と下、奥と手前で温度が違います。そこでねらしという焚き方をして全体を包むように温度を揃えます。天と根の温度が揃いだすとねらしが完了し、そこで火を止めます。 窯の中はいつ見ても神秘的です。火を止め、中を見るとそこは1200度の高温の世界です。ここは神々しいまでに静寂の光に包まれています。釉薬の表面が波ひとつない湖面の様に平らかで、太陽の輝きを受けたように光に照り映えています。作品はまるで地球を超え太陽の世界に行った様にも思えて来ます。窯が冷え作品を出す頃になると、作品達が異次元から戻って来たという思いになるのです。陶芸ならではの感触ですね。 一つ一つ積み上げ作ったものを宇宙に捧げ、審判を仰ぐという感覚です。大変精神性が問われる世界だと思っています。一点の曇りもないどこまでも澄んだ透明な世界の表現は、今のこの世には奇跡の様に思われます。しかし芸術というものがあるのなら、そこに身を呈してこそ初めて表現が許される世界だと思っています。

仁清と乾山

仁清茶壷 乾山はあまり雑器を作った形跡はありませんが、それはなんせ莫大な財産を受け継いだのですからその必要性がなかったのでしょう、仁清は色々と雑器を作っています。後世に残る茶壺や茶入れ、抹茶碗に香合、水差しなどは公家、大名、寺社からの注文品で、普段は雑器に属するような器を作っていたと思われます。

仁清にしてもまた乾山にしても一人では到底窯の維持はできなかったので使用人を何名か使っていました。仁清はもともと轆轤の達者な方で、茶入れなどを見ると実に柔らかなまた美しい独特の優美なラインで作られています。京の雅さが十分伝わる傑作も多くあります。

一昨年京都国立博物館で開催された「京焼展」には仁清をはじめ、乾山、粟田焼等の古清水、近世の名工、木米、頴川、仁阿彌、永楽等々が出展されて大変見ごたえのある、面白い展示会でした。その中でも一番広く展示コーナーを設けて仁清の多くの有名かつ国宝の品々が展示されていました。

これは私の見解ですので根拠のある話では今のところないのですが、敢えて言うと仁清作とされているものの中にはすべてとは言わないまでも、例えば茶壺、また小物の香合などは専門に作る窯があって仁清はそこに注文をしていたのではないだろうか、と思うのです。確かに茶入れ、抹茶碗、香炉などは仁清自らの轆轤とみられるものが多いのですが、どうも総合的に考えても一人の手に負える様な作品の数と質ではないように思います。

仁和寺の金森宗和との関係も、全て仁清が手掛けたというよりも、近在の窯屋に得意な物を振り分けていたのではないかと私は思っています。
いわば総合プロデュース的な存在も兼ねていたと考えると、あの質と量が納得できるのですが。

そういう目で先の展覧会を見てみると新しい仁清像が浮かび上がって来ました。そしてその後の京焼きの基礎も仁清の当時のプロデュースでかなり出来上がっていたのではないでしょうか。古清水と称される多くの窯もその範疇の外に出ることはなかったように思われます。

仁清を深く味わっていく中で多くの発見が生まれてきました。機会をみて、魯山人の仁清を見ていた眼についても考えてみたいと思います。

オーダー「蛸唐草湯呑」、焼き上がりました。

蛸唐草湯呑こんばんは。工房は昨日の窯が午後4時の段階で160度まで温度が
落ちていたので窯出しをすることにしました。
1300度まで今回は温度を上げました。窯の上から下まで思った様に
きれいに焼き上がっていました。
蛸唐草のお湯呑みです。スッキリと難なく焼き上がっています。 

巨匠 乾山

巨匠乾山について自分なりの考えや創作側の思いなどを書いてみたいと思います。昨日も出てきましたが、京焼の元祖的存在に野々村仁清が居ます。御室仁和寺の庇護の元、御庭焼として金森宗和の指導の元、唐物でも高麗物でもない、それまでになかった純日本趣味の陶器を創造しました。技法は多種に及んでいて、その一つひとつの作品は完成度が高く、優雅で緻密、雅の趣が存分に表現されています。また陶器に上絵を施したのは日本では仁清が初めてでしょう。中国には磁州窯系の宋赤絵、ベトナムの安南赤絵などがありますが五色を使い日本の色絵陶器を完成させたのは仁清が初めてでしょう。

緒方乾山

鳴滝泉谷で窯開きをしますが、そこは都の北西(乾の方角)に位置ところから窯名を乾山としました。乾山陶器は窯の移動もあって、大きく三期に分けられます。ひとつは鳴滝泉山の開窯期、元禄12年(1699)37歳より、13年間これを鳴滝時代と呼ばれています。正徳2年(1712)50歳で二条通寺町西入丁字屋町に移ります。この時代を二条乾山といいます。晩年、乾山は江戸に移り住みます。その理由は定かではないが、二条家とも非常に近い上野寛永寺輪王寺宮であった公寛法親王(こうかんほっしんのう)に随って、下向したのではないかとするせつが有力です。この時代、江戸入江に住み御用品を焼いたとされ、これを入江乾山といいます。

時代によって大きく陶器の趣が異なってきますが一貫して乾山陶器の特色は、今までにない文人趣味の、また非常に優れた才能あふれる日本文学の教養が結晶した得意稀な作品だということです。二条に移り乾山は当時流行していた懐石の器を斬新なデザインで創造していきますが、今の私共には到底計り知れない教養に裏打ちされてのデザインだと感じられます。

巨匠乾山翁をこれからも考えて参ります。

磁器-窯たき

蛸唐草下絵

実りの秋、山の木の実が色づきだしました。銀杏はいち早く落葉し出しています。山々はこれから美しさを増していきます。  

工房は昨夜から窯を焚いています。磁器の窯なので1300度近くまで温度を上げていきます。久しぶりの還元焼成で午後3時40分に窯が終了しました。

 

写真は、今窯に入っております、オーダーメイド「蛸唐草のお湯のみ」です。

祥瑞(しょんずい)

室町から江戸期、古く茶人の間では染付の作を古染付、呉洲、祥瑞などと唐物(当時の中国を日本ではそう呼称していました。)の染付磁器を総称してその様に呼んでいたそうです。祥瑞がいつ何処で作られていたかは、はなはだ推理の中ですが明末崇禎の頃(1628-44)、所は景徳鎮とされています。意匠があまりにも日本人好みなこともあり日本からの注文産だとされています。では誰が注文したのでしょう。ずばり小森遠州かそれらに近い筋のものとされています。ところで祥瑞の名前の由来は器の底に「五良大甫 呉祥瑞造」の銘があるのっで、そこから由来しているということです。色々な見解がありますが概ね上記の説に落ち着いているということです。形は茶碗(沓型、筒型、胴〆、洲浜等)、茶入れ、香炉、香合、火入れ、巾筒、等茶器の他にも鉢などの食器があります。

渦祥瑞鉢

秋の好日

美男鬘菊薫る秋にふさわしい好日が続きそうな三連休です。文化の日を迎え各地で催しものが行われています。ここ貝塚も市民文化祭が市民ホール・コスモスシアターで行われています。わが陶芸クラブの諸子方の作品も出品しています。お近くにお寄りの際は見て上げてください。

工房は毬紋の5寸皿の水挽きに戻っています。丁寧に時間をかけて轆轤をしています。こんな天気の日は時間の流れがまったりとして、気分が集中でき、いい轆轤挽きができます。一年にこんな感じの日は数える程度です。こころも身体も自然とひとつになって、時間の流れを楽しんでいる状態は心地いいものです。そこはかと日本文化を感じ入る季節です。

秋の日差しはすべてを黄金色に染めています。先日化粧掛けした作品を天日干します。なんと長閑な光景でしょうか。陶芸の持つ力だと思います。


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この様な風景がいつまでも続く世で有りたいと願っています。一日一日の心をこめ作品にして行く幸せを感じるひと時です。
窯業地に行くと工場から多くの製品が天日干しに出されている光景に出会います。秋の日差しをいっぱい受け静かに乾いていく様は何とも微笑ましい心が癒されて参ります。乾いた作品を手に取ってみると、ほのぼのと暖かな温もりを感じます。作品におひさまの愛情がしみ込んでいます。一つの作品が出来るまでは長い時間手塩にかけ、多くの愛情が盛り込まれています。手にとってそのきめ細かな愛情が伝わる器でありたいと願っております。

登り窯と乾山

日本で本格的に食器を個人作家として作ったのは、乾山でしょう。もちろん瀬戸や唐津の窯業地では多くの食器を作っていました。が、懐石料理の器をデザインから製造したとなると、乾山が初めてでしょう。

 


乾山蓋物

日本で陶器の食器が一般的に使われ出したのは窯の大きな変革があったからです。織部という焼き物がありますが、カラフルで多くの技法が盛りもまれ、懐石や茶事によく使われています。この焼き物は今までの穴窯から登り窯に代ってできた焼き物です。登り窯は九州唐津あたりで発明された日本独特の窯です。この窯は大変熱効率が高く、また大量に焼くことが出来きます。それまでは山の斜面を掘って階段状に傾斜を付け蒲鉾の形に屋根を土で覆って窯を作っていました。半地下式穴窯などと云いますが、通称「蛇窯」などとも呼ばれています。それが全室を地上に上げ各部屋を独立させ、サマと言う連結坑で繋いだ窯が発明されました。それが皆さんのいう「登り窯」です。 この窯が出来て初めて大量にまた安価に焼き物が出来るようになりました。九州から瀬戸に伝搬され、各地方で特色のある焼き物が大量に作られ、出回りだしました。江戸では瀬戸物、また京都、大阪では唐津物といわれ雑器の代名詞のようにもなりました。 この窯が仁清によって瀬戸赤津から京都にもたらされました。仁清の陶技を継いだ乾山もまた鳴滝泉谷山にコンパクトな登り窯をつくり、多くの美しい焼き物を作りだしました。

制作工程ー白化粧

工房は少し毛色の変わった仕事をしています。もうだいぶん前に作り置きしていた湯呑、鉢、飯椀をタコ唐草と伴に焼く段取りをしています。刷毛目を施して色々な細工をして行きたいと思っています。

刷毛目の作業を紹介いたします。 この白い泥は化粧といいます。素地をこの白い泥で昔の女性のお化粧の様に刷毛で塗ります。これは世界各地に見られる技法で、西洋ではエンゴーベなどと呼ばれています。焼いて素地が白くなる土はなかなか無く、大概は茶褐色やくすんだグレーといった物が多くて、そこで白土を泥状にして素地が乾かないうちに表面をコーティングするのです。
すると表面だけが白く焼けるので、鉄絵や呉須などがのりやすくなります。

白化粧で有名なのはやはり李朝の刷毛目、粉引き、などでしょうか。朝鮮には良質のカオリンが産出されるので、これをうまく使って赤土の胎土に全面に施したのが所謂「粉引き」といわれる陶器です。この名は桃山あたりの茶人が付けた名で、学術的には「粉青沙器」などと云います。粉引きが作られた時代はごく短く直ぐに刷毛でひと刷毛かふた刷毛といった簡単な技法に変化します。この簡素な刷毛の具合が何とも日本人の哀愁感にマッチするのか、多くの刷毛目ファンがいます。

使う刷毛は色々な種類が有りますが、特にこの様に一気に施す刷毛をニゴといい、藁の先を一本ずつ抜いては揃え個人が手作りしたものです。家々によって色々なニゴがあり刷毛の筋も太く豪快なものやまた優しく繊細なものなどが多彩にあってそこもまた人気の一つなのでしょか。

化粧は特にこだわりのあるものです。施す土の種類にやって収縮が合わなかったりすると焼き上げてから素地から剥離することも起こるので、家それぞれの調合があって案外企業秘密になっています。もちろん私どもの化粧も例外ではありません。
化粧掛けは大変難しく経験を積まなくては到底出来るものではないと思います。私も瀬戸で5年間、化粧掛けの修行をして参りました。薄手に作られた器にたっぷりとした化粧掛けは技法的には大変リスクの高いものです。それ故粉引きの作られた時期が短いのですが、面白いことに粉引きが残っているのは日本だけで、朝鮮には残っていません。
日本だけに残っている陶器で現地に残っていない陶器は案外多いのです。それだけ我々は焼き物が好きなのでしょうか。
 


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乾山陶器への挑戦

乾山写しは京都に行けばゴロゴロ山ほど出会うでしょう。今更なんで?ともお思いでしょうが、実は自分は焼き物を始めたときからいずれは乾山をという思いはしきりに持っていました。

五十を過ぎ、この頃は今まで経験した事が少しづつ発酵して来た思いがあります。やはりこの時期まで時間が必要だったのでしょうか。そんな事を思いながらようびの真木さんに背中を押されて、この3年間心に思っていた土を300キロ京都の土屋さんに作ってもらいました。

最低300キロがワンロットなので、まあ、最低のロットで購入いたしました。オリジナルの土です。この土で一本柱を立てることにしました。

かなり時間を掛けて考えた結果です。色々な展開が出来ると思います。鉄絵、呉須絵、色絵、化粧土の改良が急務の課題ですが、アイデアは面白いものが有ります。

はじめは簡単な雑器に鉄絵をしてみようと思っています。皿、鉢、湯飲み、飯茶碗。

HPに出しますので見てください。良かったら買ってください。

「都ぶり」という言葉を使って乾山陶器に迫っていこうと思います。元禄時代の都の、今で云う空気感がどの様であったか?チーム乾山が技術を駆使して新しい表現に挑戦していった作品が、いかに都の人々の美意識を駆り立ってていったか、今に通じる面白さが十分に汲みとれるのですが。

HPの変更に大忙し

ホームページを大きく変更しようと思います。ヘッダーを夏らしく明るい写真で編集してみました。各項目に多くの写真を掲載し、より親しみやすく、仕事場を身近に感じてもらおうと思っています。

 工房に立ち寄りやすい環境を作っていきます。直に水間焼を手にして頂きたいので、またそこからきっと新たな発見が生まれると確信いたします。

 今回はそんな思いも込めて従来とは一変して、作り手の顔が見えると同時に作り手の思いまで感じられるHPを作ってまいります。

どうぞ、よろしくお願い致します。

暑中お見舞い申し上げます

 お盆ですが、暑い日がいぜんと続いていますね。しかしここ山の自然は確実に秋を迎えようとしています。蝉の声もクマゼミに混じってミンミンゼミの声が聞こえて来ました。朝夕の風に秋の気配を感じています。と言ってもこの残暑は中々厳しいものが有ります。
 
 工房では一応お盆休みにしていますが、昨年失敗に終わった玄猪香合を作っています。昨年の経験から土を変えてみましたが、今の段階では順調に進んでいます。昨年は8分乾きであと少しという段階から底切れして悉く無念を感じました。どれだけ作ったでしょうか。呆れるくらいです。

 HPに色々手を加えています。もっと伏原窯の情報を載せたいと思っています。

8月3日に珍しいお客さんが来て下さいました。歌手でもありこの頃はNHKの朝ドラに名わき役で出てられる佐川満男さんが私たちの友人とともに焼き肉パーティーに参加されました。なかなかの紳士で家族のみんなも感心していました。お土産に最近出版された画集をくださいました。テレビの番組で旅をされそこで絵っを描くということで、なかなか細かい構図に感心し、こころ細やかさに惹かれました。 


佐川満男画集

6月の楽しみ

今年は6月に入り早々と梅雨入りになりました。

例年より一週間は早い様に思います。いつもなら梅雨入り前にある真夏日に一度海に出かけることを楽しみにしていたのですが今年は叶いませんでした。

代わりに笹ユリが早く咲き始めた様に思うのですが。この時期の楽しみは朝の散歩にお目当てのポイントに咲き出したユリを見つけることです。今日も昨年から目を付けていた場所で2本の百合を頂いてきました。まだ蕾が5センチ程ですが一週間もすれば咲き出してくるでしょう。

笹ユリが咲きはじめて行く風情は何とも優雅で、一日一日が楽しみの連続です。

立てば芍薬座れば牡丹、歩く姿は百合の花、なんて小さい頃から聞き慣れた言葉ですが、日本の女性の美しさを百合が象徴している様に思います。

また間もなくすればホタルも飛び交いだすでしょう。百合の香りをききながら、ホタルを観る。河鹿の鳴く声。6月の山のくらしの楽しみです。


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薬味入れの見本が焼けました。

薬味入れ薬味入れの見本が上がって来ました。小紋を風呂敷包みにした様にデザインしてみました。思った様な出来栄えに満足しています。高さが4センチ程のものですが空間を残し、あまりひつこく無い様に仕上げました。早速、ようびさんに送ってご意見を伺います。
小紋は伏原窯の得意とするひとつですが、この図案はかわらけ盃にも使い、錫の銚子の蓋にも使ったように、気に入っています。今回は薬味入れにも使いましたが、まずまずの出来だと思います。
         
細かい作業ですが小紋の好きな人には気に入ってもらえるように丁寧に書き込んでいます。

また、これとは違って季節の文様も面白いと思っています。いづれデザインいたします。

六月父の日特集にエールコメント

6月に入って今年はすでに近畿地方に梅雨入り宣言がでました。衣替えで半そでの白いセーラー服がまぶしい気節ですが、今日は肌寒く雨が降っています。

HPで「父の日」の特集を打っています。マグやカップ、今までに無かった色使いの作品を出して見ました。祥瑞の大きなマグカップは色々な図柄が豊富に取り揃えて居ります。色祥瑞は珍しいでしょう。呉須の色合いが微妙に違っています。濃いもの、淡いもの、図柄によって変えています。丹念に書き込んでありますが、一つひとつの「線」が一定の力と柔らかさを均一な関係で保ちつつ描き切るのはなかなかのものです。

我々の特徴の一つに、一見あまり目を引くという特殊性は感じられない様にわざわざ仕上げてあります。

東京のある工芸店に、染付の仕事を見せた事がありますが、なんと、そこの店主はこの染付を見て印判ものかと聞いたぐらいですから、驚きました。あまりにも楽々と仕事がされていて取ってつけた様なイビツな線が一つもないから、手描きと思わなかったのでしょう。普段使いの食器にここまでの描き込みをした作品は実はどこにもないのです。

今、皆さんにお見せしているこのカップは、まぎれもない世界でひとつのカップです。大ぶりですが驚きの軽さです。この写真を撮って頂いたカメラマンの方もこの作品の「かろみ」をどのように撮ろうかと大変苦労されていました。

「かろみ」食器にとって一番重要な要素です。そこが出来てはじめて文化といいたいですね。

一度手にしてこの感覚を味わって下さい。ビールが入ればビールの重みを、飲み終えた後はカップの心地いい重みを感じて頂きたいものです。

ウェブ上では感じられにくい世界を言葉で表現してみました。

私たちは器の奥深い世界を普段使いの食器に託しています。

出会い銀ラン

銀蘭何か予感が有ったのでしょうか。いつもの様に朝の散歩ですが、その日は何か進路を変えてみようかなという思いがしたのでいつもの反対の道を行くことにしました。

5月半ばヤブデマリ、ヤブ紫陽花など白い花がたくさん咲くようになってきました。樫や椎の花があの独特のにおいをはなって、むせかえります。

この時期はまだ田圃に水は入っていませんが、農家の庭先には苗しろが用意されて田植の準備は着々と進んでいます。

もうこの道を何年歩いているのでしょうか?この時期になぜいままで見つけられなかったのでしょうか?

 

銀ランです。確かに銀ランでした。少し時期は過ぎていますがまだなんとも言えない涼やかな凛とした姿にこころが洗われます。

この出会いで私は一瞬にして何かが変えられたように感じました。

言葉での説明は難しいのですが今までの自分が一気に上昇された様な思いでした。

それは一瞬の出来事ですがパッと心が胸が開いたようで何とも清々しい軽やかな思いがされました。そしてもう後戻りが出来ない新しい世界に入ったような思いがされました。

シンプルisベスト

五月は作品作りに専念することを位置づけています。

いよいよ方向もはっきりしてきました。考えがシンプルになってきたのは、今までのいろいろな出来事一つに纏まってきたせいでしょう。まだまだやることの多さは変わりませんが、手ごたえを感じてきたのは、大変勇気づけられると伴に嬉しいことです。

ミヤコワスレこつこつと少しずつですが積み上げていくことの楽しみはどの仕事も変わりません。自分たちをあまり規定しないように、軽く自由にと思いますが心身のバランスを崩していたりすると、ついついあせって次の一手が遅れて悪循環になってしまいます。

振り返って思うにいつもの事ですが何かが変わろうとする時、そのきっかけはいろいろな要因が重なって、自分ではどうにもならない状態に落ち込んでいくものですが、その時こそが自分は何をしたいのか!が心底から思わされる状態だと思います。そこが、その想いが本当の自分だと思います。願いがはっきりするまで苦しんでしんでいくのでしょうね。
シンプルイズベスト!が信条です。複雑な今の世にこれで生きていくのは至難の技かもしれませんが、生涯を通じてシンプルライフを生きたいと思います。

朝の出会い

ゴールデン・ウイークも終わり、山にいつもの静寂が戻って来ました。朝の散歩も今が最高のいい気持ちになります。

山に目を凝らすと此処かしこに白い花を見つけることができす。今時分から6月初旬まで私の好きなホウの花を山々の場所によっても違いはあるのですが見つけるのが楽しみになっています。

五月の風にゆらゆら揺れるホウの花をみると、「おーい、」と声を掛けたくなります。朝の楽しみの一つです。

金蘭が咲きました。昨年、思いがけずに出合ったものですから、自宅の庭にと移してきました。

 

移してしばらくは咲いていたのですが、どうもおかしくなったようで、枯れたのか、病気になったのか、大変心配していたのですが、この春、元気に芽が出てきてくれたので、家内ともども大喜びでした。

 ネイチャー金蘭

金蘭の咲くわきには銀蘭が咲くと云われていますが、この辺では銀蘭は見かけたことはありません。

一度北陸でいたときの事ですが、銀蘭の群生を見たことがあります。その時には、金蘭を見ることはできませんでした。

朝の散歩で出会う花々に、こころがときめき、一日中幸せを感じさせてくれます。

源の力

五月に入って山の緑がまぶしいくらい鮮やかになって来ました。陽気と伴に何か慌しく周辺が変わろうとしてきました。

仕事も6月に向けて大変忙しくなってきました。このHPで父の日特集を打ってみようなんて考えています。なんせ、色んな事が初めてなもんで、ばたばたとしてまとまりのつかない状態ですが、一つひとつやって行くばかりでしょうか。

ここ3年個展をしないで卸に精を出してきましたが、ぼちぼち周りから展示会の催促がきて、うーんと、うなっています。

正直自分の中からも表現のエネルギーを大いに感じているので、よーし、やるぞお!とは思っているのですが、後もうひとつ何かが足っていないなあとも感じています。

今日も整骨院の先生に診てもらいました。体調はだいぶん回復して来たのですが、完全復活までにはまだ4合目、5合目かな?ということらしいです。

そうとう身体を酷使してきたのですねえ、自分では気づかないのですが。

でも、エネルギーの源のところまでやっと治療が出来るようになったということらしいので、徐々に源からの本来の力が出てくる様になると思っています。

まだ、気と心と体がひとつになっていない様に感じています。それが今の自分の周りの状態に反映されています。

ひとつに纏まる力が今後の大きなステップになっていくことも、今大いに感じています。後、もう少しだと思っていますので、宜しくお願いいたします。

画期の4月

4月23日(木)昨日から用意した木積の宮下さんの筍をお土産に久ぶりに曽根崎にある工芸店ようびに行きました。

三時近くに着きましたが、いつも止める駐車場が改装か、ひょっとすればつぶれたのか?昨年末にプリペードカード一万円を買ってしまったので、え!という思いです。悔しいです。
先客さんが居られましたが、懐石料理店の今村さんでした。お会いするのは初めてですが、筍の件で宮下さんのルートをお世話させてもらいましたので、いきなり親しく真木さんから紹介されました。

本年の筍はこの20日からの一週間が最盛期で今が最高のものだそうです。なかなかこのタイミングで持って来れないのですが、本年は一番いい物を持って来れました。
真木さんも今村さんも大変お喜び下さいました。今度今村さんのお店に連れて行って下さるそうで、楽しみが増えました。

大阪はおいしい物がおおくて食に関してはやはり日本一と感じています。口の肥えた方々が多く、お金を出したら出したなりに、また安くても味は落ちないお店でないとやっていけない土地柄ですね。
小さい頃から父によく難波に連れていってもらって、ここはおいしいのどこのお店は安いのとうまいもん巡りを楽しんだものです。
大阪で独立した限りはうまいもん食べさすお店に食器をつこてもらいたいと思ったもんです。

ようびさんはそんな食器一筋に生きてきたお店で大阪ならではの文化だと思います。

仕事の話になりますが乾山陶器の方向に行こうというお話になってきました。古清水の写しや仁清ものを3年やってきました。がいよいよ乾山陶器に入っていこうとなり、土のテストからやって行こうと思います。
乾山展を観てこの3年積み重ねてきた物がいい勉強になっていることを実感しています。
新たに挑戦する意欲がふつふつと出て参りました。陶芸は一朝一夕に思ったようにはなかなか行かないものですが、こつこつ積み上げていくと色んな出会いや発見があって楽しいもんです。まあ、これが私の人生でしょうか。

面白いので伏原窯奮闘記乾山写しなるものでも連載いたしましょう。

乾山展に行ってきました。

京都文化博物館の「乾山の芸術と光琳」展を観て来ました。

緒方乾山が京都 仁和寺の奥、鳴滝泉谷に窯を築いたのは、元禄10年(1699)のことです。昭和初期にその窯跡が発見されて以来、正式な発掘調査はされることはなく全容は長く謎のままでした。
平成12年(2000)に発掘調査団が結成され、5年間に及ぶ科学的調査がされ、結果予想をはるかに上回る種類の遺物が採取されたそうです。

今回の展示はその成果を踏まえ、新しく浮かび上がってきた「乾山焼」を提示する事が目的だそうです。

私は今回のこの展示会で色々な疑問が少しつですが分かってきました。展示会場にかなりの数の陶片が置かれてありました。また、乾山が使用したとされる窯が再現され、また焼成のビデオも流されていました。大変興味深いものでした。

乾山陶器のナイーブなマチュールやディティールがどの様にして出てくるのかが垣間見れたように思いました。
最高の文化ネットワークを持ち、陶画一等の世界に果敢に挑戦していった芸術エネルギーを、こんなにも香雅で日本の美を余すところなく表現出来た陶芸は奇跡のようにも思えるのでした。
驚くほどに小さい窯(錦窯)で丹念に焼上げたのでしょう。それは焼物という物ではなく、土の造形を借りてそこに絵画を転写した立体絵画の様にも思えるのでした。

kenzanten2.jpg用から離れても書、絵画を重んじそれを楽しんで受け入れていく土壌があったればこそだと痛感しました。

 

日本古来の伝統文化に新しい花が咲いた瞬間を見たようにも思えました。

三条川端から西に、久し振りに歩いてきました。さすが京都です、多くの着物をめした女性を目にしました。少し花冷えの一日でした。

桜のこころ

山桜が色とりどりの姿で咲き誇っています。これから1週間はみごろですねえ。店長日記を読まれた方は、どうぞ御越し下さい。

年々この付近の桜は美しさを増しています。渓谷に咲く桜は、こんなに種類があるのかと驚きます。山桜はソメイヨシノと違って葉と伴に花も咲かせますが、葉の色が大変豊富で濃い海老茶もあれば、うすき色もあり、また花の形も個性的一つとして同じ形はありません。またソメイヨシノは咲いたかと思えば散り際が早く、それに比べこの山桜はまだ長く咲いていてくれます。

 

私も桜が本当に好きになったのも、だいぶん歳を重ね鑑賞できるようになってからです。
花冷えと云いますが春の嵐がやって来ると、こんなにも待ち遠しくやっと咲いたぞという喜びも束の間、この一塵の風と共にすっかり散ってしまうのですから。
あまりにも儚く、時の移ろいにこころが追い付かぬまま、桜は散ってしまいます。

遠い昔この様なお話を聴かせて頂いたことがあります。「諸法実相の舞い」と題された法話ですが、少し紹介いたしましょう。

 昔、中国の楚の国の山奥に一人、庵を結んで住む僧がいました。朝昼夜と一切経を紐解く毎日でした。或夜、「法華経」を読誦していると、人のいない山中に人の気配がします。表に出てみたが誰もいません。そのことが二夜続いた。三日目の夜、僧の前に美しい女人が現れました。彼女はじぶんが草木の精であることを仄めかし、経を聞いた礼を述べて、僧の前で次の詩(うた)を謡い、舞った。

「それ、非情の草木と雖も、真は無相真如の体なり。一塵法界の心地の上に、雨露霜雪を見ずとも一念一枝の花を献げ、御法(みのり)の色を現わす時、一華開ける春の朝(あした)より、日輪月輪の時を超え、終わりなき色に染める心まで、諸法実相の隔てなし。」

なんとも美しい光景でしょうか。春の夜のかがり火に舞う能のようで、幽玄な世界に誘われます。

春、桜を観るとこの情景が脳裏に現れ、時の移ろいの中でしか見せない「諸法実相」の真の姿が感じられます。

静寂のひと時

金曜日から、3日間おやすみを頂き京都に出かけて参りました。鞍馬寺からまだ北へ4キロ程行き、百井分かれで山道に入っていきます。また、このルートともうひとつに八瀬大原から回るルートとがあります。
4日、川端通りの桜は五分咲きでした。北に行くほどに蕾は固く、山のこぶしももう一歩という感じでした。

琵琶湖に流れる安曇川の上流に、かれこれ二〇年は行く様になりました。静寂を求め、自然の霊気に心身を包み、瞑想をしてきます。こころを開放してきます。
今年は、話によれば三月の上旬は雪で通行が大変だったそうですが、今年は中旬過ぎから、あっという間に雨や春一番で雪が瞬く間に無くなったそうです。

世間から断絶された初春の山間で、静かな時間を持つことが出来ました。

ここは京都北山修道院という万教を超えた「心のふるさと」、誰もが帰って来れる憩いの宿として存在しています。

川のせせらぎを聞き、自分を見つめることにたっぷりと時間を費やして参りました

春の始まり

H20・3・29箸置き焼上げ1箸置きの素焼が焼あがりました。釉掛けをし丁寧に仕上げをし、今晩本焼きをします。
小さい電気窯で焼くので、明日の昼までには焼き上がるでしょう。
工房を3時過ぎまで留守にしていました。ようびから留守電が入っていました。
早速、折り返しの電話をしました。「もしもし、」、、、。筍の注文です。ここの木積の筍は京都を上回るおいしさが定評です。この何年間はようびさんに、その日の朝掘りをもって行きました。真木さん、絶賛です。

ああ、何か今日は一気に桜も咲き出して、春、春、春。春ですねえ。今夜はセリーグも開幕です。
もちろん、タイガースファンとしては今年の優勝を願っていますが、、、、!やっとこの季節が始まったという思いもひとしおです。そして今年もどんな夏がやってくるのだろうか、という想いになってきました>
仕事に夢中になって、今まで以上の作品に挑戦しょう、という気持ちになるのも、今日が春の始まりだからでしょうか。29日夜窯出し、良好に焼けていました。
明日から小紋の絵付けに入ります。

結び箸置き 難航中

箸置きが難航しています。時間の中で何もかも押し揉めて、段取りを一つでも省こうなんて、どうですか?

案の定、窯からの答えはばたついた気持ちだけの作品となりました。私たちは何を一番大事にしているのかが問われました。

手間、暇を掛け丁寧に仕上げていく中に、他と違った密度の濃い作品が自然と作られていくことの原点に還ることを、もう一度考えさせられました。昨年の暮れに焼き上げた小紋の箸置きです。今回はもう少し高くし小さくしました。


結び紋箸置き制作工程1結び型小紋箸置き