仁清と乾山

仁清と乾山

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仁清茶壷 乾山はあまり雑器を作った形跡はありませんが、それはなんせ莫大な財産を受け継いだのですからその必要性がなかったのでしょう、仁清は色々と雑器を作っています。後世に残る茶壺や茶入れ、抹茶碗に香合、水差しなどは公家、大名、寺社からの注文品で、普段は雑器に属するような器を作っていたと思われます。

仁清にしてもまた乾山にしても一人では到底窯の維持はできなかったので使用人を何名か使っていました。仁清はもともと轆轤の達者な方で、茶入れなどを見ると実に柔らかなまた美しい独特の優美なラインで作られています。京の雅さが十分伝わる傑作も多くあります。

一昨年京都国立博物館で開催された「京焼展」には仁清をはじめ、乾山、粟田焼等の古清水、近世の名工、木米、頴川、仁阿彌、永楽等々が出展されて大変見ごたえのある、面白い展示会でした。その中でも一番広く展示コーナーを設けて仁清の多くの有名かつ国宝の品々が展示されていました。

これは私の見解ですので根拠のある話では今のところないのですが、敢えて言うと仁清作とされているものの中にはすべてとは言わないまでも、例えば茶壺、また小物の香合などは専門に作る窯があって仁清はそこに注文をしていたのではないだろうか、と思うのです。確かに茶入れ、抹茶碗、香炉などは仁清自らの轆轤とみられるものが多いのですが、どうも総合的に考えても一人の手に負える様な作品の数と質ではないように思います。

仁和寺の金森宗和との関係も、全て仁清が手掛けたというよりも、近在の窯屋に得意な物を振り分けていたのではないかと私は思っています。
いわば総合プロデュース的な存在も兼ねていたと考えると、あの質と量が納得できるのですが。

そういう目で先の展覧会を見てみると新しい仁清像が浮かび上がって来ました。そしてその後の京焼きの基礎も仁清の当時のプロデュースでかなり出来上がっていたのではないでしょうか。古清水と称される多くの窯もその範疇の外に出ることはなかったように思われます。

仁清を深く味わっていく中で多くの発見が生まれてきました。機会をみて、魯山人の仁清を見ていた眼についても考えてみたいと思います。

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