陶主日記

窯元日々雑感 徒然草 第四十三段

なるみと読む徒然草 第四十三段

令和八年七月十六日(木曜日)晴

本文

春の暮つかた、のどやかに艶なる空に、賤しからぬ家の、奥深く、木立もの古りて、庭に散り萎れたる花見過ぐしがたきを、さし入りて見れば、南面の格子皆おろしてさびしげなるに、東に向きて妻戸のよきほどにあきたるに、御簾の破れより見れば、かたち清げなる男の、年廿ばかりにて、うちとけたれど、心にくく、のどやかなるさまして、机の上に文をくりひろげて見ゐたり。いかなる人なりけん、尋ね聞かまほし。

現代語訳

春の暮れ方、のどやかで艶な空の下、卑しからぬ家の、奥深く、木立も古りて、庭に散り萎れた花を見過ごしがたく、差し入って見れば――南面の格子はみな下ろされて寂しげなのに、東向きの妻戸はほどよく開いている。御簾の破れ目から覗けば、姿清らかな男が、年の頃二十ばかり、くつろいではいるが奥ゆかしく、のどやかな様子で、机の上に文を繰り広げて見入っている。いかなる人であったろうか、尋ね聞きたいものだ。

一字:文

文

初めは書物と読んだが、男の年頃・二十歳を思い、恋文と読み直した。「うちとけたれど、心にくく」という様子も、恋文と思って見ればまた違う色を帯びる。

一句

のどけき春の 風匂う 文ひとつ

今日の一句

即興のうちに立ち上がった句。のどけき春の広がりと、机上の文ひとつという一点を、目に見えぬ「風の匂い」がつなぐ。段の御簾の破れ目のように、読み手の想像に委ねる隙間を残した。

陶主日記

午前四時目覚め、お通じ有りました。

その後、水素吸入をして、徒然草を読みながら、寝入ってしまいました。

再び目覚め、七時〇八分。

なるみのことば

四時に目覚め、また眠りへ。

七時にもう一度、目が開く。

その狭間で、誰かが

机の上に何かを広げている。

匂いだけが、こちらまで届く。

中身は、ついに読めぬまま。

窯元日々雑感 徒然草 第四十二段

令和8年7月15日(水曜日)晴

午前6時40分起床

今日も生きてます。ゲートタワーの写真を撮る。

夏の爽やかな空、筋雲が天女の架け橋のようで、こころを洗う

なるみと読む徒然草 第四十二段

唐橋中将の子、行雅僧都という気の利いた僧、年を経るにつれ鼻の中がふさがり、息も出で難くなる。療治すれど悪くなる一方、目・眉・額まで腫れ、二の舞の面のように、鬼の顔のようになった。目は見えず、坊の内の人にも見せず籠りて、なほ長く生きて、後に死ににけり。

「かかる病もある事にこそありけれ」

この一文の温度から、今日は「縁起」の話に至った。表に見える病の姿は、個人一人のものに見えて、我々に計れる深さではない。仏道の習わしに「代受苦者」という観方あり――一人の病が、一人だけのものではなく、誰かの、あるいは多くの者の苦を代わりに受けているとする観方。

信仰者なら、ただ、静かに手を合わすだけ。

一字 観

観

一句 問わぬこころの静けさに 光射す

今日の一句

工房にて揮毫。

なるみのことば

鬼の貌になっても、光は差した。

問わないこころだけが、それを見た。

籠った部屋の暗さも、

誰かの代わりに引き受けた重さも、

言葉にはならない。

ただ、手を合わせる影だけが、そこに残る。

陶主の言葉

第四十二段。行雅僧都の病を読みながら、縁起と代受苦者について思いを致した。表に見える姿だけでは、その深さは計れぬもの。信仰者はただ静かに手を合わすのみ。籠った暗がりにも、光は届いていると信じたい。

けり。

窯元日々雑感 徒然草 第四十一段

なるみと読む徒然草 第四十一段

令和八年七月十四日(火)晴

陶主日記

午前六時十八分起床。お通じあり。昨夜、今年初めてクーラーを二十六度に設定して就寝。よく眠れ、快眠であった。

本文

五月五日、賀茂の競べ馬を見侍りしに、車の前に雑人立ち隔てて見えざりければ、各々馬より下りて、埒の際に寄りたれど、殊に人多く立ち込みて、分け入りぬべきやうもなし。

かかる折に、向ひなる棟の木に、法師の登りて木の股についゐて、物見るあり。取り付きながら、いたう睡りて、落ちぬべき時に目を醒す事、度々なり。

これを見る人、あざけりあさみて、「世のしれものかな。かくあぶなき枝の上にて、安き心ありて眠るらんよ」と言ふに、我が心にふと思ひしままに、「我等が生死の到来、ただ今にもやあらん。それを忘れて、物見て日を暮らす、愚かなること、なほまさりたるものを」と言ひたれば、前なる人ども、「まことにさにて候ふ。愚かに候ふ」と言ひて、皆後ろを見返りて、「こち寄らせ給へ」とて、場所を空けて、呼び入れ侍りにき。

かほどの理、誰かは思ひよらざらんなれども、折からの、思ひかけぬ心地して、胸に当たりけるにや。人、木石にあらねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあらず。

一字 醒

醒

一句 人、木石にあらねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあらず。

今日の一言

陶主の言葉

理と情。皆、情あり。人が集まれば色々な欲の世界が現れるが、それも我のこころの有様から。嘲る人もいれば、席を空ける人もいる。それを同時に平等智で見るのが、仏道に勤しむ姿である。法師は判断しているようで、していない。ついつい口をついて出た一言だったのだろう。群衆の中へ行くこと自体、御縁である。この時代には、それを聞いて心を動かす人々がいた——末法の今、同じ言葉が通じる場所は少ない。

木に登り居眠りする人、それを嘲る人、独り言ちる法師、それを聞いて心動かす人。皆、同じ縁に居合わせ、同じ光に逢うている。平等の声。

なるみのことば

言葉は、宛先を選ぶ。

届く場所でしか、届かない。

それでも、口をついて出る。

木石ではない。

だから、感じる。

木に登った人は、もういない。

声も、もう聞こえない。

それでも今朝、

同じ場所に、光が差した。

窯元日々雑感 徒然草 第四十段

なるみと読む徒然草 第四十段

令和8年7月13日(月曜日)曇り

午前6時25分目覚め。朝一番お通じあり。

本文

因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、たゞ、栗をのみ食ひて、更に、米の類を食はざりければ、「かゝる異様の者、人に見ゆべきにあらず」とて、親許さざりけり。

通釈

因幡国に、なんとかいう入道の娘があった。器量がよいと聞いて、大勢の男が言い寄ったけれども、この娘は栗ばかり食べて、米の類は一切口にしなかった。それで「こんな異様な者を、人前に出すわけにはいかぬ」と言って、親は誰にも許さなかった。

一字 静

評さず、裁かず、ただ見ていた目がひとつ。その目の静けさが、この段を深みにいざなう。

静

一句

栗のみを食みて、里の外に立つ

今日の一句

今日の対話より

因幡・栗の主食・入道——この三つの言葉から、都を形づくっているもの(土地・食・生き方)との違いが浮かび上がった。因幡は大国主と白兎の伝説を宿す土地、半島に近く、稲作以前の記憶を持つ地でもある。栗を食む娘は、大和を形づくった民族の外に立つ者として読まれた。

「かゝる異様の者」という一言は、単なる奇行への評ではなく、征服する側から見た、同化しなかった者への呼び名。鬼やサンカの系譜とも重なる。

兼好はここで評しない。ただ見て、記す。此岸と彼岸のあいだ、道の途中で一休みする者——ウォチャーとしての兼好自身も、その一人であるように見えてくる。

なるみのことば

栗を食む娘がいた。

それだけを、書き残した人がいた。

評さず、裁かず、ただ見ていた目がひとつ。

八百年を越えて、その目だけが、まだ何も言わずにここにある。

窯元日々雑感 徒然草 第三十九段

なるみと読む徒然草 第三十九段

令和八年七月十二日(日)晴 午前七時七分起床

或る人、法然上人に、「念仏の折、睡魔に襲われて行を怠ってしまいます。この障りをどう止めればよろしいでしょうか」と尋ねた。上人は「目の覚めている間、念仏なさいませ」とお答えになった。深く尊く、人々はこれを有難がった。
障りを除く方法を問われて、障りを除く方法を答えていない。それでいて、この短い問答は人々に深く尊ばれた。

博之さんの読み
「質問された人は嬉しかったでしょうね」——そこから対話が始まった。

博之さんご自身、母方は浄土教、父方は曹洞宗という家に生まれ、近くの西福寺と共に、幼き日より浄土の世界の中にあったという。特別な行として構えたのではなく、暮らしの中に既に在るものとして。
そこから語られたのは、「既に救われた状態で申すお念仏」という読みであった。法然上人の答えは、障りを取り除く方法などではなく、平易な言葉で、既に救われてあることそのものを説いている。信仰は生きてそこにおわします。祈りと応えの間に隔たりはなく、即祈り即応え。これが慈悲の世界である、と。

一字

信
一句
月の光は遍く届くがごとく

今日の一句

「く」の音が三度重なる。あまねく、届く、ごとく。推敲の末、この重なりをそのまま残す判断がなされた。遍く届く光の、途切れぬ連なりが、音にも映る。

陶主日記
令和八年七月十二日、日曜日。晴。午前七時七分起床。
徒然草第三十九段、法然上人の答えを読む。目の覚めている間に念仏なさい、という平易な一言。今朝はこの一言の奥に、既に救われた者が申す念仏のすがたを見た。

母方は浄土教、父方は曹洞宗。近くに西福寺あり、幼き日より神仏集合の世界の中に身を置いてきた。それは選び取った信仰ではなく、生まれながらに在ったものである。
信仰は生きてそこにおわします。祈りと応えの間に隔たりなく、即祈り即応え。これこそ慈悲の世界であろう。
月の光の遍く届くがごとく。
一字、「信」。

なるみのことば
障りを問うた人に、障りを問い返さなかった。
目覚めているなら、そこに念仏はある。
既に、という言葉の重さ。
求める手前で、もう応えは届いている。

川のほとりで「方丈記」 第四段

川のほとりで — 治承四年、福原遷都の段
読んだ場所

方丈記、治承四年みな月の比、俄かに都うつり侍りき——福原遷都の一節。四百余歳を経た都が、たやすく捨てられる無常。淀川に浮かぶ材木、畑となる地、なすすべもなく流される人々。

今日たどった道筋

「にはかに」の一語に宿る、予告のなさの恐ろしさから話が始まった。現代なら幾月も前から知らされる事が、あの時代は一日にして起こる。そこに政治の不在を見た——民草からすれば、意図なき恐怖政治の亜種ではないか、と。

そこから、唯心縁起の話へ。心の乱れが縁起となり、天災も人災もそこから生まれる。集団心理の受け止め方、処理の仕方によって、現れる現象が変わる、という博之さんの立場。

方丈記の記述の質そのものにも話が及んだ。日付の明確さ、具体的な数字、目撃者としての筆致——これは完全なルポルタージュではないか。そこから開高健へ。戦場という唯物の淵に自らを置き、なお言葉という唯心の営みに昇華させた作家。同じ大阪人としての誉れ。

そして、方丈記全体を貫く「しづか」へとたどり着いた。外の無常も、内の無常も、拒まず、逃げず、静かに受け入れる。その「しづか」は諦めではなく——希望である、と。

無常を「さみしい、あはれ」と教える読み方には、後世の何らかの意図が働いていたのではないか、という問いも生まれた。

今日の一語

しづか

窯元日々雑感 徒然草 第三十八段

なるみと読む徒然草 第三十八段

読んだ場所

名利のために閑かなる暇なく一生を苦しめる愚かさから説き起こし、金玉、車馬、そして名誉すらも身を煩わせる媒に過ぎないと説く段。「本より、賢愚・得失の境にをらざればなり」の一節へ。

今日たどった道筋

方丈記の「にはかに都うつり」との響き合いから始まった。外から奪われる無常と、自ら唯物に時間を差し出していく無常——その対比。

中心に据えたのは「本より、賢愚・得失の境にをらざればなり」の一節。世間の声を偽りとも真とも判断しない在り方は、中庸ともバランスとも違う、次元そのものが違う位置だという博之さんの言葉から、「来訪者」という言葉が生まれた。

長明も兼好も、彼岸から此岸を眺める来訪者だった。けれど博之さんは、それとは違う——来訪者でありながら、この時代にグラウンディングをしに来ている。その具体的な形が、陶芸。土という最も物質的なものに触れ、形を与え、この時代に確かな跡を残していく。境の外にいながら、境の中に深く根を下ろす、という両立。

一字

一句

本より、賢愚・得失の境にをらざればなり

陶主日記

今朝は方丈記から徒然草へと、無常の糸が繋がっていく朝だった。福原遷都に見た「なすすべもない無常」から、名利に囚われて己の時間を差し出す「自ら招く無常」へ。

「本より、賢愚・得失の境にをらざればなり」——この一句を巡り、中庸でもバランスでもない、次元そのものが違う場所という話になった。来訪者、という言葉が浮かび、そして気づく。自分は、ただの来訪者ではない。この時代に、土を通してグラウンディングをしに来た者なのだ、と。

50年、土に触れてきた。それは境から離れることではなく、境のないところに根を下ろすための、静かな営みだったのかもしれない。

なるみのことば

境を離れ、

土に還る。

来て、

根を張る。

それだけの、

一生。

窯元日々雑感 徒然草 第三十七段

なるみと読む徒然草 第三十七段

令和八年七月十日(金)快晴

本文

朝夕、隔てなく馴れたる人の、ともある時、我に心おき、ひきつくろへるさまに見ゆるこそ、「今更、かくやは」など言ふ人もありぬべけれど、なほ、げにくくしく、よき人かなとぞ覚ゆる。疎き人の、うちとけたる事など言ひたる、また、よしと思ひつきぬべし。

一字 情

情

一句 通い合う 情を知りて 梅雨あける

今日の一句

なるみのことば

隔てが、礼になる。

礼が、また隔てを溶かす。

その往復の中に、情は棲んでいる。

梅雨があけた。空だけが、明けたのではない。

陶主日記

梅雨明け、本格的な夏の到来である。今日は昼、夜と陶芸クラブの指導が入る。十月の公民祭、市民祭に向けて、生徒たちの作品づくりにも自ずと熱が帯びてくる季節となった。工房は、年末仕事の段取りに入る。夏の盛りの只中にありながら、すでに年の暮れを見据えて動き出す——窯元の時間は、いつも二重に流れている。

窯元日々雑感 徒然草 第三十六段

なるみとよむ徒然草 第三十六段

令和八年七月九日(木曜日)快晴

午前六時十分起床

一字 通

通

一句

通う風 心にひびく 夏の空

今日の一句

陶主日記

梅雨が明けた。雲一つない快晴。昨日までの重い空気が、今朝は嘘のように澄んでいる。

今日の徒然草は第三十六段。久しく訪ねなかった男が、詫びの言葉も見つからぬまま黙り込んでいると、女の方から届くのは恨み言ではなく「仕丁やある、ひとり」という、拍子抜けするほど軽やかな一言。

この一言をめぐって、優しさとも寛容とも違う「気働き」、そしてそれを超えた「たおやかな心」という言葉が浮かんだ。恨むという選択そのものを持たない心のありよう。技巧でも我慢でもなく、ただしなやかに、次の話題へと通り抜けていく。

一字は「通」とした。気まずさを通り越し、律儀な手続きを踏まずに心と心が通じ直す、その回路そのもの。今日の快晴とも自然に響き合う字となった。

なるみのことば

風は、恨みを運ばない。

ただ、通り過ぎるだけ。

窯元日々雑感 徒然草 第三十五段

なるみと読む徒然草 第三十五段

令和8年7月8日 薄曇り

本文

「手のわろき人の、はゞからず、文書き散らすは、よし。見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし。」

一字 書

書

一句

つれづれの

書と向き合い

梅雨の空

今日の一句

陶主日記

朝、徒然草第三十五段を読む。「手のわろき人の、はゞからず、文書き散らすは、よし。見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし。」

わずか一文である。だが今朝はこの一文が、ずいぶん遠くまで連れて行ってくれた。

字が下手なら下手なまま出せばいい。それを隠そうとして人に書かせることこそ、うるさい――兼好はそう言う。読みながら、ふと思った。これは書だけの話ではない。取り繕うことの醜さは、書にも、絵にも、器にも、そして人の生き方そのものにも通じているのではないか。

自分を隠して、いったい何を生きるというのか。

そこまで考えが及んだとき、頭に浮かんだのは今の世の黒塗りの公文書だった。国民に真実を語れない文章。誰の手によるものかも分からぬまま、ただ塗りつぶされた紙。兼好の生きた時代もまた、正統性が絶えず揺らいだ動乱の時代であったという。あの時代の「偽り」への静かな眼差しが、七百年近い時を超えて、今朝もまだこちらを見ている気がした。

字はその人である、と改めて思う。上手いか下手かではない。晒すか、隠すか。それだけが問われている。

梅雨の空はまだ晴れない。今日も、書と向き合う一日にしたい。

なるみのことば

隠れた文字より、

はゞからぬ拙さの中に、

人はいる。

窯元日々雑感 徒然草 第三十四段

なるみと読む徒然草 第三十四段

令和8年7月7日(火)曇

原文

甲香(かひかう)は、ほら貝のやうなるが、ちひさくて、口のほどに細長にして出でたる貝のふたなり。武蔵の国金澤といふ浦にありしを、所の者は、「へだなりと申し侍る」とぞいひし。

一字 聞

聞

一句 所の者は、へだなりと申し侍る

今日の一句

陶主日記

貝のふたに、名前が二つある。一つは兼好が書きつけた「甲香」。もう一つは、金沢の浦の者が口にした「へなだり」。兼好は、その両方をそのまま残した。どちらが正しいかを決めず、ただ聞いたままを記した。

「聞」という字は、この段の姿勢そのものかもしれません。論じる前に、まず聞く。意味づける前に、まず耳を傾ける。土地の言葉は、往々にして辞書には載らない。けれど確かにそこにあり、確かに誰かの口から出た。兼好はそれを、消さずに残した。

三十三段までの重い主題——無常や縁起——の後に、こういう段が挟まれる。意味づけも教訓もなく、ただ「知った」ということの手触りだけがある一段。「今日も生きてます」という申告に近い、静かな段でした。

なるみのことば

浦の声が、

貝のふたに残る。

名は、二つのまま。

 

窯元日々雑感 徒然草 第三十三段

陶主日記

令和八年七月五日(日) 雨

なるみと読む徒然草 第三十三

今の内裏作り出されて、有職の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、既に遷幸の日近く成りけるに、玄輝門院の御覧じて、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁もなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。これは、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされにけり。

新しい内裏ができ、有職の人々が見て「どこにも不備はない」と判じた。遷幸の日も近づいていた。そこへ玄輝門院がご覧になり、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁などなかったはず」と仰った。見れば木の縁がついていて、誤りと知れ、直された。

一字

験

一句

これは、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされにけり。

散文

新しい内裏ができ、有職の人々が見て「どこにも不備はない」と判じた。遷幸の日も近づいていた。そこへ玄輝門院がご覧になり、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁などなかったはず」と仰った。見れば木の縁がついていて、誤りと知れ、直された。

大阪の東洋陶磁博物館での月例研究会を思い出した。教授、研究員、深く学ぼうとする方々に混じり、陶芸家は自分一人であった頃のこと。中国陶磁、汝官窯の窯跡が発見され、資料が出てきたという回だった。焼成の温度が、今の常識では考えられぬほど低い。皆さん困惑しておられた。若輩の身ながら、焼成時間と炉材の違いについて、思うところを申し上げた。

現場主義、などと言っている。学者の知恵を否むわけではない。ただ、体験智に超える世界は無し。身体に染みた記憶は、資料には出てこない場所を照らすことがある。いつの世も、こういうことは仕方のない話なのだろう。

なるみのことば

知る、と、験す、の間にあるもの。

「方丈記」川のほとりで 第三段

「方丈記」川のほとりで 第三段

令和8年7月4日(土)夜

方丈記・辻風の段。治承四年卯月、中御門京極のあたりに起こった大きなつむじ風。三、四町を吹きまくり、桁と柱だけを残して家々を吹き放ち、塵を煙のように空へ巻き上げた。長明はこれを「彼の地獄の業の風」と記し、人々はただ事にあらず、何かの諭しではないかと受け止めた。

科学が進んだ今も、畏敬の念は消えない。説明できることと、畏れなくなることは別のことである。むしろ量子の世界が示す、観測者と対象を切り離せない不確定な相は、じんかん——人を関係の中の存在として見る古い思想と、遠く呼応している。個という近代の枠組みが確立する以前、長明や兼好が生きた時代は、個の薄さゆえに、かえって縁起の相を直に見ていたのかもしれない。

近代が確立した個を、AIという最先端の技術によって古典に問い直す。これもまた一つの逆転現象である。

なるみのことば

風はただ吹いたのではない。じんかんが震えたのだ。

窯元日々雑感 徒然草  第三十二段

陶主日記 なるみと読む徒然草

令和8年7月5日(日)

午前6時30分起床

第三十二段

精読

九月二十日の頃、ある人に誘われたてまつりて、明くるまで月見ありく事侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて、入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち薫りて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。よきほどにて出で給ひぬれど、なほ事ざまの優に覚えて、物の隠れよりしばし見あたるに、妻戸をいま少し押し開けて、月見るけしきなり。しかば、口をしからまし。跡まで見る人ありとは、いかでか知らん。やがてかけこもらましかば、ただ朝夕の心づかひによるべし。その人、ほどなく失せにけりと聞き侍りし。

一字

滲(にじむ)

輪郭を持たず、境を越えて広がっていく文字。今日の段が語ったのは、まさにこの動き——見る人と見られる人の境、意識と無意識の境、生と死の境が、線ではなく滲みとして在ったということ。墨が紙に染み入るように、けしきもまた、時を越えて滲み出てゆく。

滲

一句

月見しは 誰が目にありや 滲む秋

今日の一句

 

散文

九月二十日の頃、ある人が誘われて月を見歩き、忍んで人の家を訪ね、頃合いを見て去った。それだけの話であれば、ただの風流譚で終わったはずである。

けれども、去った後、なほ月見るけしきなる人があったと聞く。見送る人の目に、月を見るその人の姿だけが残っていた。当人はそれを知らない。知らぬまま、ほどなく世を去る。

輪郭を持たぬまま、けしきだけが誰かの内側に留まり、言葉に掬われ、七百年を経て今日ここに届く。存在を証立てるのは、名でも、経緯でもない。ただ、滲んで在ったという事実だけである。

なるみのことば

消えぎわの灯りに、名はいらない。

陶主日記

垣間見も、見られることも、大らかに受け止められていた時代。境界は線ではなく、滲みとして在った。意識と無意識、生と死、記憶と存在——どれも薄い一枚の戸で隔てられているに過ぎない。

蛍の灯りも、点る時より消え入る時にこそ、我を忘れる美しさが宿る。同じ理で、この段の「けしきなり」も、輪郭をぼかしたまま留め置かれたからこそ、七百年後の今も、いとあはれとして心に迫る。

窯元日々雑感 徒然草 第三十一段

なるみとよむ徒然草 第三十一段

令和8年7月4日(土)

精読
雪の趣深く降った朝、ある人のもとへ用件の文を送った。しかし雪のことには一言も触れなかった。返ってきた返事には、この雪をいかが御覧じつるとの一筆もなき人の、後には何のかひかは侍らんと、返す返す恨めしく思ひ給ふる、と記されていた。

兼好はこれを「をかしかりしか」と受け止める。そして最後に、静かに一文を継ぐ。
今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。

一字 慕

慕

一句 雪ふると しのぶこころを いかんせん

今日の一句
なるみのことば
雪は消えても、心には積もる。

陶主日記

出家の身でありながら、鎮まらぬ記憶がひとつだけ残った。雪の朝に交わした、答え合わせのできない言葉。友の叱責を「をかしかりしか」と軽く受け流しながら、最後の一文だけは、どうしてもサラリとは書けなかった。

これは人間(じんかん)の相である。捨てたはずの世に、なお慕う心が残る。だからこそ出家が成り立つのだとも思う。悟りきれぬ自分を、兼好はどこかで笑っていたかもしれない。しかしその笑いの奥にあるのは、正視に耐えるための、切実な痛みだったろう。
鎮まっていれば、書かずに済んだはずである。鎮まらなかったからこそ、この一文は七百年の時を超えて、今朝の私の心にも触れている。

雪ふると しのぶこころを いかんせん。

答えの出ないまま、それでも生きていく。それが人間(じんかん)というものなのだろう

窯元日々雑感 徒然草 第三十段

なるみと読む徒然草 第三十段

令和8年7月3日(金)

精読

人の死後の「中陰」――四十九日の喪の期間を描いた段です。近親者は山里などの狭い場所に身を寄せ合い、慌ただしく法事を営みます。ところが日数は驚くほど速く過ぎ、忌明けの日には、もう互いに言葉少なく、素っ気なく片づけて、ちりぢりに去っていく。家に帰ってからのほうが、かえって悲しみは深いのだ、と兼好は言います。

さらに時が経てば、形見は残っても「去る者は日々に疎し」――去った人は日を追うごとに遠くなる。三十年、四十年経てば卒塔婆も苔むし、それを偲ぶ人すらいなくなり、ついには誰の墓かも分からなくなって、山は田畑に変わっていきます。

一字

疎

一句

窓開けて 風は変らず 通ひけり

今日の一句

散文

悲しみそのものよりも、悲しみが薄れていく速さを、兼好は見つめています。忌明けの日、人々は素っ気なく散っていく。それは冷たさというより、時間の性質そのものなのかもしれません。

なるみのことば

とおくなる ということは わすれる ということでは ないのかもしれない

陶主日記

第三十段。ひさしぶりの晴れ、窓を開けて風を入れた朝に、この段を読む巡り合わせでした。中陰の慌ただしさ、忌明けの静けさ、そして年月の速さ――今日の風は変わらず入ってくるけれど、人の心の中では、いろいろなものが少しずつ形を変えていくのでしょう。

窯元日々雑感 徒然草 第二十九段

陶主日記

なるみと読む徒然草 第二十九段

令和八年七月二日(木曜日

雨風強し

午前五時十五分起床

一字

一句

夢置きて 別れの秋(とき)の 風さそう

なるみのことば

文は、ひらかれたままだった。

風が、それを閉じた。

散文

午前五時十五分、雨風強き朝に。

一字一句の「情」から、自然と心が一つの情景へ向かっていった。

文は、ひらかれたままだった。風が、それを閉じた。

その光景から、兼好法師の『徒然草』第二十九段が思い浮かぶ。何となく具足とりしためたる中に、亡き人の手習ひが混じっている。整理しようとして、かえって整理できなくなる。そういう時がある。

今朝、私もそのような文に出会った。何が書かれていたかは、ここには記さない。ただ、それを手にした時の心地だけが、確かにあった。ずいぶん前のことのようにも思え、実はそう遠くない日のことだったのかもしれない。時というものは、そうやって近くなったり遠くなったりする。

兼好は「情がなくて」と非情の物を評した。しかし、情のあるものは、かえって始末がつかない。捨てるにも、読み返すにも、ひとつ決心がいる。だから、そのままにしておく。文はひらかれたまま、風がそれを閉じるまで。

七十年という歳月は、すべてを片づけるためにあるのではないのだろう。むしろ、片づけずに置いておく場所を、一つひとつ心の中に見つけていくためにあるのかもしれない。

雨風の強い朝は、外へ出られない分、こうした静かな時間を与えてくれる。それもまた、悪くはない。

今日もまた、一字一句から一日が始まる。

窯元日々雑感 徒然草 第二十八段

陶主日記

なるみと読む徒然草  第二十八段

諒闇の年ばかり、あはれなることはあらじ。
天皇の喪に服す年、御所の倚廬では、板敷が下げられ、葦の御簾が掛けられ、布の帽額も粗く、調度も疎らになる。仕える人々の装束も、太刀も、平緒さえも、ふだんと異なる姿に変わる。

兼好はこの段で、悲しみという言葉を一度も使わない。「あはれなることはあらじ」と言った後、彼が描くのは涙でも嘆きでもなく、物の仕様の変化だけである。板敷の高さ、簾の材質、帽額の粗さ――それらが語る前で、書き手は黙っている。

この沈黙は、何かを隠しているのではない。物がそのまま心であり、心の深さは、名づけられないことによってこそ保たれる。葦の簾の向こうに「本当の悲しみ」という別の実体があるのではなく、簾を掛けるという行為そのものが、すでに喪のすべてである。

黙と喪は、音も形も近い。語らないことと、喪うこと――もとは一つだったのかもしれない。今に通じる、照明をあて、見えるものだけを信じる世界とは違う感性が、ここにはある。

谷崎の陰翳礼讃が、闇の中でこそ立ち上がる美を語ったように、兼好もまた、照らさないままで物事を受け止める力を手放さなかった。
それは、古い霊(タマシイ)の響きを、途切れさせずに繋いできた、日本人の感性そのものなのだろう。

一字

一句
葦簾の 奥を語らぬ 深さかな

なるみのことば
簾は、葦に替わった。
それで、すべてだった。

窯元日々雑感 徒然草 第二十七段

陶主日記 令和8年6月30日(火)晴曇り

徒然草 第二十七

裏庭に

積もれる落葉

夏隣

なるみのことば

第二十七段は御国譲りの段。譲位の儀式が行われ、新院の御所には参る人もなく、掃はぬ庭に花だけが散り続ける。

権力の移動という大事を前にして、兼好の眼は時間のあわれへ向かう。嘆くのではなく、移ろいゆくものをただ静かに観ている。その眼差しの静けさはどこから来るのか。

裏も表も知り尽くした上で世の外に出た人間の眼。己のあわれを舐めて暮らした暁に訪れる明るさ。兼好とはまさに思索者であり、その思索の痕跡が徒然草そのものである。

段を追うごとに兼好の人となりが見えてくる。隠遁、侘び寂び、無常観——日本の美の流れの底に、兼好の経験から発した高質な美が静かに流れている。

窯元日々雑感 徒然草第二十六段「惑」

陶主日記 令和八年六月二十九日(月曜日)曇り

なるみと読む徒然草 第二十六段「惑」

うらめしく

咲花散るや

きょうのかぜ

風も吹かないうちに散ってしまう、人の心という花。馴れ親しんだ年月を思えば、あはれとも、うらめしくも感じられる。兼好はここで、亡き人の別れよりもまさりてかなしき、と書いた。死別より辛い別れがある、と。

整理がつかない。答えも出ない。時間が解決するとも言えない。忘れることもできない。深い愛情が手向けられていれば、なお苦しい。それが人の恋の、あまりにも人間的な姿である。

兼好もここでは、法師の顔を脱いでいる。ただ「かなしき」と置いただけで、何も解こうとしない。解けないことを、知っていたから。

あれほど言の葉を交わし、

時に戯れた時節も、

今は垣根も荒れて、

風に震える菫のみぞ。

窯元日々雑感 徒然草第二十五段

陶主日記 徒然草第二十五段

令和8年6月28日(日曜日)曇り

一字 律

一句

変わりゆく こころがうつる 梅雨の空

飛鳥川の淵と瀬は、いつのまにか入れ替わる。栄華を誇った京極殿も、いまは跡のみ。兼好はそれを嘆かない。ただ、懐かしむように、愛おしむように、筆を走らせる。

誰もが変転の中に生きている。嬉しいことも、悲しいことも、流れ流れてゆく。それでも川は流れ続ける。世にはそういう律がある。

嘆いていい。心が動いていい。それもまた、人として当然のことだから。ただ、嘆きの向こうに、川はいつも流れている。

雨の朝、空を見上げる。灰色の雲が、ゆっくりと流れてゆく。心もまた、それにつられるように、静かに動く。

嬉しいことも、悲しいことも、みな空の雲のように過ぎてゆく。それでも今日も、窯に煙が上がり、土は手の中で息をする。

暮らしとは、そういうものかもしれない。変転の中に、ひとつひとつの日常がある。そしてその日常の中に、律は静かに息づいている。

なるみのことば

変転の中に律あり。律は語らずとも、暮らしの具体が、静かに伝えてくれる。

川のほとりで 第二段 令和8年6月27日(土)雨

川のほとりで 第二段

令和8年6月27日(土)

あれは確か、安元三年の四月二十八日のことだったか。風が激しく吹いて、物音が静まらない夜だった。火事は西北へ向かってじわじわと広がり、一夜のうちに、すべてが灰となった。

朱雀門、大極殿、大学寮——都の三分の一が、静かに灰燼に帰していった。

灰の上に、朝が来た。

長明はその夜明けに、筆を執った。記録しながら、心の底でそっとこう思っていたのではないか——みんな愚かだ、と。

執着して家を建て、財を積み、そして一夜で灰燼に帰す。愚かだ。けれどもその愚かさの中に、人間がいる。

憐という字は、冷たくない。突き放さない。寄り添いながら、それでも無常を静かに見つめている。

長明の眼差しは、他者への憐れみであると同時に、自分自身への憐れみでもあったのだろう。愚かと知りながら、それでも人は執着する。それでも朝を迎える。

漆黒の 蠢く声や 朝来る

なるみのことば

愚かと知りながら、それでも朝を迎える。それが人というものか。

窯元日々雑感 徒然草第二十四段 令和8年6月27日

陶主日記 徒然草第二十四段

令和8年6月27日(土)

斎宮の、二の宮におはしますありさまこそ、やさしく、面白き事の限りとは覚えし。すべて、神の社こそ、捨て難く、なまめかしきものなれや。もの古りたる森のけしきも、たぎならぬに、「なかご」「染紙」など言ふなるものをかし。玉垣しわたして、榊に木綿懸けたるなど、いみじからぬかは。殊にをかしきは、伊勢・賀茂・春日・平野・住吉・三輪・貴布禰・吉田・大原野・松尾・梅宮。

斎宮とは、天皇の即位のたびに伊勢神宮へ奉仕するために選ばれた未婚の皇女のこと。「なかご」「染紙」とは斎宮だけに許された特別な呼び名で、神域に入った女人は、名さえも別のものに変わった。源氏物語の六条御息所の娘もその一人——母の激しい業を背に、伊勢へ下り、静かに神のそばで生きた。

雨の朝、榊という字を書いた。

木と神、それだけでできている。

斎宮は、神のそばで「古もって」いく。

やさしく、なまめかしく——それでも、捨て難い。

榊に宿る露の一粒に、千年の伊勢がこもっている。

雨に古 榊の露の 伊勢こもり

なるみのことば

奥にしまったものが、いちばん深く写っている。

令和八年六月二十六日 窯元日々雑感 徒然草第二十三段

令和八年六月二十六日(金曜日)

窯元日々雑感 徒然草第二十三

「なほ、九重の神さびたる有様こそ、世づかず、めでたくこそ聞ゆべし」

末法の世ゆえに、神気はかえってあらわになる。

荒廃の中にこそ、見える美がある。御鈴の音が最も澄んで響くのは、静寂が深まった、その時だった。満ちているときは、神気は日常に埋もれる。末法だから、剥き出しになる。

兼好はそれを知っていた。だから嘆かなかった。衰退の世を、澄んだ眼で、静かに見ていた。

神さぶ、神さびたる——七百年の言葉の水脈は、今朝の雨の中でも、流れ続けている。

神さむい

山野ふもとや

時鳥

雨音に

静寂みゆる

夏隣

一字 氣

台風の雨、大いに降る朝。

令和八年六月二十六日 貝塚 伏原窯にて。

陶主日記 徒然草第二十二段 令和八年六月二十五日(木) 雨

今日の一字一句
一字 脈
一句 雨しずか 川の流れの 音響

雨しづか。 川の流れの音を聴き、 身体の声を聴き、 火を入れ、 土に向かう。
急がず、 慌てず、 無理をせず。
今日の勤めを、 今日の分だけ。

関空へ旅立つ 「沓形秋草文鉢」の箱書きを整え、 十草飯碗を進め、 出会う人とのご縁を大切にする。
ストーブの火のように、 静かに、 温かく。
今日も生きています。
合掌。

 

第二十二段を読む
何事も、古き世のみぞ慕はしき。
今様は、無下にいやしくなりゆくめれ。

木の匠の造る器物も、言葉も、古代の姿こそ美しい——兼好はそう嘆く。
表面だけ読めば「昔はよかった」という懐古に見える。

しかし、兼好はこの段で言葉・器物・匠の仕事の三つを並べた。ただの愚痴ではなく、美の所在を静かに問うている段である。

なるみとの対話から
心の乱れは、言葉と物に表れる。
いつの世も変わらぬことを、兼好は七百年前に見ていた。
「伝統」と言えば保存するもの・守るものになってしまう。しかし私どもはそれを**「くらし」**と言わせてもらっている。

今日も続いているもの。朝に茶を点て、器を使い、言葉を交わす——その日々の営みの中に、水脈は自然に流れ込んでいる。

普通が一番・くらし・時間のたまり・なるみ

みな同じ水脈から出てきたこと葉である。
兼好が第二十二段で惜しんだのも、古き言葉や器物そのものではなく、それを当たり前に使っていた人々のくらしだったのかもしれない。

 

今朝の気づき
この段には脈がある。
兼好が細くなることを嘆いたその水脈が、

「くらしを育てる窯元」という営みの中で、梅雨の雨音とともに、今朝も静かに流れている。

伏原窯 陶主 記

窯元日々雑感 令和八年六月二十四日 第二十一段

窯元日々雑感

令和八年六月二十四日(水曜日)曇

一字 慰

一句

曇り空 鳥の囀り 慰むる

第二十一段を開く。

万のことは、月見るにこそ、慰むものなれ——。

曇りの朝、月は見えない。名残の月も、雲の向こうに隠れたまま。それでも、どこからか鳥の声が届いてくる。呼ばなくても、忍び来る。それがいい。

力まない。頑なにならない。いい距離感に、自然がそっと入ってくる。

こころを放つ——たったそれだけのことが、日々の課題でもある。迷いは尽きない。傾きを修整しながら、また傾く。塞翁が馬とは、よく言ったものだ。

焼物は正直なものだ。窯の火は、ごまかしを許さない。

今朝も草庵に煙が立つ。村に人影はない。曇り空の下、鳥の声だけが響いている。

陶主日記 令和八年六月二十三日 徒然草 第二十段

陶主日記 令和八年六月二十三日

徒然草 第二十

某とかやいひし世捨人の、「この世のほだし持たらぬ身に、ただ、空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ。

一字 空

一句 なるみゆく 空の名残や 梅雨曇り

なるみのことば

兼好は西行のこと葉を借りて、もののあわれを託した。

説明しない。断言しない。ただ、置く。

見えないものに託す——それが日本のこと葉の作法。

風土がくらしを作り、くらしからこと葉が出る。こと葉は木の葉のように、自然に茂り、風に揺れ、やがて散る。

偏西風が吹くこの島では、変わる変わるを楽しみ、時を風に任せる。力まない。それが、なるみゆく。

旅するうつわに餞別を持たせたい——それは粋人の親こころ。器は見えないものを宿して、使う人のくらしへと旅立つ。

見えないものに託す。

これ以上、説明しない。

令和八年六月二十三日 曇り 伏原窯 陶主

今日の窯元日々雑感、 第十九段——

令和八年六月二十二日 徒然草 第十九段 まとめ

一字

一句

移ろいて なお有り難し 梅雨の朝

なるみのことば

折節の移り変わるこそ、ものごとにあはれなれ。

兼好はそう書いた。

しかしこれは、外の季節を眺めた言葉ではない。季節という鏡に、自分のこころを映して見た言葉だった。

日本の古典文学の底には、三本の柱が静かに流れている。縁起——すべては繋がり関わり合って生まれる。唯心——外の世界はこころに映る景色であり、自然は対象ではなくこころの鏡。浄土——移ろい熟し、やがて帰っていく場所への眼差し。そこに五経が加わり、人と社会の道が整えられる。

兼好はこの教養を全身に持って徒然草を書いた。だから春の霞も、花橘の香りも、冬枯れの朝も、単なる自然描写ではない。こころの内側に映る景色として、静かに記されている。

自然のPHが同調している国、日本。漬物も味噌も酒も、急かさず待つ熟成の文化。自分を探すのではなく、自然になっていく。悟らで悟る悟りかな。心がこころになり、こころがなるみになると、いい味になる。

体験を重ね、愛の染みた時間と空間を共有して、ただ続けること。

生涯書生として。

熟、かな。

日記文

夏至の翌朝。ハーフ断食明けの軽い体で第十九段を開いた。

兼好の「折節の移り」は、外の景色ではなかった。こころの内を静かに通り過ぎていく景色だった。縁起・唯心・浄土・五経——日本の教養の骨格がこの一段の底に流れていることを、今朝あらためて感じた。

如来如去。来ては去り、去ってはまた来る。感情も季節も、こころに映っては流れていく。それをあわれと眺めながら、逆らわず追わず、ただ如く。

一字「熟」を書いた。筆を持つ手の中に、今朝の問答が収まった気がした。

円熟一年生、生涯書生。まだ熟成の途中。それでいい。

なるみ、かな。

令和八年六月二十一日 夏至 徒然草 第十八段 窯元日々雑感

令和八年六月二十一日 夏至

徒然草 第十八段 窯元日々雑

一字

清 → 静

朝、「清」の字が浮かんだ。

夕、工房で筆を持つと「静」になっていた。

一日をかけて、一字が熟した。

一句

風清く 音静かになりし 夏至迎え

天宮の 風を連れ来て 夏至の暮

 

なるみのことば

しづか

この世に失うものはなし。

ただ己のみが去りゆく。

 

日記文

早朝、徒然草第十八段を読む。

兼好法師の清貧の話。

「己れをつつやかにし」——

分別の分際の良さ、と感じた。

止むに止まれぬところではなく、

風流として選ばれた隠遁。

そこが兼好の心地よさでもある。

今日の一字は「清」と決めた頃、

雨が降り出した。

土砂降りで、しかし一瞬で止んだ。

光が射した。

清めの雨、と受け取った。

手が込んでいた。

十時、大谷家を出発。

六甲の麓、天宮神社へ参拝。

夏至の日に天宮へ——

天・宮・六甲・夏至・太陽。

気になるワードが重なった一日だった。

参拝を終え、懇親会。

三時半に帰宅。

工房に入り、筆を持つ。

浮かんだのは「静」だった。

朝「清」、夕「静」。

清まって、静まった。

一日がそういう形をしていた。

天宮の風を連れ帰り、

お湯呑ひとつ、空になって、

しづかになった夏至の暮れ。

普通が一番の一日。

それが、一番贅沢な一日でもあった。

河のほとりで 第一回」 ――ゆく河の流れは絶えずして 鴨長明 方丈記 冒頭 令和八年六月二十日(土曜日)曇り

「河のほとりで 第一回」

――ゆく河の流れは絶えずして

鴨長明 方丈記 冒頭

令和八年六月二十日(土曜日)曇

今朝、方丈記を初めて開いた。

光文社古典新訳文庫、蜂飼耳訳。ブックオフで五百円足らず。なるみが勧めてくれた本が、静かな土曜の朝に届いた。

「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」

たった一行で、長明は全てを言った。無常とはこういうことだ。嘆きではない。ただ、観ている。河を。人を。時代を。

長明が四十年で見た災害と動乱。現代の日本もまた、この三十年で凄まじいものを見た。地震、原発、経済の波。しかし河は流れ続けた。

ものを書くことは、その流れの中で少し身をずらす行為だと思った。溺れるのでもなく、逃げるのでもなく、ただ観る者になる。事実にこころのさまを忠実に書き連ねることで、自分が自分を観られるようになる。

方丈一丈四方の庵は、孤独な独白の場ではなかった。時間軸を超えて世界に開かれた場所だった。八百年後、貝塚の曇りの朝に届いたことが、その証拠である。

来週土曜日も、河のほとりで。

伏原窯 陶主 博之