登り窯と乾山

登り窯と乾山

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日本で本格的に食器を個人作家として作ったのは、乾山でしょう。もちろん瀬戸や唐津の窯業地では多くの食器を作っていました。が、懐石料理の器をデザインから製造したとなると、乾山が初めてでしょう。

 


乾山蓋物

日本で陶器の食器が一般的に使われ出したのは窯の大きな変革があったからです。織部という焼き物がありますが、カラフルで多くの技法が盛りもまれ、懐石や茶事によく使われています。この焼き物は今までの穴窯から登り窯に代ってできた焼き物です。登り窯は九州唐津あたりで発明された日本独特の窯です。この窯は大変熱効率が高く、また大量に焼くことが出来きます。それまでは山の斜面を掘って階段状に傾斜を付け蒲鉾の形に屋根を土で覆って窯を作っていました。半地下式穴窯などと云いますが、通称「蛇窯」などとも呼ばれています。それが全室を地上に上げ各部屋を独立させ、サマと言う連結坑で繋いだ窯が発明されました。それが皆さんのいう「登り窯」です。 この窯が出来て初めて大量にまた安価に焼き物が出来るようになりました。九州から瀬戸に伝搬され、各地方で特色のある焼き物が大量に作られ、出回りだしました。江戸では瀬戸物、また京都、大阪では唐津物といわれ雑器の代名詞のようにもなりました。 この窯が仁清によって瀬戸赤津から京都にもたらされました。仁清の陶技を継いだ乾山もまた鳴滝泉谷山にコンパクトな登り窯をつくり、多くの美しい焼き物を作りだしました。

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