懐石食器のこころ

懐石食器のこころ

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こんばんは。山桜があれよあれよと咲き始めました。梅、椿、桜、それに山つつじまでも咲きだし、なかなか今年の三月は珍しい山の景色になっています。何か落ち着かない気持ちです。桜が咲いたことを素直に喜べないのは、今年も何かに追われている慌ただしさから解放されていない思いだからでしょう。

今日はJコムで流す地方番組の撮影がありました。泉州の伝統技術を紹介するそうです。午後1時過ぎにやって来て、5時ごろまで色々な場面と撮っていきました。こちらも地元の番組とあって大分サービスをして、轆轤のシーンなんぞまで提供しました。食器の話を中心にあれやこれや焼き物が持っている心の部分まで話してみましたが、そのことをマスメディヤで伝えるには難しいと思います。しかし少しでも食器の奥深さが伝わればと思っています。

食器にこだわりあらゆるデザインを形にしたのは京都の工人達だと思います。中心になるのはやはりお茶の文化でしょう。色々な茶人が自分の好みを実現するのに、各窯業地に型紙を送り、その型通りの器を作らせています。また南蛮貿易なども盛んだったので、安南(ベトナム)やスンクローク、スコータイなどインドシナまでも注文しています。中国明にも通称「古染付」と呼ばれるものを景徳鎮に発注しています。茶人が色々な発想でまた色々なデザインを駆使し懐石食器を作った事が、今の食器世界の古典となっています。

京焼は京の文人茶人が地方の窯に発注するより自らの地で作らせようと試みた事が始まりのように思えます。需要があり各地の陶工がやって来て盛んに茶事の器を作った事でしょう。

乾山陶器は懐石の器を日本情緒あふれる独特の世界に昇華させました。先にも後にもここまで斬新的に食器を作った陶工はいません。食器の奥儀を極めつくした感があります。
日本人のこころ、食器のこころを表現したいと心から思うこのごろです。

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