一歩前進

こんばんは。久しぶりにブログを書いています。季節が変わり工房も大きく変化しようとしています。昨年より積み重ねて来た乾山陶器が本格的に始動出しました。先週ようびに持って行った仕事が一歩扉を開けた様に思います。昨日の窯は色々な思惑とテストも兼ねて焼いてみました。少々不安でしたが一つのコンセプトとしてどうしても通過しておかなければならない「窯」でした。釉薬の薄さもさることながら、温度を今までより10度下げて焼き上げるという事は私の今までにない経験でした。乾山陶器の釉薬の扱いがどうしてもかなり薄いので微妙な感覚が必要とされます。

一歩前進

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食器も変わる

こんばんは。昨日の雨で注文していた筍はまずまずの出来栄えを頂くことが出来ました。今年はもう筍も終わりに近くなってきて、そんなにいいものも出てこないということでした。天候が4月になっても安定していなく、初旬の寒の戻りの様な寒さがあって、一気に夏日の様な、この季節にはなかった陽気が続きました。筍も陽気につられて出尽くしてしまったようで、でも昨日の雨は恵みの雨となり、今日は何とかいいものがとれたということでした。

早速朝掘りの筍をお土産に持って、工芸店様に出かけました。今回のお話は慢幕紋の筒向(つつむこう)を見せることです。私どもが古清水をはじめて4年になりますが、最初からこの筒向を作ることが最大の課題であり、また最終の作品になっていました。乾山の入り口に位置する作品でもあると真木さんは考えていたのでしょう。もう三年も前になるのでしょうか、京都国立博物館で「京焼展」があり、そこにも出展されていました。間近に見ることが出来たのは大変参考になり、その雰囲気がその時掴めたのも大いに為になりました。

一見、鉄と呉須の簡単な絵付けに見え、また造詣も同じく難しいものを感じませんが、実はそれがいちばん難儀な世界です。ごまかしの効かないストレートな轆轤で、古清水が持っている食器としての最高の贅沢である「品格」を作れているかという事に尽きるのです。今日明日で作れるものではない事がやっと分かって来ました。

面白い話に「乾山は京焼と云う事が分かった。」と4年前真木さんが云われた事をこの作品を作ることで私は実証したかったのでしょう。40年も一線で食器一途にやってきた人が、単にこの言葉を出したとは誰も思えません。しかし乾山陶器を本当に作るとなれば、相当の覚悟と度量がいることは間違い有りません。今までいかに乾山がうわべだけでとらえられてきたか、その様な食器が作られてきたか、真木さんはいやというほど経験されてきたのです。

有りがたい事にその事の重要性を知るきっかけを頂き、私たちは古清水の写しをベースに4年、作陶に打ち込ませてもらいました。薫陶という言葉がありますが、知らず知らずのうちに古清水が持つ雅さが私どもの仕事にも写って来てくれたのでしょう。筒向を挽く轆轤が何とも表現しがたい思いの籠ったものになりました。そのことが今日作品を見せて、真木さんに伝わったということはうれしい限りです。

また違った次元の器がこれから作られて行くことでしょう。大きな楽しみになってきました。

古清水慢幕深向付写しのテスト

こんばんは。東の山から今日は満月でしょうか、大きなお月さまが昇って来ました。工房を出る時、タイミングよく「ほっほ、ほっほー」とふくろうが鳴きました。春だなあ、と思わず安ど感がやって来ました。寒さから解放されるほどうれしい事はありません。春眠暁を覚えず。とろとろと惰眠を貪りたいですが、そういうことも言っておれませんね。

今日は昨日焼きあげた耐火煉瓦の窯出しでした。午後からすたっふMさんが来てくれました。思った様な結果が出たので、まずまずの成果だと思います。昨年末から続いています「乾山」陶器の結果がでて、土味がやはり窯を変えることでかなりいい感じで出てきました。この土味なら色々なテーマで乾山を作ることが出来ると確信出来ました。また、古清水慢幕深向こうの写しテストも、鉄絵や呉須の色会いが一回目としては結果が出せたと思います。早速工芸店様に電話を入れました。今日の窯の結果を検証して次の作品へとイメージを作ろうということです。今回の窯の結果から乾山のオランダ写しが私どもでもできそうな感じになって来ました。

以前にも書いてみましたが、窯が変われば同じ土でも、また同じ釉薬でも全く変わって来ます。特に昔の写しをベースにする仕事はどうしても今風の窯では風合いが異なって来ます。そこで土をあの手この手と色々調合してみるのですが、やはりなかなかうまくいきません。どこが違うのかと云えば、それがそう簡単に説明が出来ないところなのです。見比べればなるほどとうなずけるのでしょうが、単独で出されたらよっぽど精通していないと分からないようなものです。そこまで拘らなくてもという思いも正直働くのですが、どうもその辺が不器用に出来ているのでしょうか、私は拘り続けてしまうのです。よく作品作りより実験工房風になっていると笑われています。

今回は一応の結果は出せたのでしょうが、これからまだまだ材料を変え実験は続いていきます。その過程から思わぬ面白い作品が出てくることを私はいつも待ち受けているのですが。色々と繋がっていくと今まで出来なかった事や分からなかった事がするすると謎が解けていくのが面白いのです。新しい地平に立つことが私にとって最高の喜びなのでしょう。

工房の春

こんばんは。今日の天候で桜が満開になったところも多いのではないでしょうか。実家から工房に向けて車を走らせて来ましたが、途中目にするソメイヨシノはほとんど満開状態でした。ああ、季節が過ぎていきますねえ。今週いっぱいで桜吹雪が舞い散るでしょう。寂しい限りです。

工房は先週末素焼きをした乾山陶器や慢幕深向こうなどの釉薬掛けをしました。夜に耐火煉瓦の小さな窯に入れ一日掛け焼いてみるとこにします。年末から準備をして、やっとここまで来ました。結果が楽しみです。

今日は工房付近の春を撮ってみました。

桜

工房の春

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乾山写し 湯呑

こんばんは。今日はあいにく雨模様でお花見は明日に持ち越しのところが多いのではないでしょうか。私どもの仕事は季節の先取りで進めていますが、桜は一月の末より仕事にかかっています。すたっふMさんは今年も桜尽しで、注文の数を納めるのに今月いっぱいかかるようです。ここまで来るといくら好きな桜でも食傷気味のようです。一度納期を忘れてのんびり桜を愛でてみたいものですが。八重桜なら時期もずれてくれるので良いかもしれませんね。造幣局の通り抜けにでも行ってみたいものですがいつのことやら。

工房は京焼葵紋平向付の絵付けの続きです。夕方遅くに葵紋の花弁の釘彫りをし終わりました。 葵紋がこなれてきたので、早速乾山写し絵替わり向付にも取り掛かりました。来週月曜日に慢幕紋などと一緒に窯に入れてみるつもりです。 今日は遅くなりましたが素焼きをし、月曜日の準備にかかります。


 


乾山写し 湯呑絵付け

京焼 「葵文平向付」絵付け

こんばんは。四月に入って寒の戻りという言葉はないでしょうが、昨夜は雹が降ったり、また所によっては雪になったりと大変寒いところが多くあったようです。山の生活はまだまだストーブから離れることができませんが、山桜の色合いは近年にない美しさで感動を覚えます。この寒さでは夜桜に出かける気分にはなりません。

工房は昨日に続き葵紋の絵付けに取り掛かりました。昨日割を入れたところに、鉄と御須で花びらを描いていきます。生素地に直接描いていくので、花ビラの感じが一層出やすくなっています。墨絵を描くように水で薄く伸ばした絵の具を花びらが重なったような感じにふわふわっと描いていきます。花も大小変化を付けて遠近を出していきます。

書き終わった花ビラに釘彫りで花弁を入れていきます。幼い頃画用紙いっぱい色んな色のクレヨンを重ね塗りして、引っ掻きながら絵を描いたことがあるでしょう。その要領と同じ事なのです。どこか稚拙な線が有る方が面白いと思います。

乾山がよくしていた技法の一つですが、ルーツは絵高麗、中国磁州窯に有ります。私がまだ駆け出しのころよく写した窯の一つです。 この技法を使い色々な器に挑戦していこうと思っています。


京焼 芙蓉平向付絵付け

葵紋平向付の生素地に割入れ

こんばんは。今日から四月。年度が変わり社会では新しくスタートを切る季節です。新入社員を迎えて張り切っているところがニュースに流れています。新鮮な気持ちをいつも持ち続けていきたいものです。

工房は昨日素焼きした深向付にすたっふMさんが来て絵付けをしている所です。私は葵紋平向付の生素地に割入れをしています。鉛筆でどこに絵を描くか簡単に印を入れていきます。明日この素地に呉須と鉄絵の具で葵紋を描いていきます。二人で進めていく作業なので、Mさんの絵付け待ちになっています。

今回の深向付は見本のつもりですが思いの他楽しく面白く仕上がって来ました。一つずつの作業を互いに確認しながら呉須の色合い、また鉄絵の具の濃さなど色々と仕込んで行きます。新しい作品を生む作業はどこか不安と期待でわくわくしています。長く時間がかかっていますがようやく一歩前に行くことが出来ることでしょう。

葵紋平向付の生素地に割入れ

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季節を愛でる器作り

こんばんは。彼岸が過ぎて瞬く間に春が来るように思っていたのですが、ここ何日かは寒さのぶり返しで工房はストーブが放せません。桜の開花も停滞しているように思うのですが皆さんのところは如何でしょうか。散歩コースになっている落合橋に大きな山桜の木が一本有って、手に届く位の距離でいつも観察しているのですが、やはり開花が少し止まっているように感じます。春になると川の勢いも増して、川面に反射する光が眼に眩しくなって来ます。桜が風に揺れ光と交差する陰影を私は一人楽しみにしています。

工房は葵紋平向付の削りを終え、慢幕紋深向こう、格子紋深向こう、ビールカップと紅白椿紋箸置きを素焼き窯に入れました。すたっふMさんが工房に来て、深向こうの鉄絵などをする準備です。乾山陶器は生素地に直接絵付けを施すので絵付け後素焼きをします。

葵紋をアレンジしてマグカップを作っています。新しい挑戦なので興味がわきます。色々なイメージをすぐ形に出来るよう仕組みを変えている所です。「季節の器」というテーマをこれから面白く展開していきたいと考えています。器に季節を盛って楽しむというものは日本人ならではの情緒です。私たちの作る器はそのことが出来る数少ない器だと思います。その意味では使って楽しい思いで深い器をこれからも多く提供できると思っています。季節の変わるスピードに負けないよう、イメージを素早く転写できるよう頑張って参ります。


芙蓉マグ

桜に酔う

こんばんは。今日明日で三月も終わり、いよいよ四月に入って行きます。この何日かは寒い日が続き桜も思った以上に開花が遅れてきました。気温の日格差が大きいと桜は開花を促されると聞きました。この辺りでは何といっても山桜が美しく日に日に色濃くなって、美しさ可憐さに心が洗われます。こんな景色を独り占めしてしまっては申し訳ないので、皆さんお近くにお越しの際はぜひこの山桜を見に来てください。

桜は不思議な花です。これほど心に響く花も珍しい、と云って間近で愛でるような花とはまた違うようで、山々に咲く色とりどりの風光が何とも琴線に響いて参ります。さくやこの花の姫が風に舞って山々に降り立った風情は、日本の四季の中でも初々しい優雅な色気をも感じてしまいます。桜の美しさは近寄り難い高貴な世界を漂わせています。

今日の工房は京焼葵紋平向付の削り仕上げの続きです。今日で終了のつもりが雑用が入り、明日に四枚持ち越しとなりました。午前中に終えてしまいます。これで乾山陶器テスト窯の準備に入っていく予定です。

桜に酔う

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葵紋平向付 ろくろびき

こんばんは。巷はWBCで賑わっていましたが、そう云えばプロ野球も開幕間近でした。大相撲は今日朝青竜が負け白鳳の優勝が見えてきました。また甲子園では高校野球が始まっています。大相撲は大阪場所ということもあり、難波付近は何かと華やいだ雰囲気が漂っています。この20日から近鉄阪神の相互乗り入れで難波から神戸に行けるようになりました。益々関西の野球も面白くなってきます。メッツとヤンキーズを結ぶA列車に乗ってというジャズのナンバーが有りますが、日本版A列車になる日を夢見ています。しかし今年のタイガースはいい材料が出てこないまま開幕を迎えます。何とか昨年の二の前ならないよう応援をして行こうと思っています。いよいよ今年も始まったなあ、という思いです。

工房は昨日の続き葵紋平向付を挽き終えました。難しい轆轤でしたがようやくコツを取り戻して挽く事が出来ました。陶芸の秘伝の一つに水加減をどうするかということがあります。轆轤は特に水加減をやかましく云います。これは学校などでは教えない部分なので、弟子入りしてはじめて教わっていく世界です。師匠の轆轤の準備をまかされて土を練るのですが、何を挽くのか皿なのか壺なのか、それとも湯のみなのか、その作品によって水加減が変わります。また、土によっても加減が変わってしまうので、その感覚が身につくのにかなりの時間を要します。轆轤は水加減と練りがピタリと合えば難しい形でもすんなり挽くことが出来ます。心技体といいますが全てが整えば自然と形がなる様に出来ているようです。自然体ともいいシンプルともいいますが、そこまでの環境を作ることに時間を費やしているのだと思います。

日々の研鑚などといいますがそれは準備をして待つということにも通じると思います。陶芸をしているとこの待つという、準備をして待つこの姿勢に陶芸の深みを感じるのですが、如何なものでしょうか。

葵紋平向付 ろくろびき

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轆轤勘-皿と向付

こんばんは。三月も余すところ一週間になりました。瞬く間に過ぎていきます。卒業式も終わり受験発表で色々と忙しくされている親子さんも居られるでしょう。入学式まで桜が散ってしまわない様と願いますが。絵付け工房は花盛りのようで、うらやましいですねえ。ここもまた桜が散らない事を祈ります。

工房は昨日の続き、京焼葵紋平向付を作っています。皿と言わないで平向付と云っています。皿と向付の違いは色々な理屈があるのですが、ここではこの作品を平向付けで使ってもらいたいと思っているので、皿とは云わないで向付と命名しています。食器には各付けがあって鉢は向付けに使えるのですが、皿は向付けには使えないのです。また皿と向付では形状が違ってきます。皿は見込みが平らで、向付は平らな部分がなく緩やかなカーブを作っていきます。和食器を作るには細かな違いを理解していなければいけません。しかし今時はこんな古い事をいちいち考えて作っている作家もいないでしょう。またこの様な器を生かしてくれる料理人も珍しいのでしょうか、あまりお会いすることもなくなりました。まあそれはそれとして、丁寧に作り続けていくだけです。伝わるものは伝わると開き直っています。今日は轆轤の勘も戻ってきて、気分よく挽くことが出来ました。


京焼 芙蓉平鉢

轆轤勘-皿と向付

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京焼 葵紋平向付

こんばんは。今日はいいお天気で山桜があちらこちらで咲き始め、工房の付近は何か華やいで参りました。山桜は葉と同時に花も咲くので、葉の色合いで色々な文様に見えています。茶の濃いものや白さが目立つもの、薄い萌黄色の葉もあり優雅な世界を演出してくれます。また山桜はソメイヨシノと違って咲いている期間も長く、そして次から次に咲いてくれるので楽しみです。鶯の音がこだまし、川の流れに光が転がり落ち、風が桜を揺らしています。とうとう春がやって来ました。

工房は葵紋平向付に取り掛かりました。呉須と鉄絵で葵紋が描かれています。轆轤挽きが大変難しい作品で勘を取り戻すのに苦労しています。

葵紋は初めに生素地に鉄と呉須で描き、そのところに釘で花弁を彫って行きます。生素地に描くものですから扱いに神経を使います。柔らかなふわふわとした様子を描いていきます。乾山陶器のデザインですがうまく器にマッチすることが出来ました。自信作の一つです。


京焼 芙蓉平鉢

ビールカップの削り仕上げ

こんばんは。春分の日から三連休。今日は中日で朝から清々しい好天気に恵まれました。この付近の山々ではもう山桜が咲き出して来ました。あまり記憶にない早さに驚いています。この天気も今日だけで、明日は春の嵐がやってくるということです。南風が吹き荒れその後寒さが戻ってくるらしいです。山の暮らしはまだまだストーブが放せません。

工房は今日も仕事です。慢幕紋深向こうの削り仕上げとビールカップの仕上げをしました。ビールカップはHPで紹介していますが、今回絵替りで杜若を描いてみたいと思っています。イメージはすっかり出来上がっているので早く焼きあげて更新してみたいと思っています。また瓢箪なんかも面白くデザインしてみたいと考えています。

色々とテストの材料が揃ってきたので、来週にかけて一度耐火煉瓦窯を焚いてみたいと思います。乾山陶器、慢幕紋深向こう、など呉須や鉄絵具のテストが入ってきます。内容が濃いので期待しています。

一つの仕事を進めるのにかなりの時間が掛かります。私の場合考えを詰め込んで焼く癖があるようです。もっと手早くされる方もいるのでしょうが、自分自身が納得するのに時間がかかる様です。いつもながら不器用だと思います。これも自分の流儀なのでしょう。


京焼 ビールカップ

京焼慢幕深向付の削り仕上げ

こんばんは。今日は彼岸の中日、さわやかな日差しの一日でした。末娘の大学の卒業式でもあり、色々と人生の節目を迎えています。三月は別れの季節。出会いがあり別れがあり、どこか寂しい季節です。春の憂いとも言いますが、桜の咲く頃はどこか心が不安定になるのではないでしょうか。

工房へはすたっふMさんが、先日焼き上げた汲み出し、水仙箸置きを取りに来ました。この頃フィットネスクラブに通って、腹筋や背筋を鍛えているそうです。同じ姿勢で絵付けをしていると、どうしても身体をねじった状態で固定されてしまい、知らず知らずに負担が腰に来てしまいます。また神経を使う細かな絵付けばかりで、あまり身体には良くないと思います。私も轆轤で腰を痛め、春先になるとぎっくり腰が出てきます。昨年の4月から整骨院に通ってケアーをしていますが、やはり冬は身体も固くなっていま一つ元気になれなかったのですが。ここ何日かの暖かな陽気で身体も開いて来たのでしょうか、ずいぶん楽な感じをしています。仕事の合間にダンベルを持って、背筋などを延ばすようにしています。気力体力の減退を日々のちょっとしたケアーで筋肉をつけてなくしていけたらいいと思っています。この業界は年を重ねてからが勝負時なので、これからが心身の充実をいかにはかっていくかが仕事になってきます。すたっふMさんはまだまだ若いので色々な可能性があって面白くなってくる頃です。色々な挑戦も身体次第ですので、いいリズムで身体のケアーをしてください。

昨日から京焼慢幕深向付けの削り仕上げをしています。シンプルな形です。轆轤が生きていないと形にならない見た目より難度の高い仕事です。口もとの仕上げが作品の粋さを演出しています。面白い仕事ですが思った以上に時間のかかる作品です。


京焼 慢幕深向猪口

新作「呉須市松紋深向付」轆轤挽き

こんばんは。午後のニュースを聞いていると、関西では今日夏日を更新したということです。桜の開花も聞こえてきました。黄砂と花粉で空が霞んでいます。

工房は午後から昨日焼き上げた窯を出しました。思った様にスッキリと焼き上げることが出来て、汲み出しは手取りのいい重さになりました。素地に釉薬のいい重さが加わり、重くなく軽くもない、土の重さでない釉薬の上品な重量感が出て、汲み出しには最適な重さになりました。急いで絵付けをしましょう。桜は待ってくれそうもありません。

HPに掲載して好評でした「水仙の箸置き」がようやく焼けました。お待ちいただいているお客様も居られ、これも急いで絵付けをしたいと思います。

今日はビールカップの続きと、新作「呉須市松紋深向こう付け」を轆轤挽き致しました。深向こうですがお湯呑みに使ってもらえたらと思い、HPにも掲載したいと考えています。単純な文様に単純な形、轆轤挽きの柔らかなラインが見せどころの、力の試される作品になります。こういう作品はある程度歳を重ねないと味が出てこないものです。少し面白く挽くことが出来ました。楽しみに作って参ります。

「慢幕紋深向付」の見本

こんばんは。今日から彼岸の入りですね。すっかり春めいて今日はセーターなしでもいいくらいのいいお天気に恵まれました。先週よりブログ原稿も書けない忙しい状態が続いていましたが、今日は久しぶりに仕事に集中することができました。昨日からの窯焚きは午後2時に終わることが出来ました。枝垂れ桜紋の汲み出しをなんとか間にあわさなくてはいけません。大いに急いでいます。この陽気では後一週間もすれば花の便りが聞こえてくるでしょうね。絵付け工房も佳境に入って来たのではないでしょうか。桜、桜で満開です。

工房は「慢幕紋深向付け」の見本を轆轤挽きしました。昨年より色々な懸案があって、一つに土の成分が変わったという事がありました。一度小さなテストピースで焼き上げてみたのですが、以前の土の雰囲気から云って地味な感じを受けました。今回思い切って慢幕紋深向こうのテストに使ってみました。この作品は呉須と鉄絵の下絵で構成されています。今までの京焼きとは少し趣が違っているので、この土で合えばいいなあという思いもあります。如何なものか?やってみないと分かりません。年末にもらった耐火煉瓦の窯に、これと乾山陶器を入れて早速焼いてみようと思っています。やっとこの辺りまで、仕事を進めることが出来ました。

春になって身体も軽くなって来ました。新たな作品作りに精出して参ります。

作業風景

京焼枝垂れ桜紋汲出し 削り仕上げ

こんばんは。三月の天候は昨日の様に暖かい日やまた今日の様に寒さが戻ったような日が一進一退しながら、しかし確実に春に向かって歩んでいます。すたっふMさんの絵付け部屋は既に桜が満開の様です。桜の注文はまだまだ続くのですが、こちらの工房はやっと「京焼枝垂れ桜紋汲出し」の削り仕上げに入った段階です。今日は九個仕上げました。削り仕上げは水挽きより数倍時間がかかります。注文は二〇個なのですが作りは三三個にしました。かなり余分を作ったのですが、これが仇になるか、時間がないので心配です。一つの工程に時間がかなり掛かるので、そのところは微妙な計算がいるのでしょう。もう少しおおらかに仕事をしたいものと思っています。窮屈な仕事にストレスを感じているこの頃です。

弥生満月に思う

三月も慌ただしく過ぎていきます。気が付くと月も前半を終わろうとしています。二月は逃げる、三月は去る、なんていうことも聞きますが。毎月10日はメルマガの発信日なのですが新作がなかなか紹介出来ないでいます。この頃の私はどちらかと云えば寡作になってしまいました。以前の様に雑器も作ってみたいと思いながらもその様な時間の余裕もなくなってしまいました。時代が逆転しているのでしょうか。今の私にとって雑器の方が高級になってしまうのですね。手間と値段が不釣り合いのいなって、今の私では雑器にならなくなるのです。

この地で焼き物を始めた思いの一つに手作りの雑器をたくさん提供したい、喜んで使ってもらいたいという思いが有りました。民芸思想の影響も大きく働いていたのでしょう。若さ故健康的で明るく普段にも使える手作りの食器をテーマにして励んでいました。工芸の持っている健やかな一面だと思います。時代がこの精神と合っていたのでしょう。面白く自己実現に向かって進んでいた様に思います。今日も工芸学校の学生さんから工房見学の電話が有りしたが、就職という形では到底物にならない事を伝えました。その子たちを育てる余裕が今の工芸界にはないのでしょうか。どこの窯業地も今はひっ塞状態でしょう。デフレで何を作ればいいのか先行きが見えていない。と云って職人さんはいずれ世代交代をしなければならない。若い人を今こそ育てておかないと今後工芸は太刀打ちできなくなる。私たちも後継者を今のうちに育てたいと希望はするのですが、私たちの条件に合うとなればかなり厳しい選択になることでしょう。それでもスキルを身につけたいというのであれば、どうにかやりくりを考えて必死にならなければやっていけない状態です。それでも何年も掛けて仕事が出来るまでには、相当物を作り込んでいかなければいけません。この様な苦しい工芸界でそれでもやっていこうなんて思う若者は何か使命感のようなものがなければやっていけないと思います。御両親がよっぽど奇特な方でよくよくそのところが分かっておれるか、そんな若者がこの世にいるとは考えられません。砂漠に落とした針に宇宙から糸を通すようにものです。

今の時代はどの世界も専門的でより高度な技術が要求されて来ました。これは一種の篩なのでしょう。諸先輩方の中でも消えていかれた方も多く見かけます。日々より高度なものを開発していかなければ、今の時代到底ついていけなくなります。この時代はまたとてつもなくスピーディーで工芸が持っている牧歌的な時間ではついていけないのが現状です。しかしそこにも生きる道がある様に思うのです。団塊世代の層が薄くなってきたことで、私たちは少し視界が明るく感じられて来ました。この時こそ自分たちの持てる力を振り絞って未来に一歩、進んで行きたいと思っています。

弥生満月に思う

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京焼 枝垂れ桜文汲み出し

午後八時、先ほどから雨が降り始めています。今週は変わり易い天候だそうです。春が一歩一歩近づいている証です。
工房は「京焼 枝垂れ桜文汲み出し」の汲み出しを作りだしました。すたっふMさんが描いている大汲み出しより一回り以上は小さいかわいらしい汲み出しです。新しい作品になります。今年は枝垂れ桜をテーマに、この汲み出しやお湯呑みなどに描いています。桜との空間に春の光や風が感じられる様な器にして行きます。時間と競争しながら今週も張り切って仕事をして行きます。


京焼 桜文小汲み出し

椿紋箸置きの仕上げ

こんばんは。啓蟄も過ぎると景色はすっかり春めいて参りました。光に力強さが増して来ました。山々はまだ冬の様相ですが、光が木々の奥にも射しているので、山の姿に生命を感じています。ジャンパーを着ないで朝の散歩に出かけても、今日は少し汗をかくようになりました。もうしばらくすると感じるもの全てが「春」になっていることでしょう。

工房は朝からお客様がありました。オーダーメイドの「京焼松紋猪口」を取りに来て下しました。すたっふMさんのブログに二三日前に紹介されていました。御本人もブログを見て下さって、すでに焼き上げの様子を確認してくれていました。オーダーメイドをしてくださったお客様はご自分の器が作られて行く工程をブログ等で見ることが出来ます。この様な交流をブログで紹介することで、また新しい企画が生まれてくると思います。徐々にですが、オーダーメイドに力を注いで行きたいです。一つ一つ手渡し出来る事を願っています。

椿紋箸置きの仕上げと化粧掛けをしました。乾山陶器の手順を踏みながら、箸置きといえども手間を惜しまずに丁寧に化粧掛けをしました。一度筆で塗って乾いてきた時にもまた塗ってと、何回も塗り重ねていきます。手間の入った工程ですが、乾山陶器に関して色々と発見することがあり、面白く進めています。これで一度乾山陶器の作業は小休止として、桜紋の汲み出しなど、注文を頂いている器を先行させていきます。

今日はまた桐箱の箱書きをしました。早速送る準備を致しました。

陶芸仲間

こんばんは。今日は金曜日なので陶芸クラブの指導に行って参りました。年度末や雨の影響なのか参加人数は少なかったのですが、昼夜いずれの参加者も熱心に作陶されていました。今日は一人一人に掛ける時間がたっぷり有ったので、陶芸の深いところまで伝えることが出来ました。手作りの面白さが私と共有出来たら、色々な技法を通して作品に対しての心遣いを伝えることが出来ます。
柔軟心という言葉がありますが、たおやかなで柔らかな心がいい作品を作る一番の心なのでしょう。そんな心が出てくるにはやはり人との信頼関係が重要なのでしょう。心と心が通じ会う面白さは掛けが得のない時間となるでしょう。

公民館という地域に根差した公教育の現場ということもあって、地域に開放されていることも大きな要因なのでしょう。20年携わっていますが、延べ人数から言えばかなりの人と陶芸を通して交流してきました。私もこのクラブを指導することで大いに育ててもらいました。若い時には気負いもあって強い指導をしてきましたが、年と共に私も陶芸感が変わってきたのでしょう、指導内容も大きく変化してきました。面白い事に今かなり難しい内容の陶芸をしているのですが、初めての人もそれを素直に受け止めてくれるのです。微妙な柔らかいライン作りなどを指導することは、昔はなかなか相手に伝えきれなかったのですが、この頃は生徒さんもすんなり受け止めてくれるようになりました。

言葉以上にもっと違ったことで、共有している心が伝えられているのだと最近思うようになりました。大事なところです。これは私がいる工房にも言える心だと思うのです。伝えられる心が作品を生む原点だからです。土くれを一ひねりすることに、いちいち心を込めていくことは大変な行為だと思うのですが、作品の重みとなると断然違った意味が出てきます。人それぞれの思いの行為として作品が出来上がってくるのですから、それはひとひねりの地味な作業の連続の中に自分自身を見ていく行為だと思うのです。それは哲学なのです。どうしても私と陶芸をするとそのようになるのでしょう。考える行為を課してしまいます。感覚で作る人にはつらい指導になっているのでしょうか。しかしどの道を歩むにしても、最終には同じ門を通らねば先に進めないと思います。

今日も陶芸の仲間と会えて楽しい時間を持つことができました。有難うございました。

陶芸仲間

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花筏紋四方小皿の注文

こんばんは。昨日に比べ少し穏やかな一日でした。工房は今色々な課題を持って仕事を進めています。乾山陶器も一つですが、従来の古清水と新しいセンスを盛り込んだ季節の器の新作が今どんどんと注文が入って来ました。ゆっくりと構えて仕事はできません。このご時世不景気風で世間はワークシェアリングなどと云って仕事を分担しているのに、一人で抱えきれない仕事をもらっていることに、改めて感謝いたします。

ようびさんから桜の季節だというのに品物が手薄だということで、急いで花筏紋四方小皿を作ってくれるよう注文を頂きました。この四方小皿は季節の花の絵替りで、大変人気の商品です。最初におもだかと瓢箪を描いたのですが、いきなり瓢箪が売り切れて追加注文が入って来ました。それからあまり途絶えることなく注文を頂いたくらいですので、ヒット商品なのでしょう。手ごろさも手伝っているのでしょう。昨年は四季の花を追加しました。冬は椿、春の花筏、梅雨の杜若、夏は瓢箪、おもだかに芙蓉も加えました。秋は定番の菊です。どれも人気で、一つずつ集める楽しみが有ります。

今日は枝垂れ桜紋のお湯呑み、汲み出しの見本が焼けてきました。汲み出しもかなり上品に上がってきたので、人気商品になりそうです。わくわくするような感じを受けました。やはり春は桜ですねえ。今年はどうも早く咲きそうで、仕事が間に合うでしょうか?不安です。

乾山陶器と白化粧

こんばんは。今日はひな祭りです。桃の節句といいますが、季節は節分に戻ったような寒い一日でした。小雪が舞っていました。いつしかみぞれ混じりの雨に変わりました。工房が温まるまでなかなか仕事が手に尽きませんでした。昨日の鉢の削りが残っていたのでそれを片付けて、いよいよ今日は白化粧に取り掛かります。

白化粧は色々な調合が有って、案外どこの家でも秘密にしています。乾山も白化粧にはかなりうるさかったようで、秘伝とまで言わしめています。当時の京焼では化粧掛けは珍しく、仁清の壺に若干刷毛目を施したものがあるくらいです。刷毛目技法は乾山陶器の大きな特徴となっています。一般に白化粧は粗雑な土をコーティングすることが大きな目的なのですが、乾山は白化粧を意匠に使って、今までにない感覚の陶器に仕上げています。この様に化粧を使ったのは、世界でも乾山が初めてではないでしょうか。そういう意味からしても乾山は、陶器の手順にとらわれず自由な発想、斬新な意匠を展開しました。

やはりベースになるのは琳派絵画です。王朝復古的な世界を陶器に展開させていく事が大きな目的になっているので、「白」に何かしら大きな意味を持たせているように思えます。専門的なところから調合を見てみると、大変素地と相性のいい白化粧を使っています。刷毛目を施すタイミングも素地が少し乾いた状態でされています。刷毛目が何気なくやんちゃに塗られていますが、実はこの塗り方はかなり手間が掛かっています。

今回新しくこの為に調合した白化粧です。思った様な刷毛目が出てくれればいいのですが、土との相性もあって乾燥時に剥がれてしまうことも間々あります。これからが一つずつ手探りで進めていく、面白いところでもあります。

今日の化粧は思った様に素地に乗ってくれたと思っています。

乾山陶器と白化粧

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「乾山以上に乾山」

こんばんは。弥生三月、ようやく寒さともお別れと思っていましたが、今日のお山は冬に戻ったようで足もとからじんわりと冷え込んで来ました。工房は午後から一つ取材が入っていました。大阪JAバンクが発行する季刊誌に載るようです。先週金曜日の予定が雨で延期となり、今日となりました。天候も晴れてくれて写真もスムーズに進められたようです。大阪市内から来るとやはり山間は寒く感じるのでしょう。四時を回るとストーブ一つでは間に合わなくなりました。

取材と同時にお客様も来て下さって、バタバタと気ぜわしい一日でした。先週ようびに送った見本が帰ってきて、すたっふMさんとの打ち合わせも重なってしまいました。月替わりの第一月曜日です。今月の仕事も季節と競争になりそうです。

夕方の5時には皆さんも帰られようやく轆轤に乗ることが出来ました。乾山陶器の続き、削り仕上げです。一日いちにちと乾山の事を考えているので、自分なりに乾山を捉え出して来ました。今週には一度窯に入れたいと思っています。明日は白化粧を作って器に掛けたいと考えています。今夜は化粧のイメージを作っていきます。資料を見て感じるところを点検していきます。当時の陶工達が、いかにセンスが良かったか、研究を重ねていくとよく分かります。京都に地方から腕のいい陶工が集まって、都の洗練された文化を吸収し、かなりの自信を持っていたのでしょう。意識の違いを感じます。古清水もそうですが、この陶工の自意識の強さがあって初めて出来た陶器だと感心しています。

私が今問題にしていることは、その意識の高さに私たちも同じように反応しているか、ということです。私はこの様に思っています。「乾山以上に乾山」を作ってみようと考えているのです。乾山窯の陶工たちが感心する陶器を作ってみたいと思っているのです。

京都五条の筆職人、稲本さんを訪ねて

こんばんは。寒さも峠が過ぎたのでしょうか、穏やかな日和の中、京都五条に出かけました。稲本さんの筆を買いに行くのが目的です。ここの筆でないと仕事にならないことが多く有ります。すたっふMさんが描いている世界は、ここの筆でないと出ない線が多く有って、実は昨年から稲本さんの状態が思わしくなく、筆を注文してもなかなか作ってもらえない事が続きました。今回もお電話を差し上げて状態をお聞きしてから出かけて参りました。身体に詳しい状態はここでは書けないのですが、今日はご機嫌もよく、遠いところからわざわざ来てもらったと、喜んでくださいました。こちらも鉄絵に合う筆を頂きたく、色々とお話しながら、これもあれも試して下さいとたくさんの筆を頂きました。ご厚意いつもありがたく思います。

少し筆のお話です。私はどちらかと言えば鉄絵を得意としています。色々な筆を使って描いてみたのですが、面白い調子がつかめませんでした。そこで稲本さん宅を訪ね、鉄絵で面白い筆はありませんか?20年以上前のお話ですが、ちょうど人間国宝にもなられたある作家からの依頼で、何とか合格を頂いた筆が一本余っているので、これを試してください、と手渡された筆があります。正当な職人世界から見るととんでもない筆なのでしょうが、その先生は何か面白いものが出来そうだと仰って、それを持って帰られました。その先生から何度も修正があって色々な手法で作ってみたが、素人に依頼し作らせた筆が一番よかったという話でした。それも、後で聞いた話ですが、面白いはなしだなあ!と関心しました。何を言っているのかと言えば、プロが作る筆は完成されていて、誰でも使えばある程度の線が描けるように作られているのです。しかし鉄絵などは素地と筆との葛藤があった方がすんなり書けない方が断然面白いのです。それを使いこなせるようになって誰もが描けない線が生まれてくるのです。思わぬ拍子に表現される線がいきいきとして生まれ出てくる。そんな事が期待されることで、作品に緊張感とユーモアーが生まれてくるのです。

20年前に頂いた筆もさんざん描かせてもらい、毛も寂しくなってきました。その筆はもう誰も作ることはできないというお話です。その時代その瞬間に出会う道具があって、その時代の作品も生まれてくるのです。この筆屋さんもなくなるとまた一つの時代が変わってしまうのでしょうか?工芸もまた生きづらい世の中ですね。

ニーズの発見と創造

こんばんは。冷たい雨が降っています。北の地方は雪模様ですが、関西はこの様な寒さと温かさが入り混じりながら春を迎えていきます。もうそこまで春がやって来ているのでしょうね。寒さの中にも希望が見えてきます。

今日は金曜日で公民館の陶芸クラブでした。昼のクラスに私はお休みをしましたが、夜のクラスには指導に行ってきました。その前にようびさんから電話が入りました、24日に送った十草紋の飯茶わん、枝垂れ桜紋湯呑、新しい小さな汲み出しの焼き見本についてのコメントです。課題だった十草の口もとの線の揺らぎはまずまずの評を頂きました。温度を5度近く落とした事で少々の呉須泣きはおさまったのでしょうが、今度は焼きの甘さが気になるようでした。早速お店の方で御茶碗に水を張って、焼きの甘さがどの様な影響が出るのかテストをすることになりました。京焼は酸化焼きでどうしても温度が低めで焼かれる為、貫入にシミがつきやすくなります。このシミはまた京焼の魅力に転嫁していくのですが、それを知らない方が買われると、クレームの元になってしまいます。私どもで使用している土は低下度でも焼きしまるように調整してあるようです。普段家で無地の鉢を色々な状況で使っているのですが、全く貫入にシミが入らないということはないのですが、汚いということは全くありません。使って行くたびに歴史の様な重厚さが生まれてきます。これが京焼の魅力です。もちろん扱う状況で同じ器でもこれ程違うのかと思うような器に出会うこともありました。今の京焼は酸化焼は電気窯で焼かれることが多く、私共のように灯油窯で焼くことはめったにありません。電気窯はどうしても素地が焼き締まるということが難しく、それ故食器ではシミが入り易いのも否めません。その難を解消したいがため私どもは素地の焼きしまる、また柔らかく焼きあがる為に灯油窯を使っています。

食器はこれだけ色々な事に制限されながら作っています。今の時代のニーズに合うことと、いい食器とはなかなか折り合いが付かないことが多く有ります。しかし作り手も奢らず、使ってくださる方の意見を素直に受け入れることで、新しいニーズが生まれてくると思うのです。今、私たちが作っている京焼の食器は、たぶんどこの窯屋さんも作っておられないのではないでしょうか。そこに私たちの新しいニーズを産み出してきました。今金の高騰でこの仕事もある局面に来ていますが、この状況を深く受けと止めてまた新しい作品に展開していきたいと思います。

乾山陶器 筆使いの面白さ

今日は早春の好天に恵まれました。穏やかな日差しが戻って来ました。久しぶりに大きな山桜の木のある橋まで奈菜(工房のマドンナ)と散歩に出かけました。途中にある梅の木は今が盛りとばかり満開で、福郁とした高貴な香りを放っていました。梅一輪程の暖かさとは言いますが、すっかり気候は春に変わっています。こんな事を云っていますが気が付けば後二日で二月も終わり、いよいよ弥生三月に入って行きます。

工房は昨日の続き、削り仕上げをしました。気が落ち着かないで夕方になってようやくいくつか削ることが出来ました。手探り状態なので考えがなかなかまとまりません。結局は早く一度焼くことが先決です。どうこう考えまた思っていても一度焼くことで、なにわともあれ一回目の結果が出るのですから。そこからいいところを延ばし、積み上げていけばいいのです。傍から見れば何をだらだら、うろうろしているんだろうと見えるのでしょうが、思いついた資料を探したり、乾山の筆使いを調べたりと情報集めに一日を掛けてしまいます。乾山には梅のモチーフが多くありますが、筆使いは色々なタッチが有って筆も変えて描いています。

鉄絵の筆はすたっふMさんが使っているものとはまた違う素材で作ってあります。週末筆を見に出かけようと思っています。その筆屋さんは陶磁器に描く筆を作ってくれるところなので、こちらの気持ちにあった筆がなかったら、お話をして作って頂こうと思っています。鉄絵の筆はどちらかと云えば穂先が長く、腰をためて描くと面白い線が生まれます。筆には正面と裏があって、裏から入る線やまた腹で引きずったように描く線など色々な筆法があります。乾山陶器を見ていると絵付けは生素地の段階で描かれています。普段絵付けをする陶器は素焼きをしてから描くのが一般的なのでしょうが、事乾山の陶器は生素地にダイレクトに描かれた味が器とひとつになって面白さを醸しだしています。

乾山陶器のどこか焼き物から離れて見える作品があるのは、一般の焼き物の手順では表現できないものなら独自の方法を発明してでも、乾山絵画を見せるための作品だからでしょう。たとえ陶器を離れていてもそれは一向に構わないという感じが強く出ています。どの様に作られたのか?色々と試しながらこの山を登って行きます。

「乾山は京焼だったのよ」

こんばんは。昨夜に続き雨が降っています。珍しいです。すっかり春に変わってしまいましたね。何故か、変に焦っていますが、きっと桜が咲き出してくるのじゃないかと不安に思っているのです。春の仕事が遅れてきています。季節に追われながらの仕事です。

工房は乾山陶器の準備です。鉄絵深向付けの削り仕上げをしました。食器に施されている乾山独特の絵付けに目が奪われがちですが、素地を作ってみると分かってくることが多くあります。単純な形、例えば切っ立ちの深向こうにしても(切り立ったまっすぐなという意味)、轆轤挽きはかなり丁寧に仕上げていて、思った以上に時間が掛かっています。贅沢な時間の掛けようだと感心しています。到底今のご時世では食器にこれだけの手間をかける工房はないでしょう。乾山写しと云ってとんでもない湯呑何かが高く売られていたりしています。陶芸はどんな種類のものでもみんなそうですが、何といっても素地が一番重要なのです。乾山陶器は素地に白化粧が施されていてなかなか素地事態を見ることが困難ですが、高台の削りの写真なんかを見ると、素地の様子がよく分かります。何ともスッキリとしたと云って固くなく柔らかな線ですべてが構成されています。この様な線を醸し出すには、かなり熟練が必要と伴に、削りのタイミングが早い段階で仕上げされていることが分かります。その様な段階の削りは大変時間が掛かります。素地の肉厚を薄く持って行くのに手間を通常の何倍も掛けて、削り味を残しながら品良くまとめていくには、何かをどこか度外視していかないとできません。そうなるとこれは食器ではなくなります。もう既にお道具の域になっています。

そうなのですよね。今の時代だからこそこんなにも手間暇掛けて作ったお湯呑みを使ってくださる方々が居られるのです。乾山陶器を作り始めて最初に感じた言葉は「遊び」ということでした。自分を手放して遊んで行くことができたら、この世界は大きく開いてくれるだろうと、思いました。

ようびの真木さんが、「乾山は京焼だったのよ」と云った事が、色々な意味で面白く展開し出しました。誰が聞いても工芸店の店主がいまさら何を言うか?と思いでしょうが、乾山陶器の素地を挽く事の難しさを再発見されたのだと思います。さて、これからどの様になってくのでしょうか。わたしも楽しみです。