こんばんは。春の嵐がやって来ました。今年は早いですねえ。こんな時期に一番が吹くなんて、どうなのでしょうか?山々の梅も咲き出しました。ちと感が狂ってきます。このまま一気に春になるのでしょうか?季節の変化とともに世間の情勢も変わり出してきた様です。いったん流れ出したものは大きな流れになるのも早いでしょう。急変しそうですが。
金曜日なので今日も公民館の陶芸クラブに出かけて来ました。嵐の中も遠いところからやって来て、熱心に作陶に励まれていました。物を作るのは楽しいですね。実際に形になっていくと、益々興味が湧いてきます。一人ではできないものでも、みんなと作っていると手助けも入りだんだん出来てきます。少々陶芸から外れていても、ま、いいんでしょう。そんなに早く理解できませんから。何か楽しいという感情が、優先されます。それでいいと思っています。
今日の工房は、すたっふMさんが十草飯碗の下書き分を持ってきました。Mさんは上絵の仕事が多いのですが、上絵はすでに焼きあげている器に描くので、Mさんの持っている錦窯で焼きますが、この御茶碗は呉須、鉄絵の下絵なので、工房で釉薬掛けをして本焼きをします。下絵や上絵と少しややこしいですね、いったいわれわれが作っている京焼は何回窯に入れて焼くのでしょうか。素焼きで一回、800度で焼きます。釉薬を付けて本焼きで二回、1200度以上で焼きます。普通はこれで完成なのですが、上絵という焼きあがった器に絵を施す技法は、またもう一度800度くらいで焼きます。
下絵具と上絵具は全く違うものです。下絵具は釉薬と反応して初めて色が出るのですが、上絵具は絵具自体が色を持っています。800度くらいで焼くとその絵具の色が出てくるのです。この絵具は大変湿気を嫌うので単独の窯で焼き付けます。これを錦窯といいます。
日本で上絵をした焼き物が最初に焼かれたのは京都だといわれていますが、伊万里焼だという説もあります。







その後土練りをし、「京焼十草紋飯茶碗」を水挽きしました。華奢なご飯茶碗に呉須と鉄で十草を描きます。細かな線が活きるように、腰に少し膨らみを持たせながら口元まで続く優しいカーブがこの茶碗の命です。このラインは日本特有の世界だと思っています。古くは弥生の木器、漆が施された器がありますが、それはやはりこのラインなんですね。仁清のお茶碗は腰に特徴があると云われていますが、やはり同じこのカーブなのですね。
工房は昨日焼き終えた素焼きを出し、釉薬掛けをしました。すたっふMさんもお手伝いに来てくれて、スムーズに窯詰めまで終えることが出来ました。明日は陶芸クラブの指導日なので、今夜は焼くのを止め、明日の夜に火を入れることにしました。今年の初窯になります。お神酒、榊をお供えして、今年の安全をお祈りいたします。
工房は午後から「色絵梅紋輪花向付」の削り仕上げをしました。今日のノルマは土曜日の残り全部を仕上げることです。7時に削り完了致しました。明日から輪花を取っていきます。口に墨で印を入れ、カンナで一つずつ輪花を取っていきます。輪花を取るとどうしても口元が堅苦しくなるのですが、絵が紅白の梅で日本情緒の強い器なので、柔らかな口元になるよう工夫しなければなりません。均一な輪花ではなく、梅の花びらに合わせた変形輪花になっています。そこが中国の器と違った趣のある輪花となっています。
今日から大阪市立東洋陶磁器美術館で「浜田庄司展」が有るということを言われました。日曜日にでも行ってみようとおっしゃる方がおられました。どうも新聞に紹介されていたようで、神戸のコレクターの作品80点を紹介するという企画の様です。関西は案外民芸ファンが多く残っていて、今でも人気が高いです。万博公園には民芸館もあり、アサヒビールの大山崎美術館には多くの浜田先生の作品が展示されています。神戸にも多くのコレクターが居られるようで、この展示会もその方面の方のようです。何と云っても、民芸運動の推進者で有名な人は大原さんでしょう。私はまだ行く機会がないのですが、「大原美術館」は民芸運動の核となった大きな存在でした。
お正月実家にいると身体が鈍るので、かなり距離を歩きました。しかしどうもいつのも様な高揚感がなく、心は晴れなかった。ただ身体がくたびれたという思いでした。やはり自然はすごいですねえ。工房の周辺を一時間も歩けば、心地よい疲労感と気持ちの開放感を得ることが出来ます。一日の仕事のイメージもすっかり出来上がり、どことなく確信に満ちた世界を味わうことが出来ます。自分にとって改めて環境の良さを思いました。
桂離宮は誰もが知る日本文化の代表格です。庭園、お茶屋、書院からなるその全ては、月の桂と呼ばれ、月の名所であるここに最高の月を愛でるための装置を作った、とされています。柱一つ、襖のデザイン、違い棚の工夫、細かな細工の工芸品。庭に点在する置き石の数々。池に船を浮かべ歌を詠む。八条の宮家 智仁(とししと)親王(1579-1629)と続く智忠(としただ)親王(1619-62)が創設されました。御水尾上皇の桂御幸に際して各書院の増築が施され、現在の古書院、中書院、楽器の間、新御殿と雁行する書院群はこの時以来のものです。上皇の御幸に際しては特別な思いれが有ったように思われます。

民芸運動の代表的作家、河合寛次郎先生の詩です。

