夜の梅

こんばんは。この一週間はまるで菜種梅雨の様な天候と云われていますが、どんより雲に覆われた山間も今夜は暖かく感じています。季節が先走っているようで感覚として二三週間のずれを感じますが。夜の山道を歩いていると、どこからともなく馥郁とした梅の香りが漂ってきました。この世界をどの様に表現しようかと迷っていますが、香りとともに胸が締め付けられるのも、そこに「春」を思い起こすからでしょうか?いつになっても春を待つ気持は、初々しい心を自己の中に発見できるからかも知れません。昨日80も過ぎた父が、「早く三月になればいいのだがなあ。」と独り言を云ったのも、今年も春に出会える喜びを言いたかったのかも知れません。

工房はすたっふMさんが焼き上がった作品を持って来ました。見本「しだれ桜のお湯呑」も春の光を感じられる出来上がりでした。早速十草紋のお茶碗、毬紋皿、と一緒に工芸店様に発送しました。水仙の箸置きも全て削り仕上げを終えました。紅白椿紋箸置きの見本も納得いく削りが出来、かなりの手の込みようですが、この様な箸置きもあってもいいのではないかと思いながら作ってみました。この何年かで色々なお箸置きを作って来ましたが、少しずつ箸置きの魅力にはまりだしています。彫塑的な感覚が面白いのでしょう、もっと色々アイディアが生まれてきそうです。季節には何合わないですが、一年もすぐに巡ってくるのでどんどんチャレンジしていきたいと思っています。

夜から乾山陶器の作成に入りました。轆轤で挽いてあった湯呑、筒向付け、小鉢等を削って行きます。明日白化粧をいくつかテスト用に準備したいと思っています。土に馴染む様な化粧や独立して主張する化粧などを考えています。

一つひとつ、口癖ですが前に進めて参ります。

京焼十草飯碗が焼けました

こんばんは。今週で二月もおしまいです。瞬く間に三月の声が聞こえてきました。夜になるとお雛様のぼんぼりに火が入り、静かに春を待っています。隣の桃の木が深いピンク色に染まって来ました。後一週間二月に納める仕事に精を出して参ります。

京焼 十草飯椀

京焼十草飯碗が焼けました。温度を下げて焼いたのですが、口もとの呉須の流れは治まらなかったようです。自然な感じで問題はないと思っています。今後の課題としておきましょう。釉薬や下絵の具をいじると全体のバランスが崩れるので、そんな事はやる気はないのです。一度新しい形に十草を描いて釉薬や下絵の具のテストをしてみるのも案かも知れません。出来上がった作品に手を加えると、かえっておかしくなりマイナススパイラルにはまるのが常ですから。

工房は水仙の箸置きの削り仕上げをしました。細かな部分にも丁寧に気遣いしながら作っていくのは面白いです。気持ちが自然と入っていくのが楽しいです。使ってくださる方と心の交流が生まれてくると、一つのヘラ使いにももう一つ、もうひとつとついつい手間を掛けてしまいます。釉薬が掛かるとほとんど分からない線でも、こだわってみたくなります。このこだわりが何を生み出すのか、面白く興味のある所です。作品の厚みとは、そんな色んな気遣いのこだわりの層だと思っています。小さなこんな箸置きにも使われる方の生活の風景が見えて、大切に扱われて行く事を思うと、手間を入れたくなって来ます。

食器は結局使われる方が作っていくのですね。厳しい要望があればある程、作り手も育って行くのです。このご時世有難いことだと感謝いたして居ります。

京焼十草飯碗が焼けました

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水仙文箸置き 追加制作

こんばんは。今日は寒い一日でした。昨日から焚いている窯はお昼の12時半に焼き上がりました。数が少ないこともあって、温度も順調に上がってくれました。いつもより3度から5度低めに焼いてみました。明日の窯出しでどの様になっているか?楽しみにしておきましょう。

工房は午後から水仙の箸置きを作りました。HPからのお問い合わせで、在庫が切れているのですが作る予定がないのでしょうか?とのことでした。15個在庫を持って1月の下旬に売り出したのですが、瞬く間に完売となってしまいました。一商品がアップしたとたんにお客様が素早く反応して下さって大変うれしく思っています。御使い物にされ相手様も大変喜ばれたと云って、再度注文して下さいました。

京焼 水仙文箸置き今日もまた箸置きのお問い合わせがあったので、窯も一段落したことだし時間が少し出来たので、早速作り出しました。水仙は私どもの庭にたくさん咲いていて、年末からずうっと途絶えることなく咲いてくれます。また種類の違うものが裏山に3月から咲き出して来ます。そういう意味では季節の長い花なのですね。小さな箸置きからでも暮らしに季節の彩りが演出され心も和んで来ます。

器で繋がる心の世界を共有するとことが、私たちが一番いきいきする瞬間です。丁寧に心を込めて作って参ります。

水仙文箸置き 追加制作

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ゆらぎの感性

こんばんは。春のはしりによくある寒の戻りも今回は長くは続かないようで、この寒さを超えるともう寒波は来ないという話です。三月の中頃には桜が咲くのではないでしょうか。季節に追われながら進める仕事にとってはいつものことながら、てんてこ舞いさせられることでしょうね。少しでも急いでいきましょう。

工房は昨日の続きで窯焚きの用意をしました。午後6時には火が入り、少し早目なのですがあぶりを開始いたしました。今回は十草の飯碗を主流に焼くので、いつもより低く焼き上げたいと考えています。呉須と鉄で交互に描かれた細い線は、釉薬の厚みや焼成温度で微妙に調子が変わります。今使うこの呉須はこの樫灰の釉薬では少し泣くので(釉薬に反応して線が揺らぐこと)線がぼけてしまいます。特に口もとの線が細るのでそのことを避けたいと思っています。温度が上がると融けもその分進むので、線の揺らぎを避けて焼き上げたいと思います。

「ゆらぎ」という言葉が出てきましたが、私はこの言葉を大切に扱っています。陶芸ではあまり使われませんが、一種のバイブレーションによって発せられる「気持ちよさ」みたいなものです。この世界でよく使われる味という言葉でくくられるのでしょうが、「ゆらぎ」にはもう少し違った意味を私は持たせています。超振動より伝わってくる感覚と言えばいいのでしょうか。焼き物には釉薬と素地の間に、釉薬でもないまた素地でもない、「中間層」という独特の物質があります。この中間層が大きければ大きいほど、独特の焼き物感が生まれます。それとはまた違うのでしょうが、空間に溶け込んで、稜線が甘くぼやけている感じをイメージしています。

その様な陶器を作ることが出来たら、古来より言われる「雅」にも通じていくのだと思っているのです。彼岸と此岸の間を超高速で行ったり来たりしている感覚です。日本でしか生まれえない世界だと感じているのです。このお話は作品を元に進めていきたいと思います。

ゆらぎの感性

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窯が焼き物を作ります

こんばんは。大阪は先ほどから雨が降り出しました。北陸などでは雪になっているようですが、春間近の湿気の多い重たい雪なのでしょうね。修行期間は10年ほどありましたが最後の三年は石川県で過ごしました。山中温泉の近くの寒村で、何メートルも積もる雪の冬を体験していました。今年は暖冬と聞きますが、どの位雪が残っているのでしょうか。

工房は午後から、すたっふMさんも来て、窯の準備に取り掛かりました。十草紋飯碗、扇型箸置き、桜紋煎茶碗テストと数もそんなに多くないのですが、十草紋のお茶碗は釉薬掛けに大変神経を尖らします。釉薬の厚みが微妙な感覚なので失敗すると台無しになってしまいます。もともとこの京焼きは普通の焼き物に比べて釉薬の厚みが薄掛けになっています。青磁の釉薬はかなり厚く掛けていくのですが、それとは別にしても京焼きは「水薬」とも言われるくらい薄く掛けていきます。それ故釉薬に対する水加減が微妙で、多い少ないで貫入の入り方も大きく影響してきます。私たちの京焼きはかなり薄作りなので、水回りの加減も計算しなければなりません。また釉薬の掛けた後の処理も重要で、普通の焼き物は釉溜まりを意識して掛けるのですが、この焼き物はそれを嫌います。均一に掛けることが重要になるので、釉溜まりは竹へらなどを使い綺麗に処理していきます。この様に手間仕事が多く有るので、数が少なくても時間が掛かってしまいます。一日掛けても窯づめにはいかず、明日に回すことになりました。明日の夜から火をつける段取りにしました。

今回の窯には乾山陶器のテストは入りません。乾山陶器は窯を変えて焼く予定です。昨年暮れに、無理を言って運んでもらった耐火煉瓦の窯で焼きます。乾山陶器は極端な事を云えば彩色土器に近いと思っています。高火度で焼かれた作品もせいぜい1200度までで焼かれているようです。乾山は絵が主流なので、高温で焼けて絵に雅味のない作品より、どちらかと云えば焼けが甘くても画に調子のいいセンスがあればそれが最高の焼きと思っています。その様な陶器なので土自体の焼け方が問題になって来ます。今私たちが作る京焼きはどちらかと云えば表面が美しく焼けなければならないのに対して、乾山陶器は焼きと絵の調子が一致してはじめて作品になっていく様です。しかし現代に焼きの甘い食器は通用しません。いくら雅味があるといっても、普段使うのに不便をきたすものは使ってもらえません。素地がある程度焼きしまって、尚且つ絵に雅味が残っている、そんな陶器をどうすれば焼けるのか。

それで私は窯を変えてみたいと思いました。そんなこんな事を色々と思索をしながら進めていきます。

乾山陶器の特徴-白化粧

昨日と打って変って暖かな一日でした。神戸の町並みがきれいに見えていました。空気が澄んでいるんですね。大阪湾も穏やかで船も見えるぐらいでした。昔子供がまだ幼かったころ、神戸が外国だと思い込んでいたらしく今日の風景はその様に見えていました。大阪湾は黒潮の支流で南から北へ、泉州沖を通って明石に向かって流れています。大阪の冬は懐に湯たんぽを抱えているように、温暖な気候に恵まれています。大阪湾をちぬ(黒鯛)の海と呼ばれているように、黒鯛がたくさん取れるのです。これから三月には「いかなご」の漁が始まり、本格的に春を迎えます。

工房は乾山陶器の試作を作っています。昨年テストした土にいくつか種類別に食器を作って、白化粧を施してみようと思います。乾山陶器の大きな特徴に白化粧があります。乾山窯は大きく二つの違った焼き物の流れを持っています。楽焼きや上絵の軟質陶器と鉄や呉須で描かれた高火度陶器です。初期の頃乾山窯は白化粧をベースにした、所謂「絵高麗」を主に作っていました。この陶器は今でいう中国華北にある磁州窯系の焼き物で、灰褐色の胎土にカオリン(磁器の原料)をベースにした白泥を生掛けし、鉄絵の具で流麗なタッチの文様が描かれています。日本に茶道具として入って来たものを「絵高麗」と呼ばれるようになりました。乾山はこの絵高麗を手本に数多くの作品を焼いています。白と黒のモノトーンの世界が墨絵とイメージされたのでしょうか、光琳も手伝って多くの作品を残しています。乾山陶器には必ずと言っていいほど全ての作品に白化粧の技法が施されています。意匠的に掛けてあるものや素地の土に馴染ますように薄く施されているものなど、一見すると化粧と分からないような使い方をしています。乾山本人も白化粧にはかなりのこだわりがあって「秘伝」とさえ云っています。私もこの道に入ったころから白化粧には魅せられて来ました。乾山は絵画陶器を作ろうとしたのでしょう。彼の作品には釉薬で見せるという陶器は一つもありません。黒楽さえ必ず意匠が入っています。

仁清陶器と乾山陶器の大きな違いは、仁清は焼き物の手順を踏んで焼き物の作品を作っているのですが、乾山は彼の持っている「文化」を陶器に借りて作っているのだと思うのです。乾山陶器の難しいところは、実はそのことにあるのです。私はこの何年かを掛けて、古清水、仁清を写してきましたが、この陶器事態はかなり高い技術が必要でしたが、思考的には「焼き物」を作ることには変わりがなかったのです。しかし、乾山はこの手順を踏んで行くと似て非なる物が出来かねないと思っているのです。乾山の血に潜む「文化」とは?これから深く潜行して行くテーマです。

乾山陶器の特徴-白化粧

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乾山陶器のはじめに

こんばんは。今日は気が付けば雪が降っていました。底冷えのする一日でした。この時期降る雪はどこか明るい感じがします。立春が過ぎ日の光に力があるのでしょうか。雪が華やいで見えます。

今日は一日工房で一人乾山陶器のあれこれを考えながら、轆轤を回していました。何から手を付けていこうか色々思いながら、文献資料を読んでいます。乾山について書かれた本は山ほどありますが、ここ最近窯跡調査が進み今まで謎めいた部分も多く解明されて来ました。昨年も「光琳、乾山展」が京都で開催されて私たちも行ってきました。昨年は光琳生誕三百周年記念とあって、東京国立博物館で「大琳派展」が催しされました。大変な賑わいだったそうです。日本人はどうもこの辺りの文化が好きなようですね。血に眠る郷愁ということでしょうか?四季の移ろいを見事に速写したような、今でいうビジュアル化した世界は私たちのこころの宝として、また世界でも類ない品格に溢れた作品が多くあります。秀吉の時代は終わっているのですが、といってもまだまだ日本は世界ナンバーワンの金、銀の産出国だったのですから、国の勢いというか、どこか力を感じます。

乾山はそんな時代から百年近く遅く、少し陰りが出てきた頃でしょうか。徳川幕府の政治色が濃くなって来て、王朝復古の華やいだ様相も影を潜めてきました。乾山の心中は如何なものだったのでしょうか?兄の光琳とは対照的で、乾山の地味でどこか隠遁感の強い世界が、侘びた風情の好きな人にはたまら無いでしょう。この対比を押さえておかないと、乾山陶器の見どころがぼけてしまいます。乾山の何を写すのか?一見稚拙に見える絵付けも、技術的に云えば高度な実験を繰り返し、独自の美の展開にまで発展させてきた結果だと考えています。

私はあまり結論を急がずにいようと思っています。一つずつ小さな作品でも納得のいくところまで考えて、また乾山と同じ実験を重ねてみたいと思っています。

序説「こころを形にする」

寒の戻りと云うのでしょうか、この週は先週と違って本来の二月らしい天候になるようです。一旦緩んだ身体には少し厳しく感じるのでしょうか。昨日の朝、鶯の初音を聞きました。何ともたどたどしい鳴き声ですが、この山合の二月の風物詩です。寒さが行ったり来たりしながら春を迎えるのでしょう。もうひとつ花粉症が昨日から始まりました。今年は例年の倍ほど飛んでいるそうですが、ここ何年かはそれほどひどくならなかったのですが、久しぶりに来たぁ~っと思いました。外出は控えて、工房に籠りたいです。

今日はすたっふMさんが工房に来て、「京焼十草飯碗」の口に鉄を巻いて行きました。といっても業界言葉なので何だか分からないでしょうね。お茶碗の口元に鉄絵の具を筆で描いたということです。十草の線はMさんの絵付け工房で描けるのでしょうが、お茶碗を固定させる為口元で受けて移動するのに、先に描いてしまうとそこの鉄絵の具が剥がれてしまいます。それでこの作業は工房ですることになっています。手回し轆轤に乗せ、中心を出して、丁寧に鉄絵の具を施していました。一般的なところでこんな作業をすると、瞬く間に終わってしまうのでしょうが、ここでは一つに掛ける時間が他の工房とは全然違っています。一つの手作業がきっちりと視覚認識がされていかなければならないので、どうしても時間がかかるのです。贅沢な「時間」を一つの作品に掛けて行きます。作り手が心地よい時間でいる様にしなければ作品に「たまり」が生まれません。

「たまり」というのは時間の密度の事です。単純な作業の中にでも「こころ」を入れていくと、時間が形になって融け込んで行きます。一種の酩酊状態が生まれます。線一本に喜びが生じ、充実感を味わうことがあります。工芸が持つ魅力のひとつです。

私は今日から新しい土で、乾山陶器に入って行きます。初めに鉄絵深向こうを作っていきたいと思います。

「扇型箸置き」の削り仕上げ

昨夜の突風も治まり、一つ春に近づいた様な今日は静かな一日でした。雲の流れる風景や空の色が柔らかな感じになって来ました。間もなく鶯の初音が聞かれる頃です。来週あたりのいい日和にはきっと聞かれることでしょう。どこからともなく梅の香りが漂って来ました。少し足の痛みも引いて参りました。

今日の工房は「扇型箸置き」の削り仕上げを終わらせなければなりません。色々なところから電話が入り、なかなか集中出来ませんでしたが、午後8時にやっと仕上げることが出来ました。これで来週から新しいテーマの仕事に移れます。御苦労さまでした。

ようびの真木さんからお電話を頂きました。本格的に「乾山」をやっていこうというお話です。昨年からこれに合わせて準備をしてきました。土、窯、鉄絵の具、呉須、釉薬、白化粧等々。少しずつ色んなものが集まって来ました。これで材料の準備は大体揃ってきたので、来週から早速作品を作ろうと思います。参考資料を点検しながら、今一番作ってみたいものを探しています。白化粧に鉄絵と呉須。定番ですが芙蓉の絵柄。抹茶碗に描かれている図案をお皿に写してみようと思います。また、お湯のみも作ってみたいと思っています。色々な試作をしながら、早急に結果を持って真木さんに会いに行こうと思います。

乾山陶器のバックボーンの精神は何といっても「王朝復古」です。しかし時はすでに元禄、どこかその思いも陰りを帯びてきています。そこに乾山の儚さが漂うという見方もありますが。そのあたりは作品を作って行きながら研究を進めて参ります。


京焼 扇子箸置き

春の嵐に十草の飯椀

こんばんは。春の嵐がやって来ました。今年は早いですねえ。こんな時期に一番が吹くなんて、どうなのでしょうか?山々の梅も咲き出しました。ちと感が狂ってきます。このまま一気に春になるのでしょうか?季節の変化とともに世間の情勢も変わり出してきた様です。いったん流れ出したものは大きな流れになるのも早いでしょう。急変しそうですが。

金曜日なので今日も公民館の陶芸クラブに出かけて来ました。嵐の中も遠いところからやって来て、熱心に作陶に励まれていました。物を作るのは楽しいですね。実際に形になっていくと、益々興味が湧いてきます。一人ではできないものでも、みんなと作っていると手助けも入りだんだん出来てきます。少々陶芸から外れていても、ま、いいんでしょう。そんなに早く理解できませんから。何か楽しいという感情が、優先されます。それでいいと思っています。

今日の工房は、すたっふMさんが十草飯碗の下書き分を持ってきました。Mさんは上絵の仕事が多いのですが、上絵はすでに焼きあげている器に描くので、Mさんの持っている錦窯で焼きますが、この御茶碗は呉須、鉄絵の下絵なので、工房で釉薬掛けをして本焼きをします。下絵や上絵と少しややこしいですね、いったいわれわれが作っている京焼は何回窯に入れて焼くのでしょうか。素焼きで一回、800度で焼きます。釉薬を付けて本焼きで二回、1200度以上で焼きます。普通はこれで完成なのですが、上絵という焼きあがった器に絵を施す技法は、またもう一度800度くらいで焼きます。

下絵具と上絵具は全く違うものです。下絵具は釉薬と反応して初めて色が出るのですが、上絵具は絵具自体が色を持っています。800度くらいで焼くとその絵具の色が出てくるのです。この絵具は大変湿気を嫌うので単独の窯で焼き付けます。これを錦窯といいます。

日本で上絵をした焼き物が最初に焼かれたのは京都だといわれていますが、伊万里焼だという説もあります。

春の嵐に十草の飯椀

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「色絵金銀彩扇型箸置き」の削り仕上げ

こんばんは。午後8時ともなると山の工房は物音一つしない静かな時間になります。一日の出来事を整理しながらブログ原稿を書いています。昨年8月より始めたアメーバーブログも年を越し、この月で半年になろうとしています。すっかり夜の原稿書きが習慣になっています。原稿ネタはそんなにないのですが、何とかひねり出しては綴っているという状態です。いつもお付き合い下さって有難うございます。

昨日から足の痛みが続いていて、午前中に整骨院へ行ってきました。患部に電気を当ててもらい股関節をゆるめるマッサージを受け、先生に矯正してもらいました。その時はスーッと痛みが引くのですが、時間とともに痛みも戻って来ます。しかしやはり変化は確実に起こっています。徐々に不安感がとれて明日はもっと良くなるだろうと思えてきます。 この様にブログに書くことで一段と気持ちもよくなって来ます。おもしろいものですねえ。 皆さんと繋がっていることを実感いたします。

今日の工房は「色絵金銀彩扇型箸置き」の削り仕上げをしました。黙々とやって、13個です。力が入りますよねえ。絵付けもなかなか細かな作業があるので、箸置きとしてはお値打ち商品ですね。

集中していると身体も自然と固まってしまいます。温泉にでも行って心身を解いてみたいものですが。今日も早く終わります。

焼き物談義に花が咲き

こんばんは。焼き物好きのお客さんが来て、遅くまで話し込んでしまいました。ブログの時間が過ぎていたのに、面白く調子よく焼き物談義に花を咲かせてしまいなした。

私は大体午後7時過ぎに仕事のはかどり具合を見ながら、PCに向かいブログ原稿を書くことにしています。今日一日の出来事や感想など、また四季の移ろいに反応しながら言葉を探しながらネタを繰っています。

今日は朝八時から村の初普請がありました。村といっても10軒も満たない寒村ですが、家から人手を出して道の掃除をします。一年溜まった土砂の溝掃除です。また覆いかぶさった枝を切ったりして、山道といえども手入れをすればスッキリ新鮮な景色に生まれ変わります。今日の天候は穏やかな日和で、作業も難なく進んで美しく道作りが出来ました。

少し右足に神経痛が出てきたようです。冷えたのでしょうか右全体にツッパリ感が出てきました。冬は色々と気付かないところで負担が大きいのでしょう、昨年もやはりこの時分から色々な痛みが出てきました。明日整骨院に行ってきます。身体を冷やさない事ですね。

今日は早く休みたいと思います。昨年に大阪の雑誌に出たせいか思いもかけないところから電話があったり、工房に来たいというお便りを頂いたりと少しずつ反応が出てきています。ありがたいですね。なかなか仕事の時間が作れないのが悩みの種ですが、工夫していきたいと思っています。

仕事をたくさん頂いているのですが手間のかかる物が多く、身体と時間がぎりぎりっと音をたてています。

焼き物談義に花が咲き

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されど箸置き

昨夜の雨も朝には上がっていました。西の方から青空が見えてきて澄んだ空気の中、日課のウォーキングをしてきました。この時期になるとこんなお話を思い出します。染織工芸で今人間国宝になって居られる志村ふくみさんの著書の中に出てくるのですが、桜の薄い桃色を染めたいと思い、花びらをいっぱい集めて試したのですが全然染まらない。どうすればあの美しい桜色が出るのか、色々と試したそうです。たぶん幹や根を集め色々な焙煎方法を試されたのでしょう。ある冬の日桜の幹が異様に赤い事に気付かれたそうです。早速その幹を使って染めてみたら、あの桜色が出たという事です。寒も過ぎ冬も底打ちした頃、桜は春の準備を終え木全体にあの桜色を溜めるのでしょうか。二月も中旬を過ぎると桜の幹が日に日に赤茶に染まっていくのが分かります。赤茶に染まってつやつやしてくる幹を見て、ああ今年もそこまで春が来たあと感じます。今日はまだ桜も静かにその時期を待っているようでした。

工房は「色絵金銀彩扇型箸置き」の削り仕上げをしました。午前中に5個、午後からは「火曜教室」で5時半まで授業をしました。皆さんが帰られて続きをしました。合計10個を仕上げすることが出来ました。型抜きの仕事は仕上げにも時間がかかります。思った以上の手間が必要で、しかしきっちり手を抜くことなく進めていくと、「気持ち」が入っていくことが面白くなって来ます。どこか「馬鹿」になってやらないとどうしても入っていかないものがあるようです。計算できないところまでやることが、結果面白い世界が生まれてくると思っています。器用に計算できる人は、馬鹿ばかしく、こんなことはやってられないでしょうね。

たかが箸置き、されど箸置き。どんなものでも徹底的に作り込んで行くとどうなるのか?何が起こるのか、そんな事を思いつつ、どこか度外視して面白くやっています。

されど箸置き

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しだれ桜のお湯呑

夕方6時過ぎから雨が降り出しました。暖冬で昨日はまるで春一番の様も風が吹いていましたが、この雨もどこか三月の陽気を思わせます。二月第二週の始まりは静かなものでした。

すたっふMさんが焼き上げた品物を工房に持って行きました。ぼんぼり型猪口に桜を5弁散らしました。写真で見るより面白く焼き上がっていました。桜吹雪がまるで本当に散っているようで3Dを見るような感じをしました。頗る上品に出来たので満足して下さることでしょう。それと毬紋5寸皿。なかなかの手間ものですが、相変わらずきっちりと仕上げています。金を贅沢に使っているのですが、そう見えないのが奥ゆかしいところなのでしょう。このお皿もファンが付いて下さっているようで、有り難い嬉しいお便りをくださいました。

桜のお題で今月は仕事を進めています。従来の松桜紋のお湯呑みを少し深くしたサイズに変更して見本を焼きあげました。このお湯のみは初め深向付けで作ったのですが、どうしてもお湯呑みで使われる方が多く、ならばサイズ変更をしましょうということで、今回見本を出しました。思った以上にぴったりと図柄も合い、伸び伸びとした感じでいいお湯のみが出来ました。金で骨描きをした桜の花弁に青色をさします。京焼独特の色使いなのでしょう。私どもはこの色合いに白を加えてもうひとつの桜を表現しています。この白は今回しだれ桜にしてみたいと思っています。

しだれ桜の図案も一緒に持って来ました。どこか藤の様になってしまいますが、幹を入れて桜をイメージしてもらおうという案です。スケッチはまあまあだったので、実際に湯のみに描いてもらう様にしました。今日工房はしだれ桜紋の湯呑見本を仕上げました。しだれ桜を図案化するのも難しいですが、面白いものが出来たらあまり見かけない品物になります。

今週も限られた時間ですが、こつこつまたやっていきます。

ウォーキング秘話

こんばんは。二月に入って早いもので、一週間がたちました。二月は今年を占う意味でも大変重要な月と感じています。28日と短く慌ただしく日が過ぎて行きますが、しっかり詰めて仕事をして行きたいと思っています。

土曜日とあって山の工房にも突然の来客が続きました。思った様に仕事は進めてもらえません。実際計画通りに仕事を進めていける日がどの位あるでしょうか。ここでの生活は思った以上に雑用が多く、気持ちを制作のテンションに持って行くまでには、かなり素早く切り替えるコツを持っておかないといけません。私は朝のウォーキングで気持ちの切り替えをしています。45分位歩くのですが、20分位するとざわついた気持が一つギアーが入るというかテンションが変わります。落ち着いた気持ちが出てきます。自然の中、朝の光をいっぱい頂きながらただ歩いているだけで心が一つになって来ます。運動もかね、また精神衛生にもなって、私の大事な日課です。

古代ギリシャには「逍遥学派」といい歩きながら考える一派があったそうですが、また京都には西田幾太郎先生が歩かれた「哲学の小路」がある様に、歩くことと思考することとは大いに繋がっているように思います。日本の詩人もよく歩いています。西行然り、芭蕉然り、また山頭火然りと色々名前が上がって来ますが、歩くことで人は天啓の光に浴することが有るようです。軽いハイ状態になります。この気分が一日を決めてくてます。

朝のウォーキングから帰ってくると一日のスケジュールが体にピッシと入っている状態です。それがないとどこか頼りない感じがします。朝に歩くことができなくて昼、また夕方と歩いてみるのですが、どうも違う感覚なのですね。どうも朝のウォーキングに何かしら秘密がある様に思うのですが。

これからはもう少し早起きして、もっと朝の光を頂きたいと思っています。

ウォーキング秘話

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スローライフ

こんばんは。今日も春を感じる様なこの季節では珍しい好天気でした。金曜日とあって身体に一週間の疲れが溜まっています。午後から公民館の陶芸クラブの指導に行ってきました。今日は9名来られて熱心に作品作りをしていました。一年掛け秋には自分なりに満足いく作品を展示したいという欲求が出て来たのでしょうか。今年になって皆さん熱心です。土との関わり方は皆それぞれですが、思うような作品を作りたいという欲求は誰でも持っているものです。形になるには難しい工程がたくさんあるのですが、こちらもここというところは手助けをして行きます。10年以上の生徒さんも多くいます。最近来られる様になった方も、土を触っていると癒されてうれしくなって来ますと言っておられました。

クラブを終え、整骨院に行きました。先生は「このまま春になるようですが、身体がまだついてこないようです。首、肩甲骨、腰が開いてこないと春の身体にならない。」ということでした。一時間の整体治療で肩甲骨の張りが治まって、スッキリしました。これでまた一週間がんばれます。月曜日に電気を当てに行くようにしました。

陶芸は思った以上不自由な格好で作業が続きます。冬場は特に身体も固くなって、同じ姿勢では大分ストレスが溜まってきます。轆轤のしすぎでヘルニアになり長時間轆轤に座れないという事をよく聞きます。私も昨年第三脛骨の軟骨が減って左肩から指先まで電気が走ったようなピリピリとした痛さを感じていました。一種の職業病とあきらめていたのですが、とうとう左肩も上がらず、ついには腰痛になってしまいました。行きつけの鍼灸院に行ったのですが、埒が明かず整形外科にも行ってレントゲンも撮ってもらったのですが。

知人の紹介で今の先生に通うようになり、今年4月で一年になります。通いう始めた頃は週に三回のペースで一か月、それで少し納まってきたので週に二回、大分とひどかったようです。今も先生とは長い付き合いになるようです。しかしこの一年は腰痛もなく、まあ元気で仕事に精を出せるのですから、本当に助かっています。スローライフを心がけるよう云われています。一言でスローライフと云われますがこれは生活革命ですから仔細なことから意識の転換を図っていきたいと思っています。競争社会から共存社会の転換を生活のいちいちに自分なりにはたしていきたいと思っています。

スローライフ

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「京焼金銀彩扇型箸置き」の型起し

こんばんは。ここ二三日はこの様なポカポカ陽気が続くようで、すぐにでも春がやって来そうな感じです。杉の花粉が鈴なりになっています。早い地方ではもう飛散しているのではないでしょうか。身体の節々が痛いのはそのせいかも知れません。冬にため込んだ毒素がこの陽気につられ出てきているのかなあと思っています。

今日の工房は静かな時間を頂きました。訪ねて来る人もなく、電話もなく一人仕事場でいることが出来ました。昨日からの続きです。「京焼金銀彩扇型箸置き」の型起しです。

数を作るにつれて一度でスパッと抜けるようになって来ました。土の固さと型抜きのタイミングが合って来たのでしょう。手作業の面白さですね。考えずとも身体がその様に調整してくれます。仕事が仕事をしています。そんな感じで進められました。

今日のノルマ達成で終わりに致します。


京焼扇子箸置き

「京焼金銀彩扇型箸置き」の型起し

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立春吉日

こんばんは。今日は立春です。暦の上では春を迎え、日増しに太陽の光も勢いが増して来ます。生命の躍動を感じています。ここ大阪はやはり暖冬だったのでしょうか、今日もポカポカ陽気のお天気でした。

工房は昨日の「京焼色絵紅白椿紋箸置き」の石膏型を取りました。すっかり季節外れの様子ですが、これから梅、桜と続いて原型を作って参ります。季節と追いかけっこしながら進めていきます。負けないようにしないと、暖冬でどうも梅も早く咲き、桜も三月中頃には咲き始めるような感じです。頑張りましょう。

工芸店様からの追加注文で、「京焼金銀彩扇型箸置き」の型起しをしました。複雑な型なので思った様にすんなり入ってくれません。山型の突起が多く細かな線の入り組んだ型なので、起こしても綺麗に型どうりに出てきません。型から出てきたものにへらを使って修正をします。今日は遅くから始めたので、5個だけ起こしてみました。注文は30個。私どもは焼き損じも含めて40個くらいを作っておきます。なかなか品のいい箸置きなので、形も面白く出来上がるのが楽しみです。一番初めに作った「京焼」なので思い出もあって楽しく作っていますが、思った以上に時間が掛かります。いつものことですが、小さな作品でも一ひねり二ひねりと手間をかけて、造形に深みを出しています。しばらくは細かな仕事になりますが、背中が固まらない様に気をつけないといけませんね。


京焼 扇子箸置き

立春吉日

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「乾山紅白椿紋箸置き」の原型作り

こんばんは。今日は節分です。鬼は外、福は内。昔は子供たちと楽しく豆をまきましたが、この頃は一人で年中行事をしています。二月に入りどこか何かしら華やいでいます。今日もHPで水仙の箸置きを買って下さいました。お友達にプレゼントされたら大変喜ばれたそうで、お友達が追加をしてくださいました。作家冥利に尽きます。箸置きという小さなものですが、こころが通じが合う喜びは何とも楽しいものです。有難うございました。

季節のシリーズで工房では「京焼紅白椿紋箸置き」の原型を作りました。乾山の椿紋香合を参考にしました。春を持つ様子が表現されれば幸いなのですが、明日石膏型を取ってみましょう。


京焼 椿箸置き

ようびさんからも「扇金銀彩箸置き」の追加注文を頂きました。御能に使う扇子をかたどっています。手間の込んだ仕事でその分お値段も張るのですが、お客さまも値打ちが分かって下さっているのでしょうか、よく買って下さっています。

京焼はこの様に手の込んだ仕事が似合います。今使っている土も妥協知らずで、完成度を上げれば上げるほどこの土は生かされて来ます。細かなレリーフまで忠実に焼き上げてくれるので、安心して形を追いかけることが出来ます。自分に向いていると云えるのでしょう。面白く仕事をしています。ようびと京焼を始めた最初の仕事がこの扇の箸置きでした。箸置きの部類でダントツにお値段の高いのは須田青華さんところですがそれに次ぐ値段は、当初真木さんも売れる自信がなかったようです。かれこれ三年になりますが少しずつですが売れてくれました。金の高騰もあって追加があっても廃番にしようかとも考えていたのですが、せっかく要望されているのを無くするというもの何なんで、快く作らせていただくことに致しました。

一つひとつ手間暇掛けたものが分かってくださることに感謝申し上げます。箸置き一つにも気持ちを入れて作れば通じる事の喜びを味わいつつ、四季の箸置きシリーズを完成させていきたいと思っています。今後ともよろしくお願い申し上げます。

「かろみ」の世界から

こんばんは。二月に入って来ました。春は名のみの風の寒さや、立春とは言え寒さが増して参ります。しかしこの時期を境に確実に春の足音が聞こえて来ます。工房は梅や桜が満開の様な仕事が続きます。私どもはどこか気持が春になっているのでしょうか。ウキウキとした気分で仕事を進めています。

土曜日に汲み出しの見本を水挽きしました。少々小ぶりですがふくよかさを残した形に納めるのに、良いラインを探っています。口径や深さの寸法は決まっているのですが、見込み、立ち上がり、口作り、のラインは無数にあります。特に轆轤で見込から立ち上がりのラインは、大変重要で器の善し悪しが決まるところです。一般に素人さんはこのラインが分からないのではないでしょうか。私たちは器の外の形状を見るのではなく、中の形状、特に見込を見てよく判断いたします。外と中とが違っている器は意外と多いです。不自然な重さを感じるのはそのせいです。私は轆轤に「かろみ」という言葉をよく使います。軽さを意味する言葉なのでしょうが、単に重い、軽い、を言っているのではなく、見込みの良さからくる、形の晴れやかさを言いたいのでしょう。京都の言葉なのでしょうか?はんなり、という優しい言葉があります。この言葉をたとえば東京に持って行って使おうと思っても、その風情が残念ながらないのです。それに似た意味合いで「かろみ」を私は使います。京都や奈良といった都びとが見た春の風情は、はんなりとかろみのある柔らかな光のなかに融け入る感覚なのでしょうか?その様な何の違和感もない自然とひとつになった世界を「かろみ」のいい轆轤、器と表現しています。

この部分が京焼の生命線なのでしょう。特に「古清水」と云われている焼き物を写すには、この世界を轆轤で挽き分けなくてはなりません。艶やかな絵付けが活きる為には、轆轤も一つになってなければなりません。私はあまりにも普通の事を言っているのですが、この形が出来るのには長い年月が必要のようです。

「かろみ」の世界から

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季節は桜の大汲み出し

こんばんは。一月には珍しく温かな雨が降っています。まだ寒中というのにこの頃の温かさは三月の陽気だそうです。一月も終わり、また今日は週末とあって心身とも疲れが溜まって来ました。午後4時に整骨院に行ってきました。一週間に一度の通院で何とか腰痛にもならずに一年を過ごすことができました。やはり冬は身体も委縮していて背中に疲れをため込んでしまいます。午前中実家に通っていたので朝の散歩で十分な距離が歩けず、大分身体がなまってしまいました。年を重ねながらいい作品を作り続ける術を身に付けなければなりませんね。私はウォーキングが趣味で、一日に4キロ以上は歩きたいと思っています。いつもこの自然に恵まれた環境でアップダウンが適度にあるところを歩いているので、実家に泊まった時など朝も歩くのですがいくら歩いても身体に満足感がありません。やはり自然の中を歩くのはすごいですね。全然調子が違います。この1か月生活環境が変わったので、身体も緊張していた分疲れも奥にため込んだようです。今日は先生に十分見て頂きました。週2回に増やしたいと思っています。

工房は桜紋の汲み出しの見本です。今回は従来の大汲み出しに加えて、少し小ぶりの汲み出しも新しく出してみましょうという事になりました。一昨年から金の値段が注文を出す度にどんどん値上がって、今は3年前に比べて倍近くになってしまいました。桜の大汲み出しは値段を上げてもいい作品ですが、一つ新しい汲み出しを考えてもいいと思っています。小ぶりにすることで色々な使い方も出来るのではないでしょうか。煎茶も入るかとも思っています。

汲み出し茶碗はあまり普段家では使わないのでしょうが、この頃は大きな汲み出しを好んで使われる家も増えてきたそうです。この頃は大分メジャーな器として定着しています。本来お茶室の待合などで最初に出されるものなのです。清めという意味も含んでいると思うのですが、釜から最初に汲み出されたお湯を召し上がってください、身体を温めて、心を静めて下さい。という思いなのでしょう。そんな器ですので少し丸みのある、両手で持って温かさを感じる器でありたいですね。

今回は小ぶりの茶碗に「しだれ桜」をデザインしてほしいといわれていますが、面白いアイデアができればいいと思います。

季節は桜の大汲み出し

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十草紋飯碗の削り

こんばんは。後二日で一月も終わります。今年の姿も見えてきました。この様にしていこうという計画も大体出揃ってきました。カレンダーにスケジュールを入れていくと、一年もすぐに埋まってしまいました。二月は「逃げる」とも言いますが、逃がさないで何とか内容をいれ込んで行きたいと思っています。

工房は十草紋飯碗の削りが終わりました。明日からは桜紋の組み出しや煎茶碗の見本を挽いていきます。一月が二日残っているので指一本が掛かっている状態です。絵描きさんのところで仕事が詰まってくると辛くなってきますね。今年はどこかで肩の力が抜けるような仕事を作って上げないと、身体が心配になっています。

今日は「ますらおぶり」、「たおやめぶり」のお話をしたいと思いました。どういう訳でもないのですが、ふと朝そんな気がしました。うまくいくか分かりませんが、さあどうでしょうか。日本文化にはこの勢力が交互に現れると云われています。男性的、女性的と別れるのでしょうか、また、父性的、母性的と云いった方がいいのでしょうか。歌の世界では万葉集はますらおぶり、古今集はたおやめぶり、といわれています。縄文的なるもの、弥生的なるものと表現する哲学者や建築家がいますが。岡本太郎さんもよく「縄文的なる世界」と云われていました。白井晃一さん(建築家)の著書にも日本の根底にある縄文的なるものという表現があった様に記憶しています。私が初めてこの言葉に出合ったのは、岡清先生の著書でした。日本文化の源流を考える興味ある本でした。卑近な事ですが私の作品はどこを突いても縄文的なるものや、ますらお的なるものは出てきません。若い頃は無いものに憧れるのでしょうか。しきりに先生方の本を読みました。自分の中のたおやめ的な情緒世界があまり芸術にそぐわないと思いこんでいました。時代がその様な日本原始回帰の様なものを欲していたのだと思います。戦後の日本はどこか彷徨っていたように思います。その彷徨も今がピークに達してきた様ですが。民族の精神がお落ち着くところを探したいのでしょうか。縄文的と云えば太古の血が騒ぐのでしょうか。どうも我々日本人の精神構造に縄文的なるもの、弥生的なるものという二重構造が潜んでいるようです。

一つの時代が行き詰まりを感じ出すと、日本はこの二重構造の故に先と違う精神がとってかわる様に出てきます。しかし21世紀この構造に大きな変化が有ったように感じています。この「ますらお」「たおやめ」を超えた第三の精神世界が現れるように思うのですが。

十草紋飯碗の削り

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辰砂釉の花瓶

こんばんは。昨日今日と春を思わせる陽気が続いています。散歩で見る梅も早いところではちらちらと咲いていました。昨年生まれたのでしょうか?かわいい鶯が枝に止まっていました。絵に描いたような光景に思わず笑ってしまいました。

工房は京焼十草紋飯碗の削り仕上げを続けています。昨年大阪の雑誌「大阪 大人組」に掲載された記事が、読売新聞にも掲載されました。朝から古くからのお客さんが連絡してくださり、また奈良から水間寺にある三重の塔を写真に撮りにきたと言うお客さんも、新聞を見て足を延ばして来てくれました。なかなかのタイムリーです。雑誌の反響はイマイチだったのですが、やはり新聞は皆さんも目にとまるのですねえ。思わぬ効果が有りました。この何年間は展示会もしていないので古くからお付き合い下さっているお客様ともなかなかお会いする機会もないままでした。何とか個展も開いてみたいと思うのですが、注文で時間がいっぱいになってしまっています。これも今年の課題の一つなのでしょう。直にお客様と接する機会を作りたいものです。

今は京風の作品がメインになっていますが、その前は個人的に進めていた仕事に「辰砂釉」が有ります。今日も辰砂の掛かった小花瓶を購入されました。辰砂釉とは赤い釉薬でなかなか美しい赤は難しいものなのです。土、窯、釉薬、作者の気質とが合わないと美しい赤は生まれません。私はどういう訳かこの辰砂釉とは相性が良くて、若い時分からうまく赤を出すことが出来ました。その後色々と研鑚を積んで独自の色を作ることができるようになりました。この辰砂で何回か展示会もしました。かなりの好評を得ましたが、特に女性の方には人気が有りました。この辰砂がうまく出るためには特殊な材料を使うのですが、この材料が今はもう手に入らなくなりました。今手元に残るこの材料はほんのわずかで、それに代わるものを見つけるには大変な労力が必要と思います。今となっては貴重な色だと思います。

いい色を出し続けていくことは至難の業です。その時代その時その人びとの感性で色は変わってしまいます。これからの時代の色はどの様な色合いになっていくのでしょう。コツコツと積み上げていくことでしょうか。この道は長いですね。

辰砂釉の花瓶

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観一等

こんばんは。今日朝の光が変わったことに気付きました。窓に射す朝日でいつも目覚めるのですが、季節が動いたことを実感いたしました。大寒とは言うものの、寒中の春を感じさせてくれる朝でした。人は春を思うだけでも心がうきうきし出すものです。この様に春を待ち遠しく思う時が一番楽しいいのかも知れませんね。これから自然の色んな場面で微かな春を見つけていく楽しみが出来ました。

工房は午後から火曜教室でした。お一人お孫さんがインフルエンザに罹ったという事でお休みされましたが、良いお日和だったので静かに集中して作品を作ることが出来ました。この工房の最大の特徴は「静けさ」にあります。午後からは鳥の鳴き声もなく、ストーブの微かな炎の音だけが聞こえるくらいです。ある読者の方が私たちのブログに「静けさ」がある、と云われていましたが、きっとこの環境から醸しだされているのでしょう。それは作品にも通じることで、環境が大きく影響していることでしょう。

この村の一番奥に木工をされている方が居られます。私が紹介してここに移ってこられたのですが、彼が云うには「伏原窯の作品は、この自然のどこかの場面が写されている。」といいます。面白い表現だなあと思いました。大阪湾が近くにあるせいか夕焼けが素晴らしく美しい時があります。空の色が微妙に変化していく様子は何とも言えない気持ちになります。この微妙な色合いを感じる感性をここは養ってくれます。

人は外の世界と内の世界が実は繋がっているのです。夕焼けを深く感じることが出来るのは、内にその感受性があるからです。同じ色を見たとしても千人が千人同じようには見えていません。一輪の花を見たとしても人によってみんな違っています。自然、宇宙は一人一人に開かれているのです。そんな事を思うだけでも大変面白い事だと思います。人一人がみんな宇宙を持っていることになります。そこには「希望」という言葉が浮かんでくるのですが。皆様は如何でしょうか。

内を観ることは実は外の世界を創造することで有り、外の世界は実は自分自身だと気づくでしょう。私は陶芸と全く所縁のないこの辺鄙なところで作陶活動をすることでこの世界観を実証しようとしたかったのでしょう。未だ道半ば、一つづつ作陶の世界を歩んで参ります。

観一等

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飯椀雑感

こんばんは。冷え込みのきつい日が続きます。実家が大阪湾に近いせいもあってか、夜は暖かく羽毛布団一枚で寝ることが出来ました。今朝山に帰ってくると冷たい凛とした空気が流れていました。山の冷え込みは午後7時を回ってくると一段ときつく、工房はストーブ二台を付けても間に合わないくらいです。

一昨日は今年初めて「工芸店様」にごあいさつして参りました。2月になると早速桜の文様の器を自社HPに掲載するようで、見本を早く出すように云われました。その前に三月桃の節句があります。節句用に毬紋の5寸皿も急がされてしまいました。すたっふMさんの仕事はこれで3月いっぱいまで埋まってしまいました。やれやれ、不景気といわれる中仕事に追われるなんて、有り難いことですね。絵描きさんの体調を考えますが、自己管理よろしくお願い致します。

工房は今日「京焼十草飯碗」の削り仕上げに入りました。先週木曜日から落ち着いて工房に入れず、今週は何とか詰め込んで轆轤をして行きたいと思っています。真木さんとのお話ですが、抹茶碗を作るより、いい飯碗を作る方が自分たちにとって喜ばしいことです、と云われます。そこは私も全く一致する考えです。器作りをして30年、飯碗にはいささか自信があります。食器は飯碗に始まり、飯碗で終わると思っているくらいですので。日本人ならだれでもが自身の器として持っているものですが、案外皆さんは無頓着なものです。やれどこそこの何々店のお料理はどうのこうの、美味しかったのなんのと云われていますが、肝心の自分の毎日使う飯碗はどうなのでしょうか?ひとコース何万もするお料理を召し上がっておられるわりには、身近な器にはむしろ冷淡なものです。

三度三度使う飯碗は、作る側には制約の多い器です。それは色々な動作が入って、徐々に手に馴染んで行くからです。そんな飯碗はいつか身体の一部になって、使う人と同化していきます。その様な食器が欠けたり割れたりするだけで、どこか寂しいものです。昔は欠けたお茶碗は漆なんかで修正し使っていました。またその専門職がいて、家家を回って食器を直していました。繕い屋さんですね。今はすっかり物が豊富になってしまいましたので、その様にしてまで使うとなればお茶の道具くらいなものなのでしょうか。「金接ぎ」なんていいますが。

しかし、物が多くなった半面、私は多くの物が無くなったと思います。特にしっかりした職人の仕事が無くなってしまいました。少し前までは簡単にとは言わないまでも、どうにか手に入れることが出来たものが、今はどこにもないことが多くなってしまいました。工芸の材料となると寂しい限りです。私どもは「新古典的」な仕事をしていますが、無くなりつつあるものに、今という生命を息吹かせていきたいと願っています。

飯椀雑感

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用の美とお念仏

こんばんは。いよいよ明日から大寒らしい厳しい天候になって来そうです。これからの雪はこちらでも積もる可能性があります。明日は再び大阪市内に出かけなければならないので、帰りは雪道にならないか用心しています。天気予報ではかなり冷え込むようで、大阪の予報は珍しく雪マークが付いていました。

今日のブログのネタをどうしようかと思っていました。すたっふMさんが云うには、私フシハラの独立した時の様子を書いてください、とのこと。ふううん、まあ色々面白いお話はありますが。昨日の「用と美」について、もう少し書いてみたいと思います。

明日は工芸店「ようび」に出かけます。先日店主である真木啓子さんからお電話を頂き、今年はまだ一度もお会いしていないので、丁度作品も焼き上がることですので納品を兼ねて伺います、ということになりなした。では、お食事でもとおっしゃってくださったので、はいはい、と喜んで出かけます。この「ようび」の名前は、懐石料理店「辻留」の先代辻嘉一さんが命名されたと聞きます。もちろんこの名は「用と美」から出てきたものでしょう。

昭和初期の工芸運動の一つに民芸運動がありました。昨日紹介いたしました濱田庄司先生なんかは人間国宝にもなられ皆様もよくご存じだと思いますが、柳宗悦という先生の思想が民芸運動の根本とされています。柳先生の著書は数多くありますが、面白いところでは「南無阿弥陀仏」というのがあります。「他力」を説かれたなかなか面白い本です。また、「美の法門」なんかもこの運動の根本的な著書になるのでしょうか。

「用」という文字には働きという意味が含まれています。一般に思われている「人が働く」と云うような意味ではなく、少しスケールが違っていて、宇宙大の働きを意味するようです。仏教のいう仏の働き、また宇宙の創造、そんな意味合いの言葉だと思います。単に使い勝手のいい、という意味で使われているのではありません。用は他力を意味します。ここでいう他力とは宇宙の働きのことで、自力他力を超えた世界を現しています。その働きは本来われわれの生活そのものに現れ出ているという他力生活を表現したものを、工芸と言い、また民芸と呼ぶようにしたのでしょう。この運動には人間復古の意味合いも大きかったように思います。芸術を小さな特殊な枠に嵌めて特別な存在にした世界から、民衆の暮らしに脈々と流れてきた「暮らしに根付いた用の美」を提唱する運動だったように感じています。

単に啓蒙運動に終わらず、そこには素晴らしい作家が綺羅星のようにいて、その哲学を具体化し、そのことを生き抜いた作品が多く生まれたことは、また日本美術史上大きな成果だったと思っています。

この運動がなければ私はここで陶芸をしていなかったと思います。器に自分のすべての思想、哲学を表現し、尚且つ人々の暮らしの中で、使われて行く。どの国の芸術をみても、この様な芸術は存在していないと思っています。そのことを支えてきたわれわれの先人の骨太いくらしぶりを、今一度考え直してみたいと思って居ります。

用の美とお念仏

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用の美

こんばんは。昨日から冷たい雨が降っています。今日は久しぶりに大阪市内に用事で出かけていました。ヤフーオークションの講習を肥後橋、堂島まで受けに行きました。私共のHPはテレウェーブ・リンクスから購入したもので、それにヤフーショッピング、オークションが付いているのです。お商売が目的のお店なら色々なオプションが付いている事で、販路の拡充を図ることができるのでしょうが、どうも私たちの仕事にはお店を幾つも持っても手間と時間がかかり過ぎて、いい結果を生む事がない様に思います。HPを充実させることで精いっぱいな状態なのに、これ以上PCに座ることはよくないと判断しました。

そんなことは最初から分かっていたのですが、どうしても経験をしなければならないのでしょう。勉強には消去法的なるものもあるということでしょうか。自分たちの立ち位置が定まるまで色々と遠回りも学習の一環なのでしょう。向上や進化は螺旋状に進むものなのですね。この講習で分かったことは、自分の時間はこの事には使えないなと云う事でした。

私にとって一番大切な事は、この環境からいい陶器を作り出すことです。PC環境も未だにISDNですから、辛うじて繋がっているということです。ここはもう他の人にお任せ致しましょう。で、要らぬ経費も掛けないと決めました。

帰りは淀屋橋の方に行き、「東洋陶磁美術館」に足を伸ばしました。先日も書きましたが、「濱田庄司展」が開催されていたので懐かしい作品を見て参りました。この美術館のベースは韓国陶磁なので、濱田作品の持っているエッセンスによく共鳴して、より分かり易く作品を見ることが出来ました。特に飴釉や鉄砂の鉄釉は小品も大作も見ごたえのあるものが多く有りました。先生の轆轤はいつ見ても屈託なく、土がよく伸びていて、造形に嫌みのない地についた堂々とした世界が余すところなく出ていました。濱田陶磁の特徴の一つは、還元焼成が少ないことです。これは意識されていたのか、もともと益子にはそのような焼成窯がなかったのか、一つも青磁が掛かった作品がないことです。それもわれわれ日本人に親しみを覚えさせる一つの様に思うのですが。還元また酸化焼成は、焼く側の意識の違いが大きく現れて来ます。やはり青磁には強い意志というものを感じますが、酸化焼成のものはどちらかと云えば、感情の世界が感じられます。柔らかさ、ふくよかさ、造形ラインがどうしても優しく感じられます。濱田陶磁が肉質的であったり、感情的に見えたりするのは、そのせいかも知れません。先生の言動を見ると、知、情、意を方円の如く円満に生きていく姿が感じられて、そこに尽きない魅力が放たれているように思います。器を越えて人間の生きる力を表現された作品です。私は今も大きな影響を受けている作家の一人です。

用の美、器はこの言葉に尽きると思っています。

用の美

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出発のために

こんばんは。冷たい雨が降り出しました。夕方から冷え込みが厳しくなって来ました。今日は仕事をしようとしてもさせてもらえない一日でした。雑用に追われ書類探しに時間が割かれ、両親の介護の連絡やヤフーショッピングの決済の解約のトラブルで何とも悔しい時間が過ぎてしました。

仕事が出来る時間を確保するのに大変苦労するようになりました。以前にも増して時間が貴重に感じています。やることが多くなって来たのでしょう。なかなか焼き物だけ作っていればやっていけるなんて、そんな夢のような時代もありましたね、って云う思いです。

やらなければならない事が絞られてくるのでしょう。一日の中で色々な違った場面で自分が必要とされているのでしょう。「切り替え」が大事になっているんだなあ、と思います。

それで90分の集中というスケジュールを組む事にしました。人が集中出来るのが90分ということなので、その様な時間割りで場面を作ることにしました。それでその時間はしっかり全力で対応しよう、それが終わったら引きずらないで気持ちを別に向けようとしています。気持ちをリズム良く切り替えることで心もリフレッシュします。終わったら「忘れる」ことですね。一つ一つをパッパっと切ることが肝心なのだと思います。自分のやれる事をやれば後は天に任せる。その様に考えるようになり、忘れる事の大事さを思っています。

「時間」という概念がこの何年かで大分変わってきたように思われます。数直線の様に捉えている人はかなり少なくなってきたのでは無いでしょうか。そのことから来る「死」という概念も以前と大分違って来ているように思うのです。過去、現在、未来という時間概念が古く感じられてきたのではないでしょうか。個という世界観も大きな変化がある様に思えるのですが。オバマ大統領が誕生しました。200万人の聴衆が世界から集まったといいます。世界経済の事が大きな焦点の様に云われていますが、もっと何か大きな地殻変動の様なものを感じるのですが。人類の転機、そんな予感がするのですが。彼のこれから行うことは、政治という枠では収まらないことの様に思います。

今までの概念が崩壊していく瞬間でもあり、新しい世界の曙の様にも思えたのですが。

出発のために

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「京焼十草紋飯碗」の水挽き

こんばんは。穏やかな晴天の一日でした。今週も一つの形を作ることでスタートを切ることが出来ました。ブルーマンデイなんて言葉がありますが、直訳すると「憂つな月曜日」と云うのでしょうか。朝からの気持の立ち上がりが何となく辛く感じられていました。年末から年始に掛け暮らしが大きく変わってしまったので「くたびれたぁ」って身体がそう言っています。こういう時は静かに心を落ち着かせて、自然の波動に逆らわず身近で出来る範囲の事を、着実にして行くことです。体質が変わって来たのでしょうか、以前に比べてお酒などの執着がそれ程強く無くなって来ました。ははははは。いや、歳のせいかもしれませんが。今日は休肝日にします。しばらく続けて内臓の掃除をします。

今日の工房は「京焼十草紋飯碗」の水挽きです。ノルマ20個。何とか午後7時半に達成です。明日は残りの分とビールカップを挽く予定です。陶芸家といってもこの様に日々こつこつと日常の物を作っているのです。私の基本はこのような生活ですので、あまり突飛な事は好きではありません。特に轆轤は毎日の積み重ねが大事だと思っています。どちらかと云えばかなり職人肌なんでしょうか。陶芸ブームが盛んな頃は、「うまへた」が大いにはやっていました。へたににせてうまく作る、っていうことなんでしょうかねえ。よく分かりませんが、自分にはあまりない部分なので。自己主張の強いものが個性として受けがよかったんでしょうね。私はどちらかと云えば、地味なんでしょういか。よく云われるのが、玄人好みの作品なんて、そんな評価を受けていましたが。どうなのでしょうね。今もそれは変わらない事のように思いますが。

「清澄」こんな言葉で評価された事がありますが、内心うれしく思っています。私自身は「震え」という言葉で、自分の轆轤を表現して居ります。決して力強い作品ではありませんが、この線の細いバイブレーションは他にない貴重な存在だと思っています。邯鄲(かんたん)と云う、こうろぎを小さくしたような晩秋に鳴く虫がいますが、そのなき声は何とも侘びた風情のあるものなのですが。邯鄲の賦という故事から来ているのですが。この声が聞こえるバイブレーションの持ち主なんかに見えてくる世界があります。私は「悲しみ」と言っています。「悲」という文字は日本ではよく深い心に使われているように思うのですが、「悲願」「慈悲」奥深い仏心が我が心の震えとして響いているという感じなのでしょうか。

その響きを写し取る様に、今日も静かに轆轤は回っています。