愛の星

こんばんは。イエス・キリストの誕生日と云われている聖なる日。皆様如何お過ごしでしょうか?以前は京都の修道院に足しげく通っていたので、この日はイブの日から泊まり掛けで、祈りに満ちた時間を頂いていました。聖歌を歌い、お説教を頂き、聖火点燈の儀式に参列して、クリスマスを迎えていました。旧約聖書にアシュアの木のお話がありますが、耐え忍ぶ教えが象徴として書かれていた様に思います。昨日もお話いたしました様に、時代は大きな転換期を迎えました。人類が進歩するにはどうしても通過しなければならない、痛み多い世界がこれから始まるでしょう。イエスが耐え忍んだように、私たちもこの産みの苦しみに耐え忍ぶ力を、クリスマスのこの日イエス・キリストにお祈りしなければならないでしょう。

地球は愛の星と云われています。愛を体験するために私たちはこの星に、自ら望んで生まれてきたと言われています。だから私たちには愛の結晶が心の中に埋め込まれているといわれています。

仏教に法華経という経典がありますが、この中に衣裏繋珠(えりけじゅ)の譬えがあります。仲のよい二人の友達がいました。一方の友達が彼の元を去って遠国に旅立つ際、彼は友達の衣の裏に、密に高価な宝石を縫い込んでおきました。こうしておけば友が愈々困った時に役に立つだろうと思ったのです。長い年月が過ぎ、乞食の様に落魄した友が故郷に帰って来ました。友達は、衣の裏に大変高価な宝が縫い込んであるとは露知りませんでした。そこで、彼はその友に「あなたは宝を持って乞食になり、諸国を流浪していたのです。」と教えて上げた。というお話です。

この譬えはイエスの聖霊を暗示しています。聖霊は愛と云われています。私たちはこのお話のように「愛の打ち出の小槌」を持って、人生の旅をしているのです。その気づきをクリスマスに発見する意味は深いと感じます。

人類はたった一つの言葉で繋がり、一体になることが出来ます。キリストの愛、聖も濁もない一つの愛。聖なる夜、静かな祈りの時間が過ぎて行きます。

愛の星

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寒波到来

今日は風が強くへんに暖かいですね、雨が来て寒くなるのでしょう。一昨日京都の窯業訓練生から、一度見せて下さいとの電話連絡がありました。工房で働かせてほしいということですが。夏の終わりごろにも京都のこれは専門学校の生徒さんですが工房に見学に来ましたが。このご時世思った就職は、普通の会社員でさえ難しくなりました。ましてこの業界は2000年以降景気のいい話を聞いたことが有りません。まあ、どこの窯業地も斜陽の傾向ですので、こんな僻地に尋ねに来るのでしょうが。

個人作家も淘汰の時代に入っています。少し前は食器を作っていれば何とか食べていたのでしょうが、食器も今年は大変な状況です。私どものお取引しているところは、高級食器の販売店ですが、ここでも淘汰が始まっていると感じています。小ロット、ハイクオリティー、ハイスピード。所謂完全に量産のものが無くなってしまったということです。だから工場は廃業していきます。若い人たちが働ける場所が無くなったということです。工芸の危機どころの話ではありません。やって行けないのですから、技術継承が途絶えてしまいます。

これはこの業界だけの話ではありません。世界、いや地球規模で大きな変革が起こっています。どう対処するか?なんてそんな次元の話ではない様です。

私は今までの枠組みが無くなってしまうので、ならとことん好きにさせてもらおうと思っています。古い既成概念ではやっていけないのですから、一つ自由になったと思っています。この時代をもしかしたら待ち望んでいたのかも知れない。そんな風に感じています。 どこか「希望」という言葉がこころの深いところから聞こえてくるのですが。

仕事を一つ一つ前に進めていきます。この仕事が面白いと感じる者は、自分のポジションで自分なりに一緒に歩いてくればいいではないかと思っています。弟子は取りませんがそんなものでしょう。教えて出来るというものでのありませんので。

寒波到来

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「ぶりぶり香合」原型制作

工房は雑用に追われて午後遅くから、続いています、「ぶりぶり香合」原型作りをしました。ほぼ完成に近づいているのですが、身と蓋の接合部分をこれから調整しながら、合わせていきます。まだ、少し時間が必要です。今回の原型作りで「ぶりぶり香合」は大体手の内に収まりそうです。前回(平成18年)は何が何だかまとまりの付かない状態で納品してしまいましたので、大きな宿題を頂いてしまいました。何がなんでも今年はスッキリと納めてしまいたいと思います。一つ一つ片付けて前に進めたいですね。


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乾山陶器の土テストを仕事の脇に置きながら、いつも眺めています。これもいつものことですが、ようやくイメージが固まりだしました。乾山の前に、むしろ仁清の「ひよどり香合」などに、この土は合うかも知れないなあ、と考えを振っています。与えられてくるものと、自分がイメージしているものとは若干ずれがあるものです。時間を掛け色々な角度からテストを繰り返しイメージを膨らませます。すると今まで合わないなあと思っていたものが、違う場面から妙にうまく合って来たりするものです。私は考え試して出てくる結果に、不必要というものが無いといつも思っています。ただ自分が未熟なだけで、それを読み切れなかったり、使う場所を間違っていたりするだけだと思っています。何年も掛けて作っていく仕事ですので、少しづつですが確実に形にして行くつもりです。

今年の仕事もその繰り返しでした。一滴一滴たまり醤油が濾過され溜まっていくように、私たちの仕事も目には見えない創造世界に蓄積されています。

「ぶりぶり香合」原型制作

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京焼概念

ぶりぶり香合の原型を仕上げようと一日掛けましたが、新し資料がでてきたので今作っている型の検証をしました。大体のラインは決まっているので、少し調整を加えてみます。

30年40年前の資料から、形状を割り出しましたが、今の写真は鮮明で綺麗なので、微妙なディティールもイメージし易く、これなら自分の形と本歌が一致し始めました。どうしても、初めに見たサンプルが、イメージに刷り込みされてしまうので、気を付けているつもりですが知らず知らずに形がずれてしまいます。今回はかなり経験を積んだので、素直な形がやっと出てきました。胸にストーンと落ちる形になるまで、どこか気分の悪いものです。もう少し時間を掛けて、狂いのない原型を作りたいと思って居ります。

一つ一つの形を攻め込んでいくと、仁清の息使いが知らず知らずにこちらのイメージに写ってきます。バイブレーションなのでしょうね。作品には波長、またバイブレーションがあって、それと共鳴し易い人や、そうでない人がいます。私はどちらかと云えば、今の仕事、「京焼」はとても共鳴し易いと感じています。乾山の仕事を見ていると大変近しいものを感じます。柔らかみのある、どちらかと云えば肉感的な線と感じられますが、と言って造形はしっかりと筋が通っています。しかしその芯の強さを全く感じさせない作品が多くあります。仁清の柔らかみある作品には、「理性」の抑揚の効いた轆轤、またそこをうまくデザイン化されたものが多くあります。

ぶりぶり香合もその代表的な作品でしょう。ややもすると、知性や理性というものは、作品に固さを伴うものですが、そこをいかに越えたか、いかに自然な抑揚を身に付けたか、興味のあるところです。

仁清の轆轤技を見ると、彼が誠心誠意努力し、この抑揚の効いたセンスあふれるラインを獲得した事がよく感じられます。私も若い時分は、到底この意味が理解されませんでしたが、この何年間京焼を写すことで、奥の深い世界を垣間見ることができるようになりました。もっと、この世界を味わっていきたいと思っています。


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京焼概念

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冬の暖かな満月の夜

きれいなお月さまが高々と昇って来ました。町暮らしでは到底経験することもないでしょうが、月明かりで、山道が皓々と照らされている風景は、鳥の声もない静かな、また不気味な不思議な世界が現れます。

工房はぶりぶり香合の原型作りですが、午後から金曜日ですので、陶芸クラブの指導に出かけました。来週で今年最後になるのですが、いつものことですが出席が少ない状態でした。また、7時から出かけます。


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冬の暖かな満月の夜

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乾山陶器の土見本

乾山陶器の土見本が焼けています。窯の根、中、天にそれぞれ見本を置いてみましたが、根の部分は酸化で焼けていますが、天のところはどうしても還元状態になります。赤土をブレンドすることで、どうしても還元が掛かりやすくなるのです。白い土だと還元が掛かっても、分かりにくいのでしょうが。この結果はもう少し考えなくてはならないでしょう。 やはり、窯を変えて焼いてみたいと思います。とりあえず形にしてみたいと思う土を決め、一窯当たりを付けた作品で一度焼いてみたいと思います。


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乾山陶器の土見本

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雅という符号

工房はぶりぶり香合の続きですが、昨日削り仕上げした物が乾いてきました。やはり歪みが出てきました。口の面がうまく合わないので、思案しています。一旦乾かしきってから修正をかけるのでしょうが、生の状態で身と蓋を合わせても、焼くとまた違った歪みが生じるでしょう。肉厚が問題になるのでしょうか。色んな角度から検討していかなくてはならない仕事です。じっくり腰を据えて研究いたします。

仁清 香合この様な小物でも、仁清陶器はどの様に作ったのだろうかと深く考えさせられる作品が多く有ります。一つの作品に仁清は一ひねりも二ひねりもしてくるので、単純にかかって行くと大きな落とし穴があります。これは古清水も言えることですし、乾山にも言えることです。他の窯業地にはあまり見られない独特の仕掛けが色々と施されています。やはり都の持つニュアンスの複雑さ、掛け言葉などで飛躍させるイメージなど、一筋縄ではない、手の込んだ仕掛けが散りばめられています。

京都の持つ独特の文化が仁清陶器に色濃く仕組まれていて、そこを読み解きながら進めていく仕事だと、痛感しています。奥が深いというのはそのことを全て含めて、理解が必要だと感じています。やっと、その入口の存在に気づいたという段階で、まだまだ鳥羽口にも立てていない状態を感じています。

しかし、一歩一歩ダビンチコードではないけれど京都という雅という暗号めいた世界を解き進んで行きたいと思います。

雅という符号

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乾山陶器、土のテストピース

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乾山陶器の土のテストピースを作りました。4種類赤土の割合を変えて作ってみました。今夜の窯に入れる予定です。

窯は、午後7時半に火が入りました。12時まで乾燥を兼ねたあぶり焼きをします。それ以降は睡眠を挿んで朝までに800度位に上げる予定です。

今夜はこの状態で少し休みます。

「ぶりぶり香合」の仕上げ

こんばんは。師走は駆け足で過ぎて行きます。うかうかしていると早4日、窯の準備に追われ出しました。今日は箸置きが乾いたので、歪みを修正するのにサンドペーパーを掛けてガタつきを直しました。思ったより歪みが少なく、修正も少なくて済みました。来客があり予定の時間が大きく狂い、4時半に素焼きが入りました。10時前に上がる予定です。


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ぶりぶり香合の仕上げに掛かりました。前回の経験から学ぶところが多く、また参考資料の見方も依然と比べて、仔細なところまで気が行くようになってきました。作り方もまた、土も前回と変えて作っていますが、この香合は難攻します。非常に難度が高いものです。

仁清の写しですが、非常に奥が深く手の込んだ作品です。仁清の写しをしてみるとよく分かるのですが、実に写実的で造形に隙がなく、緻密でありそれでいて独特の「軽み」がある。天才と一言でいえば済むのでしょうが、真剣に写して初めて分かる、作品に対する凄味を感じてきます。それでいて、どの作品も「はんなり」とした柔らかさがあります。

今回はその領域に一歩でも踏み込みたいと願って挑戦しています。

「ぶりぶり香合」の仕上げ

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原点回帰

独立して初めに作った窯は、壁の厚みが25センチもある、それもSK34番の耐火煉瓦で、30時間位掛けて焼く体力勝負の窯でした。この窯で実にすばらしい釉調の作品を多く焼くことが出来ました。また窯が冷めるには、まるまる2日以上かかり、徐冷がしっかり効いて釉薬が自然と柚子肌になってくれました。特に素地がしっかり焼けてくれるので、昔ながらの焼き物本来の焼きが実現されました。この窯の灯油の量はドラム缶一本でした。それでもすべてが焼き上がることはなく、温度差は軽く100度位出来ました。その温度に合わせるため、土を何種類も変え、またその土に合った釉薬も多く調合し色々な焼き物が一つの窯で焼けるということになりました。

しかしこの窯のおかげで多くの事が学べました。今の時代では出来ない素晴らしい作品を、若い年齢にも関わらず作ることが出来たことは今の自信に繋がっています。

ookama.jpg 振り返れば今までに色々な窯を焼いて来ました。鉄砲窯、登り窯、瓦斯窯、電気窯、灯油窯、穴窯、等々。色々な窯で色々な火を体験してきました。そこで数々の作品を見て来ました。その経験が今生かされています。一目見ればどの様な土でどのように焼いたか、かなり誤差がないくらい分かる様になりました。

この様な経験から、乾山を作るにはどうしても窯を変える必要が出てきました。それでないとスッキリした筋道が立たないように思うからです。なんと焼き物って複雑なのでしょうか。世間に広く出回っている物に、筋道が違うまま色々な写しといって焼いている物が多くあります。故にこれが乾山(?)が横行するのでしょうが。どうしても私は譲れないところです。

この様な事を考えていると、面白いことに自分が原点へ戻って行く様に思えるのですが。

原点回帰

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窯の中の風景

これから寒くなってくると窯場はほっこりと暖かくて気持ちが良いですね。今回の窯はいつもより時間が掛かってしまいました。原因は天井近くまで作品を置いた事にあると思います。私たちが今使っている窯の形式はシャットル式と云って、いったん火を立ち上げ天井に添わせてから根(窯の底面)に開けてある引き穴から煙突に火が抜けて行くように作られています。そこに天井近くまで作品を置くと火の回りが悪くなり温度が上がりにくくなります。由って燃料もずい分とかかり、効率が悪くなるということです。大きな窯でも小さな窯でも原理は同じことなので基本は外してはいけませんね。


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私どもの窯は素地をたまご色にほんわかと焼くのが特徴です。薄い素地に色絵付けを施すので柔らかな色合いが好まれます。1230度付近になると窯から色見を取り出します。どの位焼けたかを見るためです。色見は全部で4個入れて置きます。1200度で一度出し、また機会を見ながら何回かに分けて見るようにしています。

想定した温度が来ると今度は「ねらし」といって窯の温度をならす様な焚き方に変えます。窯は上と下、奥と手前で温度が違います。そこでねらしという焚き方をして全体を包むように温度を揃えます。天と根の温度が揃いだすとねらしが完了し、そこで火を止めます。 窯の中はいつ見ても神秘的です。火を止め、中を見るとそこは1200度の高温の世界です。ここは神々しいまでに静寂の光に包まれています。釉薬の表面が波ひとつない湖面の様に平らかで、太陽の輝きを受けたように光に照り映えています。作品はまるで地球を超え太陽の世界に行った様にも思えて来ます。窯が冷え作品を出す頃になると、作品達が異次元から戻って来たという思いになるのです。陶芸ならではの感触ですね。 一つ一つ積み上げ作ったものを宇宙に捧げ、審判を仰ぐという感覚です。大変精神性が問われる世界だと思っています。一点の曇りもないどこまでも澄んだ透明な世界の表現は、今のこの世には奇跡の様に思われます。しかし芸術というものがあるのなら、そこに身を呈してこそ初めて表現が許される世界だと思っています。

窯の中の風景

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仁清と乾山

仁清茶壷 乾山はあまり雑器を作った形跡はありませんが、それはなんせ莫大な財産を受け継いだのですからその必要性がなかったのでしょう、仁清は色々と雑器を作っています。後世に残る茶壺や茶入れ、抹茶碗に香合、水差しなどは公家、大名、寺社からの注文品で、普段は雑器に属するような器を作っていたと思われます。

仁清にしてもまた乾山にしても一人では到底窯の維持はできなかったので使用人を何名か使っていました。仁清はもともと轆轤の達者な方で、茶入れなどを見ると実に柔らかなまた美しい独特の優美なラインで作られています。京の雅さが十分伝わる傑作も多くあります。

一昨年京都国立博物館で開催された「京焼展」には仁清をはじめ、乾山、粟田焼等の古清水、近世の名工、木米、頴川、仁阿彌、永楽等々が出展されて大変見ごたえのある、面白い展示会でした。その中でも一番広く展示コーナーを設けて仁清の多くの有名かつ国宝の品々が展示されていました。

これは私の見解ですので根拠のある話では今のところないのですが、敢えて言うと仁清作とされているものの中にはすべてとは言わないまでも、例えば茶壺、また小物の香合などは専門に作る窯があって仁清はそこに注文をしていたのではないだろうか、と思うのです。確かに茶入れ、抹茶碗、香炉などは仁清自らの轆轤とみられるものが多いのですが、どうも総合的に考えても一人の手に負える様な作品の数と質ではないように思います。

仁和寺の金森宗和との関係も、全て仁清が手掛けたというよりも、近在の窯屋に得意な物を振り分けていたのではないかと私は思っています。
いわば総合プロデュース的な存在も兼ねていたと考えると、あの質と量が納得できるのですが。

そういう目で先の展覧会を見てみると新しい仁清像が浮かび上がって来ました。そしてその後の京焼きの基礎も仁清の当時のプロデュースでかなり出来上がっていたのではないでしょうか。古清水と称される多くの窯もその範疇の外に出ることはなかったように思われます。

仁清を深く味わっていく中で多くの発見が生まれてきました。機会をみて、魯山人の仁清を見ていた眼についても考えてみたいと思います。

オーダー「蛸唐草湯呑」、焼き上がりました。

蛸唐草湯呑こんばんは。工房は昨日の窯が午後4時の段階で160度まで温度が
落ちていたので窯出しをすることにしました。
1300度まで今回は温度を上げました。窯の上から下まで思った様に
きれいに焼き上がっていました。
蛸唐草のお湯呑みです。スッキリと難なく焼き上がっています。 

巨匠 乾山

巨匠乾山について自分なりの考えや創作側の思いなどを書いてみたいと思います。昨日も出てきましたが、京焼の元祖的存在に野々村仁清が居ます。御室仁和寺の庇護の元、御庭焼として金森宗和の指導の元、唐物でも高麗物でもない、それまでになかった純日本趣味の陶器を創造しました。技法は多種に及んでいて、その一つひとつの作品は完成度が高く、優雅で緻密、雅の趣が存分に表現されています。また陶器に上絵を施したのは日本では仁清が初めてでしょう。中国には磁州窯系の宋赤絵、ベトナムの安南赤絵などがありますが五色を使い日本の色絵陶器を完成させたのは仁清が初めてでしょう。

緒方乾山

鳴滝泉谷で窯開きをしますが、そこは都の北西(乾の方角)に位置ところから窯名を乾山としました。乾山陶器は窯の移動もあって、大きく三期に分けられます。ひとつは鳴滝泉山の開窯期、元禄12年(1699)37歳より、13年間これを鳴滝時代と呼ばれています。正徳2年(1712)50歳で二条通寺町西入丁字屋町に移ります。この時代を二条乾山といいます。晩年、乾山は江戸に移り住みます。その理由は定かではないが、二条家とも非常に近い上野寛永寺輪王寺宮であった公寛法親王(こうかんほっしんのう)に随って、下向したのではないかとするせつが有力です。この時代、江戸入江に住み御用品を焼いたとされ、これを入江乾山といいます。

時代によって大きく陶器の趣が異なってきますが一貫して乾山陶器の特色は、今までにない文人趣味の、また非常に優れた才能あふれる日本文学の教養が結晶した得意稀な作品だということです。二条に移り乾山は当時流行していた懐石の器を斬新なデザインで創造していきますが、今の私共には到底計り知れない教養に裏打ちされてのデザインだと感じられます。

巨匠乾山翁をこれからも考えて参ります。

巨匠 乾山

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磁器-窯たき

蛸唐草下絵

実りの秋、山の木の実が色づきだしました。銀杏はいち早く落葉し出しています。山々はこれから美しさを増していきます。  

工房は昨夜から窯を焚いています。磁器の窯なので1300度近くまで温度を上げていきます。久しぶりの還元焼成で午後3時40分に窯が終了しました。

 

写真は、今窯に入っております、オーダーメイド「蛸唐草のお湯のみ」です。

磁器-窯たき

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祥瑞(しょんずい)

室町から江戸期、古く茶人の間では染付の作を古染付、呉洲、祥瑞などと唐物(当時の中国を日本ではそう呼称していました。)の染付磁器を総称してその様に呼んでいたそうです。祥瑞がいつ何処で作られていたかは、はなはだ推理の中ですが明末崇禎の頃(1628-44)、所は景徳鎮とされています。意匠があまりにも日本人好みなこともあり日本からの注文産だとされています。では誰が注文したのでしょう。ずばり小森遠州かそれらに近い筋のものとされています。ところで祥瑞の名前の由来は器の底に「五良大甫 呉祥瑞造」の銘があるのっで、そこから由来しているということです。色々な見解がありますが概ね上記の説に落ち着いているということです。形は茶碗(沓型、筒型、胴〆、洲浜等)、茶入れ、香炉、香合、火入れ、巾筒、等茶器の他にも鉢などの食器があります。

渦祥瑞鉢

祥瑞(しょんずい)

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秋の好日

美男鬘菊薫る秋にふさわしい好日が続きそうな三連休です。文化の日を迎え各地で催しものが行われています。ここ貝塚も市民文化祭が市民ホール・コスモスシアターで行われています。わが陶芸クラブの諸子方の作品も出品しています。お近くにお寄りの際は見て上げてください。

工房は毬紋の5寸皿の水挽きに戻っています。丁寧に時間をかけて轆轤をしています。こんな天気の日は時間の流れがまったりとして、気分が集中でき、いい轆轤挽きができます。一年にこんな感じの日は数える程度です。こころも身体も自然とひとつになって、時間の流れを楽しんでいる状態は心地いいものです。そこはかと日本文化を感じ入る季節です。

秋の日差しはすべてを黄金色に染めています。先日化粧掛けした作品を天日干します。なんと長閑な光景でしょうか。陶芸の持つ力だと思います。


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この様な風景がいつまでも続く世で有りたいと願っています。一日一日の心をこめ作品にして行く幸せを感じるひと時です。
窯業地に行くと工場から多くの製品が天日干しに出されている光景に出会います。秋の日差しをいっぱい受け静かに乾いていく様は何とも微笑ましい心が癒されて参ります。乾いた作品を手に取ってみると、ほのぼのと暖かな温もりを感じます。作品におひさまの愛情がしみ込んでいます。一つの作品が出来るまでは長い時間手塩にかけ、多くの愛情が盛り込まれています。手にとってそのきめ細かな愛情が伝わる器でありたいと願っております。

秋の好日

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登り窯と乾山

日本で本格的に食器を個人作家として作ったのは、乾山でしょう。もちろん瀬戸や唐津の窯業地では多くの食器を作っていました。が、懐石料理の器をデザインから製造したとなると、乾山が初めてでしょう。

 


乾山蓋物

日本で陶器の食器が一般的に使われ出したのは窯の大きな変革があったからです。織部という焼き物がありますが、カラフルで多くの技法が盛りもまれ、懐石や茶事によく使われています。この焼き物は今までの穴窯から登り窯に代ってできた焼き物です。登り窯は九州唐津あたりで発明された日本独特の窯です。この窯は大変熱効率が高く、また大量に焼くことが出来きます。それまでは山の斜面を掘って階段状に傾斜を付け蒲鉾の形に屋根を土で覆って窯を作っていました。半地下式穴窯などと云いますが、通称「蛇窯」などとも呼ばれています。それが全室を地上に上げ各部屋を独立させ、サマと言う連結坑で繋いだ窯が発明されました。それが皆さんのいう「登り窯」です。 この窯が出来て初めて大量にまた安価に焼き物が出来るようになりました。九州から瀬戸に伝搬され、各地方で特色のある焼き物が大量に作られ、出回りだしました。江戸では瀬戸物、また京都、大阪では唐津物といわれ雑器の代名詞のようにもなりました。 この窯が仁清によって瀬戸赤津から京都にもたらされました。仁清の陶技を継いだ乾山もまた鳴滝泉谷山にコンパクトな登り窯をつくり、多くの美しい焼き物を作りだしました。

登り窯と乾山

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制作工程ー白化粧

工房は少し毛色の変わった仕事をしています。もうだいぶん前に作り置きしていた湯呑、鉢、飯椀をタコ唐草と伴に焼く段取りをしています。刷毛目を施して色々な細工をして行きたいと思っています。

刷毛目の作業を紹介いたします。 この白い泥は化粧といいます。素地をこの白い泥で昔の女性のお化粧の様に刷毛で塗ります。これは世界各地に見られる技法で、西洋ではエンゴーベなどと呼ばれています。焼いて素地が白くなる土はなかなか無く、大概は茶褐色やくすんだグレーといった物が多くて、そこで白土を泥状にして素地が乾かないうちに表面をコーティングするのです。
すると表面だけが白く焼けるので、鉄絵や呉須などがのりやすくなります。

白化粧で有名なのはやはり李朝の刷毛目、粉引き、などでしょうか。朝鮮には良質のカオリンが産出されるので、これをうまく使って赤土の胎土に全面に施したのが所謂「粉引き」といわれる陶器です。この名は桃山あたりの茶人が付けた名で、学術的には「粉青沙器」などと云います。粉引きが作られた時代はごく短く直ぐに刷毛でひと刷毛かふた刷毛といった簡単な技法に変化します。この簡素な刷毛の具合が何とも日本人の哀愁感にマッチするのか、多くの刷毛目ファンがいます。

使う刷毛は色々な種類が有りますが、特にこの様に一気に施す刷毛をニゴといい、藁の先を一本ずつ抜いては揃え個人が手作りしたものです。家々によって色々なニゴがあり刷毛の筋も太く豪快なものやまた優しく繊細なものなどが多彩にあってそこもまた人気の一つなのでしょか。

化粧は特にこだわりのあるものです。施す土の種類にやって収縮が合わなかったりすると焼き上げてから素地から剥離することも起こるので、家それぞれの調合があって案外企業秘密になっています。もちろん私どもの化粧も例外ではありません。
化粧掛けは大変難しく経験を積まなくては到底出来るものではないと思います。私も瀬戸で5年間、化粧掛けの修行をして参りました。薄手に作られた器にたっぷりとした化粧掛けは技法的には大変リスクの高いものです。それ故粉引きの作られた時期が短いのですが、面白いことに粉引きが残っているのは日本だけで、朝鮮には残っていません。
日本だけに残っている陶器で現地に残っていない陶器は案外多いのです。それだけ我々は焼き物が好きなのでしょうか。
 


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制作工程ー白化粧

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2008年10月の焼き上げ作品

2008年10月の焼き上げ作品
 

上絵丸紋散らし鉢

 

上絵丸紋散らし鉢

工芸店様のお仕事「ようじ入れ」の丸紋散らしを鉢にしてみました。

湯呑「折鶴」上絵折鶴紋湯呑

こちらも同じく、正月用の錫、銚子の蓋のデザイン「折鶴」を湯呑にアレンジしたものです。
京焼の器をホームぺ―ジに、より多く載せていきたいと思っております。
宜しくお願い致します。

乾山陶器への挑戦

乾山写しは京都に行けばゴロゴロ山ほど出会うでしょう。今更なんで?ともお思いでしょうが、実は自分は焼き物を始めたときからいずれは乾山をという思いはしきりに持っていました。

五十を過ぎ、この頃は今まで経験した事が少しづつ発酵して来た思いがあります。やはりこの時期まで時間が必要だったのでしょうか。そんな事を思いながらようびの真木さんに背中を押されて、この3年間心に思っていた土を300キロ京都の土屋さんに作ってもらいました。

最低300キロがワンロットなので、まあ、最低のロットで購入いたしました。オリジナルの土です。この土で一本柱を立てることにしました。

かなり時間を掛けて考えた結果です。色々な展開が出来ると思います。鉄絵、呉須絵、色絵、化粧土の改良が急務の課題ですが、アイデアは面白いものが有ります。

はじめは簡単な雑器に鉄絵をしてみようと思っています。皿、鉢、湯飲み、飯茶碗。

HPに出しますので見てください。良かったら買ってください。

「都ぶり」という言葉を使って乾山陶器に迫っていこうと思います。元禄時代の都の、今で云う空気感がどの様であったか?チーム乾山が技術を駆使して新しい表現に挑戦していった作品が、いかに都の人々の美意識を駆り立ってていったか、今に通じる面白さが十分に汲みとれるのですが。

HPの変更に大忙し

ホームページを大きく変更しようと思います。ヘッダーを夏らしく明るい写真で編集してみました。各項目に多くの写真を掲載し、より親しみやすく、仕事場を身近に感じてもらおうと思っています。

 工房に立ち寄りやすい環境を作っていきます。直に水間焼を手にして頂きたいので、またそこからきっと新たな発見が生まれると確信いたします。

 今回はそんな思いも込めて従来とは一変して、作り手の顔が見えると同時に作り手の思いまで感じられるHPを作ってまいります。

どうぞ、よろしくお願い致します。

HPの変更に大忙し

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暑中お見舞い申し上げます

 お盆ですが、暑い日がいぜんと続いていますね。しかしここ山の自然は確実に秋を迎えようとしています。蝉の声もクマゼミに混じってミンミンゼミの声が聞こえて来ました。朝夕の風に秋の気配を感じています。と言ってもこの残暑は中々厳しいものが有ります。
 
 工房では一応お盆休みにしていますが、昨年失敗に終わった玄猪香合を作っています。昨年の経験から土を変えてみましたが、今の段階では順調に進んでいます。昨年は8分乾きであと少しという段階から底切れして悉く無念を感じました。どれだけ作ったでしょうか。呆れるくらいです。

 HPに色々手を加えています。もっと伏原窯の情報を載せたいと思っています。

8月3日に珍しいお客さんが来て下さいました。歌手でもありこの頃はNHKの朝ドラに名わき役で出てられる佐川満男さんが私たちの友人とともに焼き肉パーティーに参加されました。なかなかの紳士で家族のみんなも感心していました。お土産に最近出版された画集をくださいました。テレビの番組で旅をされそこで絵っを描くということで、なかなか細かい構図に感心し、こころ細やかさに惹かれました。 


佐川満男画集

暑中お見舞い申し上げます

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2008年6月の焼き上げ作品

初夏の色と言えば、なんと言っても青でしょう。古来日本でいう青は今でいう緑になりますが、ここでも青もみじといい、緑を使っています。

京都八瀬の比叡山登り口近辺はこんもりと高野川を覆うようにもみじの木々が生い茂っています。

7月、蝉しぐれの中、鮎の釣り人がもみじの木漏れ日にすっかり青く染まる風景を思いおこしました。

色絵青もみじ紋鉢

色絵青もみじ紋鉢1

ようびさんの6月の予約販売の作品です。二年程前からの作品ですので、この季節定番になってきました。

ごま豆腐が入って大変おいしそうに盛って頂いたそうです。

京焼き杜若四方

京焼き杜若四方小皿1

六月の季節に合う四方小皿、杜若紋が焼き上がりました。大胆に杜若を描き込んでみました。四寸に満たない小皿に空間を大きくとり梅雨の空を写しとりました。燕が飛んでいるのが見えるでしょうか?

二〇枚焼きあげる事が出来ました。昨年から多くの杜若を題材に作品にしてきました。シリーズ四方皿にも一点付け加えることが出来ました。

京焼き芙蓉四方小皿2

京焼き扶養紋四方皿

季節は進みます。
瓢箪とかぶるかも知れませんが芙蓉を描いてみました。
まだ夏の日差しの残る中、どこからかふっと吹く風に秋を感じた時芙蓉がふわふわと揺れている情景に季節が変わったことを感じ、夏が過去に変わった寂しさを覚えたことがありました。

瓢箪、おもだか、から始まった四方小皿の季節シリーズはこれで菊、椿、桜、藤、杜若、芙蓉と八枚が揃って来ました。一二枚まで揃えたいと思っています。さて、何を描きましょうか。アイデアを募集いたします。(笑)