日本古来の曲線は

こんばんは。寒気も一段落したようで、今日は暖かな日和を頂きました。今年に入って朝、実家に通っています。両親の朝食のお手伝いに行きます。歳をとると朝の一日の立ち上がりが大事になってくるので、一日のリズムをとりに出かけて行きます。今日は昨日からの窯焚きを挿んでいるので、温度の計算をしながらバーナーのメモリの調整をしながら出かけてみました。3時間位の調整がどの様になるか、テストをしたいと思います。

11時半に帰って来ることが出来たので、いつもより一時間くらい温度を延ばした状態です。思ったより温度が上がっていたので窯圧が掛かったので少し還元状態になっていたのに驚きました。すぐにダンパー調節をして窯圧を下げ酸化に戻しました。温度が1000度位だったので素地に影響は出なかったようです。今後の課題の一つでしょう。ダンパーを開き気味にしておいた方が無難です。

4時に窯は無事終了いたしました。焼き上げには影響が出ていない様です。炉内から出すテストピースはいつもの様に焼けていました。一安心です。

とくさ飯椀その後土練りをし、「京焼十草紋飯茶碗」を水挽きしました。華奢なご飯茶碗に呉須と鉄で十草を描きます。細かな線が活きるように、腰に少し膨らみを持たせながら口元まで続く優しいカーブがこの茶碗の命です。このラインは日本特有の世界だと思っています。古くは弥生の木器、漆が施された器がありますが、それはやはりこのラインなんですね。仁清のお茶碗は腰に特徴があると云われていますが、やはり同じこのカーブなのですね。

一昨年の秋にデビュウしたお茶碗ですが、なかなか好評なのでしょうね、この注文が三度目になります。有難いことです。決して買いやすいお値段ではないのですが色んな方が愛用されていることは本当に励みになります。ようびの定番の飯茶碗になっています。

私にとってご飯茶碗は器の中でも一番難しいものと思っています。オリジナリティがあり、それでいてそれが邪魔にならない優しく飽きのこないお茶碗、となると中々難しいものです。心を込めふっくらとした愛らしい茶碗を作ります。

日本古来の曲線は

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火の神様

こんばんは。昨夜はこの付近も雪が一気に降ってきて、あっと言う間に一面銀世界になってしまいなした。子供たちが明日の出勤で今のうちに車をどうにかしなければどうしても遅刻する訳にはいかないとかで、挙句にホテルに泊まるなんて話も出てきました。それほど瞬く間にずんずん積もったので、みんなも驚いたのでしょう。私の経験則からそんなに思うほど積もらないし、朝の道も凍るところまでいかないから大丈夫と思っていたのですが、案の定雪は小康状態になり、雨交じりで霙(みぞれ)となって、子供たちの心配も一段落致しました。しかし今日は冷蔵庫に居るようで、冷えは相当きついです。朝町に出てみると、嘘のように日が射してポカポカ陽気になっていました。別世界です。

釉掛け  工房は昨日焼き終えた素焼きを出し、釉薬掛けをしました。すたっふMさんもお手伝いに来てくれて、スムーズに窯詰めまで終えることが出来ました。明日は陶芸クラブの指導日なので、今夜は焼くのを止め、明日の夜に火を入れることにしました。今年の初窯になります。お神酒、榊をお供えして、今年の安全をお祈りいたします。

火の神様は静岡県の袋井、掛川の秋葉神社が有名で、私が弟子に入った森山焼のそばにありました。森山の窯場には秋葉神社のお札が貼られていました。東京の秋葉原はこの神社を拝む所だったと聞きましたが。江戸からこの神社の方角に向って礼拝したそうです。今はすっかりそんな事とは関係ない所になっていますが。昔はおくどさんで煮炊きをしたので、火の神様が身近に感じられていたのでしょう。京都はこうじんさん。また八坂神社のおけら参り。大晦日この火を持って帰って竈(へっついさん)に火を入れる、なんて今ではどう考えても想像できないでしょうが。私の幼い頃はまだまだ竈で煮炊きをしていましたので、案外町暮らしですがその様だったんです。

陶芸は火の芸術といわれるように、火は切っても切れない創造原子の一つです。これからはCO2削減とかなんとかで、窯焚きにも税金が課せられる様になるでしょうね。大きな窯ではますます焚けなくなってきます。電気窯ならCO2が出ないからいいのかも知れないですがねえ。想像が付きませんが、ますます火から遠い生活になってくるのでしょうね。火を囲む家族の姿は遠い過去で、全てはスイッチポンで温めることも焼くこともできる世の中です。余談ですが、「面白い」という語源は囲炉裏に家族が寄って色々なお話をしている様子から来たと聞きました。囲炉裏の火が顔を照らす姿が語源と聞きました。すっかり都会から闇もなくなりました、またそれと同時に火も生活から消えてしまうのかもしれませんね。陶器が人の暮らしに温かかさを感じさせるのは、きっと窯の火の余熱が残っているのかも知れませんね。

火の神様

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「色絵梅紋輪花向付」の削り仕上げ

こんにちは。昨日は一段と寒さが厳しく、風が身を切る冷たさで、朝は底冷えしていました。そんな中での成人式でしたが、着物姿の新成人が、明るいかわいい笑顔ですれ違って行きました。我々の時代とはすっかり様変わりした成人式です。幼いというか、意識の違いなのでしょうか、否もしかすると「大人」がいない日本になってしまったのかも知れませんね。「甘えの構造」なんていう本がありましたが、マッカーサーは当時の日本人を12歳と表現していましたが。翻って自分の中に「大人」が存在しているか疑問な所です。

京焼 紅白梅文鉢の削り 工房は午後から「色絵梅紋輪花向付」の削り仕上げをしました。今日のノルマは土曜日の残り全部を仕上げることです。7時に削り完了致しました。明日から輪花を取っていきます。口に墨で印を入れ、カンナで一つずつ輪花を取っていきます。輪花を取るとどうしても口元が堅苦しくなるのですが、絵が紅白の梅で日本情緒の強い器なので、柔らかな口元になるよう工夫しなければなりません。均一な輪花ではなく、梅の花びらに合わせた変形輪花になっています。そこが中国の器と違った趣のある輪花となっています。

一つずつの動作にきめ細かな心使いが要求されています。またその様な細やかなところを使う側に悟られぬように、何気なく軽いタッチでこなしたようにして置きたいものです。

大人の器、大人の行動、大人の気遣い、器作りはどこまでも自分を消していく作業です。その行きつくところ、最後に残る昇華されたものが「個性」と工芸では云われています。我が我が、僕が僕が、私が私が、いつからその様なものを野放しにして、甘えさせてきたのでしょうか。

「時代が変わる」ボブデュランじゃないが、100年に一度どころの騒ぎでない大変革の時代。今の若者たちが切り開いていかねばならない時代だということは、確実なことだということです。そう私も大いに参加して新しい時代にして行きましょう、と思いました。

大阪市立東洋陶磁器美術館「浜田庄司展」へ

こんばんは。夜からまた雨が降り出しました。北の方では大雪の様子ですが、ここも夜中には雪に変わるのでしょうか。といってもそれほどの冷えが来ていないのですが。どうでしょうか。天気予報はどうも大げさな感じです。

今日は陶芸クラブの初稽古です。昼の部、夜の部のみなさんも元気に出て来て下さいました。クラブの最後は恒例の茶話会で、お正月の皆さんの楽しいお話を伺います。まだ、正月気分の抜けない方の居られるようで、明日伏見稲荷にお参りに行くということです。京都はきっと大雪でたいへんやでえ、なんてからかわれていました。

浜田庄司ー大皿 今日から大阪市立東洋陶磁器美術館で「浜田庄司展」が有るということを言われました。日曜日にでも行ってみようとおっしゃる方がおられました。どうも新聞に紹介されていたようで、神戸のコレクターの作品80点を紹介するという企画の様です。関西は案外民芸ファンが多く残っていて、今でも人気が高いです。万博公園には民芸館もあり、アサヒビールの大山崎美術館には多くの浜田先生の作品が展示されています。神戸にも多くのコレクターが居られるようで、この展示会もその方面の方のようです。何と云っても、民芸運動の推進者で有名な人は大原さんでしょう。私はまだ行く機会がないのですが、「大原美術館」は民芸運動の核となった大きな存在でした。

そもそも民芸とはいかなる運動だったのでしょうか?柳宗悦の唱える「民衆の芸術」。所謂名もなき工人の日日の用に即した工芸を指して、その美しさを発掘とともに創造するという運動のように思います。ここで「工芸」と言う言葉が出てきますが、今では皆さんも共通概念がありますが、この言葉は柳先生や浜田先生が、昭和のはじめに「工人の芸術」という概念で作った言葉です。しかしかれこれ80年も経つのでしょうか。私が陶芸を始めた頃は、工芸はまだ一つランクの下の芸術とされていました。明治の頃はもっとひどくて、第二芸術なんて言われていたのですから、時代を感じます。工芸は工芸で、芸術なんてものではないという、何か面白い自負があって、用に徹していないものを横目で見ていた感がありました。今はそんなことも言っていられないような危機に面していますが。

もう一度「用」を考えてみたいといつも思っています。浜田先生の作品は大らかな轆轤味が魅力で、卓越した技術は、明晰な作品を生み出しました。先生の理性の大きさを感じます。世界に通じる共通の言葉で、作品を当時作ったことは、それも益子という田舎の焼き物を土台になし得たということは、多くの工芸を志す者に大きな希望を与えたことでしょう。世界のあらゆる焼き物を地元の材料で作り変えていく中で、工芸の可能性を大きく開いていかれたように思います。

陶房雑感

こんばんは。今日から寒さも平年並みになって来ました。ここ何日間暖かかったせいで、今日の工房は冷えが堪えます。新しいリズムでの生活が始まりました。朝、実家に顔を出し両親のご機嫌伺いして、二人朝食を済ませるのを見てから工房に戻って来ます。私もどこか安心するので、父も同じ思いなのでしょう、今日は朝食が進みました。11時に工房に帰ってこられるので、午前中は準備に回し、午後からしっかりと仕事に入れます。当分このペースでどの位出来るか試してみます。

今日は年末に出来なかった庭木の枝はらいをしました。仕事にかかる前は何か身体を動かすようにしています。溝掃除であったり、枝打ちであったり、また焚き木をして落ち葉の掃除であったり。要はどこかスッキリとなれば気分が高揚して、テンションが上がってくるのです。こういう仕事ならここは事欠かないので、長靴をはき一輪車を押し掃除をすることは、自分にとって精神衛生に最もいいのです。

水仙 お正月実家にいると身体が鈍るので、かなり距離を歩きました。しかしどうもいつのも様な高揚感がなく、心は晴れなかった。ただ身体がくたびれたという思いでした。やはり自然はすごいですねえ。工房の周辺を一時間も歩けば、心地よい疲労感と気持ちの開放感を得ることが出来ます。一日の仕事のイメージもすっかり出来上がり、どことなく確信に満ちた世界を味わうことが出来ます。自分にとって改めて環境の良さを思いました。

この様に環境が少し変わるだけ色々な事が発見されてきます。工房の自然が自分の身体とひとつになっていることを思います。庭にたくさんの水仙が咲いていました。隣に山茶花も咲き誇っています。侘び介が小さく白い花を付けています。春に備えてサクラソウの上に藁を敷きました。

心が喜んでいます。自然とひとつになった心があります。何処に境界が有るというのでしょうか。楽しい自由を感じるひと時です。

陶房雑感

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桂離宮と乾山考

こんばんは。今日は暖かな一日でした。一月五日は小寒で今日から寒の入りとなります。二十日が大寒で、二月四日の立春まで続きます。さて、今年の大阪方面は暖かな日が続いていますが、これからどの様になっていくのでしょう。

昨夜はNHK大河ドラマが大変な視聴率だったようで、私も実家で見てしまいました。上杉謙信の家臣の物語、天地人ですか。職業柄ついつい使われている焼きのもが目に入って、この時代にはこの焼き物はなかった、とか、この身分では使えないとか、要らぬところに目がいってしまいます。実は大河ドラマはさて置き、その後に放送された「桂離宮 知られざる月の館」のお話です。

桂離宮 桂離宮は誰もが知る日本文化の代表格です。庭園、お茶屋、書院からなるその全ては、月の桂と呼ばれ、月の名所であるここに最高の月を愛でるための装置を作った、とされています。柱一つ、襖のデザイン、違い棚の工夫、細かな細工の工芸品。庭に点在する置き石の数々。池に船を浮かべ歌を詠む。八条の宮家 智仁(とししと)親王(1579-1629)と続く智忠(としただ)親王(1619-62)が創設されました。御水尾上皇の桂御幸に際して各書院の増築が施され、現在の古書院、中書院、楽器の間、新御殿と雁行する書院群はこの時以来のものです。上皇の御幸に際しては特別な思いれが有ったように思われます。

智忠親王の回りには、当時京都の画師、工芸家、歌人など一流の文化人が集っていた様です。我々のよく知る、光悦、宗達もそのグループに属していた様です。

桂離宮は一言でいえば、王朝復古、王朝ルネサンスの結晶の様にも映るのです。当時武家社会が台頭し圧倒的な軍事支配のもと、京都の貴族社会は管理されていきました。二条城に軍事政権がおかれ、貴族の動向の管理がされて行きます。そんな中、自分たちこそが日本の文化の中心、伝統であるという、強い意志があったのだと思います。

桂離宮で使われた数々の優れたデザインは、いみじくも乾山陶器にも転用されたものが多くあります。市松紋様の襖は、乾山は四方深向こうにこの紋様を用いています。桐の型紙紋様もまたその一つで、離宮に本歌がある様に思いました。

どうも桂離宮は王朝ルネサンスの象徴的存在として、後の人たちに大きな意味を持たせた存在のように思えてきました。自分たちの帰る世界、また大きな自負と卓越した日本のデザイン性に、自分たちの進む方向性を感じていたのではなかと思われてきました。


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桂離宮と乾山考

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新春におもう

2009年新春は世界的にも大きな問題を抱えての出発になりました。今の金融危機をどの様に考えるのか、テレビでも色々な学者先生が出てこられ、喧喧諤諤と自節の理論を戦わせておられましたが。やはり何といっても、暴走した市場経済が人間性をかなり破壊したことは否めない事実です。しかしこのグローバル経済の扉を開けてしまったのですから、これもまた時代の趨勢なのだと思います。この危機から生み出された「20カ国経済会議」はこれからも大きな意味を持つことになると思います。これからは「一つの地球」という思考にどうしても行きつくのでしょう。言葉の概念だけはなく、実際の経済も政治もみんな含めて地球市民という意識がどうしても必要になってくるのでしょう。競争原理だけでは地球が持たない事を、私たちは21世紀この十年で学んだ結果だと思っています。人類に大きな地殻変動が起きたことは間違いない事実です。どうしても、日々の表面の出来事に一喜一憂してしまいがちですが、私は時代の画期を感じているのですが、どうでしょうか?人間復古、地球市民として生命に対する畏敬の念が、新しい世界を生みだすのでしょう。この意識を素早く実行に移せる人類こそが、次の世界のリーダーだと思います。

新春、私たちが創造する陶芸の根本理念を考えてみました。今年も宜しくお願い致します。


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新春におもう

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感謝のいちねん

こんばんは。今年も最後の一日となりました。やっと我れに帰り、ブログの原稿に向かっています。8月からこの様に原稿を書くようになって、この二時間が本当に有意義な時間となっているんだな、と思われます。反省多き一年ですが無事今年もここまでやってくることが出来ました。自他ともに、感謝申しあげます。やはりこの時期になると、自然と感謝の心が湧いてきます。良いも悪いも含めて、この一年を司ってくださった神々さまに感謝申し上げます。「良い悪い」を言っているのは私どもの判断する心であって、現象自体に善悪はないと思っています。今年の色々な出来事も振り返れば最後に感謝のところに落ち着いて来ます。

tokusamesi.jpg色んな事があって、たとえマイナスなことだらけでも、やはりこの一年を生きたということは誰もが尊い経験だと思います。作家の五木寛之さんが何年か前にラジオで、リスナーに相談をされていた話です。その若者の相談に「今の時代、ただ生きていくというだけで大変なことです。それ以上の事をされなくても、生きているというだけで十分意味があります。大丈夫です。」そんなお話だったと思います。深く聞きいっていました。

時代がいつの間にか人々の営みや、暮らしを切羽詰まったようにおとしめているように感じているのですが。そんな思いで何年も過ぎて行きましたが、とうとうやって来るものがやって来たと思います。いのちを真剣に見つめ、考えて次の来るべき時代を共に創造していきたいと思っています。本年も有難うございました。皆様のよきお年をお迎えくださる様、心からお祈り申し上げます。

感謝のいちねん

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河合寛次郎先生の詩 「仕事」

こんばんは。今年もいよいよ暮れて行きます。余すところ後二日。今日は午後から終い窯の窯出しでした。一時に皆さんが集まられ、作品を取り出しました。上々の焼き上がりで、笑顔を持って感謝されていました。これで今年の工房での仕事は、終わりました。本年も有難うございました。色々な宿題が有りますが、楽しみな仕事にして行きたいと思っています。仕事という言葉で、ふっと思い出したので、ここで紹介いたしましょう。

呉須辰砂丸文草花図角瓶 民芸運動の代表的作家、河合寛次郎先生の詩です。

仕事

仕事が仕事をしています  仕事は毎日元気です 
出来ないことのない仕事  どんな事でも仕事はします
いやな事でも選んでします 進む事しか知らない仕事
びっくりする程力出す    知らない事のない仕事
聞けば何でも教えます   頼めば何でもはたします
仕事の一番すきなのは   苦しむ事がすきなのだ
苦しい事は仕事にまかせ  さあさ吾等は楽しみましょう

またこんな詩も有ります。

美を追わない仕事 仕事の後から追って来る美

京都五条に居を構え、大きな登り窯でユニークな作品を数多く作られた先生は、多くの後継者に多大な影響を与えました。特に釉薬を自在に使って、今までにない傑作を多く生み出しました。

この詩は力強く、またどこかおおらかなユーモアに溢れています。この頃の世の中はちまちましたことが多く、些細な事で人生を棒に振るような出来事をよく耳に致します。魂にごつっと響くような、そんな仕事で有りたいと望みます。

河合寛次郎先生の詩 「仕事」

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忙中閑あり、今年を思う

色絵紅白梅4寸皿よりこんばんは。昨夜から続いていました窯焚きも無事午後5時に終了いたしました。これで今年の最後の窯で、明日は工房も御休みにして、29日月曜日に生徒さん達が午後から集まって、窯を出す予定です。年始に仕事が入って来たの、今日の内に片付け出来るところはサッサッと、体裁よくあまり深追いしない程度の片付けで今年は終わりにします。と言っても工房はかなり広いので、やり出したら恐ろしく手間が入ってしまいます。

明日は、夕方から年末恒例の「飲み会」です。一年に一度ジャズ好きが集まり、日々のあれこれを肴に、まあ、単なるオジサンたちの飲み会です。35年続いているのですから、私にとっては伝統行事の様なものです。集まる方々も60に手が届くようになって、昔の様な飲み方はできなくなりました。いたって健康を気にしながら、酒より食い気で時間を過ごしているという様になりなした。といっても皆さんなかなかのものですが。

今年はHPで明け、ブログで終わる。そんな一年でした。ウェブ上で私どもの名前が大きくアピールされてきました。品物をなんとかHPで売りたい一心で、今年はやって来ました。ここでの仕事を皆さんに知ってもらいたい、自分たちが作った焼き物を広く使ってもらいたいと願って始めたHPですが。全くの素人が何から手を付けていけばいいのかも分からないまま、コンサルタントもいれ、学校にも行き、プロの写真家にも作品を撮って頂きました。あれこれと、かなりの勉強はしてきました。仕事をしながらなので、時間配分がうまくいかなく、諦める訳にもいかず、今もそうですが、生活の時間割が全く変わってしまいました。しかし私は今の生活時間が案外面白がっています。ブログは何とか毎日更新していきたいと思っています。色々な方と触れ合うことは、大変興味があり、思わぬ情報が入って来て、世間の動向がより深く分かることも面白さの一つです。PCは少し遠ざかっていましたが、今は生活必需品になっています。文章を二時間考えることが毎日続いているのですから、きっと大きな変化がやってくると思っています。

本年も残りわずかですが、忙中閑あり。忙しさの中で見えてくる今年の自分があると思います。今日も片づけしながら、その様な事が思われました。

忙中閑あり、今年を思う

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2008年12月焼き上げ作品

2008年12月の焼き上げ作品

松紋盃 12月は工芸店様のお仕事をたくさんさせて頂きました。

写真ー右 色絵松紋盃
写真ー中 七五三飾文鉢
写真ー下 色絵丸紋猪口

この七五三飾りの鉢は昨年、特集で4寸皿に描きました。大変好評で完売致しました。ありがとうございました。 

「七五三飾文4寸皿」のページへ


七五三飾文鉢
丸紋猪口

2008年12月焼き上げ作品

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愛の星

こんばんは。イエス・キリストの誕生日と云われている聖なる日。皆様如何お過ごしでしょうか?以前は京都の修道院に足しげく通っていたので、この日はイブの日から泊まり掛けで、祈りに満ちた時間を頂いていました。聖歌を歌い、お説教を頂き、聖火点燈の儀式に参列して、クリスマスを迎えていました。旧約聖書にアシュアの木のお話がありますが、耐え忍ぶ教えが象徴として書かれていた様に思います。昨日もお話いたしました様に、時代は大きな転換期を迎えました。人類が進歩するにはどうしても通過しなければならない、痛み多い世界がこれから始まるでしょう。イエスが耐え忍んだように、私たちもこの産みの苦しみに耐え忍ぶ力を、クリスマスのこの日イエス・キリストにお祈りしなければならないでしょう。

地球は愛の星と云われています。愛を体験するために私たちはこの星に、自ら望んで生まれてきたと言われています。だから私たちには愛の結晶が心の中に埋め込まれているといわれています。

仏教に法華経という経典がありますが、この中に衣裏繋珠(えりけじゅ)の譬えがあります。仲のよい二人の友達がいました。一方の友達が彼の元を去って遠国に旅立つ際、彼は友達の衣の裏に、密に高価な宝石を縫い込んでおきました。こうしておけば友が愈々困った時に役に立つだろうと思ったのです。長い年月が過ぎ、乞食の様に落魄した友が故郷に帰って来ました。友達は、衣の裏に大変高価な宝が縫い込んであるとは露知りませんでした。そこで、彼はその友に「あなたは宝を持って乞食になり、諸国を流浪していたのです。」と教えて上げた。というお話です。

この譬えはイエスの聖霊を暗示しています。聖霊は愛と云われています。私たちはこのお話のように「愛の打ち出の小槌」を持って、人生の旅をしているのです。その気づきをクリスマスに発見する意味は深いと感じます。

人類はたった一つの言葉で繋がり、一体になることが出来ます。キリストの愛、聖も濁もない一つの愛。聖なる夜、静かな祈りの時間が過ぎて行きます。

愛の星

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寒波到来

今日は風が強くへんに暖かいですね、雨が来て寒くなるのでしょう。一昨日京都の窯業訓練生から、一度見せて下さいとの電話連絡がありました。工房で働かせてほしいということですが。夏の終わりごろにも京都のこれは専門学校の生徒さんですが工房に見学に来ましたが。このご時世思った就職は、普通の会社員でさえ難しくなりました。ましてこの業界は2000年以降景気のいい話を聞いたことが有りません。まあ、どこの窯業地も斜陽の傾向ですので、こんな僻地に尋ねに来るのでしょうが。

個人作家も淘汰の時代に入っています。少し前は食器を作っていれば何とか食べていたのでしょうが、食器も今年は大変な状況です。私どものお取引しているところは、高級食器の販売店ですが、ここでも淘汰が始まっていると感じています。小ロット、ハイクオリティー、ハイスピード。所謂完全に量産のものが無くなってしまったということです。だから工場は廃業していきます。若い人たちが働ける場所が無くなったということです。工芸の危機どころの話ではありません。やって行けないのですから、技術継承が途絶えてしまいます。

これはこの業界だけの話ではありません。世界、いや地球規模で大きな変革が起こっています。どう対処するか?なんてそんな次元の話ではない様です。

私は今までの枠組みが無くなってしまうので、ならとことん好きにさせてもらおうと思っています。古い既成概念ではやっていけないのですから、一つ自由になったと思っています。この時代をもしかしたら待ち望んでいたのかも知れない。そんな風に感じています。 どこか「希望」という言葉がこころの深いところから聞こえてくるのですが。

仕事を一つ一つ前に進めていきます。この仕事が面白いと感じる者は、自分のポジションで自分なりに一緒に歩いてくればいいではないかと思っています。弟子は取りませんがそんなものでしょう。教えて出来るというものでのありませんので。

寒波到来

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「ぶりぶり香合」原型制作

工房は雑用に追われて午後遅くから、続いています、「ぶりぶり香合」原型作りをしました。ほぼ完成に近づいているのですが、身と蓋の接合部分をこれから調整しながら、合わせていきます。まだ、少し時間が必要です。今回の原型作りで「ぶりぶり香合」は大体手の内に収まりそうです。前回(平成18年)は何が何だかまとまりの付かない状態で納品してしまいましたので、大きな宿題を頂いてしまいました。何がなんでも今年はスッキリと納めてしまいたいと思います。一つ一つ片付けて前に進めたいですね。


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乾山陶器の土テストを仕事の脇に置きながら、いつも眺めています。これもいつものことですが、ようやくイメージが固まりだしました。乾山の前に、むしろ仁清の「ひよどり香合」などに、この土は合うかも知れないなあ、と考えを振っています。与えられてくるものと、自分がイメージしているものとは若干ずれがあるものです。時間を掛け色々な角度からテストを繰り返しイメージを膨らませます。すると今まで合わないなあと思っていたものが、違う場面から妙にうまく合って来たりするものです。私は考え試して出てくる結果に、不必要というものが無いといつも思っています。ただ自分が未熟なだけで、それを読み切れなかったり、使う場所を間違っていたりするだけだと思っています。何年も掛けて作っていく仕事ですので、少しづつですが確実に形にして行くつもりです。

今年の仕事もその繰り返しでした。一滴一滴たまり醤油が濾過され溜まっていくように、私たちの仕事も目には見えない創造世界に蓄積されています。

「ぶりぶり香合」原型制作

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京焼概念

ぶりぶり香合の原型を仕上げようと一日掛けましたが、新し資料がでてきたので今作っている型の検証をしました。大体のラインは決まっているので、少し調整を加えてみます。

30年40年前の資料から、形状を割り出しましたが、今の写真は鮮明で綺麗なので、微妙なディティールもイメージし易く、これなら自分の形と本歌が一致し始めました。どうしても、初めに見たサンプルが、イメージに刷り込みされてしまうので、気を付けているつもりですが知らず知らずに形がずれてしまいます。今回はかなり経験を積んだので、素直な形がやっと出てきました。胸にストーンと落ちる形になるまで、どこか気分の悪いものです。もう少し時間を掛けて、狂いのない原型を作りたいと思って居ります。

一つ一つの形を攻め込んでいくと、仁清の息使いが知らず知らずにこちらのイメージに写ってきます。バイブレーションなのでしょうね。作品には波長、またバイブレーションがあって、それと共鳴し易い人や、そうでない人がいます。私はどちらかと云えば、今の仕事、「京焼」はとても共鳴し易いと感じています。乾山の仕事を見ていると大変近しいものを感じます。柔らかみのある、どちらかと云えば肉感的な線と感じられますが、と言って造形はしっかりと筋が通っています。しかしその芯の強さを全く感じさせない作品が多くあります。仁清の柔らかみある作品には、「理性」の抑揚の効いた轆轤、またそこをうまくデザイン化されたものが多くあります。

ぶりぶり香合もその代表的な作品でしょう。ややもすると、知性や理性というものは、作品に固さを伴うものですが、そこをいかに越えたか、いかに自然な抑揚を身に付けたか、興味のあるところです。

仁清の轆轤技を見ると、彼が誠心誠意努力し、この抑揚の効いたセンスあふれるラインを獲得した事がよく感じられます。私も若い時分は、到底この意味が理解されませんでしたが、この何年間京焼を写すことで、奥の深い世界を垣間見ることができるようになりました。もっと、この世界を味わっていきたいと思っています。


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京焼概念

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冬の暖かな満月の夜

きれいなお月さまが高々と昇って来ました。町暮らしでは到底経験することもないでしょうが、月明かりで、山道が皓々と照らされている風景は、鳥の声もない静かな、また不気味な不思議な世界が現れます。

工房はぶりぶり香合の原型作りですが、午後から金曜日ですので、陶芸クラブの指導に出かけました。来週で今年最後になるのですが、いつものことですが出席が少ない状態でした。また、7時から出かけます。


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冬の暖かな満月の夜

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乾山陶器の土見本

乾山陶器の土見本が焼けています。窯の根、中、天にそれぞれ見本を置いてみましたが、根の部分は酸化で焼けていますが、天のところはどうしても還元状態になります。赤土をブレンドすることで、どうしても還元が掛かりやすくなるのです。白い土だと還元が掛かっても、分かりにくいのでしょうが。この結果はもう少し考えなくてはならないでしょう。 やはり、窯を変えて焼いてみたいと思います。とりあえず形にしてみたいと思う土を決め、一窯当たりを付けた作品で一度焼いてみたいと思います。


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乾山陶器の土見本

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雅という符号

工房はぶりぶり香合の続きですが、昨日削り仕上げした物が乾いてきました。やはり歪みが出てきました。口の面がうまく合わないので、思案しています。一旦乾かしきってから修正をかけるのでしょうが、生の状態で身と蓋を合わせても、焼くとまた違った歪みが生じるでしょう。肉厚が問題になるのでしょうか。色んな角度から検討していかなくてはならない仕事です。じっくり腰を据えて研究いたします。

仁清 香合この様な小物でも、仁清陶器はどの様に作ったのだろうかと深く考えさせられる作品が多く有ります。一つの作品に仁清は一ひねりも二ひねりもしてくるので、単純にかかって行くと大きな落とし穴があります。これは古清水も言えることですし、乾山にも言えることです。他の窯業地にはあまり見られない独特の仕掛けが色々と施されています。やはり都の持つニュアンスの複雑さ、掛け言葉などで飛躍させるイメージなど、一筋縄ではない、手の込んだ仕掛けが散りばめられています。

京都の持つ独特の文化が仁清陶器に色濃く仕組まれていて、そこを読み解きながら進めていく仕事だと、痛感しています。奥が深いというのはそのことを全て含めて、理解が必要だと感じています。やっと、その入口の存在に気づいたという段階で、まだまだ鳥羽口にも立てていない状態を感じています。

しかし、一歩一歩ダビンチコードではないけれど京都という雅という暗号めいた世界を解き進んで行きたいと思います。

雅という符号

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乾山陶器、土のテストピース

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乾山陶器の土のテストピースを作りました。4種類赤土の割合を変えて作ってみました。今夜の窯に入れる予定です。

窯は、午後7時半に火が入りました。12時まで乾燥を兼ねたあぶり焼きをします。それ以降は睡眠を挿んで朝までに800度位に上げる予定です。

今夜はこの状態で少し休みます。

「ぶりぶり香合」の仕上げ

こんばんは。師走は駆け足で過ぎて行きます。うかうかしていると早4日、窯の準備に追われ出しました。今日は箸置きが乾いたので、歪みを修正するのにサンドペーパーを掛けてガタつきを直しました。思ったより歪みが少なく、修正も少なくて済みました。来客があり予定の時間が大きく狂い、4時半に素焼きが入りました。10時前に上がる予定です。


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ぶりぶり香合の仕上げに掛かりました。前回の経験から学ぶところが多く、また参考資料の見方も依然と比べて、仔細なところまで気が行くようになってきました。作り方もまた、土も前回と変えて作っていますが、この香合は難攻します。非常に難度が高いものです。

仁清の写しですが、非常に奥が深く手の込んだ作品です。仁清の写しをしてみるとよく分かるのですが、実に写実的で造形に隙がなく、緻密でありそれでいて独特の「軽み」がある。天才と一言でいえば済むのでしょうが、真剣に写して初めて分かる、作品に対する凄味を感じてきます。それでいて、どの作品も「はんなり」とした柔らかさがあります。

今回はその領域に一歩でも踏み込みたいと願って挑戦しています。

「ぶりぶり香合」の仕上げ

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原点回帰

独立して初めに作った窯は、壁の厚みが25センチもある、それもSK34番の耐火煉瓦で、30時間位掛けて焼く体力勝負の窯でした。この窯で実にすばらしい釉調の作品を多く焼くことが出来ました。また窯が冷めるには、まるまる2日以上かかり、徐冷がしっかり効いて釉薬が自然と柚子肌になってくれました。特に素地がしっかり焼けてくれるので、昔ながらの焼き物本来の焼きが実現されました。この窯の灯油の量はドラム缶一本でした。それでもすべてが焼き上がることはなく、温度差は軽く100度位出来ました。その温度に合わせるため、土を何種類も変え、またその土に合った釉薬も多く調合し色々な焼き物が一つの窯で焼けるということになりました。

しかしこの窯のおかげで多くの事が学べました。今の時代では出来ない素晴らしい作品を、若い年齢にも関わらず作ることが出来たことは今の自信に繋がっています。

ookama.jpg 振り返れば今までに色々な窯を焼いて来ました。鉄砲窯、登り窯、瓦斯窯、電気窯、灯油窯、穴窯、等々。色々な窯で色々な火を体験してきました。そこで数々の作品を見て来ました。その経験が今生かされています。一目見ればどの様な土でどのように焼いたか、かなり誤差がないくらい分かる様になりました。

この様な経験から、乾山を作るにはどうしても窯を変える必要が出てきました。それでないとスッキリした筋道が立たないように思うからです。なんと焼き物って複雑なのでしょうか。世間に広く出回っている物に、筋道が違うまま色々な写しといって焼いている物が多くあります。故にこれが乾山(?)が横行するのでしょうが。どうしても私は譲れないところです。

この様な事を考えていると、面白いことに自分が原点へ戻って行く様に思えるのですが。

原点回帰

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窯の中の風景

これから寒くなってくると窯場はほっこりと暖かくて気持ちが良いですね。今回の窯はいつもより時間が掛かってしまいました。原因は天井近くまで作品を置いた事にあると思います。私たちが今使っている窯の形式はシャットル式と云って、いったん火を立ち上げ天井に添わせてから根(窯の底面)に開けてある引き穴から煙突に火が抜けて行くように作られています。そこに天井近くまで作品を置くと火の回りが悪くなり温度が上がりにくくなります。由って燃料もずい分とかかり、効率が悪くなるということです。大きな窯でも小さな窯でも原理は同じことなので基本は外してはいけませんね。


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私どもの窯は素地をたまご色にほんわかと焼くのが特徴です。薄い素地に色絵付けを施すので柔らかな色合いが好まれます。1230度付近になると窯から色見を取り出します。どの位焼けたかを見るためです。色見は全部で4個入れて置きます。1200度で一度出し、また機会を見ながら何回かに分けて見るようにしています。

想定した温度が来ると今度は「ねらし」といって窯の温度をならす様な焚き方に変えます。窯は上と下、奥と手前で温度が違います。そこでねらしという焚き方をして全体を包むように温度を揃えます。天と根の温度が揃いだすとねらしが完了し、そこで火を止めます。 窯の中はいつ見ても神秘的です。火を止め、中を見るとそこは1200度の高温の世界です。ここは神々しいまでに静寂の光に包まれています。釉薬の表面が波ひとつない湖面の様に平らかで、太陽の輝きを受けたように光に照り映えています。作品はまるで地球を超え太陽の世界に行った様にも思えて来ます。窯が冷え作品を出す頃になると、作品達が異次元から戻って来たという思いになるのです。陶芸ならではの感触ですね。 一つ一つ積み上げ作ったものを宇宙に捧げ、審判を仰ぐという感覚です。大変精神性が問われる世界だと思っています。一点の曇りもないどこまでも澄んだ透明な世界の表現は、今のこの世には奇跡の様に思われます。しかし芸術というものがあるのなら、そこに身を呈してこそ初めて表現が許される世界だと思っています。

窯の中の風景

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仁清と乾山

仁清茶壷 乾山はあまり雑器を作った形跡はありませんが、それはなんせ莫大な財産を受け継いだのですからその必要性がなかったのでしょう、仁清は色々と雑器を作っています。後世に残る茶壺や茶入れ、抹茶碗に香合、水差しなどは公家、大名、寺社からの注文品で、普段は雑器に属するような器を作っていたと思われます。

仁清にしてもまた乾山にしても一人では到底窯の維持はできなかったので使用人を何名か使っていました。仁清はもともと轆轤の達者な方で、茶入れなどを見ると実に柔らかなまた美しい独特の優美なラインで作られています。京の雅さが十分伝わる傑作も多くあります。

一昨年京都国立博物館で開催された「京焼展」には仁清をはじめ、乾山、粟田焼等の古清水、近世の名工、木米、頴川、仁阿彌、永楽等々が出展されて大変見ごたえのある、面白い展示会でした。その中でも一番広く展示コーナーを設けて仁清の多くの有名かつ国宝の品々が展示されていました。

これは私の見解ですので根拠のある話では今のところないのですが、敢えて言うと仁清作とされているものの中にはすべてとは言わないまでも、例えば茶壺、また小物の香合などは専門に作る窯があって仁清はそこに注文をしていたのではないだろうか、と思うのです。確かに茶入れ、抹茶碗、香炉などは仁清自らの轆轤とみられるものが多いのですが、どうも総合的に考えても一人の手に負える様な作品の数と質ではないように思います。

仁和寺の金森宗和との関係も、全て仁清が手掛けたというよりも、近在の窯屋に得意な物を振り分けていたのではないかと私は思っています。
いわば総合プロデュース的な存在も兼ねていたと考えると、あの質と量が納得できるのですが。

そういう目で先の展覧会を見てみると新しい仁清像が浮かび上がって来ました。そしてその後の京焼きの基礎も仁清の当時のプロデュースでかなり出来上がっていたのではないでしょうか。古清水と称される多くの窯もその範疇の外に出ることはなかったように思われます。

仁清を深く味わっていく中で多くの発見が生まれてきました。機会をみて、魯山人の仁清を見ていた眼についても考えてみたいと思います。

オーダー「蛸唐草湯呑」、焼き上がりました。

蛸唐草湯呑こんばんは。工房は昨日の窯が午後4時の段階で160度まで温度が
落ちていたので窯出しをすることにしました。
1300度まで今回は温度を上げました。窯の上から下まで思った様に
きれいに焼き上がっていました。
蛸唐草のお湯呑みです。スッキリと難なく焼き上がっています。 

巨匠 乾山

巨匠乾山について自分なりの考えや創作側の思いなどを書いてみたいと思います。昨日も出てきましたが、京焼の元祖的存在に野々村仁清が居ます。御室仁和寺の庇護の元、御庭焼として金森宗和の指導の元、唐物でも高麗物でもない、それまでになかった純日本趣味の陶器を創造しました。技法は多種に及んでいて、その一つひとつの作品は完成度が高く、優雅で緻密、雅の趣が存分に表現されています。また陶器に上絵を施したのは日本では仁清が初めてでしょう。中国には磁州窯系の宋赤絵、ベトナムの安南赤絵などがありますが五色を使い日本の色絵陶器を完成させたのは仁清が初めてでしょう。

緒方乾山

鳴滝泉谷で窯開きをしますが、そこは都の北西(乾の方角)に位置ところから窯名を乾山としました。乾山陶器は窯の移動もあって、大きく三期に分けられます。ひとつは鳴滝泉山の開窯期、元禄12年(1699)37歳より、13年間これを鳴滝時代と呼ばれています。正徳2年(1712)50歳で二条通寺町西入丁字屋町に移ります。この時代を二条乾山といいます。晩年、乾山は江戸に移り住みます。その理由は定かではないが、二条家とも非常に近い上野寛永寺輪王寺宮であった公寛法親王(こうかんほっしんのう)に随って、下向したのではないかとするせつが有力です。この時代、江戸入江に住み御用品を焼いたとされ、これを入江乾山といいます。

時代によって大きく陶器の趣が異なってきますが一貫して乾山陶器の特色は、今までにない文人趣味の、また非常に優れた才能あふれる日本文学の教養が結晶した得意稀な作品だということです。二条に移り乾山は当時流行していた懐石の器を斬新なデザインで創造していきますが、今の私共には到底計り知れない教養に裏打ちされてのデザインだと感じられます。

巨匠乾山翁をこれからも考えて参ります。

巨匠 乾山

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磁器-窯たき

蛸唐草下絵

実りの秋、山の木の実が色づきだしました。銀杏はいち早く落葉し出しています。山々はこれから美しさを増していきます。  

工房は昨夜から窯を焚いています。磁器の窯なので1300度近くまで温度を上げていきます。久しぶりの還元焼成で午後3時40分に窯が終了しました。

 

写真は、今窯に入っております、オーダーメイド「蛸唐草のお湯のみ」です。

磁器-窯たき

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祥瑞(しょんずい)

室町から江戸期、古く茶人の間では染付の作を古染付、呉洲、祥瑞などと唐物(当時の中国を日本ではそう呼称していました。)の染付磁器を総称してその様に呼んでいたそうです。祥瑞がいつ何処で作られていたかは、はなはだ推理の中ですが明末崇禎の頃(1628-44)、所は景徳鎮とされています。意匠があまりにも日本人好みなこともあり日本からの注文産だとされています。では誰が注文したのでしょう。ずばり小森遠州かそれらに近い筋のものとされています。ところで祥瑞の名前の由来は器の底に「五良大甫 呉祥瑞造」の銘があるのっで、そこから由来しているということです。色々な見解がありますが概ね上記の説に落ち着いているということです。形は茶碗(沓型、筒型、胴〆、洲浜等)、茶入れ、香炉、香合、火入れ、巾筒、等茶器の他にも鉢などの食器があります。

渦祥瑞鉢

祥瑞(しょんずい)

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秋の好日

美男鬘菊薫る秋にふさわしい好日が続きそうな三連休です。文化の日を迎え各地で催しものが行われています。ここ貝塚も市民文化祭が市民ホール・コスモスシアターで行われています。わが陶芸クラブの諸子方の作品も出品しています。お近くにお寄りの際は見て上げてください。

工房は毬紋の5寸皿の水挽きに戻っています。丁寧に時間をかけて轆轤をしています。こんな天気の日は時間の流れがまったりとして、気分が集中でき、いい轆轤挽きができます。一年にこんな感じの日は数える程度です。こころも身体も自然とひとつになって、時間の流れを楽しんでいる状態は心地いいものです。そこはかと日本文化を感じ入る季節です。

秋の日差しはすべてを黄金色に染めています。先日化粧掛けした作品を天日干します。なんと長閑な光景でしょうか。陶芸の持つ力だと思います。


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この様な風景がいつまでも続く世で有りたいと願っています。一日一日の心をこめ作品にして行く幸せを感じるひと時です。
窯業地に行くと工場から多くの製品が天日干しに出されている光景に出会います。秋の日差しをいっぱい受け静かに乾いていく様は何とも微笑ましい心が癒されて参ります。乾いた作品を手に取ってみると、ほのぼのと暖かな温もりを感じます。作品におひさまの愛情がしみ込んでいます。一つの作品が出来るまでは長い時間手塩にかけ、多くの愛情が盛り込まれています。手にとってそのきめ細かな愛情が伝わる器でありたいと願っております。

秋の好日

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登り窯と乾山

日本で本格的に食器を個人作家として作ったのは、乾山でしょう。もちろん瀬戸や唐津の窯業地では多くの食器を作っていました。が、懐石料理の器をデザインから製造したとなると、乾山が初めてでしょう。

 


乾山蓋物

日本で陶器の食器が一般的に使われ出したのは窯の大きな変革があったからです。織部という焼き物がありますが、カラフルで多くの技法が盛りもまれ、懐石や茶事によく使われています。この焼き物は今までの穴窯から登り窯に代ってできた焼き物です。登り窯は九州唐津あたりで発明された日本独特の窯です。この窯は大変熱効率が高く、また大量に焼くことが出来きます。それまでは山の斜面を掘って階段状に傾斜を付け蒲鉾の形に屋根を土で覆って窯を作っていました。半地下式穴窯などと云いますが、通称「蛇窯」などとも呼ばれています。それが全室を地上に上げ各部屋を独立させ、サマと言う連結坑で繋いだ窯が発明されました。それが皆さんのいう「登り窯」です。 この窯が出来て初めて大量にまた安価に焼き物が出来るようになりました。九州から瀬戸に伝搬され、各地方で特色のある焼き物が大量に作られ、出回りだしました。江戸では瀬戸物、また京都、大阪では唐津物といわれ雑器の代名詞のようにもなりました。 この窯が仁清によって瀬戸赤津から京都にもたらされました。仁清の陶技を継いだ乾山もまた鳴滝泉谷山にコンパクトな登り窯をつくり、多くの美しい焼き物を作りだしました。

登り窯と乾山

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