こんばんは。冷たい雨が降り出しました。夕方から冷え込みが厳しくなって来ました。今日は仕事をしようとしてもさせてもらえない一日でした。雑用に追われ書類探しに時間が割かれ、両親の介護の連絡やヤフーショッピングの決済の解約のトラブルで何とも悔しい時間が過ぎてしました。
仕事が出来る時間を確保するのに大変苦労するようになりました。以前にも増して時間が貴重に感じています。やることが多くなって来たのでしょう。なかなか焼き物だけ作っていればやっていけるなんて、そんな夢のような時代もありましたね、って云う思いです。
やらなければならない事が絞られてくるのでしょう。一日の中で色々な違った場面で自分が必要とされているのでしょう。「切り替え」が大事になっているんだなあ、と思います。
それで90分の集中というスケジュールを組む事にしました。人が集中出来るのが90分ということなので、その様な時間割りで場面を作ることにしました。それでその時間はしっかり全力で対応しよう、それが終わったら引きずらないで気持ちを別に向けようとしています。気持ちをリズム良く切り替えることで心もリフレッシュします。終わったら「忘れる」ことですね。一つ一つをパッパっと切ることが肝心なのだと思います。自分のやれる事をやれば後は天に任せる。その様に考えるようになり、忘れる事の大事さを思っています。
「時間」という概念がこの何年かで大分変わってきたように思われます。数直線の様に捉えている人はかなり少なくなってきたのでは無いでしょうか。そのことから来る「死」という概念も以前と大分違って来ているように思うのです。過去、現在、未来という時間概念が古く感じられてきたのではないでしょうか。個という世界観も大きな変化がある様に思えるのですが。オバマ大統領が誕生しました。200万人の聴衆が世界から集まったといいます。世界経済の事が大きな焦点の様に云われていますが、もっと何か大きな地殻変動の様なものを感じるのですが。人類の転機、そんな予感がするのですが。彼のこれから行うことは、政治という枠では収まらないことの様に思います。
今までの概念が崩壊していく瞬間でもあり、新しい世界の曙の様にも思えたのですが。

その後土練りをし、「京焼十草紋飯茶碗」を水挽きしました。華奢なご飯茶碗に呉須と鉄で十草を描きます。細かな線が活きるように、腰に少し膨らみを持たせながら口元まで続く優しいカーブがこの茶碗の命です。このラインは日本特有の世界だと思っています。古くは弥生の木器、漆が施された器がありますが、それはやはりこのラインなんですね。仁清のお茶碗は腰に特徴があると云われていますが、やはり同じこのカーブなのですね。
工房は昨日焼き終えた素焼きを出し、釉薬掛けをしました。すたっふMさんもお手伝いに来てくれて、スムーズに窯詰めまで終えることが出来ました。明日は陶芸クラブの指導日なので、今夜は焼くのを止め、明日の夜に火を入れることにしました。今年の初窯になります。お神酒、榊をお供えして、今年の安全をお祈りいたします。
工房は午後から「色絵梅紋輪花向付」の削り仕上げをしました。今日のノルマは土曜日の残り全部を仕上げることです。7時に削り完了致しました。明日から輪花を取っていきます。口に墨で印を入れ、カンナで一つずつ輪花を取っていきます。輪花を取るとどうしても口元が堅苦しくなるのですが、絵が紅白の梅で日本情緒の強い器なので、柔らかな口元になるよう工夫しなければなりません。均一な輪花ではなく、梅の花びらに合わせた変形輪花になっています。そこが中国の器と違った趣のある輪花となっています。
今日から大阪市立東洋陶磁器美術館で「浜田庄司展」が有るということを言われました。日曜日にでも行ってみようとおっしゃる方がおられました。どうも新聞に紹介されていたようで、神戸のコレクターの作品80点を紹介するという企画の様です。関西は案外民芸ファンが多く残っていて、今でも人気が高いです。万博公園には民芸館もあり、アサヒビールの大山崎美術館には多くの浜田先生の作品が展示されています。神戸にも多くのコレクターが居られるようで、この展示会もその方面の方のようです。何と云っても、民芸運動の推進者で有名な人は大原さんでしょう。私はまだ行く機会がないのですが、「大原美術館」は民芸運動の核となった大きな存在でした。
お正月実家にいると身体が鈍るので、かなり距離を歩きました。しかしどうもいつのも様な高揚感がなく、心は晴れなかった。ただ身体がくたびれたという思いでした。やはり自然はすごいですねえ。工房の周辺を一時間も歩けば、心地よい疲労感と気持ちの開放感を得ることが出来ます。一日の仕事のイメージもすっかり出来上がり、どことなく確信に満ちた世界を味わうことが出来ます。自分にとって改めて環境の良さを思いました。
桂離宮は誰もが知る日本文化の代表格です。庭園、お茶屋、書院からなるその全ては、月の桂と呼ばれ、月の名所であるここに最高の月を愛でるための装置を作った、とされています。柱一つ、襖のデザイン、違い棚の工夫、細かな細工の工芸品。庭に点在する置き石の数々。池に船を浮かべ歌を詠む。八条の宮家 智仁(とししと)親王(1579-1629)と続く智忠(としただ)親王(1619-62)が創設されました。御水尾上皇の桂御幸に際して各書院の増築が施され、現在の古書院、中書院、楽器の間、新御殿と雁行する書院群はこの時以来のものです。上皇の御幸に際しては特別な思いれが有ったように思われます。

民芸運動の代表的作家、河合寛次郎先生の詩です。
こんばんは。昨夜から続いていました窯焚きも無事午後5時に終了いたしました。これで今年の最後の窯で、明日は工房も御休みにして、29日月曜日に生徒さん達が午後から集まって、窯を出す予定です。年始に仕事が入って来たの、今日の内に片付け出来るところはサッサッと、体裁よくあまり深追いしない程度の片付けで今年は終わりにします。と言っても工房はかなり広いので、やり出したら恐ろしく手間が入ってしまいます。
12月は工芸店様のお仕事をたくさんさせて頂きました。





この様な小物でも、仁清陶器はどの様に作ったのだろうかと深く考えさせられる作品が多く有ります。一つの作品に仁清は一ひねりも二ひねりもしてくるので、単純にかかって行くと大きな落とし穴があります。これは古清水も言えることですし、乾山にも言えることです。他の窯業地にはあまり見られない独特の仕掛けが色々と施されています。やはり都の持つニュアンスの複雑さ、掛け言葉などで飛躍させるイメージなど、一筋縄ではない、手の込んだ仕掛けが散りばめられています。

振り返れば今までに色々な窯を焼いて来ました。鉄砲窯、登り窯、瓦斯窯、電気窯、灯油窯、穴窯、等々。色々な窯で色々な火を体験してきました。そこで数々の作品を見て来ました。その経験が今生かされています。一目見ればどの様な土でどのように焼いたか、かなり誤差がないくらい分かる様になりました。



乾山はあまり雑器を作った形跡はありませんが、それはなんせ莫大な財産を受け継いだのですからその必要性がなかったのでしょう、仁清は色々と雑器を作っています。後世に残る茶壺や茶入れ、抹茶碗に香合、水差しなどは公家、大名、寺社からの注文品で、普段は雑器に属するような器を作っていたと思われます。
こんばんは。工房は昨日の窯が午後4時の段階で160度まで温度が




