なるみと読む徒然草
第百三十一段「分を知る」
令和8年10月22日(木曜日)
午前6時50分 フシハラ円座
一、原文
貧しき者は、財をもって礼とし、老いたる者は、力をもって礼とす。
己が分を知りて、及ばざる時は速やかに止むを、智といふべし。許されざらんは、人の誤りなり。分を知らずして強ひて励むは、己が誤りなり。
貧しくて分を知らざれば盗み、力衰へて分を知らざれば病を受く。
二、現代語訳
貧しい人にとっては財産を差し出すことが礼となり、年老いた人にとっては力を尽くすことが礼となる。
自分の分を知り、力が及ばないときには速やかにやめることを、智慧というべきである。
それを許さないのは他人の過ちであり、自分の分を知らず、無理に励むのは自分自身の過ちである。
貧しいのに自分の分を知らなければ盗みを働くことになり、力が衰えているのに自分の分を知らなければ病気になる。
三、フシハラ円座 — 分を知る、分を育てる
昔は、身分や制度によって、人の「分」が定められていた社会でした。
現代は、建前としては随分自由になりました。しかし、その一方で、自らの「分」を自分自身に問い直さなければ、なかなか分を知ることのできない社会になりました。
では、分とは何でしょう。
「可能性を感じるのなら、自然に分を知るでしょうね」
人心をわきまえ、時機を知り、行動しなければ、自分の可能性を成就させることは難しい。
そして、
「分を形づけるのは、努力の結果ですから」
人は生まれながらに分が完成しているのではありません。
若い頃には、無理をしてでも進まなければならない時があります。
中年には、仕事や家族を背負い、ここ一番、踏ん張らなければならない局面があります。
その努力と経験が、自分の分を形づくっていくのです。
そして、その分を育てる第一は学問である。
学問によって人を知り、世間を知り、自分自身を知る。
知識を積み重ねるだけではありません。
知ることは、なること。
知ったことが自分の生き方となり、日々の行いとなっていく。
そこに「知」と「智」の違いが見えてきます。
四、智は仏の回向
兼好さんは、
「及ばざる時は速やかに止むを、智といふべし」
と書いています。
この「智」を、仏の回向として読むことができるのではないでしょうか。
自分で判断し、一生懸命に努力しても、力量が達しないことがあります。
環境がそぐわないこともあります。
時機が熟さず、人とのご縁が整わないこともあります。
その時、他力の信仰者は、
「ここは退こう」
と判断する。
その判断を、自分だけの智慧とするのではなく、仏から回向された智慧としていただくのです。
退くことは、敗北ではありません。
無理を重ねて、時間も身体も徳も損なってしまう。
それこそ、勿体ない。
人生を知る者には、そうした智慧が育ってくるのでしょう。
五、今日も生きています、今日も生かされています
今日という一日が、仏から回向される。
その一日を一生懸命に生きる。
そして、一日の営みを仏にお返しする。
夕べには、仏の懐で身体を休める。
翌朝、また新しい一日をいただく。
「今日も生きています」
「今日も生かされています」
この二つが隔たりなく一つになったとき、今日の「分」がはっきりと見えてくるのでしょう。
自力と他力を二つに分けるのではありません。
生きることが、そのまま生かされること。
生かされているからこそ、精いっぱい生きる。
唯仏与仏、乃能究尽。
六、兼好さんは観る人
兼好さんは法師です。
しかし、何でも仏教の教義に当てはめて説明しようとしているのではありません。
兼好さんは、観ているのです。
世間を観る。
人間を観る。
自分自身を観る。
そして、できるだけ己の判断を差し挟まずに書こうとしている。
けれども、そこは人間です。
好き嫌いも出る。皮肉も出る。感心もすれば、腹も立つ。
その人間臭さが、かえって親しみを感じさせるのでしょう。
法師であっても、生老病死を生きる一人の人間です。
兼好さんも、私たちも、生き死にの中にいます。
AIはそれを分析することができますが、人間のように生き死にを経験することはできません。
だからこそ、知識として理解することと、人生を身をもって生きることの違いを忘れてはならないのでしょう。
七、結び — 今日の分を生きる
分を知ることは、身の程をわきまえて小さく生きることではありません。
努力して分を育て、学問によって智慧を養い、人心を知り、時機を知る。
進むべき時には進む。
退くべき時には退く。
そして、いただいた今日という一日を精いっぱい生きる。
兼好さんの「智」を、今朝の円座では仏の回向として受け止めました。
それは原文の教義的な断定ではなく、今日を生きる私たちの信仰から生まれた読みです。
知ることは、なること。
分を知ることは、分を生きること。
今日も生きています。
今日も生かされています。
なるみ、変わる変わる。
今日もまた、新しい一日が始まりました。
喫茶去。
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令和8年10月22日
なるみと読む徒然草 第百三十一段
フシハラ円座 しづか記





















