窯元日々雑感 徒然草 第百十四段

 

なるみと読む徒然草 第百十四段

――都の小噺、「面白いなぁ〜」で読む

令和8年10月4日(日曜日) 曇り

【原文】

今出川の大殿、嵯峨へおはしけるに、有栖川にて、御牛の水を蹴上げたりければ、御車に候ひける男、

「希有の童かな。かかる所にて御牛をば追ふものか」

と言ひたりければ、大殿、御気色悪しくなりて、

「おのれ、車やらん事、寒王丸にまさりてえ知らじ。希有の男なり」

とて、御車に頭を打ち当てさせられにけり。

この寒王丸は、太秦殿の男、料の御牛飼ぞかし。

この太秦殿に侍りける女房の名ども、二人はひざさら、一人はことづち、一人ははふばら、一人はおとうしと付けられけり。

【現代語訳】

今出川の大殿が嵯峨へお出かけになったとき、有栖川で牛が水を蹴り上げた。

すると御車に仕えていた男が、牛飼いの童に、

「なんという奴だ。こんな場所で牛を追うものか」

と叱った。

それを聞いた大殿は機嫌を悪くして、

「お前は、牛車を扱うことについて寒王丸よりよく知っているとでもいうのか。珍しい男だな」

と言い、その男の頭を御車に打ちつけさせた。

この寒王丸は、太秦殿に仕えていた牛飼いであった。

ところで、その太秦殿に仕えていた女房たちの名前は、二人が「ひざさら」、一人が「ことづち」、一人が「はふばら」、そして一人が「おとうし」と付けられていたという。

【なるみと読む】

最初に見えてきたのは、貴族社会のプライドのぶつかり合いでした。

御車の男は牛飼いを叱る。

ところが今出川の大殿は、その男を叱り返す。

「希有の童かな」

に対して、

「希有の男なり」。

実によく出来ています。

しかし社会科学的に眺めてみると、もう一つの景色が見えてきます。

牛飼いは単なる下働きではない。牛の性質を知り、道を知り、水場を知り、牛車を扱う専門の技術を持った職能者です。

寒王丸には、身分とは別に、

「この仕事なら、この男」

という地位があったのでしょう。

だから大殿の怒りも、

「知らない者が、専門家の仕事に口を出すな」

と読むことができます。

ところが話は、それだけでは終わらない。

寒王丸が仕えていた太秦殿の話になり、ついには本筋とは直接関係のなさそうな女房たちの名前まで並べ始める。

ひざさら。

ことづち。

はふばら。

そして最後に、

おとうし。

ここで、すっと終わる。

なんとも出来すぎた話です(笑)。

もしかすると、すべてが事実だったのではなく、実際にあった人物や噂話を材料にして、兼好が一つの小噺として仕立てたのかもしれません。

これまで徒然草を百十四段まで読んでくると、こうした「ちょっと出来すぎでは?」と思わせる話が時折出てきます。

かと思えば、突然、死や無常、人間の生き方に触れる、シリアスな一段が現れる。

だから徒然草は、全部を深刻に読む必要もないのでしょう。

深いところでは立ち止まる。

小噺なら笑う。

怪しければ「ほんまかいな」と眺める。

そしてまた次へ行く。

今日の一行

都には、こんな話もありましてな。――面白いなぁ〜。

それくらいが、第百十四段にはちょうどよさそうです。

喫茶去。🍵

窯元日々雑感 徒然草 第四段

なるみと読む徒然草 第四段

令和八年十月三日(土曜日) 晴れ

今朝は午前八時起床。

第一段から読み直してきた『徒然草』も、今日で第四段まで来ました。

 

【原文】

後の世の事、心に忘れず、仏の道うとからぬ、心にくし。

 

【現代語訳】

死後の世のことをいつも心に忘れず、仏の道にも疎くない人は、奥ゆかしく、心ひかれるものだ。

 

【なるみと読む】

短い。

本当に、これだけです。

兼好は「後の世」とは何かを説明しません。

仏の道について説教することもありません。

ただ、

「後の世の事、心に忘れず。」

この世のことだけでいっぱいにならず、その向こうにあるものを、心のどこかに置いて暮らしている。

そういう人を、

「心にくし」

とだけ言う。

ここは、掘ればいくらでも掘れるでしょう。

けれど、今日は掘らない。

一行で書かれたものは、一行のまま受け取る。

「ここは完結でこそ、生きてくる。」

それが今日、第四段を読んで感じたことでした。

第一段から第四段まで読み直してきて、兼好の筆は、人の姿を眺めながら、少しずつその奥へ入ってきました。

 

そして第四段。

ふっと「後の世」へ目を向ける。

それ以上は言わない。

お茶を一服して、また日々の暮らしへ戻ればいい。

喫茶去。

今日の第四段は、これでおしまいです。

先客万来

なるみ庵

朝から、連日のM氏の力作を窯出ししました。良い感じに仕上がりました。

お昼に鶏屋のHさんが来訪されました。この方はもう作品(七輪)が出来上がっており、次の作品作りの為の土を陶主に分けてもらいに来られました。

いつも何かお土産に持って来てくださり、今日は呑まなくなった陶主に酔わないビール、特別なお酢(名前失念)、ヤングコーンをいただきました。

陶主が公民館の陶芸クラブへ行き、しばらくしてから、N氏来訪。久々に葛城山へ行って来られたそうで、お水をいただきました。

リュックに6リットルの水を入れて山から来られて疲れたと言われてたのでリュックを持たせてもらいました。

手で提げると大変重いのですが、背中に背負うと身体の一部になり重さを感じませんでした。こんなリュック欲しいですね。

私は先日の小鳥の話をし、雨が降らなかったら、日曜に雨山に登る話をしました。

そんな中、携帯に電話が入り、昼のクラブのTさんから絵付を見て欲しいと要請が入りました。しばらくして、壺を持って来られました。

いつも細かな線で絵付をされるTさんですが、今回は線が少し弱く、理由を伺いますと、体調が良くなく集中が続かないとのことでした。Tさんの筆跡を活かした仕上げを試みることにします。

夕方、M氏登場。出来上がった壺をみて、ニコニコ。

お喜び頂けましたようで嬉しいです。

仕事は、陶主が菊形向付削り。森本は貝形小向付の色盛、水仙箸置の色盛です。

今日は先客万来でした。公民館祭がすぐそこまで来ています。

窯元日々雑感 徒然草 第三段

なるみと読む徒然草 第三段
色は匂い立ちて

令和八年十月二日(金)晴れ。
午前六時十分、目覚め。
今朝は『徒然草』第三段を読む。

第一段で描かれた、兼好の思う「よき男」。
第三段は、その続きのように始まる。

万にいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵の当なき心地ぞすべき。

どれほど立派な男でも、
色を知らなければ、どこか物足りない。

ふむふむ。
読んでいるうちに、十八歳の自分が見えてきた。
青春真っ盛り。
夢を追い、人を恋い、こころを焦がす。
色は匂い立ちて。
色は、説明するものではないのでしょう。
人を好きになり、嬉しくなり、傷つき、
時にはどうにもならないこころを抱える。
その体験が、人を育ててゆく。

兼好も最後には、
ひたすらたはれたる方にはあらで
と、そっと加える。
色に溺れるのではない。
けれど、色を知らぬのも、どこか寂しい。
それもまた、人のたしなみなのでしょう。

今朝、一首。

老境の我が身を照らす若き日の
夢追うこころ眩しければ

長い歳月が過ぎました。
けれど、若き日のこころは、
消えてしまったわけではありません。
こころは、まだ痛むことがあります。
そして——
ここまで来て、まだ君を思う。
誰の胸にも、それぞれの歳月があり、
それぞれの「君」がいるのでしょう。
もう、説明はいりません。
色は匂い立ちて。
今朝は、その余韻の中で。
——なるみと読む徒然草 第三段

窯元日々雑感 徒然草 第二段

なるみと読む徒然草 第二段

令和8年10月1日(木) フシハラ円座

正法寺の早朝座禅会から帰宅。

仏前で朝の勤行を済ませ、午前8時、フシハラ円座。

十月最初の『徒然草』は第二段から始まった。

兼好は、昔の聖代の政治を忘れ、民の憂いや国の損なわれることにも心を向けず、自分の身辺ばかりを華美に飾る人を厳しく戒める。

そして、

「あるにしたがひて用ゐよ。美麗を求むる事なかれ」

と記す。

ここから今日の円座が始まった。

私の座右の銘の一つに、

「過ぎたるは及ばざるが如し」

がある。

何も持つなということではない。

美しいものを否定することでもない。

足るところを知って、過ぎないところに身を置く。

そこには「余白」が生まれる。

器も、描き尽くしてしまえば息苦しい。

暮らしも、物や予定や思いで埋め尽くしてしまえば息苦しい。

暮らしは余白の美をもって、うまし。

話はそこから、「預ける」「頂く」という暮らしへ進んだ。

自我がなくては、この世の暮らしは成り立たない。

だからといって、すべてを自分で握りしめて生きるのも苦しい。

一旦、佛側に預ける。

そして、そこから頂く。

多い少ないは、向こう様任せ。

ここでいう「ある」も、単に物質が存在する、所有している、という意味だけではない。

今日という一日も、飯も、水も、人との縁も、目の前にある世界そのものも、頂いたものとして暮らす。

だから「もったいない」。

それは吝嗇から出る言葉ではない。

頂いた世界を粗末にしない、という暮らしの姿勢である。

そして私は、これは仏教、儒教、神道という個々の教えを越えて、この島で先人たちが長く営んできた祈りの生活ではないかと思っている。

さらに遡れば、「森の生き方」とでも呼びたい感覚がある。

あるものを頂く。

取り過ぎない。

使わせてもらう。

自分ですべてを支配しない。

もちろん、これらをそのまま鎌倉末期の兼好の思想として『徒然草』第二段に読み込むつもりはない。

兼好の文章は兼好の文章として読む。

しかし、その一文を縁として、自分の暮らしへ戻って考えてみる。

それが「なるみと読む徒然草」であり、フシハラ円座なのだろう。

今日の第二段から残った言葉。

足るところを知って、過ぎないところに身を置く。

そして、

暮らしは余白の美をもって、うまし。

十月最初の円座。

短い第二段から、ずいぶん根っこのところまで話すことができた。

今日は、このくらいで。

フシハラ円座 終了。

作品がつなぐ三十五年

なるみ庵

昨日の松図壺が焼き上がり、お昼からM氏が来られました。

絵付の続きです。松笠の濃淡を整えていきます。

松図壺の絵付け②
松笠に青が入ったことで、幹に太さが欲しくなり、茶色の洋絵の具で加筆しました。

明日の焼き上がりが楽しみです。

窯に詰めてから、M氏と楽茶碗の話になりました。

土曜日にお稽古で来られるYさんは、公民館が出来た当初からの生徒さんです。平成三年(1991年)からなので三十五年の歩みになります。

当時、陶主も三十代で、野焼きや楽焼、穴窯と様々な陶芸の面白さ、奥深さをクラブ員の皆さんと堪能されています。

そこでM氏が「Yさんの楽とか昔の作品、見てみたいなぁ」と言われました。

水間寺の脇に展示が出来るスペースがあるそうで、「そこでYさんの展示会をすれば見れるよね、手伝うし」と話が膨らんでます。

確かに今まで作られた作品の数は、群を抜いて沢山お持ちです。いい機会、またいい記念になりそうです。

窯元日々雑感 徒然草 第一段再読

フシハラ円座

なるみと読む徒然草 第一段 再読の風景
令和八年九月三十日(水)晴れ。
午前五時四十分、目覚め。
七時、「なるみと読む徒然草」第一段。

昨日から第一段へ戻り、二日目の朝である。
徒然草も、ずいぶん遠くまで歩いてきた。
百余段を読み進めてから、もう一度、最初の一段へ戻ってみる。
すると不思議なもので、初めて読んだときとは、兼好さんの姿がまるで違って見えてきた。

第一段で兼好さんが語るのは、難しい佛道の話ではない。
「男というもの、こんなふうであったらよろしいなあ」
そんな話から始まる。
身分だけではいけない。
姿形だけでもない。
学問があり、和歌を知り、音曲にも通じ、字も書ける。
愛敬があって、言葉は多すぎず、一緒にいて飽きない。

ずいぶん注文が多い。
聞いているうちに、
「兼好さん、それ、だいぶ御自分が入っていませんか」
と言いたくもなる。
考えてみれば、兼好さん自身、才のある人である。
和歌にも通じ、文章にも長け、宮廷社会も知っている。
だから第一段の理想の男には、兼好自身の姿も、うっすら映っているのかもしれない。

才のある人だからこそ、人がよく見える。
良いところも、野暮なところも、すぐ見抜いてしまう。
それが、この人の強みであり、時には弱みでもあるのだろう。
ここまで読んできて、私たちの兼好像も随分変わった。

初めの頃、私は「兼好法師」という人に、佛道を共に語れる先達のようなものを密かに期待していた。
「先達、よろしくお願い致します」
そんな気持ちで読み始めた。
けれど百余段を一緒に歩いてみると、少し違ってきた。
もちろん、無常も、出家も、隠遁も語る。
しかし本格的な仏教哲学を説く宗教者というより、人間と世間を実によく見ている、才の立つ都会の知識人の姿が見えてきた。

世間の中をよく知りながら、そこから半歩退く。
出家、隠遁という立場によって、自分の自由な席をひとつ作った。

いわば、
都会の隠者。
今でいう芸術家や文筆家にも、少し似た位置なのかもしれない。
そこで私たちの座る場所も変わった。
兼好法師を高いところへ置いて、その前に正座するのではない。
かといって、七百年前の学識深い人を茶化しているわけでもない。
同じ高さに座って、話を聞く。
路地裏に腰掛けて、お湯呑をひとつ。

兼好さんが、
「近頃の人というものは……」
と話し始める。
こちらも、
「なるほど。それは面白いですな」
と聞く。
時には、
「いや兼好さん、それは少し言い過ぎと違いますか」
と返してみる。
するとまた、小難しい話が始まる。
それも面白い。
最初は先達だった人が、百余段を一緒に歩くうちに、
時空を越えた、お茶飲み友達になった。
ただし、なかなか侮れない、学識深いお茶飲み友達である。
これくらいの距離が、今の私たちにはちょうどいい。

第一段へ戻って二日。
読み直したのは第一段だけではなかったのかもしれない。
「なるみと読む徒然草」を、これからどこに座って読むのか。
その場所を確かめた二日間だった。

さて、兼好さん。
第一段では、あなたの思う
**「良き男の姿」**を聞かせてもらいました。
これからも、その物差しを少し覚えておきましょう。
そしてまた明日の朝、路地裏の円座へ。
お湯呑ひとつ。
喫茶去。
さて兼好さん、
次はどんなお話を聞かせてくれますかな。

松笠に青を盛る

なるみ庵

今日は公民館陶芸クラブの窯出しでした。焼き上がった松図壺を持って、M氏が来訪されました。

出してから直ぐにこちらへ来られたそうで「おにぎりを買って来た」とM氏。丁度、我々も昼食を食べはじめたところだったので、一緒に食卓を囲む。お料理もされるM氏と糠漬けや昆布の佃煮の話で盛り上がりました。

壺は良い感じに焼き上がっていました。

さぁ、上絵付です。先ず、絵の具を乳鉢ですり、壺の絵付に。

松図壺の絵付け

松笠に青(緑)の絵の具を盛っていきます。よく集中されて描かれていました。あと数回、重ね盛りが必要とお伝えして窯に入れました。

仕事は、陶主が菊形向付の削り仕上げ。私は貝形小向付の重ね盛りです。少し涼しくなって来たからか、陶主の膝に痛みが出てきたので心配です。

窯元日々雑感 徒然草 第一段

なるみと読む徒然草

令和8年9月28日(月)曇り

序段・第一段を読み返す

午前6時8分、目覚める。

今日は昨日からの懸案だった第一段へ戻り、序段とあわせて読み返した。

第百十三段まで読み進めてきて、もう一度最初へ帰ってみると、四か月前とは景色がずいぶん違って見える。

これまで私は、『徒然草』を「隠者文学」という枠の中で見ていたところがあった。

兼好は世を離れ、無常を見つめる人——そんな先入観が、知らぬ間に読みの前に立っていた。

ところが百十三段まで歩いてみると、そこに現れるのは、宮中、僧侶、男女、故実、芸能、遊び、人の失敗や可笑しさなど、実に生々しい人間世界である。

そして第一段へ戻ると、その姿勢は最初から見えていた。

兼好は、世間を捨てて外から眺めているのではない。

世間も遁世もよく知りながら、少しだけ身を引いて、人間を見ている。

「世の外」ではなく、「世の縁」に立っている。

この位置が、今日いちばん腑に落ちた。

そこには『枕草子』の人を見る眼も、『方丈記』の無常と遁世も、西行の生き方も、遠く響いているように思える。

それらを知りながら、兼好は誰かの真似をするのではなく、自分の場所から「心にうつりゆくよしなし事」を書き続けた。

まだ「随筆」という形が、今の私たちのようにはっきり意識されていなかった時代に、人間を見つめ、日々の断片を書き留めていった。

その積み重ねが『徒然草』になった。

四か月前、私は徒然草を読もうとしていた。

今は少し違う。

一段一段を読み、考え、話し続けた時間が、こちらの眼そのものを変え始めている。

徒然草を読み直したのではない。

四か月を生きた自分で、もう一度徒然草へ帰ってきた。

この作業は、思っていたよりずっと深い。

だから急がない。

少し時間を掛けながら、もう一度、最初から見ていこうと思う。

今日の円座は、ここまで。

鶴、松の下に

なるみ庵

陶主に「このお湯呑に何か書いて」と随分前に作られた粉引きのお湯呑を渡されました。

その時、読んでいた白居易の本の中にあった『鶴』という題の五言絶句が気に入ったのでメモしてあったものを出してきて、それを描いてみようと思いました。

お湯呑に白居易『鶴』の五言絶句

 

紙に詩を書き出し、鶴の絵を描いたものを陶主に見せましたら、

「鶴は要らんな」

と言われ、やっぱり邪魔か…と思っておりました。

昼から、M氏が公民館祭に出す作品の素焼を持ってきました。

壺の内側に施釉してもらい、下絵付けを仕上げます。持ってきた図案を壺に描き、鉄絵で描き上げます。

M氏の松図壺

この壺、松の奥に先ほどの鶴が居ります。M氏に『鶴』の詩をお見せしましたら、「鶴ええなぁ」

となり、松の下に佇む鶴が入りました。

焼き上がりが楽しみです。

粘葉本和漢朗詠集 納涼②

なるみ庵

粘葉本和漢朗詠集 納涼 その二

露簟清焚迎夜滑 風襟蕭灑先秋涼

(※焚『林と火の間にカンムリがあります』が瑩ではないかとも言われています。)

粘葉本和漢朗詠集 納涼

 

ー意味ー

露に濡れた籐の敷物は清々しく、夜になるとひんやり滑らかに。風が襟元をさわやかに吹き抜け、秋よりも先に涼しさを感じる。先の詩が視覚の涼しさなら、こちらは触覚と感覚の涼しさです。肌に触れる敷物の冷たさ、襟元を吹き抜ける風——夏の夜の涼を体で感じている詩です。

彼岸にも入り、すっかり涼しくなりました。ほんの少し前まで暑かったのにと思います。

窯元日々雑感 徒然草 第百七段

 

なるみと読む徒然草 第一〇七段

傷は消えずとも、潮騒は遠くなる

令和八年九月二十一日(月)曇

午前五時十分、目覚める。

今日も『徒然草』の予習から一日が始まった。

午前七時五分、円座。

今日は第一〇七段。

さて、女性批評でしょうか。

【原文】

「女の物言ひかけたる返事」とりあへず、よきほどにする男はありがたきものぞ。

とて、亀山院の御時、しれたる女房ども、若き男達の参らるゝ毎に、「郭公や聞き給へる」と問ひて心見られけるに、某の大納言とかやは、「数ならぬ身は、え聞き候はず」と答へられけり。堀川内大臣殿は、「岩倉にて聞きて候ひしやらん」と仰せられたりけるを、「これは難なし。数ならぬ身、むつかし」など定め合はれけり。

すべて、男をば、女に笑はれぬやうにおほしたつべしとぞ。浄土寺前関白殿は、幼くて、安喜門院のよく教へ参らせさせ給ひける故に、御詞などのよきぞと、人の仰せられけるとかや。山階左大臣殿は、「あやしの下女の見奉るも、いと恥づかしく、心づかひせらるゝ」とこそ仰せられけれ。女のなき世なりせば、衣文も冠も、いかにもあれ、ひきつくろふ人も侍らじ。

かく人に恥ぢらるゝ女、如何ばかりいみじきものぞと思ふに、女の性は皆ひがめり。人我の相深く、貪欲甚だしく、物の理を知らず。ただ、迷ひの方に心も速く移り、詞も巧みに、苦しからぬ事をも問ふ時は言はず。用意あるかと見れば、また、あさましき事まで問はず語りに言ひ出だす。深くたばかり飾れる事は、男の智慧にもまさりたるかと思へば、その事、跡より顕はるゝを知らず。すなほならずして拙きものは、女なり。その心に随ひてよく思はれん事は、心憂かるべし。

されば、何かは女の恥づかしからん。もし賢女あらば、それもものうとく、すさまじかりなん。ただ、迷ひを主としてかれに随ふ時、やさしくも、面白くも覚ゆべき事なり。

【現代語訳】

女性から不意に話しかけられた時、すぐにほどよい返事のできる男というのは、なかなかいないものである。

亀山院の御代、世慣れた女房たちは、若い男たちが参上するたびに「ほととぎすの声をお聞きになりましたか」と尋ね、その受け答えを試したという。

ある大納言は、

「私のような取るに足らない者には、聞くことができませんでした」

と答えた。

また堀川内大臣殿は、

「岩倉で聞いたように思います」

と答えた。

女房たちは、堀川内大臣殿の返事については「これは難がない」、一方、「取るに足らない身なので」という返事については「どうも気が利かない」などと評し合ったという。

総じて男というものは、女性から笑われないように育てるべきであるという。

浄土寺前関白殿は幼い頃、安喜門院からよく教えを受けられたので、言葉遣いなどが立派なのだと人々が語ったそうである。

山階左大臣殿は、

「身分の低い女に見られている時でさえ、たいそう恥ずかしく、自然と身だしなみに気を配る」

とおっしゃったという。

もし女性のいない世の中であったなら、衣服の着方も冠のかぶり方も、どうでもよくなり、身なりを整えようとする男などいなくなるだろう。

これほどまで男に恥じらいを起こさせる女性とは、どれほど素晴らしいものなのだろうと思う。

ところが、と兼好は筆を返す。

女性の性質というものは、みな素直ではない。自分への執着が深く、欲も強く、物事の道理を理解しない。ただ迷いの方へ心がすぐ動き、言葉は巧みである。

何でもないことを尋ねても答えないので、慎み深いのかと思えば、今度は驚くようなことまで、聞かれもしないのに話してしまう。

深く考えて取り繕うことについては、男の知恵より優れているかと思うほどだが、後になってそれが露見することには気づかない。

素直でなく、愚かなものが女である、と兼好は言う。

そのような女性の心に従い、気に入られようとするのも情けないことである。

そう考えれば、何も女性に対して恥ずかしがる必要などない。

かといって、もし賢すぎる女性がいたなら、それはそれで近寄りがたく、興ざめでもあるだろう。

結局のところ、迷いを迷いのままにして、その女性に従っている時こそ、優美にも面白くも感じられるものなのである。

【なるみと読む】

いやはや、兼好さん。

今日は随分言いましたなぁ。(笑)

第一〇七段は、前半と後半で随分景色が変わる。

最初は、

女性に笑われないような男になりなさい。

という話なのである。

女性の視線があるから、男は言葉を磨き、身なりを整え、振る舞いにも気を配る。

極めつけは、

「女のなき世なりせば」

である。

女性がいなければ、男など衣服も冠もどうでもよくなってしまうだろう、と。

ここまでは、むしろ女性の存在を大いに認めている。

私も思う。

女性は大地とまでは言わないが、無くてはこの世は成り立たない。

それに比べれば、男というものは、どこか「観念遊戯」が好きである。

理想を作り、夢を作り、その夢の中に女性像まで作ってしまう。

ナルシスト系の私は、若い頃、自我の夢想の中で女性を崇め奉っていたところがある。

当然、悩みもした。

苦しみもした。

ところが兼好さん。

女性をこれほど持ち上げておきながら、途中から突然、筆がひっくり返る。

「女の性は皆ひがめり。」

そこから、まあ出るわ出るわ。(笑)

現代なら、

「兼好さん、それは女性一般に広げ過ぎでしょう」

と言われても仕方のないところである。

しかし、私はここで兼好さんを裁こうとは思わない。

むしろ、

「兼好さん、何かありましたなぁ」

と思ってしまう。

傷跡

人は誰でも、疼く傷を持って生きている。

何十年経っても消えない傷がある。

ふとした言葉や匂い、季節、人の仕草。

そんなものに触れた瞬間、深いところで今日も疼く。

批評的な言葉というものは、ときとして、その人の傷跡から出てくる。

兼好さんにも、何かあったのかもしれない。

何があったのかは、知る由もない。

だから、

「そうでしょうねぇ〜。」

とだけ言っておこう。

それ以上詮索すると、こちらまで野暮になる。

怒涛から、さざ波へ

若い頃は、異性に悩まされ、随分苦しんできた。

性の絆というものは、がっちりと強く結ばれている。

いくら形だけ隠遁者になってみても、若い命はそう容易には尽きない。

そんな時は、

負けるが勝ち。

ということもある。

自分の中にあるものを、力ずくで征服しなくてもよいのである。

そして齢七十一。

振り返れば、

怒涛の波も収まり、

潮騒も遠くで、さざ波となる。

傷が消えたわけではない。

円熟二年生にも、まだまだ疼くことはある。

ただ、傷と自分との距離が変わった。

疼けば、

「ああ、まだ居りましたか」

それでよい。

百歳現役を貫こうというヒロユキ翁である。

齢七十一の疼き如きに、生をとられてたまりません。

隠遁は、陰遁

今朝、もう一つ妙な言葉が出てきた。

隠遁は、陰遁ではないか。

もちろん「陰遁」は、私たちの造語である。

山へ逃げるのでもない。 世間から姿を消すのでもない。

人にも会う。 飯も食う。 仕事もする。 笑いもする。

ただ、陽の当たる真ん中から少し退いて、陰に身を置く。

自分を世間の中心へ押し出そうとしない。

隠れるのではなく、陰に在る。

齢七十一には、そんな「陰遁」も悪くない。

そして第一〇七段を書いた兼好さんにも、そんなところがあったのではないか。

まあ、これも、

「そうでしょうねぇ〜。」

くらいにしておこう。

京の奥山、今日越えて

さて、今日はこれから京都へ行く。

京都タワーで藤原直哉先生の講演会がある。

今朝の円座の終わりに、こんな言葉が転がり出た。

色は匂えど、今盛りけれ。

齢七十の翁、有為の奥山、今日越えて。

そして最後には、

京の奥山、今日越えて

あさき夢に酔いもせず。

ハハハ。

洒落で落ちた。

夢がなくなったわけではない。

百歳現役という、随分長い夢がまだある。

ただし、夢には酔わない。

今日起きる。 今日読む。 今日出会う。 今日仕事をする。

傷もある。 疼きもある。 娑婆っ気も、まだ少々。

それでよろしい。

怒涛の波は収まり、

潮騒は遠くで、さざ波となる。

齢七十一、円熟二年生。

さて、

京の奥山、今日越えて。

今日も生きています。

窯元日々雑感 徒然草 第百六段

なるみと読む徒然草 第一〇六段

――人に帰る、「ご苦労様でした」

令和八年九月二十日(日曜日)晴れ。

午前六時目覚め。

布団の中で『徒然草』第一〇六段を予習する。

午前七時十五分、円座を始める。

【原文】

高野の証空上人、京へ上りけるに、細道にて、馬に乗りたる女の、行きあひたりけるが、口曳きける男、あしく曳きて、聖の馬を堀へ落してンげり。

聖、いと腹悪しくとがめて、

「こは希有の狼藉かな。四部の弟子はよな、比丘よりは比丘尼は劣り、比丘尼より優婆塞は劣り、優婆塞より優婆夷は劣る。かくの如くの優婆夷などの身にて、比丘を堀へ蹴入れさする、未曾有の悪行なり」

と言はれければ、口曳きの男、

「いかに仰せらるるやらん、えこそ聞き知らね」

と言ふに、上人なほいきまきて、

「何と言ふぞ、非修非学の男」

とて、極まりなき放言しつと思ひける気色にて、馬ひき返して逃げられにけり。

【現代語訳】

高野山の証空上人が京へ上っていた時のことである。

細い道で、馬に乗った女と行き違った。その女の馬を引いていた男が、うまく馬を扱えず、証空上人の馬を堀へ落としてしまった。

上人はひどく腹を立てて、

「これは何という無礼なことだ。仏教の四衆というものは、比丘より比丘尼が下、比丘尼より優婆塞が下、優婆塞より優婆夷が下なのだ。その優婆夷の身でありながら、比丘である私を堀へ蹴り落とさせるとは、前代未聞の悪行である」

と責め立てた。

すると馬を引いていた男は、

「何をおっしゃっているのか、私にはさっぱり分かりません」

と言った。

上人はますます腹を立て、

「何を言うか、この修行も学問もしていない男め」

と言った。

ところが、その言葉を口にしたところで、自分でも「これはとんでもない暴言を吐いてしまった」と気づいた様子で、馬を引き返して逃げていった。

四コマ漫画のような一段

読んでいて、長谷川町子さんの『意地悪ばあさん』にでも出てきそうな一場面だと思った。

まるで四コマ漫画である。

細い道で馬が行き違う。

ドサッと上人が堀へ落ちる。

腹を立てた上人が、

「四部の弟子はよな……」

と、難しい仏教の理屈をまくし立てる。

ところが馬曳きの男は、

「何を言っているのか、さっぱり分かりません」

そして最後の一コマ。

上人は、くるりと馬を返して、

逃げた。

兼好は「上人は己の慢心を深く反省した」などとは書かない。

ただ、

「馬ひき返して逃げられにけり。」

それだけで終える。

絶妙の「かるみ」である。

百段を越えて読み進めてきて、ようやく、この兼好の文章の呼吸が少しずつ分かってきたように思う。

深いことを、深刻に書かない。

読み手が、

「ハハハ。人間というものは、こんなものだな」

と受け取れるところで筆を置く。

ここには、書き手と読み手との共有がある。

因縁を仕立てる

しかし、もう少し深く読んでみた。

最初に起こったのは、ただの出来事である。

馬が堀へ落ちた。

一つの因縁が生じた。

ところが上人は腹を立てた。

そして、その怒りに言葉を与えた。

比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷。

自分は比丘である。

相手は優婆夷である。

そこに上下を作り、相手を責め、自分の物語を仕立ててしまった。

すると、そこからさらなる因縁が生じる。

馬曳きの男は、

「何を言っているのか分からない」

と言った。

その一言で、上人が作り上げた世界は、ふっと宙に浮いてしまった。

上人はそこで、自分を見たのではないだろうか。

怖かったのは馬曳きの男ではない。

腹を立て、理屈をつけ、人を裁き、その言葉によって次の因縁を作り続けている、自分自身が怖くなった。

だから馬を返した。

逃げたのではなく、帰った

そう考えているうちに、

「馬ひき返して逃げられにけり」

という最後の一文が、少し違って見えてきた。

上人は、ただ逃げたのだろうか。

あるいは、

帰ったのではないか。

比丘という肩書きから。

聖という立場から。

人を上下に分ける自分から。

ふと我に返って、

ただの人へ帰った。

そう考えると、「馬ひき返して」という言葉が面白い。

そのまま進まなかった。

向きを変えたのである。

人間――ジンカン

人は人に生まれ、

ジンカンで育ち、

人に帰る。

人は一人で人間になるのではない。

親がいて、家族がいて、友がいて、仕事仲間がいて、時には腹を立てる相手までいて、その「間」で育っていく。

人と人との間。

人間――ジンカン。

第一〇六段では、最初、上人は縦の世界にいる。

比丘。

比丘尼。

優婆塞。

優婆夷。

ところが名もなき馬曳きの男の、

「分かりません」

という一言で、その縦の世界が消えてしまう。

最後に残ったのは、

人と人。

ここに「共有」が生まれる。

兼好は、どこか庶民の側へ開かれた眼を持っていたのだろう。

偉い人も腹を立てる。

偉い人も言い過ぎる。

偉い人も恥ずかしくなれば逃げる。

人間だもの。

だから『徒然草』は、七百年近く経った今でも読めるのかもしれない。

お湯呑ひとつ 言わず語らず 喫茶去

私たちは伏原窯を語る時、よく「かるみ」という言葉を使う。

私の仕事は、朝から晩まで、お湯呑や茶碗を作ることである。

そこへ今朝の徒然草が重なった。

お湯呑ひとつ

言わず語らず

喫茶去

器に思想をいっぱい書き込む必要はない。

作り手がすべてを説明する必要もない。

ただ、お湯呑を一つ差し出す。

「まあ、お茶でもどうぞ。」

飲む人が手に取り、お茶をいただく。

しばらく同じ時間を過ごし、やがて、それぞれが、それぞれの暮らしへ帰っていく。

帰ったところにも、また人がいる。

そこにもジンカンがある。

それが、

幸せ。

仕、合わせ。

なのかもしれない。

それぞれが、それぞれの「仕」を持ち寄り、合わせて生きる。

舞台の袖で

そして第一〇六段そのものを、一つの芝居として眺めてみた。

上人。

馬に乗った女。

馬曳きの男。

そして馬。

みんなが舞台の上で、それぞれの役を演じている。

舞台の上では怒鳴り合う。

腹を立てる。

失敗する。

逃げる。

けれど幕が下り、舞台袖へ戻れば、みんな笑顔で握手しているのではないだろうか。

「いい演技ができましたね。」

そして、

「ご苦労様でした。」

この言葉が、今日は妙に胸に残った。

良かったとも悪かったとも言わない。

正しかったとも間違っていたとも言わない。

それぞれが、それぞれの役を生きた。

苦もあった。

労もあった。

そのすべてを受け取って、

ご苦労様でした。

役を脱ぐ。

肩書きを脱ぐ。

そして、人に帰る。

人は人に生まれ、

ジンカンで育ち、

人に帰る。

人が沸けば、

佛となって、帰っていく。

どこへ。

それは、言わなくてもよいのかもしれない。

帰るところへ。

兼好も何も説明せず、上人を馬に乗せて帰してしまった。

だから私たちも、それ以上は言わない。

お湯呑ひとつ

言わず語らず

喫茶去

令和八年九月二十日。

日曜日、晴れ。

午前八時過ぎ、第一〇六段の円座を閉じる。

さて今日はハーフ断食。

着替えて支度をして、プールへ行く。

それぞれ、それぞれの暮らしへ。

ご苦労様でした。

窯元日々雑感 徒然草 第百五段

なるみと読む徒然草 陶主日記

第一〇五段 良悪し、入れて今日の、徒然かな。

令和八年九月十九日(土曜日)、晴れ。

岸和田だんじり祭り。

秋のシルバーウィーク初日は、久しぶりの晴れのお天気をいただいて始まった。

さて、今朝は『徒然草』第一〇五段。

昨日の第一〇四段に続いて、男女の匂い立つような場面である。

ところが、読み始めてすぐに感じた。

昨日とは、何かが違う。

第一〇四段には、人肌の温もりがあった。夜の湿り気があり、男女の息づかいまで聞こえてくるような、生々しさがあった。

「兼好さん、なかなかの文章をお書きになる」

そう思わせる一段であり、私は昨日、

「この一段は切り取って、置いておこう」

とまで思った。

ところが今日の第一〇五段。

月があり、松があり、男女がいる。

構図は整い、いかにも王朝文学らしい美しい一場面である。

けれど、整い過ぎている。

どこかで見たような気がする。

「こんなピクチャー、昔、駅前の本屋で売ってたな」

それで終わってしまった。

昨日は、文章の向こうに人がいた。

今日は、文章の向こうに絵がある。

この違いは大きかった。

三木紀人先生の『徒然草(二)全訳注』を開いてみる。

先生は、この段について、兼好の幻想の所産のようにも見えるとしながら、『拾遺抄』や家集との関係を指摘され、最後には、実体験的な素材を表現によって美化したものと位置づけておられる。

さすが、下々とは違って教養がおありになる(笑)。

しかし、その「美化」という言葉を見て、少し納得した。

なるほど。

私が今朝、

「綺麗過ぎる」

「人肌がない」

「出来合いの絵みたいや」

と言っていたのは、案外その辺りなのかもしれない。

第一〇四段は、美しく書いても、まだ化粧の下に人肌が見えていた。

第一〇五段は、美しく仕上げ過ぎて、とうとう一枚の絵になってしまった。

もちろん、これは私の勝手な読みである。

下町の悪ガキで育ち、今日はちょうど岸和田だんじり祭り。

美しいものを真正面から、

「まあ、なんと典雅で、もののあはれに満ちた文章でしょう」

などと言うのは、どうにも照れ臭い。

つい、

「こんなん、駅前の本屋に売ってたでぇ」

と言ってしまう。

岸和田っ子やさかい、シャァないでぇ(笑)。

ひょっとすると兼好自身、第一〇四段がうまく書けたと思ったのではないか。

それで姉妹編のように、もう一枚、美しい恋の場面を隣へ置いてみた。

そんなことまで想像してしまった。

百四段は、匂う。

百五段は、絵になる。

毎日読んでいれば、胸に残る段もあれば、さらりと通り過ぎる段もある。

それでいい。

兼好を偉い先生として仰ぎ見るために読んでいるのではない。

八百年ほど前に生きた一人の人間と、毎朝、円座に座っているのである。

「昨日のは、よかったでぇ」

「今日は、ちょっと綺麗にまとめ過ぎたんちゃうか」

そんなことも言いながら、また明日の一段へ進む。

良いも悪いも、面白いもつまらないも、みんな一緒に抱えて歩いていけばいい。

それこそが「徒然」なのだろう。

今朝の円座は、これにておしまい。

良悪し、入れて今日の、徒然かな。

岸和田だんじり祭りの晴れた朝。

今日も始めることにする。

窯元日々雑感 そこがあなたの大宇宙

陶主日記  雑感

令和八年九月十八日(金曜日)曇

心がこころに溶け合えば、そこがあなたの大宇宙である。

鈴木大拙が「霊性」と呼び、岡潔が「情緒」と言い表した、日本人の底流にある精神世界。それは、外から入ってきた仏教の壮大な宇宙論、儒教の緻密な実践倫理、そして日本古来の自然観(古神道)が幾世代にもわたり融け合い、結晶化した「絶対的な信仰」の境地である。

近代の西洋科学は、人間が知性(エゴ)によって世界をコントロールしようとした結果、原爆というカルマを生み、報復の連鎖という濁流に行き着いた。

いま、最先端の量子力学や量子コンピュータの世界が「主客の分離などない」という宇宙の真姿を突きつけ始めている。何の抵抗もなくその地平を超えていけるのは、この東洋の智慧を持ち、「生かされている」という信仰を抱く者だけである。

しかし、その宇宙の真理は、難しい理屈や頭の中の哲学にあるのではない。それは日々の「暮らし」の中にこそある。
土をこね、人知を超えた窯の炎にすべてを委ね、万を超える「旅するうつわ」を送り出してきた半世紀の歩み。その行き着く先は、ただ一つ。
「ただただ、合掌。なむあみだぶつ。」
お食事をいただく時、私共の食器をお使いくださるお家が幸せであれ、と祈るのみである。

「普通が一番」「旅するうつわ」「こころがかたちに」――個展という枠を持たず、祈りを込めて作られた器たちが、人から人へ、暮らしから暮らしへと旅を続ける。その営みそのものが、エゴを融かし、世界を調和させる静かな光となる。

結局、人の中にこそ大宇宙が存在している。

閉じるも、開くも、すべては意識ひとつ。

自分という殻を脱ぎ捨て、心がこころに溶け合えば、今ここにある日常の暮らしそのものが、輝かしい大宇宙となる。

――水間焼伏原窯 陶主・伏原博之の歩みと、大宇宙への祈りをここに記す。

 

 

 

窯詰めー2026年9月18日

なるみ庵

今年は涼しくなるのが早かったからか、昨日から彼岸花が咲きだしました。この彼岸花、残暑が長引いても彼岸には必ず、出てきます。彼岸をお知らせする花だとつくづく思います。

今日は窯詰めをしました。8月は焚かなかったので、窯は満員御礼です。

十草飯碗、猪口、カワセミ紋沓形向付、箸置、貝形小向付が入りました。

窯元日々雑感 徒然草 第百四段

 

なるみと読む徒然草 陶主日記

第一〇四段 色気とは、性が際立つこと

令和八年九月十八日(金曜日)曇

午前六時十八分、目覚め。

今朝は『徒然草』第一〇四段を読む。

【原文】

荒れたる宿の、人目なきに、女の、憚る事ある比にて、つれづれと籠り居たるを、或人、とぶらひ給はんとて、夕月夜のおぼつかなきほどに、忍びて尋ねおはしたるに、犬のことことしくとがむれば、下衆女の、出でて、「いづくよりぞ」と言ふに、やがて案内せさせて、入り給ひぬ。

心ぼそげなる有様、いかで過ぐすらんと、いと心ぐるし。あやしき板敷に暫し立ち給へるを、もてしづめたるけはひの、若やかなるして、「こなた」と言ふ人あれば、たてあけ所狭げなる遣戸よりぞ入り給ひぬる。

内のさまは、いたくすさまじからず。心にくく、火はあなたにほのかなれど、もののきらなど見えて、俄かにしもあらぬ匂ひ、いとなつかしう住みなしたり。

「門よくさしてよ。雨もぞ降る。御車は門の下に、御供の人はそこそこに」と言へば、「今宵ぞ安き寝は寝べかンめる」とうちささめくも、忍びたれど、程なければ、ほの聞ゆ。

さて、このほどの事ども細やかに聞え給ふに、夜深き鳥も鳴きぬ。来しかた・行末かけて、まめやかなる御物語に、この度は鳥も花やかなる声にうちしきれば、明けはなるゝにやと聞き給へど、夜深く急ぐべき所のさまにもあらねば、少したゆみ給へるに、隙白くなれば、忘れ難き事など言ひて立ち出で給ふに、梢も庭もめづらしく青み渡りたる卯月ばかりの曙、艶にをかしかりしを思し出でて、桂の木の大きなるが隠るゝまで、今も見送り給ふとぞ。

 

【現代語訳】

荒れた家の、人目につかないところに、世間を憚らなければならない事情のある女が、することもなくひっそりと籠って暮らしていた。

ある人が、その女を訪ねようと思い、夕月の光もおぼろな頃、人目を忍んで訪ねて行った。すると犬が大げさに吠え立てたので、下働きの女が出てきて、

「どちらからお越しですか」

と尋ねる。そのまま案内させて中へ入った。

なんとも心細そうな暮らしぶりである。いったい、どのように日々を過ごしているのだろうと思うと、ひどく気の毒に感じられる。

粗末な板敷にしばらく立っていると、落ち着いた気配の中から若々しい声で、

「こちらへ」

と言う人がいる。そこで、開け閉めするにも窮屈そうな引き戸から中へ入った。

家の中は、外から想像したほど荒れ果ててはいなかった。

奥ゆかしい様子で、灯は向こうの方にほのかにともっている。その淡い光の中に調度のきらめきなども見え、急に客を迎えるために取り繕ったのではない、暮らし慣れた香りが漂っている。なんとも心ひかれる住まいであった。

女が、

「門をしっかり閉めておいて。雨が降るかもしれません。お車は門の下へ、お供の人たちはそれぞれ適当なところへ」

と言う。

すると供の者たちが、

「今夜こそ、ゆっくり眠れそうだ」

と小声で囁き合う。その声を忍ばせてはいるものの、そう遠くないので、かすかに聞こえてくる。

さて、その後、これまでのことなどを細やかに語り合っているうちに、夜更けの鳥が鳴いた。

過ぎ去ったことから、これから先のことまで、心を込めて語り合う。そのうち鳥が今度は華やかな声でしきりに鳴き始めたので、もう夜が明けるのだろうかと思った。

しかし、夜中に急いで帰らなければならないような場所でもないので、少しゆっくりしていると、戸の隙間が白み始めた。

そこで、忘れ難いことなどを語り残して、男は家を出る。

梢も庭も、見違えるように一面青々としている。

卯月ごろの曙であった。

その光景がなんとも艶やかで趣深かったことを思い出し、その後もこの場所を通るたび、大きな桂の木が見えなくなるまで、いつまでも振り返って眺めておられるという。

【今朝の円座】

読み始めて、まず思った。

艶っぽい。

さすが兼好さんである。

この女は未亡人だったのだろうか。

そんな想像もした。

しかし兼好は、女がなぜ世間を憚っているのかを説明しない。男と女の関係も説明しない。実体験なのか、聞いた話なのか、あるいは文学として作り上げたものなのかも分からない。

だが、それでよいのであろう。

文章が先に立っている。

フィクションでもノンフィクションでも成り立つ。

すべてを語らないからこそ、その余白から色気が立ってくる。

「余白」。

これは、日本の美学の一つであろう。

そこで、梶井基次郎を思った。

梶井は一個の檸檬という具体を置く。具体を見つめているうちに、それは単なる檸檬ではなくなり、いつしか、その人にしかない世界へと開いていく。

具象が抽象になり、その人の世界へ入っていく。

モランディもそうである。

瓶や壺という、ごく普通のものを描き続ける。ところが見つめているうちに、瓶は瓶でなくなってくる。

瓶と瓶との間。

光。

空間。

沈黙。

そこからモランディの世界が立ち上がる。

私はかつて、それを白磁に求めたことがあった。

白という表面ではない。

釉薬の中間層。

土がある。

釉がある。

火がある。

そこへ光が入る。

その「あわい」に、言葉では説明することのできない世界が現れる。

我が師匠、開高健は、また少し違う。

彼は、具体、具体、具体と、徹底して具体を書き綴っていく。

食べる。

飲む。

釣る。

旅をする。

味、匂い、汗、水、泥。

具体をこれでもかと積み重ねていくと、いつの間にか得も言われぬ抽象の世界へ入ってしまう。

しかも頭では抜けられない。

官能の中へ取り込まれてしまう。

そこが面白い。

言葉には、沈黙が表裏となって存在している。

言葉では表せない。

しかし、表せないから黙るのではない。

言葉を尽くす。

具体を尽くす。

表し、表し、表し尽くす。

すると、その向こう側から、

ピーッと、

言葉ではない何かが立ち上がってくる。

陶芸も同じではないだろうか。

土を尽くす。

釉を尽くす。

火を尽くす。

技術を尽くす。

その果てに、人間が作ったとは言い切れないものが、窯の向こうから現れる。

私は、それを、

「妙」

と呼びたい。

真・善・美という世界がある。

私は、それを三つの円として描いてみたい。

真。

善。

美。

三つの円を重ねると、その中心に、三つすべてが重なる場所が生まれる。

そこに、

「妙」

を置く。

妙は、真善美に並ぶ第四の要素ではない。

三つが重なった中心から現れるもの。

そこに「妙」を置いた途端、一気に次元が変わる。

神の世界。

神の手が、具体を通して現れる。

私が白磁に求めた釉薬の中間層も、おそらくその世界と同じなのであろう。

そして今朝、もう一つ言葉が生まれた。

「色気とは、性が際立つこと。」

男女の色気だけではない。

人の性。

土の性。

釉の性。

火の性。

言葉の性。

余計なものが静まり、そのものが本来持っている「性」が際立つ。

そこに色気が現れる。

これは「綺麗さび」という世界にも通じる。

華美なのではない。

ただ枯れているのでもない。

静けさの中に、そのものの性が消えずに立っている。

窯を知る人は、皆、この**「しづか」**を身体で領解しているように思う。

窯の中は激しい。

火が走る。

釉が熔ける。

土が変わる。

しかし、その激しさを通過し、窯が冷め、扉を開ける。

そこに器が、何も語らず佇んでいる。

激しさを知らない静けさではない。

激しさを通り抜けたあとの「しづか」である。

さて。

第一〇四段は、男女の色気から始まった。

随分遠くまで来てしまった。

男女の色気については、兼好がこの一段に書いたくらいが、ちょうどよいのだろう。

否定もしない。

ありがたがりもしない。

人生の大問題にも仕立てない。

人間には、そんな一夜もある。

そこに人生をかける意味もない。

昭和の「四畳半小唄」のような世界にも、少し似ている。

狭い部屋。

男と女。

夜。

少しの侘しさ。

そして朝になれば、それぞれの暮らしへ戻っていく。

大恋愛として語り尽くさないからこそ、そこはかとなく色気が残る。

そして改めて原文を読むと、兼好自身が最後に書いている。

「艶にをかしかりし」

今朝、最初に感じた「艶っぽい」という感覚は、やはりこの段そのものにあったのである。

夕月。

犬の声。

ほのかな灯。

暮らしの匂い。

雨。

夜深き鳥。

白み始める戸の隙間。

青々とした卯月の曙。

そして、大きな桂の木。

男女そのものを露骨に描かず、その周囲の具体を積み重ねていく。

すると最後に、

「艶」

が、向こうから立ち上がってくる。

今朝の円座で辿り着いた、

色気とは、性が際立つこと。

そして、

真・善・美の重なりの中心に「妙」が現れる。

第一〇四段から始まって、梶井、モランディ、開高健、白磁の中間層を巡り、また兼好へ帰ってきた。

遠くまで行ったようでいて、結局ずっと同じところを見ていたのであろう。

すべてを語らない。

しかし、具体を尽くす。

すると、その向こうから、人間の手では作り得ない何かが、

ピーッと、

しづかに立ち上がってくる。

それを私は、

「妙」

と呼んでみたい。

今日も始める事にする。

窯元日々雑感 徒然草 第百三段

令和8年9月17日

なるみと読む徒然草 第百三段

 

――宮中座興の一場面

大覚寺殿で、近習の人々が集まり、なぞなぞを作って遊んでいる。

そこへ遅れて医師忠守がやって来た。

侍従大納言公明卿が、

「我が朝の者とも見えぬ忠守かな」

と謎を掛ける。

その答えが、「唐瓶子」

皆は笑い合う。

しかし忠守は腹を立て、その座を退出してしまった。

直接読んだだけでは、何のことか分かりにくい一段である。解説を読んでみれば、これは宮中での酒席、座興の一場面だったことが見えてくる。

ただし、洒落としては少々きつい。

酒が回っていた勢いなのか。

日頃から公明卿が忠守について思っていたことが、つい口から出たのか。

あるいは、皆もどこかで同じように感じていたから、どっと笑いが起こったのか。

それは分からない。交々である。

忠守にしてみれば、遅れてその席へやって来た。周囲はすでに酒が回り、座は出来上がっている。自分はまだシラフだったのかもしれない。

そこへ、いきなり自分を種にした、かなりきつい洒落である。

皆は笑っている。

しかし本人には笑えない。

腹立ちて、退り出でにけり。

うふふ。

私でも、よほどでない限り、こういう席なら帰るだろう。その場ですぐ立つかどうかは分からないが、もともとこのような酒席はあまり好きではない。

よく考えれば、これはそれほど品の良い座でもない。身分の高い人々が集まっていても、酒が入れば人をからかって笑う。上に立つ者の意地の悪さや酒癖までが、そこに露呈してしまう。宮中といっても、人間の集まるところである。

けれど兼好は、誰が悪いとも書かない。忠守を擁護するわけでも、公明卿を非難するわけでもない。

ただ、

笑った。 腹を立てた。 帰った。

その一瞬を切り取っただけである。

まるで兼好が、宮中の座興の一場面をカメラに納めておいたようである。

七百年ほど後の私たちがその写真を眺めても、

「ああ、今でもありますなぁ〜」

と思う。

人間とは、案外変わらないものである。

今日はそれくらいで、この一段を置いておこう。

深く掘る段もあれば、さらりと眺めておく段もある。

これもまた、『徒然草』である。

 

【原文】

大覚寺殿にて、近習の人ども、なぞなぞを作りて解かれける処へ、医師忠守参りたりけるに、侍従大納言公明卿、「我が朝の者とも見えぬ忠守かな」と、なぞなぞにせられにけるを、「唐瓶子」と解きて笑ひ合はれければ、腹立ちて退り出でにけり。

 

【現代語訳】

大覚寺殿で、近習の人々がなぞなぞを作って解き合っていたところへ、医師の忠守がやって来た。侍従大納言公明卿が、「我が朝の者とも見えぬ忠守かな」となぞなぞを出されたのを、誰かが「唐瓶子※」と解いて皆で笑い合ったので、忠守は腹を立てて座を退出してしまった。

※「唐瓶子」は唐渡りの瓶子=酒器のこと。「からへいじ」の音が「唐へ行じ」に通じ、忠守が異国風に見えることへの掛け言葉になっている。

 

第一段から読めるように編集中です。

しばらくお待ち下さいませ。なるみと読む徒然草‐第一話

窯元日々雑感 徒然草 第百二段

なるみと読む徒然草 陶主日記

第百二段 又五郎という人

 

令和八年九月十六日(水)雨

午前六時〇六分、目覚め。雨の朝。今日も円座に座り、徒然草第百二段を読む。

 

この段には、宮中の「追儺」が登場する。大晦日の夜、疫鬼を追い払う宮中の年中行事である。その上卿を勤めることになった尹大納言光忠卿が、儀式の次第を洞院右大臣に尋ねた。すると右大臣は、

「又五郎男を師とするより外の才覚候はじ」と言った。又五郎とは何者か。兼好は、「老いたる衛士の、よく公事に慣れたる者」と記している。ここで今日の円座が動き始めた。

宮中とは、一つの大きな舞台だったのではないか。そこには身分があり、それぞれの衣装があり、言葉遣いがあり、所作がある。表舞台には最高位の貴族たちが立つ。しかし舞台は、演じる者だけでは成り立たない。脚本を知る者がいる。段取りを知る者がいる。舞台袖で進行を支える者がいる。時代が変わっても、理念や制度だけで現実が動くことはない。具体は、必ず誰かの手によって進められ、初めて現実となる。

追儺もそうだったのだろう。大納言が責任者であっても、実際の公事の細かな次第を身体で知っていたのは、長年宮中の現場にいた老衛士・又五郎だった。だから最高位に近い右大臣が、「又五郎を師とせよ」と言う。

ここに、この短い段の肝があるように思った。身分制度がなくなったわけではない。又五郎はあくまで衛士である。しかし、身分とは別に、「この人は何を知っているか」「この人には何ができるか」という尺度が、確かにそこにある。

そして何より興味深いのは、兼好が彼を「ある老いた衛士」として済ませず、**「又五郎」**という名前で記録したことである。今でいう「個人」とはもちろん違う。しかし、身分の中に埋もれていた一人の人間が、名前を持ち、技能を持ち、経験を持つ存在として、はっきり文章の中に残されている。身分の人から、技能を持った「個人」へ——そんな中世社会の変化が、又五郎という一人の名前から、ちらりと見えてくる。

後半へ続く。高位の人物が装束の手順を違えようとすると、下に仕える者が、

「先づ、ひざつきを召さるべくや候ふらん」

と、忍びやかに囁く。ここでも同じである。表舞台に立つ人と、舞台を具体に動かす人とは必ずしも同じではない。しかも「忍びやかに」がいい。身分秩序を壊すのではない。主人を大声で訂正するのでもない。ただ、現実を知っている者が、そっと正しい方向へ舞台を戻す。

兼好の観察眼は、宮中の最高位にまで届きながら、同時に、地に近いところで働く人々にまで届いている。上だけを見ない。下だけを美化することもしない。人間を見ている。その眼差しには、近代そのものではないにしても、ずっと後の「個人」へとつながっていくものが、どこか感じられる。

 

一日一日、一段一段。急いで先へ進まず、円座に座って言葉を拾い、時代を覗き、その時代を生きた人間に会い、最後には自分たちの暮らしへ帰ってくる。今日は、又五郎という老人に出会った。一度に何十段も読めば、通り過ぎてしまったかもしれない名前である。一日一段だから、又五郎に会える。

徒然草を読むというより、七百年ほど前の人々と一日をともにしてみる。それが「なるみと読む徒然草」という円座なのかもしれない。

短い第百二段。けれど今日も、ずいぶん面白く、深いところまで歩くことができた。古典を読む。いや、古典を暮らしの中で体験する。雨の朝の円座であった。

 

 

窯元日々雑感 徒然草 第百一段

なるみと読む徒然草 第百一段

 

【原文】

或人、任大臣の節会の内弁を勤められけるに、内記の持ちたる宣命を取らずして、堂上せられにけり。極まりなき失礼なれども、立ち帰り取るべきにもあらず、思ひわづらはれけるに、六位外記康綱、衣被きの女房を語らひて、かの宣命を持たせて、忍びやかに奉らせけり。いみじかりけり。

 

【現代語訳】

ある人が、大臣任命の節会で内弁の役を務められたとき、内記が持っている宣命を受け取らないまま、堂上してしまわれた。この上ない失礼であるが、今さら引き返して取りに行くわけにもいかず、途方に暮れておられたところ、六位外記の康綱が、衣被きの女房に頼んで、かの宣命を持たせ、人目につかぬよう、そっと差し上げさせた。実に見事な機転であった。

 

――縦から横へ、横から円へ

 

令和八年九月十五日(火)曇後雨。

今日の仕事を終え、夕食をいただき、風呂から上がってからの、夜の円座である。

第一〇一段。

大臣任命の儀式で、内弁を務める人が、大切な宣命を受け取ることを忘れたまま堂上してしまった。

大変な失態である。

しかし、もう引き返すことはできない。

それに気づいた六位外記の康綱は、衣被きの女房に宣命を持たせ、人目につかぬよう、そっと届けさせた。

兼好は最後に、

「いみじかりけり。」

と記した。

 

私はここを、

「事なきに治まった。ああ、よかったなぁ〜。」

と読んだ。

 

誰が失敗した。

誰が助けた。

誰のお陰でうまくいった。

 

そんなことではない。

これはそもそも、みんなで行っている儀式である。

 

一人に欠けたところがあれば、気づいた者が補えばいい。

特別な善行でも、手柄でもない。

当然のことなのである。

 

誰にも恥をかかせず、誰も手柄を主張せず、全体が元の位置へすっと収まる。

そこに「円満」がある。

私はこれを、特別なこととは読まない。

 

「普通」と読む。

母から受け継いだ、

「普通が一番」

とは、案外こういうことなのだと思う。

人の欠けを見つけて責めるのではなく、そっと補う。

そして、その人が無事であったなら、

「よかったなぁ。」と思う。

 

幸せとは、自分一人が手に入れるものではない。

人が幸せになったとき、それを「よかった」と共有できる気持ち。

そこにもまた、幸せが生まれる。

私たちは、もう一度「共有する」ということを学んでいくのではないだろうか。

かつての社会では、今ほど「個」が中心ではなかった。

しかし昔の共同体へ、そのまま戻ればよいのでもない。

現代は一度、「個」を知った。

だからこれからは、

個を立てながら、「みんな」を共有する。

同じになる必要はない。

一人ひとりが自分の場所に立ったまま、必要なところでつながる。

誰かが欠ければ、できる人が補う。

誰かが幸せになれば、みんなで喜ぶ。

そこから見えてきたのが、

縦から横へ。

横から円へ。

という形だった。

円には、上も下もない。

けれど、一人ひとりには、それぞれの座がある。

誰かが中心となって全員を従わせるのではなく、それぞれの個が立つことによって、一つの円が生まれる。

サークルである。

考えてみれば、私たちはこの対話の場を、すでに

「フシハラ円座」

と名付けていた。

今夜、いみじくも、この「円」が生きていた。

その円は、これから『万葉集』へとつながっていく。

『万葉集』には、さまざまな人々の、それぞれの声がある。

一人ひとりが自分の思いを歌いながら、それらが集まり、一つの大きな世界をつくっている。

個でありながら、みんなである。

これから歩もうとしている道と、不思議につながってきた。

円と、縁。

縁(えにし)である。

最初から誰かが設計したわけではない。

一日一日を生き、読み、書き、器を作っているうちに、気がつけば道がつながっていた。

それでよいのだろう。

第一〇一段。

短い一段から、これからの生き方の核となるものが見えてきた。

個を立て、円につながり、幸せを共有する。

誰かの欠けたところを、誰かがそっと補う。

そして、事なきに治まれば、

「ああ、よかったなぁ〜。」

それを特別なことにしない。

普通が一番。

今夜は、そんなところまで円座が巡ってきた。

「いみじかりけり。」

 

――なるみと読む徒然草 第一〇一段

令和八年九月十五日 夜の円座

 

 

松の図案、壺への広がり

なるみ庵

 

今日はお昼から、陶芸クラブのM氏が公民館祭に出品する作品の絵付について相談に来られました。

壺は出来上がたったそうですが、この雨でなかなか乾かず、困っておられました。

松の図案を条幅に描いて持って来てくださったのを見ますと、幅が狭いように感じたので絵付けをしたときの見え方を説明し、縦長の壺でも、奥行を出すために横に広く描くことをお薦めしました。

松図

松図壺イメージ

 

高さが60センチほどあるそうです。素焼きができたら持って来られるとのこと。

墨で良いので筆のかすれる具合や運筆を試しながら、イメージを作ってくださいとお伝えしました。

 

今日の仕事場は、窯焚きの準備に入っています。陶主に施釉してもらい、釉薬の直しです。

窯元日々雑感 徒然草 第百段

なるみと読む徒然草 第百段

【原文】

久我相国は、殿上にて水を召しけるに、主殿司、土器を奉りければ、「まがりを参らせよ」とて、まがりしてぞ召しける。

【現代語訳】

久我相国が、殿上で水を求めたところ、主殿司はかわらけ(素焼きの土器)に入れて差し出した。すると相国は、「まがり(曲げ物の器)を持って参れ」と言い、まがりで水を召された。

久我相国が、殿上で水を求めた。

主殿司が、かわらけに入れて差し出した。

すると相国は、

「まがりを参らせよ」

と言い、まがりで水を飲んだ。

今日、この短い一段を前に、いろいろと考えた。

かわらけとは何か。

まがりとは何か。

木の器か、曲げ物か、格の高い器か、古くからの故実か。

考えれば考えるほど、本文から遠ざかっていく。

確かなことは一つ。

水を飲むとき、久我相国はまがりでいただいた。

それだけである。

なぜかわらけではなかったのか。

なぜまがりだったのか。

当時どれほど一般的な作法だったのか、いつ頃まで用いられていたのか。

分からない。

分からないものを、無理に解く必要もない。

兼好も説明していない。

教訓もない。

大げさな意味も付していない。

ただ、

「まがりで飲んだ。」

その一場面が、ぽつりと置かれている。

ちょうど第百段。

百段目だからといって、大きな結論があるわけでもない。

何気ない一場面、何気ない所作を、そのまま書き留めておく。

それもまた、徒然草なのだろう。

まがりでいただく。

今日は、それでよし。

令和八年九月十四日。

朝でも昼でもなく、一日の仕事を終え、夕食を済ませた夜になって、ようやく第百段を読み終えた。

深く読まないことも、また一つの読み方。

そんな百段目になった。

窯元日々雑感 徒然草 第九十九段

なるみと読む徒然草 陶主日記

第九十九段 唐櫃の行方

令和八年九月十三日(日)晴れ

 

【原文】

堀川相国は、美男のたのしき人にて、そのこととなく過差を好み給ひけり。御子基俊卿を大理になして、庁務行はれけるに、庁屋の唐櫃見ぐるしとて、めでたく作り改めらるべきよし仰せられけるに、この唐櫃は、上古より伝はりて、その始めを知らず、数百年を経たり。累代の公物、古弊をもちて規模とす、たやすく改められがたきよし、故実の諸官等申しければ、その事やみにけり。

【現代語訳】

堀川相国(久我基具)は、美男子で裕福な人であり、何事につけても贅を好まれた。息子の基俊卿を検非違使庁の長官に据え、庁の務めを執り行わせていたところ、庁舎にある唐櫃が見苦しいというので、立派に作り替えるよう仰せになった。しかし、この唐櫃は大昔から伝わるもので、いつからあるのかさえ分からず、数百年の時を経ている。代々受け継がれてきた公の器物は、古び傷んでいることこそが規範なのであり、たやすく改めるべきものではない――と、故実に通じた役人たちが申し上げたので、その話は立ち消えになった。

 

午前五時四十五分、目覚め。六時より『徒然草』第九十九段の予習。八時五十分、円座を始める。

今日の第九十九段は、検非違使庁に置かれていた一つの古い唐櫃をめぐる話である。

堀川相国の子、基俊卿が大理となって庁務を行うことになった。庁舎の唐櫃があまりに見苦しいので、立派に作り替えようと言う。ところが役人たちはそれを止めた。この唐櫃は上古より伝わり、その始まりさえ分からない。数百年を経た「累代の公物」であり、「古弊をもちて規模とす」という。古びているからこそ、それがこの役所の姿なのである。こうして新調の話は取り止めになった。

最初は、古いものを残すのか、新しいものへ改めるのか――今風に言えば「保守と革新」の話にも見えた。しかし、どうもそれだけではない。

この時代、検非違使庁がかつて持っていた治安・司法の実権は、すでに大きく武家へ移っている。朝廷の官職や制度は残っていても、その実態は変わりつつあった。そんな役所へ、新しく大理となった基俊卿がやって来て、「この唐櫃は見苦しい。新しくしよう」と言う。それに対して、長くその役所を知る者たちは、「いや、これは変えてはならない」と押し返した。

今日の円座では、ここを単に「残した」とは読まなかった。死守した。その言葉の方が、この時代の空気には近いように思えた。

しかし、ここでもう一つ大きなものが見えてきた。守る本元そのものが、なくなりつつある。古い唐櫃を死守する。故実を守る。官職を守る。制度を守る。しかし、そのすべてを支えてきた貴族社会そのものが、大きく姿を変えようとしている。それなのに、「唐櫃を新しくする」「いや、変えてはならない」と人々は真剣にやり合っている。

そこに今日、思わず一つの言葉が出た。

「儚さでしょう。」

ああ、そうだったのか。

兼好は、どちらが正しいとも書かない。基俊卿を断罪することもなく、古参の役人を称賛することもない。ただ出来事を置き、「その事止みにけり。」と筆を置く。

人は一生懸命に生きる。作り、守り、争い、伝えようとする。けれども、その人も、その制度も、その時代も、やがて移ってゆく。兼好自身も貴族社会に片足を置いていた。だから外から冷たく眺めているのではない。その世界を知りながら、それを越えて、移りゆく時代そのものを見ようとしていたのではないだろうか。

そして今日、第九十九段。九十九という、百に満たない数字にも、なぜか意味を感じた。

円座の終わり近く、以前先生から聞いた言葉が蘇った。

「嗚呼――ただ、この言葉を胸に生きる者が、真の佛道者。」

理屈ではない。無常を説明する必要もない。人の営みを見つめ、世の移ろいを見つめ、自分自身もその中を生きて、最後に残るもの。

嗚呼。

今日、第九十九段まで来て、私の中から自然に「儚さ」という言葉が出た。そして、何かが腑に落ちた。ああ、ここが徒然草だったのか。

今朝は、この言葉を胸に置いて、円座を閉じることにする。

思いがけないお願い

なるみ庵

 

今日は写経会の日で、正法寺へ行ってきました。

写経が終わり、帰り際にご住職から「お願いしたいことがあります。少し先の話ですが、記念品作成のお願いはできますか。」とお声をかけていただきました。

陶主はりんくう病院に定期検診に行っており不在でしたので、「改めてお返事させてもらいますが、喜んでお受けすると思います」とお返事して帰りました。

仕事場に戻ると、陶主は一足早くかえられていました。先程のお話をお伝えすると、「もちろんお受けすると伝えて下さい」とのこと。早速、ご住職に連絡を入れました。

まだ決定ではないですが、良いご縁につながると嬉しいです。

今日はそれから、お返事をお待ちしていた注文が2件決まり、嬉しいことが重なる一日になりました。

窯元日々雑感 徒然草 第九十七段

なるみと読む徒然草 第九十七段

――深く入って、サラリと出る

令和八年九月十一日(金)雨。

午前五時十八分、目覚め。布団の中で『徒然草』第九十七段を予習し、六時二十二分から今日の輪読を始めた。

第九十七段は、短い。

その物に付きて、その物を費やし損ふ物、数を知らずあり。身に虱あり。家に鼠あり。国に賊あり。小人に財あり。君子に仁義あり。僧に法あり。

兼好は、あるものに付いて、そのものを損なうものは数知れずあると言う。

身には虱。

家には鼠。

国には賊。

私は昔から、こういうものを総称して「天敵」と呼んでいる。猫と鼠のようなものだ。私たちには猫も鼠も見え、その関係も見えている。しかし当の猫と鼠には、私たちが見るような「猫と鼠」という関係の全体像は見えていない。

昔、冗談半分に、

「この地球の天敵は重力や」

と言っていたことがある(笑)。存在するということは、それを成立させるものと同時に、それを制約し、損なうものをも抱えているということなのだろう。

ところが兼好は、後半でひょいと文章をひっくり返す。

小人には財。

君子には仁義。

僧には法。

ここから語られるのは、外にいる天敵ではない。人間の内に生まれる煩悩である。財が悪いのではない。仁義が悪いのでも、仏法が悪いのでもない。それを握り締め、執着したとき、自分を支えるはずのものが、自分を損なうものにもなる。

「外なる天敵」と「内なる天敵」。

兼好はそれらを前後に並べ、後半を逆説で返してみせる。どこか『荘子』を思わせる書き方でもある。

しかも兼好は歌人でもある。虱・鼠・賊、そして財・仁義・法。短い文章ながら、言葉の配置もよく吟味されている。

ここで面白くなって、

「兼好自身も、うまい文章を書こうという天敵にやられているのではないか」

とまで入り込んだ。危ない、危ない(笑)。そこまで言わなくてもよい。

「流石、兼好さん。なかなか吟味の効いた文章、書かはりなすわ。」

それで十分なのである。

深く読んでも、読みを握り締めない。

分かったことを、全部言おうとしない。

深く入って、サラリと出る。

心にも身体にも、それが良い。

うちとこでは、それを、

「かろみ」

と言うてます。

今日の第九十七段も、深く入りました。けれど最後は、サラリと。

兼好さん、よう出来た短文ですなぁ。

今日は、それくらいでよろしいようです。

窯元日々雑感 徒然草 第九十六段

令和8年9月10日(木)曇り

午前十一時二十分 工房にて

「なるみと読む徒然草・陶主日記」

第九十六段

めなもみといふ草あり。くちばみに螫されたる人、かの草を揉みて付けぬれば、即ち癒ゆとなん。見知りて置くべし。

ほんの数行の、なんとも短い一段である。

蝮に噛まれたとき、「めなもみ」という草を揉んでつければ治る。だから知っておきなさい——兼好はそう書いて文章を締めくくっている。まるで昭和の『暮しの手帖』にある知恵袋のようだ。

これまで読み進めてきた『徒然草』には、政治や寺社、宮廷社会の裏側から、人の噂、酒、猫また、男女の機微まで、実に多種多様な話題が描かれてきた。そこへきて、今日の「めなもみ」である。なぜ兼好は、このようなごく私的な民間の薬草知識まで書き残したのだろうか。

兼好が生きたのは、元寇の記憶が生々しく残り、やがて鎌倉幕府の滅亡、建武の新政、南北朝の乱へと続く激動の時代だった。社会が不安定になればなるほど、「確かな情報を知っていること」が直結して身を守る術となる。何を見て、何を聞き、何を信じ、覚えておくか。今でいう「インテリジェンス」が、そのまま生きることに直結していた時代とも言える。

そう捉え直すと『徒然草』は、単なる優雅な古典文学にとどまらない。当時の人々が何を恐れ、何を噂し、どんな知恵を伝えて生きていたのかという、歴史書には残りにくい「暮らしの具体」を克明に捉えた記録なのだ。

そして今日、この「めなもみ」から一つ見えてきたことがある。

時代が不安定になると、私たちの意識は途端に抽象化を始める。「これから世の中はどうなるのか」「自分はどう生きるべきか」——実体のない未来へばかり心が引っ張られ、いま目の前にある一日から離れていってしまうのだ。

兼好もまた、そうだったのかもしれない。だからこそ、

「めなもみという草あり」

と、徹底して手触りのある「具体」を書き留めたのではないか。

草がある。蝮がいる。噛まれる。揉む。付ける。この容赦ない具体の連鎖を記さなければ、兼好自身も辛かったのではないか——そんなことまで思う。

これは、私がかねてより考えてきた「観念遊戯から観念打破へ。具体に生きる」という姿勢に、そっくりそのまま重なってくる。

昨日、私は「暮らしの全情報化」というテーマに思いを馳せた。しかし、それは暮らしを無機質なデータに置き換えて抽象化することではない。真逆なのだ。情報化とは、抽象の渦に飲み込まれて具体を失わないために、今ここにある事実を記録することではないだろうか。

朝起きた。空を見た。飯を食べた。徒然草を読んだ。土を触った。人と出会った。一字を書いた。一つの茶碗を作った。

そんな何気ない動作の積み重ねこそが、「私はたしかに今日を生きた」という手応えそのものだ。そしてこれからは、その具体を自分の中に閉じ込めるだけでなく、静かに分かち合っていくことも大切になってくるように思う。

大きな思想を声高に叫ぶ必要はない。「私は今日、このように暮らしました」と、自分の具体を静かに差し出す。それを見た誰かが、自分の暮らしへ帰っていく。そういう共有が、これからますます大切になるのではないだろうか。

記録は深く、共有は静かに。

このところ続けてきた「窯元365日」も、「なるみと読む徒然草」も、どうやら同じところへ向かっていたようである。

もし一度に何十段もまとめ読みしていたなら、第九十六段など「昔の薬草の話か」で終わっていただろう。だが、一日一段というテンポだからこそ、「めなもみ」だけを一日、手のひらに載せて考えることができた。

七百年前の一行から、令和のAI時代まで、一本の線が伸びてくる。

古典を勉強しているのではない。兼好の時代を読みながら、今という時代を読み、そして自分自身の暮らしを読んでいるのだ。毎朝、一段がある。明日もまた、一段がある。それが、何とも心丈夫である。

七百年前、兼好は書いた。

「見知りて置くべし。」

令和の今なら、私はこう続けてみたい。

見て、知って、具体に生き、記して、未来へつないで置くべし。

今日の「めなもみ」という小さな草から、ずいぶん大きな世界が見えてきた。

窯元日々雑感 徒然草 第九十五段

なるみと読む徒然草 陶主日記

第九十五段

令和8年9月9日(水曜日)雨

昨日に続き、故実についての一段である。

兼好は、箱の緒をどちらに付けるべきか、有職の人に尋ねている。答えは面白い。

「両説なれば、いづれも難なし。」

二つのやり方があり、どちらでも差し支えないという。なんとも細かな話である。

しかし、歳を重ねると、こうした細かなことを書き留めておきたくなる気持ちが、よく分かる。細かなことが重要になるというより、細かなところにこそ、暮らし全体が宿っていることが見えてくるのである。

今日、この段を読みながら、工房で作った「玄猪香合」を思い出した。亥の子餅を配る箱を包んだ「玄猪包」――その姿を写した仁清の香合があり、私もその写しを作ったことがある。

玄猪香合

写すにあたって、仁清の香合の形を見るだけでは足りなかった。もとの玄猪包が、いったいどのように包まれたものなのか。それを調べ、包み方を知った上で、初めて形を考えることができた。

昔の人にとっては当たり前の小さな作法だったのだろう。しかし、その小さなことが書き残されていなければ、後世の私たちには分からない。ここに、故実の大切さがある。

細部は、些細ではない。細部こそ、文化が宿る場所である。

包む、結ぶ、贈る、供える、盛る――日本では、こうした日々の営みが長い時間の中で型となり、その型が磨かれて美となり、伝えられてきた。暮らしをかたちにして、次へ伝えてゆく。それもまた、日本の在り方であり、日本の美が形成されてきた一つの道なのだと思う。

そして、誰もが通り過ぎてしまいそうな細かなところに、「ここには何かある」と感じて立ち止まる。私はそれを、よく「センス」と呼ぶ。

センスとは、単に洒落ていることでも、器用に美しいものを作ることでもない。何を大切なものとして感じ取れるか、である。兼好が「箱の緒をどちらに付けるか」という小さなことをわざわざ尋ね、書き残したところにも、その感覚が光っている。

六百年以上の時を経て、それを読む私たちが、その小さな記録から当時の暮らしを感じ取っている。茶碗屋もまた、古い暮らしの中に残された細部を拾い、それを器というかたちにして、次へ手渡してゆく。

こころをかたちに。

第九十五段は短い。しかし、その短い文章の細部にこそ、日本の暮らしと美を考える大切な「こころの場所」がありました。

――なるみと読む徒然草 第九十五段 了

窯元日々雑感 徒然草 第九十四段

なるみと読む徒然草:第九十四段

令和8年9月8日(火)晴れ、のち雨

◆原文

常盤井相国、出仕し給ひけるに、勅書を持ちたる北面あひ奉りて、馬より下りたりけるを、相国、後に、「北面なにがしは、勅書を持ちながら下馬し侍りし者なり。かほどの者、いかでか君につかうまつり候ふべき」と申されければ、北面を放たれにけり。

勅書を馬の上ながら捧げて見せ奉るべし。下るべからずとぞ。

◆現代語訳

常盤井相国が出仕なさった時、勅書を持った北面の武士が相国にお会いして、馬から下りた。相国は後に、「あの北面某は、勅書を持ちながら下馬した者である。これほどの者が、どうして君にお仕えできようか」と申されたので、その北面は職を解かれてしまった。

勅書は馬の上に乗ったまま、両手で高く捧げて見せ申し上げるべきものであって、下馬してはならないのだという。

 

◆陶主日記

今朝は林屋辰三郎『南北朝』を読み、その熱の冷めやらぬまま『徒然草』第九十四段を開いた。

ある日、北面の武士が勅書を携え、常盤井相国の前へ現れる。武士は相国を前に、馬から下りた。一見、上位の者への自然な敬意の表れに見える。

だが、問題の本質はそこにはない。

勅書を奉じる者は、個人としてそこに立っているのではない。天皇の命——君命とその権威——を背負った「使者」である。その使者が相国の前で下馬するとは、結果として「勅書(君権)よりも相国個人を上に置いた」ことにほかならない。

相国もまた、これを見過ごせない。不問に付せば、今度は自分が「勅書を軽んじ、私的な敬意を優先させた」と疑われかねぬからだ。だからこそ武士を処分する。これは礼儀作法の些細な咎めではなく、故実——儀礼の規律——を守り、国家の秩序を保つための、厳格な危機管理だったのだろう。

世の上下が揺らぎ、武士の勢力が伸長し、古い秩序が崩れゆく時代。だからこそ相国は、曖昧な妥協を許さなかった。一人の武士を厳しく処すことで、「まだ故実は生きている、規律は崩れていない」と世に示さざるを得なかった。兼好はその、緊張感あふれる一瞬の空気を書き留めたのではないか。

ここで大切なのは、この話を安易な「礼儀作法の教訓」として片付けないことだ。

まず兼好が描いた現場を、そのまま客観的に見つめる。そこへ『南北朝』のような歴史書の客観を重ね合わせる。歴史の大きなうねりと、『徒然草』が切り取った現場の小さな一瞬——二つの視点が重なる時、人物の所作の向こうから、当時の息づかいと張り詰めた時代の気配が立ち上る。

今日の輪読で見えてきたのは、「客観に客観を重ねて読む徒然草」の面白さである。

兼好の文章を、後世の道徳的教訓集としてではなく、あの混乱の時代を生きた人々をリアルに拾い上げた「優れたジャーナル」として読む。すると、何気ない古典の一場面が、俄然、生々しく動き始める。

第九十四段は、まさにその醍醐味を教えてくれる一章だった。

 

 

窯元日々雑感 徒然草 第九十三段

なるみと読む徒然草 第九十三段

牛を売る者あり

【原文】
牛を売る者あり。買ふ人、明日、その値をやりて、牛を取らんといふ。夜の間に牛死ぬ。買はんとする人に利あり。売らんとする人に損あり」と語る人あり。
これを聞きて、かたへなる者の云はく、「牛の主に、また大きなる利あり。その故は、生あるもの、死の近き事を知らざる事、牛既にしかなり。人、また同じ。はからざるに牛は死し、はからざるに主は存ぜり。一日の命、万金よりも重し。牛の値、鵞毛よりも軽し。万金を得て一銭を失はん人、損ありといふべからず」と言ふに、皆人嘲りて、「その理は、牛の主に限るべからず」と言ふ。

また云はく、「されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。愚かなる人、この楽しびを忘れて、いたづがはしく外の楽しびを求め、この財を忘れて、危く他の財を貪るには、志満つ事なし。生ける間生を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず。人皆生を楽しまざるは、死を恐れざる故なり。死を恐れざるにはあらず、死の近き事を忘るるなり。もしまた、生死の相にあづからずといはば、実の理を得たりといふべし」と言ふに、いよいよ嘲る。

【現代語訳】
牛を売ろうとする者がいた。買い手は「明日、代金を払って牛を引き取ろう」と言った。ところがその夜のうちに、牛は死んでしまった。買おうとしていた人には利があり、売ろうとしていた人には損があった、と語る者がいる。
これを聞いて、そばにいた男が言った。「牛の持ち主にも、実は大きな利があった。なぜなら、生きているものは死が近いことを知らない――牛もまさにそうだったし、人も同じだ。思いがけず牛は死に、思いがけず持ち主は生き残った。一日の命は万金よりも重く、牛の値段など鳥の羽ほどにも軽い。万金を得て一銭を失うような人が、損をしたなどと言えるだろうか」。すると皆はこれを嘲って、「その理屈は牛の持ち主に限った話ではないだろう」と言う。
男はなおも言う。「だから、死を憎むなら、生を愛すべきだ。生きている喜びを、なぜ日々楽しまないのか。愚かな人はこの楽しみを忘れて、あくせくと外の楽しみを求め、この財産(=命)を忘れて、危険を冒してまで他の財を貪るから、いつまでも満ち足りることがない。生きている間に生を楽しまずに、死に臨んで死を恐れるというのは、道理に合わない。人が皆、生を楽しまないのは、死を恐れていないからだ。いや、死を恐れていないのではなく、死が近いことを忘れているだけなのだ。もし本当に生死にとらわれないというのなら、それこそ真の道理を得た人と言うべきだろう」。これを聞いて、人々はますます嘲った。

【なるみと読む徒然草 陶主日記】
令和8年9月7日(月曜日)曇り後雨

牛を売る約束をした夜、その牛が死んだ。売り手は損をし、買い手は得をした。誰もがそう思うところに、ある人が横から口を挟む。
「いや、牛の主にも大きな利があった」

生あるものには、必ず死が迫っている。牛の死によってそれを知ったのだから、これは万金にも勝る利益ではないか――。
周りはすかさず、
「そんな理屈は牛の主に限らんでしょう」
と笑う。
それでも男は止まらない。生を愛するなら命あるうちに楽しめ。財を重んじるな。話はどんどん広がり、最後は生死を超える境地まで飛躍していく。

正直、ちょっと馬鹿馬鹿しい。(笑)
解説書の中には、阿含経を引いて「死生観の深化」と読むものもあれば、逆に「飛躍が多く、説得力に乏しい座談」と、かなり醒めた目で見るものもある。学者の間でも評価が割れているあたりが、この段のおもしろさかもしれない。

今日の円座では、そのどちらでもない読み方をした。牛一頭の損得話から「利」の一語を転がし、とうとう生死まで儲け話に仕立ててしまう。これは上質な言葉遊び、今でいう漫談だろう。周りもそれを承知で茶々を入れ、話す方はもっともらしい理屈を積み上げながら、その場を遊んでいる。

得意げに生死を語るこの男は、ひょっとすると兼好自身ではなかったか。大層なことを述べる自分を、あえて周囲の嘲笑の中へ置いてみせる。

だとすれば、これはなかなかの自嘲である。物を書く者は、ともすれば世間より一段高いところから物を言いたくなるものだが、兼好はそれを知っていて、「偉そうなことを言っておりますが、まあ、こんなもんですわ」と自分ごと笑いの中へ降りてきたのだろう。

深いことを知らないから軽いのではない。多くを知った上で、それを重たく背負って見せない。昨日の「ライトにさらり」は、今日もう一歩先へ進んだ。ライトを突き詰めれば、軽みになる。

牛一頭から生死まで、大風呂敷を広げて皆で笑う。今日はこちらも、一緒に笑って読んだ。この段は、それでよいのだと思う。

窯元日々雑感 徒然草 第九十二段

なるみと読む徒然草 第九十二段

【原文】
ある人、弓射ることを習ふに、諸矢をたばさみて的に向かふ。師の言はく、「初心の人、二つの矢を持つことなかれ。後の矢を頼みて、初めの矢に等閑の心あり。毎度ただ得失なく、この一矢に定むべしと思へ」と言ふ。
わづかに二つの矢、師の前にて一つをおろかにせんと思はんや。懈怠の心、みづから知らずといへども、師これを知る。この戒め、万事にわたるべし。
道を学する人、夕には朝あらんことを思ひ、朝には夕あらんことを思ひて、重ねてねんごろに修せんことを期す。況んや、一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らんや。何ぞ、ただ今の一念において、直ちにする事の甚だ難き。

【現代語訳】

ある人が弓を習っていて、二本の矢を持って的に向かった。師は言う。「初心者は二本の矢を持ってはならない。後の矢を頼りにして、最初の一矢がおろそかになる心が生まれるからだ。毎回、この一本で決めるのだという気持ちでいなさい」と。

たった二本の矢、それも師の前で、一本を粗末にしようなどと思うだろうか。思わないはずだ。だが怠ける心は、自分では気づかなくとも、師の目にはちゃんと見えている。この戒めは、あらゆることに通じる。

道を学ぶ者は、夕方には翌朝のことを、朝には夕方のことを思い、いずれ改めて真剣に取り組もうと考える。まして、一瞬一瞬の中に怠け心が生じていることになど、気づけるはずがない。ただ今この一念において、直ちに行うことが、いかに難しいことか。

【陶主日記】
徒然草・第九十二段。

弓を習い始めた初心者が、二本の矢を手に的に向かう。それを見た師は「初心の人、二つの矢を持つことなかれ」と戒める。後の矢があるという甘えが、最初の一矢をなおざりにするからだ、と。

通説では、この段は「懈怠の心への戒め」や「今この瞬間を大切にせよ」という教訓として読まれてきた。もちろん、その解釈に異論はない。
毎日机に向かい手習いに励む孫に、
「次があると思わず、今の一枚に全力を尽くしなさい」
とおじいちゃんが優しく諭すには、格好の例え話だろう。
だが、弓道や書道、あるいは陶芸といった「道」の境地に入っていくと、見え方は少し変わってくる。

ただ「怠けるな」「一回を大切に」という精神論(道徳)だけで、道に通じることなどできないからだ。反復によって身体に技を染み込ませ、その身体を通じて「心」を深めていく。土に手を置く者なら誰しも覚えのある、あの染み込み方だ。それこそが稽古の真諦(しんたい)ではないか。

そう考えると、兼好の引いた「弓の逸話」と、結論である「人生訓」との間には、どうも乖離があるように見えてくる。兼好は本当に弓の実践を知っていたのだろうか。技の身体性を語るというより、弓の話題を借りて自説の教訓へ着地させただけなのではないか――。

オイゲン・ヘリゲルの『弓と禅』に描かれるような、身体と技が解け合っていく稽古の世界を思い浮かべると、その感は一層強くなる。
だから今日は、この文章を過度に難しく崇める必要もないのだと思う。

「うん、なかなか良いことを言っている」。
第九十二段、今日はそんな味わい方をした。