窯元日々雑感 徒然草 第八十一段

なるみと読む徒然草 陶主日記

令和八年八月二十五日(火曜日)晴

​第八十一段 翁の小言、されど侮れず

​今朝の第八十一段。

昨日とは一変して、兼好法師は家の調度について、あれこれ細かな注文をつけている。

屏風や障子に珍しい書や絵を飾り立てること、持ち物の嗜好によっては、その人の心まで貧しく見えてしまう、とまで言う。

​最初は、

「人の家のことまで口を出さんでも。いろいろうるさいなぁ」

と思った。

まるで、小うるさい翁の小言である。

​けれど、読み進めていくうちに、この細かな物言いの奥に、兼好法師が生きた時代の不安定さが見えてくるように思えた。

​鎌倉から南北朝へ。日本史上でも大きな転換期である。

そのような時代を生きれば、人の心も落ち着かない。

大きな秩序が揺らぐからこそ、かえって暮らしの細部にまで、何か確かな形を求めたくなるのかもしれない。

​兼好法師の美意識は、すでに「侘び寂び」へ向かっているようにも見える。

珍奇なものを集めない。飾り立てない。見せびらかさない。足るを知る。

知足の教えが、時代の大きなうねりとともに、ひとつの美意識へと昇華し始めていたのだ。

その流れは、のちに千利休が大成させる美意識にもしっかりと通じている。

​侘び寂びとは、単に心を静める美ではなく、

心を「こころ」へ帰すための美——。

そのようにも読める。

​家は本来、外の競争や評価から離れて、本来の「こころ」へ帰る場所であってよいはずだ。

ならば、自我の煩わしさを、家の中まで持ち込む必要はない。

今日の段を、私はそのように受け取った。

​現代は、物が溢れている。家の中も、物置以上に物で満ちている。

欲しい。持っておきたい。捨てられない。見せたい。残したい。

そんな自我の動きが、物の形となって家の中に積み重なっていく。

​そう考えると、八百年前の翁の小言も、案外まっすぐに今の私たちの暮らしへ届いてくる。

ありがたい教えとして拝むほどではない。

けれど、笑って聞き流すには、少し深い。

​翁の小言、されど侮れず。

今日は、そのくらいで味わうのが丁度よい。

​【徒然草 第八十一段 原文・現代語訳】

​■ 原文

屏風・障子などの、絵も文字もかたくななる筆様して書きたるが、見にくきよりも、宿の主のつたなく覚ゆるなり。

​大方、持てる調度に応じても、心劣りせらるる事ありぬべし。さのみよき物を持つべしとにもあらず。損ぜざらんためとて、品なく、見にくきさまにしなし、珍しからんとて、用なきことどもし添へ、わずらはしく好み好ませたるをいうなり。古めかしくやうにて、いたくこと新しからず、つひへもなくて、物からのよきがよきなり。

​■ 現代語訳

屏風や障子などに描かれた絵や文字が、見苦しく頑なな筆遣いであるのは、単に見栄えが悪いという以上に、その家の主人の人品まで劣っているように感じられるものだ。

​おおむね、所有している道具ひとつをとっても、(その選び方によって)持ち主の人柄に対して失望させられてしまうということは、よくあることである。

かといって「とにかく高級で良い物を持たねばならない」と言っているわけではない。破損を防ごうとして品がなく不格好に補修したり、珍しがらせようと無用な装飾を加えて、かえって煩わしく趣向を凝らしたりしている(わざとらしさ)を言っているのだ。

​古風な趣があり、大げさで仰々しくなく、無駄な費用もかかっておらず、もの自体の質が良い——それこそが良い道具というものである。

窯元日々雑感 徒然草 第八十段

なるみと読む徒然草 陶主日記

第八十段――時代の後ろ姿を読む

​令和八年八月二十四日(月曜日)晴れ

​午前五時十分、目覚める。

徒然草第八十段を予習。六時半、起床。

​今朝の第八十段を読みながらまず感じたのは、兼好法師の生きた世が、かなり大きく揺らぎ始めていたということだ。

​この段で兼好は、人が自らの本分を離れ、身に馴染まぬ分野を好む滑稽さや危うさを描いている。法師が武芸に心を寄せ、武士が貴族文化や風雅へと近づいていく。兼好はそれを、決して好ましい変化とは見ていない。

​ここ数段を続けて読んでいると、同じような伏流が繰り返し聞こえてくる。社会の秩序が崩れ、人々の立つ場所が変わり、上下の境目すら曖昧になっていく。後世の私たちは、それを「時代の転換期」と一言で片付けることができるだろう。

​しかし、その渦中に生きている兼好に未来は見えない。ただ、「世の中がどうもおかしい」「今まで通りではいかない」という違和感と苛立ちだけが、目の前の人々の姿を通して突きつけられている。

​兼好法師は、時代を切り拓く改革者ではない。未来を予言する先知者でもない。時代の転換期に遭遇した、一人の観察者――「ウォッチャー」である。

​ただし、その視線は決して中立ではない。彼はどこまでも、宮廷文化や貴族社会の教養と秩序の側に立っている。貴族が武士の力に迎合し、武士が貴族文化に浸食していく。後世から見れば、それは新たな文化が生み出されるダイナミズムだったのかもしれない。しかし兼好の目には、自分たちが大切にしてきた世界そのものが侵食され、崩壊していくプロセスに見えたのではないか。

​だからこそ、この一連の段にはどこか潜んだ怒りがある。そしてその苛立ちの奥には、「自分の立つ場所そのものが消えていく」という静かな予感すら漂っている。

​今日の輪読で改めて考えさせられたのは、「無常」という言葉の意味だ。

貴族社会が抱いた落日への無常感と、仏教が説く理(ことわり)としての無常はイコールではない。栄華の衰退を嘆き、愛したものの喪失や旧秩序の消滅を惜しむ感情は、仏法の無常観とは本質的に異なる。

​兼好は当然、仏教の教えを知っている。しかし私には、彼が犀の角のごとく独り悠々と仏道を歩む修行者には見えない。彼はあまりにも世間を観察しすぎている。身分を見、作法を見、人の好悪を見、時代の変化にいちいち腹を立てる。思索を極限まで掘り下げ、一つの完成された哲学へ昇華させるタイプでもないように思う。

​むしろ、

見た。

感じた。

気になった。

だから、書いた。

​それこそが『徒然草』の本質ではないだろうか。一つの結論に辿り着かないからこそ、また次の段が生まれる。人間も世相も味わい尽きることがないからこそ、二百四十三段まで書き継ぐことができたのだろう。

​鴨長明の『方丈記』と比べると、その差は明解だ。長明は時代の動乱から逃れ、自己の存在の根本へと深く深く潜っていった。対して兼好は、どこまでも世間に留まり、揺れる人間の姿を凝視し続けた。その意味で、兼好は実に人間臭い。そしてだからこそ、『徒然草』は時代を読むテキストとして面白く、味わい深いのだ。

​ただ、兼好と共に思索を深めようとすると、その先は読者である私たちに委ねられる。兼好がわかりやすい答えを与えてくれるわけではない。彼が見つめ、書き残した「素材」を手がかりに、私たちが考えるのだ。

​ここに、この「円座」が成り立つ理由がある。

​表向きは徒然草の一段を紐解いている。しかし、私たちが本当に捉えようとしているのは、その文章の背後に広がる「時代」そのものだ。なぜ兼好はこれを書かずにいられなかったのか。当時、人々はどう変わり、何が崩れ、何が生まれようとしていたのか。

​そして七百年後の今、私たちはどのような時代の変革の中に立っているのだろうか。

​現代の変化のスピードとスケールは、徒然草の時代とは比べものにならない。だからこそ、七百年前の一人のウォッチャーが残した言葉を「窓」として、私たちは自分たちのいまを覗き込む。

​古典を読み、

その背景にある時代を読み、

そして、現代(いま)を読む。

​もしかすると、これこそが「なるみと読む徒然草」という円座の、本当の主題なのかもしれない。

​今朝もまた第八十段を通して、文章の向こう側に広がる時代の景色に思いを馳せる朝となった。

 

※※※※ ※ ※※※※ ※ ※※※※

​【原文】

​人ごとに、我が身にうとき事をのみぞ好める。

​法師は、兵(つわもの)の道を立て、夷(えびす)は、弓ひく術(すべ)知らず、仏法知りたる気色(けしき)し、連歌し、管弦を嗜(たしな)み合へり。

されど、おろかなる己(おの)が道よりは、なほ、人に思ひ侮(あなど)られぬべし。

法師のみにもあらず、上達部(かんだちめ)・殿上人(てんじょうびと)・上ざままで、おしなべて、武を好む人多かり。

百度(ももたび)戦ひて百度勝つとも、未だ、武勇の名を定め難し。その故は、運に乗じて敵を砕く時、勇者にあらずといふ人なし。兵尽き、矢窮(きわ)まりて、つひに敵に降(くだ)らず、死をやすくして後、始めて名をはすべき道なり。

生けらんほどは、武に誇るべきならず。人倫に遠く、食糞(きんじゅう)に近き振舞、その家にあらずは、好みて益(やく)なきことなり。

 

​【現代語訳】

人はだれしも、自分には本来縁の薄い専門外のことばかりを好みたがるものだ。

(例えば)出家した法師が武芸の道を主張し、東国の武士は弓を射る術も知らないくせに、仏法を知っているような顔をし、連歌をし、楽曲演奏などを嗜み合っている。

しかし、(専門外の芸に手を出す者は)つたない本業の専門家と比べるよりも、かえって人から軽蔑されるに違いない。

法師に限ったことではない。公卿や殿上人、果ては身分の高い貴族に至るまで、概して武芸を好む者が多い。

しかし、百回戦って百回勝ったとしても、それだけで武勇の名誉を確立することは難しい。なぜなら、勢いに乗って敵を打ち破っている時には、だれであれ勇者ではないと言われることはないからだ。兵士が尽き、矢も底をついて、それでも決して敵に降伏せず、潔く死を受け入れて初めて、名を残すことができるのが武士の道なのである。

生きている間は、武芸を誇るべきではない。人道から外れ、まるで野獣のような荒々しい振る舞いは、その家柄(本業の武士)でなければ、好んで手を出したところで何も得るものがないことなのである。

窯元日々雑感 徒然草 第七十九段

​なるみと読む徒然草 第七十九段

令和八年八月二十三日(日曜日)晴れ

​【第七十九段】

​■ 原文

何事も入りたたぬさまをしたるぞよき。よき人は、知りたる事とて、さのみ知り顔には言ふ。片田舎よりさし出でたる人こそ、万の道に心得たるよしのさしいらへはすれ。されば、世に恥づかしきかたもあるけれど、自らもいみじと思へる気色、かたくななり。

よくわきまへたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそ、いみじけれ。

​■ 現代語訳

どんな事についても、深く立ち入って知っているふりをしないのがよい。教養のある優れた人は、知っている事だからといって、それほど知ったかぶりの顔で話したりはしない。田舎から出てきたような人に限って、あらゆることに精通しているかのような口出しをするものだ。そのため、時には感心させられる面もあるにはあるが、自分自身でも鼻にかけて誇っている様子は、愚かで見苦しい。

本当によく理解している専門分野においてこそ、決して軽々しく口を開かず、問われない限りは語らないことこそが、本当に素晴らしいのだ。

​今日の第七十九段は、読み始めた時と読み終えた時とで、私の中の景色が大きく変わる一段となった。

​兼好は、よく知っている人ほど軽々しく口にせず、問われない限り多くを語らないものだと言う。最初は「自我を戒める佛道の教えなのだろうか」とも思った。

​しかし、読み進めていくうちに少し違う感覚が湧いてきた。ここで語られているのは、むしろ都の作法、美意識、そして身の処し方ではないだろうか。

​「片田舎よりさし出でたる人」が、何でも知っているかのように受け答えをする姿を、兼好はかなり辛辣に描いている。平たく言えば、田舎者を揶揄しているのだ。それを無理に佛道の「慎み」や「無我」にまで引き上げて読むと、かえってこの段が持つ生々しさを見失ってしまう。

​都という狭い世間では、言葉ひとつ、振る舞いひとつがその人の品位や立場に直結する。知っていても知った顔をしない。出過ぎない。問われないことまで口にしない。これは信仰というより、都人の処世術であり、教養であり、美意識なのだろう。

​そして、ここからひとつの大きな疑問が立ち上がった。

「兼好法師とは、いったい何者なのだろう」と。

​法師であり、遁世者でありながら、彼は都の人間関係や作法、身分、評判に驚くほど敏感だ。しかもその文章は時に非常に辛辣で、人物を評し、良し悪しをきっぱりと言い切る。

​佛道を歩む者の言葉として読むには、以前からどこか違和感があった。もし真の仏教者の眼差しであるなら、田舎者を笑うだけでは終わらないはずだ。愚かな振る舞いをする相手も、それを見て心を波立たせる自分も、ともに儚く、慈悲の眼差しの中に包み込まれるべきではないか。しかし今日の段には、そうした超越的な視点はあまり見られない。前面に出ているのは、どこまでも都人としての価値観だ。

​そこで今日は、徒然草を読む立ち位置そのものを少し変えてみることにした。

兼好を、最初から智慧者とも、信仰者とも、人格者とも決めつけない。ただ一人の「書き手」として対峙する。

​文章の上手な先生ではある。観察も鋭い。人間を見る目も確かだ。だが、それをそのまま「人格の高さ」と同一視する必要はないのではないか。

​知識人ゆえの矛盾と、智慧者然とした文体を持つ一人の書き手。

そうした適切な距離感で読む方が、今の私にはずっと自然に思える。

​これまで「古典だから敬って読まなければならない」「兼好法師だから佛道として受け止めなければならない」と、知らず知らずのうちに肩に力が入っていたのかもしれない。けれど、古典だからといってすべてをありがたく受け取る必要はないのだ。違和感があれば違和感のまま置けばいい。疑問があれば疑えばいい。ただ一段ごとに、そこに立ち現れる兼好の姿を見つめればいい。

​今日、私の中にその「隙間」が生まれた。そしてその隙間が、古典を読む自由を生んでくれた。

​これからは、一筋縄ではいかない兼好という人物を、まっすぐ観察しながら読み進めていこうと思う。佛道の段は佛道として、都の作法は作法として、人物評や政治の匂いがする場面はそのままに。一つの枠に閉じ込めないことで、より生々しく躍動する『徒然草』が立ち上がってくるはずだ。

​第七十九段。長年抱えていた固い結び目が、ふっとほどけたような気がしている。ここからまた、新しい『徒然草』との付き合いが始まる。

窯元日々雑感 徒然草 第七十八段

 

なるみと読む徒然草 陶主日記

令和八年八月二十二日(土曜日)晴れ

​徒然草 第七十八段

​午前六時三十分起床。

​今朝は、徒然草の資料を工房に置き忘れてしまった。

早朝の輪読は休もうかとも思ったが、ネット上の本文を確かめながら、第七十八段を読むことにした。

​【原文】

世にこと古りたるまで知らぬ人は、心にくし。いささかなる内輪の物語・世の物語も、知らぬさまにて、聞き心地よげに頷くばかりなるは、よし。知れることなりとも、我かしこに言ひ出だすべきにあらず。

うちうちの笑ひ・目配せなどして、知らぬ人をのけにする気色、いと憎し。古き事も、我のみ知りたるやうに誇り言ひ、知らぬ人を言ひ落すなど、いと口惜し。

​【現代語訳】

世間でとうに当たり前になっているような古いことまで知らないでいる人は、奥ゆかしくて魅力的だ。ちょっとした身内の話や世間の噂話も、知らない様子で心地よさそうに頷いているくらいが好ましい。知っていることであっても、「自分は知っているぞ」と得意気に言い出すべきではない。

内輪の笑いや目配せをして、知らない人を仲間外れにする様子は大変憎らしい。古い出来事も自分だけが知っているかのように自慢げに話し、知らない人を貶めるなどは、非常に感心しないことだ。

​第七十八段は、昨日の第七十七段からそのまま続いているように感じられた。

昨日は、世の中の出来事や人の噂を拾い集め、必要以上に言い広めて人の心や場を騒がせる者の姿が見えてきた。

​今日の段ではさらに、新しいことを知っている者、内輪の情報を共有している者が、その情報によって人と人との間に線を引き、知らない者を外側へ置いてゆく姿が描かれている。

​仲間内だけに通じる言葉を交わし、目配せをし、笑い合う。ほんの些細な日常の振る舞いである。しかし、その小さなところに、「知っている者」と「知らない者」、「内側の者」と「外側の者」を分けてゆく人間の性向が現れているように思う。

​今の世相と、実によく似ている。

​情報を囲い込み、その情報を共有する者だけで世界をつくる。囲い込まれた者は、やがて一方から与えられる情報を真実と思い込み、その情報を握る者に従っていく。今の社会の至るところで見られる構図である。

​ただし、兼好は大上段から政治や社会を論じてはいない。人のちょっとした言葉遣いや振る舞い、目配せ、笑い——そのような日常の小さな現象を描いている。そこが、この段の深いところである。

​大きな時代の転換は、ある日突然始まるのではない。

その前に、人の言葉が変わる。

人と人との間に線が引かれる。

噂や情報の扱われ方が変わる。

知らない者を軽く見る空気が生まれる。

​そのような日常の足元の変化が積み重なり、やがて時代そのものの転換となって現れてくる。兼好の生きた鎌倉末期から南北朝へ向かう時代を思えば、この短い一段の背後にも、時代の窮屈さや不穏な空気が感じられてくる。

​その中で兼好は、

「世にこと古りたるまで知らぬ人は、心にくし。」

と書く。

​ここに、兼好自身の立ち位置がよく現れている。

新しい情報を誰より早く知ることに価値を置かない。知っていることで人の上に立とうとしない。世間の騒ぎから少し離れ、知らないことにも慌てず、自分を失わない。

​情報から逃げるのではない。情報に自分を預けないのである。

​現代は、情報に触れることだけなら誰にでもできる。しかし、その情報を自分の中で整理し、自分の言葉にし、自分の判断として持つことは案外難しい。便利な時代だからこそ、

​自分で読む。

自分で考える。

自分の言葉にする。

​その稽古が必要になる。

​今回、AIとともに徒然草を読み始めてから、古典が以前よりずっとリアルに感じられるようになった。注釈の答えを受け取るだけではなく、前後の段をつなぎ、時代背景を考え、現代の世相と重ね、自分の暮らしへ戻して考える。そこに、この「なるみと読む徒然草」の円座の特色が生まれてきたように思う。

​古典を読む場所であると同時に、自分を見失わないための稽古の場。自分が立ち、個性が鍛えられ、互いの違う読みを持ち寄りながら、ともに成長を促す道場でもある。

​正解を競う場所ではない。

「私はこう読む」

「私はこう感じる」

その言葉を持ち寄り、本文を真ん中に置いて、ともに考えてゆく。

​七百年前の兼好の言葉が、令和八年の朝にこれほど生々しく響いてくる。特に今日の第七十八段には、日常の小さな違和感の中に時代の大きな徴候を見る眼差しが濃く感じられた。

​強く断定しない。説き切らない。けれど、読む者の中に何かを残す。その余白こそが、『徒然草』の尽きない味わいの深さなのだろう。

​資料を工房に置いたままの朝だった。

今日はどうなることかと思ったが、むしろ一段を深く読むことができた。

​こんな朝もまた、円座の一日である。

​合掌。

残暑の工房

なるみ庵

 

山の仕事場も残暑が厳しいです。扇風機を2台、稼働してます。

今日も静かな一日でした。

仕事は、陶主がカワセミ紋沓形向付の削り仕上げ。昼から公民館陶芸クラブの指導に行かれ、16時に戻られました。19時からは夜の部の方へ出かけました。

私は青もみじ紋平向付の絵付です。あと少しです。

カワセミ紋沓形向付

窯元日々雑感 徒然草 第七十七段

令和8年8月21日(金曜日)晴残暑続く

​午前5時50分目覚め

​徒然草第七十七段

なるみと読む徒然草 陶主日記

令和八年八月二十一日(金曜日)晴れ

徒然草 第七十七段

午前五時五十分、目覚め。

昨日に続き、今日も聖法師の話である。

第七十六段では、聖法師の言葉を、私は「こころを静めるための言葉」として読んだ。

見たまま、聞いたままを受け取り、そこに余計な判断を差し挟まない。そんな佛道の姿まで深く読んでいた。

ところが、第七十七段へ進むと、少し景色が変わってきた。

どうも、この二、三段に登場する聖法師たちは、信仰の世界に静かに生きる人というより、かなり世俗の近くにいる。権門に出入りし、人の噂や事情をよく知り、それをまた人へ伝えてゆく。

今の言葉で言えば、情報を集め、流し、人々の見方に影響を与える位置にいる人たちである。

そこには、信仰というよりも、世俗社会における情報の働きが見えてくる。

昨日から感じていた世相の緊迫感が、今日はさらに強くなった。

そして、その聖法師たちを見ている兼好自身も、やはり世俗から遠く離れた人ではない。

宮廷や中央社会の事情をよく知り、人の動き、評判、作法、権力、噂、情報の流れを細かく見ている。

私は最初から、兼好という人にはどこか「ジャーナル」のような感覚があると思っていた。

ただ、最初からその言葉を当ててしまうと、『徒然草』を限定して読んでしまうように思い、控えてきた。

しかし、ここまで読み進めると、その言葉も自然に共有できるようになった。

兼好は、ただ思いついたことを書き留めた人ではない。

日々の出来事、人の言動、社会の空気をかなり綿密に手元へ残し、それを選び、並べ、文章として世に返している。

単なるメモではない。

日記であり、記録であり、同時代を見つめる知識人の仕事である。

そして何より、兼好は「書き残す」という行為そのものが、すでに情報になることを知っていたのではないか。

だからこそ、あの独特の短い文体の中に、人物だけではなく、時代そのものが浮かび上がってくる。

ここまで来て、兼好像は少し変わった。

私はもっと、隠者然とした人であってほしかった。

世相を知りながら、そこから少し離れ、道との距離を見せてくれる人。

風に流すように、世の出来事を眺める人。

そんな兼好を、どこかで期待していた。

しかし、今日の段を読むと、彼は思っていた以上に世相の近くにいる。

かなり積極的に人を見、情報を拾い、それを書き残している。

正直に言えば、

少し残念だった。

「やっぱりそうか」

という感覚でもあった。

けれど、それは兼好が悪いわけではない。

こちらが勝手に思い描いていた兼好像である。

昨日は、兼好の言葉を自分の「こころ」の側へ引き寄せ、深く読んだ。

今日は、それが一転した。

そのことで初めて、

兼好と私との距離が見えた。

人は、自分と同じものを他者にも求めてしまう。

同じ道を歩き、同じところを見ていてほしいと思ってしまう。

けれど、それも夢のまた夢。

違って当然である。

兼好は兼好。

私は私。

同じでなくてよい。

近づいたり、離れたりしながら読む。

共鳴するときもあれば、違和感を覚えるときもある。

その距離まで含めて、古典を読むということなのだろう。

今日は、徒然草そのものよりも、

読む者と書いた者との距離

を教えてもらったように思う。

それもまた、輪読の大切な一日であった。

​【原文】

世中に、その比、人のもてあつかひぐさに言ひ合へる事、人の、よく案内知りて、人にも語り聞かせ、問ひ聞き重なること、うけ入れぬ。

ことには、片ほとなりなる聖法師などぞ、世の人の上は、我が如く尋ね聞き、いかでかばかりは知りけん覚ゆるまで、言ひ散らすめる。

​【現代語訳】

世間で、その当時、人々が持てあまして話題にしている事柄について、ある人がその内情をよく知っていて、人にも語り聞かせ、こちらの問いかけや聞き取りに何度も答えてくれるのは、すんなりと受け入れられる。

しかし特に、中途半端な修行者である聖法師などが、世間の人の噂話や出来事について、まるで自分のことのように探し求めて聞き出し、「どうしてこれほどまで知っているのだろう」と思われるほど吹聴して回る様子は、何とも見苦しく思われる。

粘葉本和漢朗詠集 端午「其の二」

なるみ庵

和漢朗詠集 端午より

 

和漢朗詠集「端午」の和歌。

わかごまと けふにあひくる あやめぐさ おひおくるゝ やまくるなるらん

 

当時の宮中では、5月5日に馬を走らせて速さを競う「駒くらべ」の行事と、あやめ草の根の長さを競い合う「根合わせ」という遊びがありました。

この二つの勝負事を掛け合わせて、「どちらも負けないくらい立派で、勢いがある」という、おめでたい歌に仕立ててあります。

 

この和歌は、『源氏物語』「蛍」の巻で、端午の節句に光源氏が花散里を訪れた場面にも出てきます。

花散里が、

「あやめ草 つみても今日の ねにぞ泣く 語らふ人の 影しなければ」

と詠むのに対して、光君は、

「若駒の 迎えに徹る 今日だにも おくれぬねには 誰か泣くべき」

と返します。

「若駒が負けるはずがない」という元の歌の勢いを借りて、「私はあなたを裏切ったり、忘れたり(負けたり)しないよ」と、花散里への変わらぬ愛と安心感を伝えているのだそうです。

元の和歌を知っているからこそ分かる、光君の粋な返し。

格好良いですね。

窯元日々雑感 徒然草 第七十六段

令和八年八月二十日(木曜日)曇

​午前五時に目覚め、徒然草の予習。

六時三十分起床。

​今日は『徒然草』第七十六段を読む。

​昨日の第七十五段は、珍しく力のこもった文章だった。

内面から噴き出すような厳しさがあり、ある種の決意のようなものが感じられた。

​そして今日は、その続きである。

​【原文:第七十六段】

世の覚え華やかなるあたりに、噯気も喜びもありて、人多く行き交ふ只中に、聖・法師の交りて、言ひ入り、たひずみたるこそ、さらずともと見ゆれ。

さるべき故ありとも、法師は人にうとくてありなん。

​【現代語訳】

世間の評判が高く華やかなお宅で、お悔やみやお祝いごとがあって人が多く行き交うそのただ中に、出家者や法師が交じり込んで、案内を乞うたり門口に立ちすくんだりしているのは、「そこまでしなくてもよいのに」と思われる。

そうするだけの正当な理由があるにしても、法師というものは、世俗の人々とは疎遠でいるのがよいのだ。

​冒頭に現れる、

​「さらずとも」

​という一言が、どうにも気になった。

​「そこまでせずともよかろうに」

​そんな意味合いの、柔らかな言葉である。

​けれど、これは単なる他人への批評ではない。

ましてや、法師という立場を責めたてる言葉でもないはずだ。

​兼好法師自身、世間を完全に離れた人ではなかった。

中央とのつながりを持ち、社会の秩序の中に身を置いていた人である。

​人は完全に社会と繋がりを断って暮らすことは難しい。

法師もまた、法師という立場で社会に関わり生きている。

​釈尊でさえ、托鉢を通じて人々との関わりの中で生きておられた。

​そう考えると、問題は「身の置きどころ」そのものではない。

​執着の問題。

すなわち、心の問題である。

​第七十五段が兼好法師自身の内面の吐露であったとするなら、今日の第七十六段は、世間に映し出された自分自身の姿なのだろう。

​華やかな場所に交じる法師を見て、

​「さらずとも」

​と思う。

​けれど、その法師は決して他人ではない。

​誰がこの法師を責められようか。

おのれ自身が、まさにこの法師なのではないか。

​そう気づいた時、胸が痛む。

​これは単なる自戒というより、

自分自身の姿を目の当たりに突きつけられた痛みである。

​仏道を歩む者は、他者をただの「他者」として見ない。

​目の前の出来事も、他人の立ち振る舞いも、

すべて自己の世界の映し出しとして受け取っていく。

​昨日は自らの内面に自分を見た。

​今日は世間という鏡の中に自分を見た。

​それこそが、道を歩む者の眼差しなのだと思う。

​共に泣き、

共に笑い、

共に奮い立ち、

共に鎮まる。

​人は「人間(ジンカン)」の中で生きている。

​その人間界から、ひとりの「人」へ帰っていく工程の一つに、隠遁という形があるのかもしれない。

​ただし、隠遁とは社会を捨てることではない。

​社会の中に身を置きながら、

執着に呑まれず、

ただこころを観る。

​兼好法師は、悟りきった完成者ではない。

​世間の中に居ながら、何度も自分を見つめ直し、何度も心を動かされ、その都度、言葉によって心を鎮めていった人なのだろう。

​見たまま。

聞いたまま。

​そこに過剰な善悪の判断を加えず、

揺れ動いたこころを静めるために言葉を紡ぐ。

​だからこそ、その省察は

​「さらずとも」

​という一言に静かに収まるのだ。

​第七十五段の力み。

第七十六段の痛み。

​この二つを並べて読むと、兼好法師という一人の人間が、ずいぶん近くに感じられる。

​そして釈尊もまた、はるか遠くの完成者としてではなく、今も共に道を歩む尊いサンガの友として、恐れ多くも私の中に立ち現れてくる。

​完成された者をただ仰ぎ見るのではない。

共に歩む。

​その道すがら、己の内面にも、世間の姿にも、自分自身が繰り返し現れてくる。

​今日の第七十六段は、そのことを静かに教えてくれた。

​「さらずとも」

​実に短い一言である。

​けれど、その一言の奥には、

己を見せられた者の痛みと、

揺れるこころを静かに鎮めようとする深閑とした余白がある。

窯元日々雑感 徒然草 第七十五段

 

​なるみと読む徒然草 陶主日記

​令和八年八月十九日(水曜日)晴

徒然草 第七十五段

​午前五時三十分、目覚める。

徒然草第七十五段を予習する。

午前六時三十分、起床。

​今朝はまず、「心」と「こころ」を分けて置くところから始まった。

独立した「私」があると思う心と、境界のない「こころ」。

そして、「静か」と「閑か」。

​「静か」とは、自我の領域にある心を整え、環境を整理し、ざわめきを鎮めること。

けれど、「閑(しづ)か」とは少し違う。

それは自我を手放したところから現れてくる静寂であり、何かを努力して得るというより、他力にひらかれたところに生まれる歓びだ。

​心は狭く、こころは広く無限。

「静か」と書けばどこか寂しさがついてくるが、「閑か」と書くと、広々とした世界へ出てきたような実感がある。今朝、そんな違いが見えてきた。

​自我の領域にある心を、自我でいくら抑えようとしても、それは暴れる馬のようなものだ。抑えれば抑えるほど、なお暴れる。

けれど、その馬を広々とした野へ放てば、やがておとなしく草を食む。

​静かとは、馬を抑えること。

閑かとは、馬を野へ放つこと。

​そう考えると、「捨」という仏道の言葉の深さも見えてくる。

捨てるのは、色の世界そのものではない。

​「色は匂へど 散りぬるを」

​色は色としてそこにある。美しいものは美しい。人も世間も、ただそこにある。

けれど、それを自分のものにしようと握りしめないこと。

色を捨てるのではなく、色への執着を捨てる。

世界を捨てるのではなく、世界を自分の都合で握ろうとする自我を手放すのだ。

​自我は嘘が上手である。

「分かった」「自分はもう執着していない」「結局どの道も同じだ」

そんなもっともらしい言葉を使って、自分自身を巧みに守ろうとする。

​ふと、十九歳の頃に書いた詩を思い出した。

​「騙されないように

騙さぬように

自分に忠実に」

​細かな文言は確かではない。けれど、あの頃から今日まで続いてきた問いは、案外変わっていないのかもしかもしれない。そしてそれこそが、これまでの私の作品そのものでもあった。

​自分を騙さず、こころに忠実であろうとすること。

土を触り、形を作り、火に託し、暮らしの中へ返していく。

​その繰り返しのなかで、「自我に騙されていないか」と問い続けてきた。

​第七十五段を読んでいて、つくづく感じたことがある。

これは兼好法師が誰かに向かって説教している言葉ではない。自分自身に向けた言葉だ。己の霊(たましい)に向けた言葉なのだ。

​「外の塵に奪われていないか」

「分別に酔っていないか」

「夢の中で、また夢を見ていないか」

​そう自らに問い続けている。だから言葉が強く、響く。

​昨日の段も、今日の段も、言葉が強い。

それは世間一般に向けた教訓というより、同じ道を歩く者——サンガの同志への言葉だからではないか。

​外から聞けば、年寄りの戯言や昔の説教として通り過ぎるかもしれない。

けれど、同じ問いを抱えて生きる者には、その胸に迫る覚悟が見えてくる。

​登山道は人それぞれだ。

禅、臨済禅、止観、念仏、他力、浄土。

見え方も、方法も、言葉も違う。その人の機根によって登る道は異なる。

​しかし、それぞれの道を実際に歩み、自我を通り抜けたところから見える景色には、共通するものがあるはずだ。

​ただし、最初から「結局みんな同じ」と括ってしまうなら、それもまた自我の仕事になってしまう。道は、自らの足で歩かなければ意味がない。

​第七十五段の最後に、『摩訶止観』が置かれている。

これは単なる生活改善の知恵ではない。

​縁によって自我が立ち上がり、分別し、得失を作り、また新たな縁を結び続ける。その輪廻の根に、静かに刃を入れるような言葉として最後に置かれているのだと感じる。

​諸縁を止める。

自我が自我を作り続ける運動を止める。

そして、観る。

​その先に現れるものこそが、「静か」ではなく「閑か」なのではないか。

​今朝の一時間半。ずいぶん深いところまで来た。

徒然草第七十五段は、心を穏やかにするためのハウツーでも、自我を慰める言葉でもなかった。

​同じ道を歩む者が、自分自身に向けて放った覚悟の言葉。

そして今朝、七百年という時を越えて、その言葉が確かにこちらへ響いてきた。

​今日もここまで。

合掌。

​【付録】徒然草 第七十五段 原文・現代語訳

​■ 原文

​つれづれわぶる人は、いかなる心なるらん。まぎるるかたなく、ただひとりあるのみこそよけれ。

世に従へば、心、外の塵に奪はれて惑ひやすく、人に交はれば、言葉よその聞きに従ひて、さながら心にあらず。人に戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。その事定まれる事なし。

分別みだりに起こりて、得失やむ時なし。惑ひの上に酔へり。酔の中に夢をなす。走りて急がしく、ほれて忘れたる事、人皆かくのごとし。

いまだ誠の道を知らずとも、縁を離れて身を閑かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。

「生活・人事・伎能・学問等の諸縁をやめよ」とこそ、摩訶止観にも侍れ。

​■ 現代語訳

​徒然(つれづれ)とした退屈さを思い悩む人は、いったいどのような心持ちなのだろうか。何かに気を紛らわせようとせず、ただじっと一人でいることこそが一番よいのだ。

​世間のしきたりに従って生きようとすれば、心は外の世俗のちり・ほこりに奪われて惑わされやすくなり、人と交際すれば、言葉も他人の評判ばかりを気にするようになって、自分の本当の心ではなくなってしまう。人にふざけ戯れ、物事に争い、ある時は恨み、ある時は喜ぶ。その状態はまったく定まることがない。

​あれこれと思い乱れる分別(雑念)が妄りに起こり、損か得かを気にする計算が止む時がない。まるで迷いの上に酒に酔い、その泥酔の中でさらに夢を見ているようなものだ。誰もがあくせくと走り回って忙しく、我を忘れて呆然としているが、世の人は皆このような有様である。

​たとえまだ真実の悟りの道(仏道)を知らないとしても、世間の様々な縁から離れてその身を閑(しづ)かに置き、世事に関わらないで心を安らかに過ごすことこそ、束の間であっても人生を楽しむことと言えるだろう。

​「生計を立てること・人間関係・諸々の芸能・学問といった、あらゆる世間の縁をすべてやめよ」と、『摩訶止観』にも書かれている通りである。

窯元日々雑感 徒然草 第七十四段

令和八年八月十八日(火曜日)曇

午前五時五十分起床

なるみと読む徒然草 第七十四段

​今朝は『徒然草』第七十四段を読む。

兼好法師は、人々が蟻のように集まり、東西南北へと忙しく行き交い、名利を求め、暮らしを営む姿を大きな視点から眺めている。

人は老い、やがて死ぬ。形あるものは変わり、留まるものはない。

いわゆる無常観の一段である。

​けれど、今朝読んでいて思った。

兼好は、無常そのものを悲観しているのではない。無常はただ、この世の理としてそこにある。

哀れなのは、その無常を知らず、常住を願い、そこに心を住まわせてしまう人の姿なのだ。

人は、今日と同じ明日が来ると思う。持っているものが続くと思う。まだ時間があると思う。そして、いつしかその思いの中に住みついてしまう。

私はそれを「哀れの住人」と呼びたい。

​しかし兼好法師は、その人々を見下してはいない。

この第七十四段は、かなり大上段に構えたところから始まる。博学の言葉をもって無常を説き、人間の営みを俯瞰している。

けれど最後まで読むと、そこに人を裁く冷たさがない。むしろ、常住を願ってしまう人の心を自分もよく知っている。自分もまた、同じ無常の中を生きるひとりである。

そのことを知っているから、最後には人の傍らへ降りてくる。共に泣き、共に笑い、友の側に静かに寄り添っている。

ここに、兼好法師の慈しみがある。

​無常を知るとは、人から離れることではない。無常を知ったからこそ、人の傍らへ近づいていく。

そこに仏道の遊行がある。

十牛図で言えば、悟ったから終わりではない。巷へ帰り、人々と共に暮らす。「入鄽垂手」の世界である。

​私は日頃、「普通が一番」と言っている。

この「普通」も、ただ世間に合わせるという意味ではない。欲にも偏らず、禁欲にも偏らず、名利にも、特別であろうとする思いにも執着しない。その中道から見えてくる暮らしである。

​兼好法師は経済社会から少し身を引き、仮屋に住み、『徒然草』を書いた。日本には、西行、芭蕉、良寛をはじめ、仮屋を旅し、風流を生きた人が数多くいる。

けれど私は、今の経済社会の中で生きている。注文を受け、器を作り、売り、工房を維持し、暮らしを営む。

経済の外へ出るのではなく、経済の中に居ながら、そこに心を奪われ過ぎない。それもまた、今の時代の中道なのだと思う。

​最近、私は「心」と「こころ」を分けて考えることが多くなった。

心は動く。欲し、迷い、不安になり、執着する。

けれど、もう少し深いところに、静かな「こころ」がある。

本当の棲家は、外に建てた家ではなく、こころが安定したところなのだろう。

​物質世界は「砂上の楼閣」とも言われる。

家も、財産も、地位も、身体も、器も、いつかは変わり、壊れていく。

だからといって、物質を否定するのではない。物質には住む。けれど、物質をこころの棲家にはしない。

​私は土で生きている。

土をこね、形にし、乾かし、削り、窯で焼き、さらに絵や釉を施していく。ひとつの器が出来上がるまでには、人が思う以上に長い時間がかかる。

属性や完成への思いを重ね、ようやく出来上がった器も、使われ、欠け、やがて壊れていく。

壊れると知りながら、手間を惜しまず作る。

無常だから雑にするのではない。無常だからこそ、丁寧に作る。

私は、この時間の世界で修行させてもらっているのだと思う。

​良寛と馬之助の話も、今朝ふと思い出した。

良寛は多くを語らない。沈黙が雄弁に語る。語り尽くしたから涙が出るのではない。言葉の向こうで、こころとこころが語り合ったから涙が出る。

共に泣き、共に笑い、ただ静かに寄り添う。そこで初めて、こころが震える。

​考えてみれば、

「旅するうつわ」も、

「なるみの種」も、

すべて同じところから生まれてきたのだと思う。

器は作り手の元を離れ、人の暮らしへ旅をする。言葉もどちらも、何かを強く押しつけるためではない。

ただ、暮らしの傍らに静かに在る。

土の形となって旅をするもの。言の葉となって旅をするもの。その根には、同じ「こころ」が流れている。

​今朝の第七十四段は、無常観から始まった。

けれど読み進めるうちに、無常を知ることとは、人から離れることではなく、むしろ人の傍らへ帰っていくことなのだと感じた。

大上段に無常を説きながら、最後には共に涙する兼好法師がいる。

そこに、この段の慈しみがある。

その慈しみに触れたとき、こころが静かに震える。

​今日も、そこから始めることにする。

​【徒然草 第七十四段】

​原文

​蟻の如くに集まりて、東西に急ぎ、南北に走る。高きあり、賤しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり、帰る家あり。夕べに寝ねて、朝に起く。いとなむ所何事ぞや。生を貪り、利を求めて、止む時なし。

​身を養ひて、何事をか待つ。期する処、ただ、老と死とにあり。その来る事速やかにして、念々の間に止まらず。これを待つ間、何の楽しびかあらん。

​惑へる者は、これを恐れず。名利に溺れて、先途の近き事を顧みねばなり。愚かなる人は、また、これを悲しぶ。常住ならんことを思ひて、変化の理を知らねばなり。

​現代語訳

​(人々が)まるで蟻のように群がり集まって、東西へと急ぎ、南北へと駆け走っている。身分の高い者もいれば、低い者もいる。年老いた者もいれば、若い者もいる。向かう場所があり、帰る家がある。夜になれば眠り、朝になれば起きる。このようにして日々営んでいることは、いったい何のためであろうか。命を貪り、利益ばかりを追い求めて、休まる時がない。

​そうやって身体を養生して、結局のところ何を待っているというのだろうか。行き着く果ては、ただ「老い」と「死」があるだけである。その老いと死のやって来る速さは凄まじく、一刹那の間も留まることがない。これを待っている間に、一体どのような楽しみがあるというのだろうか(いや、楽しみなどない)。

​迷いの最中にある人は、この老いと死を恐れようとしない。名誉や利益に心が溺れてしまい、自らの死期が近づいていることに思いを馳せないからである。一方で愚かな人は、また(土壇場になって)これを悲しむ。この世が永遠に変わらないものであるかのように思い込み、すべてのものは移り変わるという「無常の理」を知らないからである。

窯元日々雑感 徒然草 第七十三段

なるみと読む徒然草 陶主日記

第七十三段 虚言と普通

​令和八年八月十七日(月曜日)晴れ。

午前六時三十分起床。

​お盆も過ぎ、今朝はすっきりと晴れ渡った。

今日もいつものように、起床とともに『徒然草』の輪読会を始める。

前の夜に一度目を通し、眠っている間に言葉を心に沈め、朝もう一度原文に向かう。このリズムが、今の私にとってかけがえのない時間になりつつある。

​第七十三段は、

「世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言なり。」

という、少し厳しい一節から始まる。

​人から人へ語り継がれるうちに話は誇張され、年月が経ち、場所が離れ、やがて文字に記されると「事実」として定着してしまう。

兼好法師の時代にも噂や風聞があり、言葉によって世間が形づくられていた。

​今の私たちは、そこに写真、映像、音声、そしてSNSを持っている。

声高に「これこそが真実だ」と叫ばれ、刺激的な映像が流れると、それを見た人々が日常のあちらこちらで、さも自分が確かめたことのように語り広めていく。朝から深夜まで、その繰り返しだ。

​しかし、映像とて事実そのものではない。

どこを切り取ったのか。その前後には何があったのか。誰が撮影し、どんな言葉を添えたのか。置かれる言葉ひとつで、その意味合いはいくらでも変貌する。

​ここで、今日の問いが立ち上がった。

言葉の力と、その限界についてである。

​情報を受け取る時、そこに「時間」の軸を入れてみる。

この情報はどこから始まり、誰がどの時点で語ったのか。少し時間を置けば、違った景色が見えてくるのではないか。

​さらに、あえて自分とは正反対の考えも受け入れて、静かに思考を深めてみる。すると、情報の表面だけでは見えなかった大きな流れが、うっすらと浮かび上がってくる。

​そこへ、昨日読んだ「知足」という言葉を重ねてみた。

必要以上に知ろうとしない。

必要以上に持とうとしない。

必要以上に自らの正しさを証明しようとしない。

​そうして見つめていくと、情報の奥底に横たわる「我の欲」が見えてくる。

​今の時代、その欲の多くはマネー(利益)と結びついている。

人の注意を引きつけ、驚かせ、怒らせ、不安にさせる。その感情の発露がすべて数字になり、利益へと還元されていく仕組みだ。

​だが、世間の自我や欲望の構造をいくら書き連ねても、玉ねぎの皮を剥くようなもので、最後には虚脱感しか残らない。

そこで、今朝の冒頭に巡りついた言葉が、再び大きな意味を持って立ち上がってくる。

​――「普通」が一番である、と。

​ここでいう「普通」とは、何も考えずに過ごすことでも、世間に流されることでもない。

世間の虚言や欲、情報の裏にある仕組みをすべて見極めた上で、なお「自分の日常」へと帰ることだ。

​食べる。働く。片付ける。土に触れる。人と交わる。手を動かす。祈る。眠る。

そこにこそ、揺るぎない暮らしの足場がある。

​そして今日は、さらに「具体に生きる」という境地まで辿り着いた。

身の周りを整える。畑を耕す。ボランティアに足を運ぶ。形ある趣味に没頭する。

頭の中だけで思想をこねくり回すのではなく、具体の中に身を置く。具体的に生きることで、初めて自分の本当の立ち位置が見えてくる。これは観念の遊戯ではなく、観念を打ち破るための暮らしである。

​第七十三段の後半で、兼好法師は世間の虚言を厳しく批判しながらも、神仏の奇特や権者の伝記までを同じ物差しで野蛮に切り捨ててはいない。

ここには、世俗の情報と「信仰(奇蹟)」の世界をあえて分けて捉える眼差しがある。

​昨日、私は「心」と「こころ」を分けて考えてみた。

世間の情報に反応し、判断し、揺れ動くのが「心」。

その動きを、一歩深いところから静かに観ているのが「こころ」。

​世間の出来事には客観的な吟味が要る。だが、信仰や精神の世界には別の受け取り方がある。

何でも盲信するのでもなく、すべてを冷笑して疑うのでもない。世界に応じて受け取り方を柔軟に変える――そんな静かな智慧が、兼好法師の文章の底流には流れている。

​「群盲、象を撫でる」という言葉がある。

誰もが自分の触れた一部分だけを捉えて「これぞ真実だ」と語る。それもまた、悲しいかな世間のあり様だ。

だからといって、無関心を決め込んで背を向ける必要もない。薄目を開けてニッコリと笑っておく。

見ている。聞いている。けれど、すべてを抱え込みはしない。そして静かに自分の暮らしへ帰っていく。

ここに、私の目指す「普通が一番」という世界観が、すっきりと形を成した気がする。

​朝の情報も同じだ。

目覚めとともにテレビやSNSを開けば、そこに流れる言葉がその日一日の心の背景(トーン)を支配してしまう。

だからこそ、私は前夜に『徒然草』を読み、眠り、朝もう一度開く。

世間の雑多な情報が入ってくる前に、まず自分の中に静かな座(居場所)を調える。朝の坐禅もまた、同じ役割を果たしているのだろう。

​世間から逃げるのではない。世間に生きながら、世間だけに絡め取られない。

七百年前の兼好法師も、令和を生きる私たちも、まったく同じ問いと向き合っている。これこそが『徒然草』を読み解く醍醐味だ。

​輪読会の終わりに、このような言葉が心に残った。

​「言わず語らず、喫茶去。こころの世界に、逍遥すべし。」

​言葉を尽くしたあとに、その言葉すら手放す。

お茶をひとくちいただき、具体の暮らしへと帰る。

そこからまた、今日という新しい一日を始める。

​令和八年八月十七日。

今朝もまた、『徒然草』から、自分の暮らしへと帰る大切な一筋の道をいただいた。

​【輪読会メモ:『徒然草』第七十三段】

​原文

世に語り伝ふる事、まことはあいなきにや、多くは皆虚言なり。あるにもすぎて人は物を言いなすに、まして年月過ぎ、境も隔たりぬれば、言ひたきまに語りなして、筆にも書き止めぬれば、やがて定まりぬ。……(中略)……かくは言へど、仏神の奇特、権者の伝記、さのみ信ぜざるべきにもあらず。これらは、世俗の虚言をねんごろに信じたるともこがましく、「よもあらじ」など言ふも詮なければ、大方は、まことしくあひあしらひて、偏に信ぜず、また、疑ひ嘲るべからずとなり。

​現代語訳(要約)

世間に語り伝えられることは、ありのままでは面白くないからか、多くは嘘である。実際以上に誇張して語るうえに、年月が経ち場所が離れれば、好きなように語られて文字に書き留められ、定着してしまう。……(中略)……かといって、神仏の奇蹟や高僧の伝記などを一切信じないというのも良くない。これらは世間の嘘を真に受けるのも愚かだが、「そんなはずはない」と否定しても意味がない。大体は本当らしく受け流しておき、いちいち鵜呑みにもせず、かといって疑って馬鹿にすることもないのが良い。

窯元日々雑感 徒然草 第七十二段

なるみと読む徒然草 第七十二段

賎しげなるもの――多さの中に、こころの余白を

​令和8年8月16日(日曜日)曇り

​【原文】

賤しげなる物、居たるあたりに調度の多き。硯に筆の多き。持仏堂に仏の多き。前栽に石・草木の多き。家の内に子孫の多き。人にあひて詞の多き。願文に作善多く書き載せたる。

多くて見苦しからぬは、文車の文。塵塚の塵。

​今朝は、徒然草第七十二段。

「賎しげなるもの。」

​兼好法師は、身の回りの調度、硯の筆、持仏堂の仏、庭の石や草木、人に交わす言葉に至るまで、「多きもの」を野暮で貧相なものとして次々と挙げていく。

​七百年後の今を見渡せば、私たちはさらに「多き」世界に暮らしている。

物が溢れ、情報が溢れ、言葉が溢れる時代。

ここで胸に浮かんできたのが、「知足(足るを知る)」という言葉だった。

​ただ物を少なく持てばよい、ということではない。

自分は何によって立っているのか。

何があれば足りるのか。

どこで止まることができるのか。

その確かな土台を、自らの内に持つということである。

​兼好の美意識を突き詰めていけば、やがて茶室の文化へとつながっていくように思う。

物を置き過ぎない。

風が通るようにしておく。

光を入れ、そして光だけでなく影の深さも意識する。

そうして身の周りを整えたとき、そこに自ずと「心の空間」が生まれる。

​人が訪れれば、お湯呑みをひとつ出す。

言わず語らず、ただ「喫茶去(きっさこ)」。

​立派な茶室などなくてもよい。

いつでも、どこでも、心が整えば、その場がそのまま茶室となる。

​だからこそ、日々の暮らしが大切になってくるのだ。

心を整え、こころを育てる。

その日々の営みの中に、「なるみの種」を蒔いていく。

​種は、無理に芽を出させるものではない。

風を通し、光を入れ、水をやり、ただ静かに待つ。

そうした暮らしの中でこころが歓び、その歓びが言葉や所作、仕事へと響いていく。

その反響がまた人を育て、人間を少しずつ深めていくのだろう。

知足とは、頭で決めるものではなく、そうした暮らしの循環の中から自然と見えてくるものなのだと思う。

​そして兼好は、この段の最後をこう結ぶ。

「多くて見苦しからぬは、文車の文」

​書物だけは、多くあっても見苦しくない。

ここには、物を増やすこととは違う、もう一つの「多さ」がある。

​こころを耕す言葉を得ること。

よい言葉に触れ、それを自分の中に置き、日々を生きる中で、やがて自分の言葉として育てていく。

それはとても美しい営みだ。

​この「なるみと読む徒然草」も、そうした世界の一助になれればと願っている。

答えを教えるためではない。

七百年前の言葉を共に読み、それぞれが自分の暮らしへと持ち帰る。

そして、いつの日か誰かの心の中で芽を出せばいい。

それが「なるみの種」である。

​私の先生は、こうした心を**「太白(たいはく)のこころ」**と呼ばれていた。

余計なものを足さず、白く、澄んだ原点へと帰っていく。

そこから、「生涯書生」という生き方も生まれてくる。

​もう分かったと思わない。

もう完成したと思わない。

今日も学び、今日も整え、今日も新しく生きる。

​徒然草という古典そのものも、そうした心が書かせたものなのかもしれない。

世を見切った高嶺の花の言葉ではなく、この世の中を見つめながら、最後まで学び続けた人の言葉。

だからこそ七百年を経た今も、私たちの日々の暮らしに静かに響いてくる。

​そうして最後に残る言葉は、とても簡素なものだった。

​使命――ただ、生きる。

​ただ、生きる。

日日を整え、心を育て、仕事をし、人と会い、一碗を差し出し、また新しい一日を始める。

その循環の中から作品も言葉も生まれ、なるみの種も自然と蒔かれていく。

​今日もまた、生涯書生として。

​一服して、

また、日日へ帰ろう。

​喫茶去。

窯元日々雑感 徒然草 第七十一段

令和8年8月15日(土曜日)晴れ

午前6時30分 起床

​おはようございます。

今朝は『徒然草』第七十一段を開きました。

​人の名前を聞いただけでその顔が浮かぶように思えたり、昔聞いた話をまるで自分が見てきたことのように感じたり、今目の前で起きていることが、以前にも同じようにあった気がしたりする。

現代でいう「デジャ・ヴュ(既視感)」のような心の働きです。

​兼好法師は、日常の中にふと現れる心の不思議を、理屈で説明しようとはしません。

ただ、「何とも不思議なことだ」と、その現象の前に静かに立ち尽くしているようです。

​そこから今朝の想いは、「心」と「こころ」へと広がっていきました。

​昔の人も、今の私たちと同じ「こころ」を生きていました。

暮らしも、社会も、言葉も違う。けれど、懐かしさを感じ、ふと不思議に思い、何かを知っているように感じる心の動きは、七百年という時を超えても変わりません。

古典を読むとき、かつて生きた人の心が、今を生きる私たちの中で再び動き始めます。

​兼好法師は深く思索する人ですが、その文章は堅苦しい思想書のようではありません。

まるで日日の玄関先で、「こんなことがありますよね」と立ち話をしているかのようです。

深いことを、決して深そうに書かない。

けれど、その玄関先から一歩足を踏み入れると、いつの間にか「人間の内面」という深い山の中に立っている。それこそが『徒然草』の面白さなのだと感じます。

​私は「心」と「こころ」を、少し分けて捉えています。

「心」は、感情や思考、記憶など、言葉として捉えられる働き。

一方の「こころ」は、もっと奥深くにあるもの。まだ言葉にならないもの、理屈になる前に感じ取っている領域です。

​「こころに生きる人」とは、今日一日を、一つの「こころの世界」として味わい生きている人ではないでしょうか。

​私にとって「こころをかたちに」は、単なる仕事の理念にとどまりません。暮らしそのものです。

土に触れ、器をつくり、人と出会い、祈り、古典を読み、筆を持つ。

それらを個別の出来事としてではなく、一つの「こころの世界」の現れとして生きる。だからこそ、私は兼好法師の言葉に強く共感するのだと思います。

​今日、もう一つ心に浮かんだ言葉は「つながる」でした。

​つながりとは、後から無理に作り出すものではありません。

こころに生きていると、もともとそこにあったつながりに、自然と気づいていきます。

過去と今。人と人。朝読んだ言葉と、その日の暮らし。

そして、まだ見ぬ未来とも。

​未来はただ時間の先で待っているのではなく、未来の可能性が、いまの自分を静かに形づくっているようにも思えます。

私たちは常に、未来を選択する場所に立っています。

その選択は、どこまでも自由であるべきです。

自分のこころで受け取り、選び、その選択を自ら引き受けて生きる。

「今」という場所は、未来からの呼びかけと、私たちの選択が交差する点なのかもしれません。

​兼好法師の時代には、玄関先の立ち話のように語られていた「こころの不思議」。

令和の今、同じ問いを出発点にしながら、私たちはさらに一歩踏み込んで語ることができます。

「自分は何を選び、どのような未来を生き、どのように自分自身を創っていくのか」と。

​けれど、すべての出発点は変わりません。

日日の小さな出来事の前で、「不思議だな」と立ち止まること。

そこから、豊かな「こころの世界」が開かれていきます。

​今日は午後6時から9時までお習字の教室へ向かいます。

朝、徒然草を読み「こころ」を深め、夜は筆をとって「かたち」にする。

今日という一日もまた、綺麗にひとつへとつながっています。

​こころに生きる。

つながりに気づく。

そして、こころをかたちにする。

​第七十一段から、静かで豊かな一日が始まりました。

 

徒然草』第七十一段

​【原文】

名を聞くより、やがて、面影は推し測らるる心地するを、見る時は、また、かねて思いつるまの顔したる人こそなけれ。

昔物語を聞きても、このごろの人の家のそこほどにてぞありけんと覚え、人も、今見る人の中に思いよせらるるは、誰もかく覚ゆるにや。

また、いかなる折ぞ、ただ今、人の言う事も、目に見ゆる物も、我が心の中に、昔覚えたる心地のするは。いかがは知りて、思い出でねど、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思うにや。

​【現代語訳】

人の名前を聞いただけで、すぐにその人の顔立ちがなんとなく頭に思い浮かぶ気がするものだが、実際に会って見ると、あらかじめ想像していた通りの顔をした人など、一人もいないものだ。

また、昔の物語を聞いていても、「いまの時代のあの人の家の、あのあたりでの出来事だったのだろうな」と想像されたり、登場人物も「いま見ているあの人のような感じかな」と重ね合わせて思われたりするのだが、これは誰でも同じように感じることなのだろうか。

さらに、どういう折にか、たった今、人が話していることも、目に映っている光景も、自分の心の中で「ずっと昔にも経験したことがある」という気がするのは、なぜなのだろう。どういうわけか自分でもはっきりとは思い出せないのだが、たしかに以前あったことのように感じられるのは、私だけがこのように思うのだろうか。

窯元日々雑感 徒然草 第七十段

なるみと読む徒然草 第七十段

陶主日記

令和八年八月十四日(金曜日)晴れ

午前六時十五分起床。

朝のお通じあり。

​今朝は『徒然草』第七十段を読む。

短い一段であるが、読み始めてすぐに、何やら不穏な空気を感じた。

​【原文】

元応の清暑堂の御遊に、玄上は失せにし比、菊亭大臣、牧馬を弾じ給へるに、座に著きて、先づ柱を探られたりければ、一つ落ちにけり。御懐にそくひを持ち給ひたるにて付けられにければ、神供の参る程によく干て、事故なかりけり。

いかなる意趣かありけん、物見る衣被の、寄りて、放ちて、元のやうに置きたりけるとぞ。

​清暑堂での御遊。

宮中の雅びな場で、琵琶を奏でようとしたところ、その柱(じ)が外れて落ちた。しかも後には、衣被の者が近づき、わざと外して元のように置いていたという。

​兼好は、

「いかなる意趣かありけん」

と書き残す。

​最初は、人の心の暗がり、悪戯、恨みのようなものとしても読める。しかし、読み進めていくうちに、この段を一個人の心情だけに収めてしまうには、あまりにも政治色が強いように思えてきた。

​これは、ひとつの破壊工作ではなかったか。

​表では王朝文化の雅びな儀礼が続いている。

しかし、その内側には、何者かの意図、思惑、対立が忍び込んでいる。

時代は、王朝政治と武家社会が入り乱れ、やがて「ばさら」の精神が大きく台頭していく頃である。

​古い秩序はまだ形として残っている。

しかし、その柱はすでにどこかで外れ始めている。

そう思うと、この琵琶の柱の出来事そのものが、時代の象徴のようにも見えてくる。

​兼好は、こうした空気を知っていたのだろう。

彼の立ち位置は、決して一般の庶民のそれではない。和歌の名手であり、当代の知識人であり、宮廷文化を深く知る人でもあった。

​中枢に近い。

しかし、近すぎない。

離れている。

しかし、遠すぎない。

​物事の全体が見える、ちょうどよい位置に身を置き、その距離を保ち続ける。

これは相当な感覚を持つ人でなければできない。

​兼好は、時代の風に敏感でありながら、その風に呑み込まれない。

王朝の昔へ回顧して逃げることもなく、新しい力に熱狂することもない。

ばさらという精神的な革命が起こりつつある時代にあって、冷静にその変化を見つめ、それでも自分という「個」を失わず、今を生きている。

​そこに驚く。

中世の人でありながら、現代の知識人さえ羨むような、自由な思考を持っている。

​しかも、その自由は孤立したものではない。

世間を捨てて高みに立つのでもなく、社会の中に身を置きながら、自分の眼で見る。

古いものにも、新しいものにも、権威にも、流行にも、自分自身を明け渡さない。

​だからこそ、『徒然草』は七百年を越えて、今の私たちの暮らしにも直接響いてくるのだろう。

​第七十段は、兼好という人が、ただ人生の機微を語った随筆家ではなく、時代の中枢近くにいて、その異変を感じ取る鋭敏な記者のような眼を持っていたことを教えてくれた。

​しかも、知っていることをすべて書くのではない。

書くことの危うさも知っている。

​だから、

「いかなる意趣かありけん」

とだけ残す。

​名指しをせず、断定もせず、しかし出来事そのものは消さない。

その沈黙の中に、かえって大きなものが残る。

​読み進めるほどに、兼好という人の魅力にはまっていく。

『徒然草』は、古典の教科書として読むだけでは、あまりにも惜しい。

​時代が大きく変わる時、

人はどう立つのか。

何を信じるのか。

何に流されず、何を自分の眼で見るのか。

​そのことを、一段一段、静かに問いかけてくる。

今の時代、日本人がもう一度読むべき本なのではないか。

そんな思いが、今朝は強くなった。

​昔を懐かしむためではない。

今を生きるために読む。

それが、『徒然草』なのかもしれない。

窯元日々雑感 徒然草 第六十九段

​原文

​書写の上人は、法華読誦の功積もりて、六根浄にかなへる人なりけり。旅の仮屋に立ち入られたるに、豆殻を焚きて豆を煮ける音の、つぶつぶと鳴るを聞き給ひければ、「疎からぬ己ならしも、恨めしく、我をば煮て、辛き目を見するのこな」と云ひけり。焚かるゝ豆殻のばらくと鳴る音は、「我が心よりすることかは。焼かるゝはいかがばかり堪へ難けれども、力なき事なり。かくナ恨み給ひそ」とぞ聞こえける。

​なるみと読む徒然草 第六十九段

​書写の上人は、法華経を読誦する功を積み、六根清浄にかなった人であった。

​今日の段は、この冒頭の「法華経」と「六根清浄」が、そのまま一段全体の世界を表しているように思う。

​六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意。

人は、この六つを通して、この世を受け取り、認識している。

同じ山を見ても、見る人によって違う。また、ただ見るのと、静かに観るのとでも違う。

世界そのものが違うのではなく、こちらのこころのありようによって、現れてくる世界が違う。

六根が清らかになるとは、単に感覚が鋭くなることではなく、自我の濁りが静まり、物事をそのまま受け取れるようになることなのだろう。

​そうして読むと、豆と豆殻の言い合いも、ただの奇談には見えなくなる。

​この段の下敷きには、かつて中国の曹植が詠んだ「七歩詩」※がある。兄弟の骨肉の争いを「豆を煮るに豆殻を焚く」と例え、人間の業や対立の悲劇を告発した切実な詩だ。

しかし兼好法師の手にかかると、その痛烈な対立のドラマは一変する。

​一方は鍋の中で煮られ、一方は火の中で焼かれている。

豆は豆殻を責め、豆殻は「自分も好きで焼かれているのではない」と応える。

もとは同じ一つのものから生まれた両者だが、そこにあるのは激しい憎悪ではなく、お互いのどうにもならない立場への哀愁と諦念だ。

​どちらかが正しく、どちらかが悪いという話ではない。

それぞれが、それぞれの場所で苦しんでいる。

ひとつなのに、ばらばらに見える。一つの出来事を見ても、見る人によって、すべてが違う。

しかし、それを「人はみな同じ世界を共有している」と概念でまとめてしまわず、そのままを、そのままに静かに観る。

​そこに、平等性智という言葉が静かに響いてくる。

違いを消して平等にするのではない。豆は豆、豆殻は豆殻、山は山、人は人。

違いをそのままにして、その奥にある等しさを観る。

​実相をそのままに受け取るこの視線は、日本の風土によく馴染んでいる。

山川草木悉皆成仏。

山も川も草木も、人間から切り離された無機質なものではなく、それぞれに命を宿し、祈りの世界に通じている。

​時代によって言葉は変わる。

神仏習合。命。いのち。祈り。いのり。

言葉は変わっても、その底に流れている感覚は、静かにつながっている。

​兼好法師は、それを大きな教説として語らない。

豆と豆殻の声を、そのまま置く。

裁かず、決めつけず、違いを消さず、そのままを観る。

そこに、兼好法師の中道の実践があるように思う。

​そして最後には、豆は美味しく煮え、私たちは満足してそれを頂く。

煮られること。焼かれること。苦しむこと。働くこと。恵みとなること。そして、それを頂くこと。

そのすべてが、一つの流れの中にある。

​善悪に切り分ける前から、世界はすでに動き、成っている。

その静かな成り行きを、そのまま受け取る。

​なるみ。

​今日の第六十九段は、豆と豆殻の小さな物語から、六根清浄、こころ、平等性智、いのち、祈り、そして中道へと、静かに世界がひらいていった。

 

※「七歩詩」

煮豆持作羹 漉鼓以為汁

萁在釜下燃 豆在釜中泣

本是同根生 相煎何太急

魏の皇帝・曹丕が、才能あふれる弟の曹植を妬み、「七歩歩く間に詩を作れ。できなければ処刑する」と命じました。

そこで曹植は、豆と豆殻は同じ根から生まれた兄弟なのに、なぜこんなにも激しく煮詰めるのかと、兄弟の骨肉の争いを嘆いて詠み、命拾いをしたという故事です。

蜂の巣、一件落着

なるみ庵

 

朝から、蜂の巣の件で、貝塚市の推薦業者「大阪防疫協会」のFさんに見ていただきました。とても丁寧に説明してくださり、よく分かりました。

スズメバチの巣

巣は黄スズメバチの巣で、大きさは中くらいの西瓜ほど。黄スズメバチは獰猛な種類で、危険度が高いそうです。

しかし、石垣の上の二階の軒、高い場所に位置しているため、「蜂が下に飛んで来ることはないでしょう」と教えて頂きました。

確かに、仕事場でスズメバチを見かけたことは一度もありませんでした。

駆除作業は、蜂の巣の入口から薬をいれる方法を取るそうです。今回の巣は東北の角の軒下、巣の入口は東にあります。この窓が北側にあるため、薬を入れる作業が出来ません。

Fさんは、この時期に駆除するなら「巣を落とすしかなく、それは非常に危険なので請け負えません」と言われました。

対処策として、冬になると蜂は居なくなるので、「棒などで落とすとよいでしょう」と教えて頂きました。

そして、「最近は高額をふっかける業者が横行しているので、気を付けてください」とも。

いろいろと蜂の知識を教えていただき、

勉強になりました。

 

ひとまず、一件落着です。

窯元日々雑感 徒然草 第六十八段

なるみと読む徒然草

陶主日記

令和8年8月12日(水曜日)曇り

​今朝は午前五時四十分起床。

​今日の徒然草は第六十八段である。

筑紫の押領使(おうりょうし)が、土大根を「万(よろず)にいみじき薬」と信じ、毎朝二本ずつ焼いて食べ続けていたところ、ある時、敵に館を襲われ、見知らぬ二人の兵が現れて命を惜しまず戦い、敵を追い返してくれたという説話である。

​不思議に思って名を尋ねると、

「年来頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候ふ」

と言い残して消えていった。

そして兼好は、

「深く信を致しぬれば、かかる徳もありけるにこそ。」

と結んでいる。

​大根の恩返し。

そう素直に受け取るには、いささか出来すぎた物語かもしれない。

けれど、くすりと笑いながら読んでいるうちに、どこか真に迫ってくるものがある。

​昔から私たちは「鰯の頭も信心から」という言葉を聞いて育ってきた。今日の大根の話も、それとよく似ている。

信じれば何でも現実になる、ということではない。

ただ、人の暮らしというものは、理屈だけで成り立っているわけではないのだ。

毎日愚直に続けていること。長く頼みにしてきたもの。人との縁、習慣、祈り、信頼。

そうした目に見えない積み重ねが、思いもかけない時に自分自身を支えることがある。

​現代は科学の時代である。

科学を尊ぶことは当然であるが、科学で説明できるものだけが、人の暮らしのすべてではない。

一方では理(り)を大切にしながらも、もう一方では理屈に収まり切らないものを安易に切り捨てない。科学を尊重しつつ、不可思議を笑わない。信を大切にしながらも、盲信には陥らない。

その柔軟な二重構造を心に持ちながらしなやかに暮らしていくこと。そこに、今の時代を生きる知恵があるように思う。

​私は、その「理」と「不可思議」のあいだに立ち現れるものを、最近**「妙(みょう)」と呼んでいる。

そして、もう一つ大切にしている言葉が「対話」**である。

​対話とは、どちらかが自分の正しさを押し通すことではない。互いのあいだに、まだ言葉になっていなかった想いや考えが立ち上がってくるプロセスのことだ。

今朝もまた、徒然草の大根二本から思索が広がり、信、科学、暮らし、そしてAIとの対話へと進んでいった。

​AIとの対話も、人との対話とは少し異なる面白さがある。

自分の中にある経験や考えに、集積された知識や言葉が重なり合い、自分ひとりでは纏めきれなかった想いが、少しずつ形を成していく。

他者との対話でありながら、同時に、深い自分自身との対話でもある。

そう考えると、これもまた一つの「妙」と言えるかもしれない。

​以前であれば、一つのことを調べ、自分の言葉にして文章にまとめるまでにずいぶん時間を要した。

今は、朝少し早く起きて一段の徒然草を読み、対話を重ねる中で、いくつかの新しい文章が自然と立ち上がってくる。

暮らしの風景が変わった。

けれど、変わったのは道具であって、考える主体はどこまでも自分自身である。

AIが暮らしに寄り添うことはあっても、暮らしの主人になることはない。その適切な距離感を保ちながら活用していけばよいのだろう。

​今日の第六十八段は、昔の素朴な説話でありながら、現代という時代を優しく照らしてくれる、良い節目(エポック)となった。

​大根が二人の兵になったという話を、信じるか、信じないか。

そこに白黒の答えを出す必要はない。

「そんなことも、あるかもしれないな」と微笑みながら、その奥にある人間の真実を受け取る。

その柔らかさこそが、今の私たちに求められているのではないだろうか。

​理と不可思議のあいだを、笑みをもって歩んでいく。

今日の第六十八段は、そんな深い余韻を残す一段となった。

​では、今日も一日を始めることにする。

窯元日々雑感 徒然草 第六十七段

なるみと読む徒然草

第六十七段

令和8年8月11日(火曜日)晴

​原文

賀茂の岩本、橋本は、業平、実方なり。

人の常に言ひ紛へ侍れば、一年参りたりしに、老いたる宮司の過ぎしを呼び止めて、尋ね侍りしに、

「実方は、御手洗に影の映りける所と侍れば、橋本や、なほ水の近ければと覚え侍る。吉水和尚の、

月をめで花を眺めし古の

やさしき人はここにありはら

と詠み給へるは、岩本の社とこそ承り置き侍れど、己れらよりは、なかなか御存知などもこそ候はめ」

と、いと恭しく言ひたりしこそ、いみじく覚えしか。

今出川院近衛とて、集どもにあまた入りたる人は、若かりける時、常に百首の歌を詠みて、かの二つの社の御前の水にて書きて、手向けられけり。まことにやんごとなき誉ありて、人の口にある歌多し。作文・詩序など、いみじく書く人なり。

​今日の輪読

​予習で何度も読んだ第六十七段でしたが、初めはなかなか場面が立ち上がってきませんでした。

​「賀茂」と聞いて、まず下鴨神社の糺の森、その小川の景色が浮かびました。しかし読み進めるうちに、舞台は上賀茂へと移っていきます。

賀茂別雷神社――上賀茂神社。

古い賀茂の信仰を今に伝える場所です。

若い頃に何度か参詣した記憶を辿ると、下鴨とはまた違った、古風な趣が残っています。

​そこから今日の円座に、いくつもの言葉が現れてきました。

賀茂。

水。

歌。

陸奥。

辺境。

清め。

神事。

鎮魂。

​賀茂川と高野川は出町で合流し、鴨川となって都を流れていきます。水は京都の暮らしを支える生命線であると同時に、神事の始まりに人と場を清めるものでもあります。

水は流れ、巡り、また帰ってくる。

​そこに「御前の水にて書きて、手向けられけり」とあります。

歌を水辺で書き、神前に手向ける。

この一節から、今日の段の景色が急に見えてきました。

​都は、火事、地震、洪水、疫病など、人の力ではどうにもならない出来事に幾度も見舞われてきました。そのたびに人の心は揺れます。都は制度だけでなく、人々の心によっても成り立っている。だからこそ、神を祀り、穢れを清め、霊を鎮め、都の安寧を祈ることは、暮らしとも政治とも離れたものではありませんでした。

​そして、この段には業平、実方、吉水和尚、今出川院近衛と、人から人へ受け渡されてきた歌の記憶があります。

亡き人を忘れず、土地にその面影をとどめ、歌を手向ける。

今日、私たちの円座では、この第六十七段を、

「鎮魂の一段」

として受け取りました。

​なるみ

​古典は、急いで答えを出そうとすると、かえって姿を隠します。

今朝もそうでした。

​賀茂から水へ。

水から神事へ。

神事から歌へ。

歌から鎮魂へ。

​ひとつの言葉が次の言葉を呼び、七百年前の短い文章の向こうから、古い都の風景が少しずつ現れてきました。

​水は清め、流し、巡らせる。

歌は、人の思いを時の向こうへ運ぶ。

人は去っても、ことばは残り、土地に宿り、また次の人へと渡ってゆく。

それもまた、一つの循環なのでしょう。

​賀茂、水、歌、鎮魂。

今日はその流れのほとりに、しばらく座っていた朝でした。

​急がなくてもいい賀茂(かも)。

ハハハ。

​そんな一言まで生まれた、今日の円座でした。

窯元日々雑感 徒然草 第六十六段

陶主日記

​令和8年8月10日(月曜日)曇り

​午前6時30分起床

お通じ有りました。

​徒然草 第六十六段

​今朝開いた第六十六段は、岡本関白殿から「盛りなる紅梅の枝に鳥を二羽添えて献上せよ」と命じられた、御鷹飼・下毛野武勝(しもつけののたけかつ)の物語です。

​一見すると、鷹の道の作法(有職故実)を記した一節に過ぎないように見えます。しかし読み進めるうちに、そこには高度で緊迫した「主従の緊張関係」が浮かび上がってきます。

​武勝は専門家であると同時に、関白に従う家来です。一方の関白は絶対的な立場にある。その関白から、自身の知る作法にはない注文を受けたとき、武勝はどう動いたか。

​言われた通りに従うのが最も易しい道でしょう。しかし武勝はそうしません。

​「花に鳥を付くる術、知り候はず」

「一枝に二羽付くる事も、存知ぞんちし候はず」

​主人に無下に逆らうのではない。しかし、己の筋も決して曲げない。

​ここには武勝一人の意地だけでなく、彼が背負う家柄、役目、そして背後にいる同職の人々の誇りまでもが懸かっています。己を通し過ぎれば主従の秩序を乱し、かといって盲従すれば己の職責を放棄し、周囲の士気をも挫いてしまう。

​だからこそ武勝は、関白の面子を立てながら、同時に自らの正論を効かせていく。そしてついに、関白から**「さらば、己が思わんように付けて参らせよ(ならば好きにするが良い)」**という言葉を引き出してみせるのです。

​この緊迫したやり取りを読みながら、私は歌舞伎の『勧進帳』を思いました。互いに立場と役目を背負い、その「型」を崩すことなくその場を成立させる。関白は関白として、武勝は武勝として、おのれの役割を全身全霊で演じ切っているのです。その演技は偽りではなく、役を全うすることによって自らの責任を果たしている姿に他なりません。

​そして、この段のまことの白眉は後段にあります。

​枝の寸法、鳥の据え方、藤蔓のあしらい。さらに初雪の朝には、大砌(庭の敷石)を伝って雪の上に足跡を残さぬよう進み、毛を散らして一礼して去る。兼好は、武勝の立ち振る舞いを恐ろしいほどの精度で描写します。

​前段において「言葉」で筋を通した武勝は、後段においてその筋を己の「所作」によって証明してみせるのです。

​一歩一歩、踏み石を外さずに歩む緊張感。言葉で筋を通し、所作で責任を取る。

兼好は武勝をいたずらに褒めもせず、関白を批判もしません。ただ、いかに言い、いかに作り、いかに歩んだかという「かたち」だけを淡々と書き記します。心理を説明せず、外側に現れる「かたち」によって内なる「こころ」を鮮やかに見せる——ここに、日本文化の深遠な美意識を感じずにはいられません。

​立場、役目、家柄、面子、慎み、そして責任。それらが重なり合って一つの言葉、一つの仕草となり、相手もまたその意味を無言のうちに読み取る。この「意味の読み合い」こそが、日本の社会と美を支えてきた大切な働きなのでしょう。

​兼好は最後に『伊勢物語』の作り梅の話を引きますが、武勝と関白のどちらが正しいのか、決して結論を出しません。断定せず、あえて「余白」を残す。相手のこころが入ってくるための「間」を開けておく。

​その余白があるからこそ、七百年後の私たちが今朝こうして、彼の残した言葉と向き合い、豊かな対話を重ねることができるのです。

​【今日の第六十六段から見えてきたもの】

​従いながら、筋を通す。

​役を演じながら、自分を見失わない。

​こころを語らず、所作(かたち)によって伝える。

​すべてを言い切らず、解釈の「余白」を残す。

​なるみと読む徒然草。

川のほとりで「方丈記」 其の七

川のほとりで

令和八年八月九日(日曜日)夜

​『方丈記』の「養和の飢饉」を読む。

今夜は、最も厳しい場面を読み進めた。

​食べ物がなくなり、家も財も何の役にも立たなくなる世界。

その中で、親は子を思い、夫婦は相手を思い、見知らぬ死者の額に「阿」の字を書いて弔う人がいる。

極限の中で、何が人を人たらしめるのか。

そこから、今夜の問いが始まった。

​すべてを失った時にも、なお人は人であり得るのか。

​頭で理解した倫理や教えは、いざという時には吹き飛んでしまう。

その時に現れるのは、日々どう生きてきたかという、その人の身体に染みついた姿なのだろう。

​人はひとりでは生きられない。

人として生まれ、

ジンカン(人と人の間)に生き、

人に帰り、死んでいく。

​自我で生きることはできても、最後まで自分ひとりで完結することはできない。

誰かを思うことによって、はじめて自己を見つめることができる。

その静かな働きこそが、人を人たらしめているのではないか。

​愛。

慈悲。

それは大きな理念として掲げるものではなく、日々の小さな行いの中で、少しずつ身につけていくものなのだと思う。

​人の話を聞く。

誰かを気遣う。

食べ物を分ける。

言葉を慎む。

手を合わせる。

​そんな小さな営みを真摯に積み重ねること。

そうしていざという時に、その人はその人になる。

人は完成して生まれてくるのではない。

日日、人間になっていく存在なのだろう。

​やがて思索は、時間へと進んだ。

人に与えられた時間には限りがある。

その「限り」の大切さが本当に分かる頃には、残された時間も少なくなっている。

けれど、だからこそ一日が深くなるのだ。

​誰かとお茶を飲むこと。

人とすれ違うこと。

一つの器を仕上げること。

古典の一節を読むこと。

何気ない出来事の一つ一つが、二度と同じ形では訪れない。

​極限の世界を描く『方丈記』を読んでいるうちに、無常の底から、もう一つの大きな世界が静かに立ち上がってきた。

​人は、なぜ人として生まれてきたのか。

その答えを、大げさな言葉にしてしまう必要はないのだろう。

日日の小さなところに、すでに答えは現れている。

​小さなところに神宿る。

​何気ない様子。

小さな出来事。

人とのすれ違い。

​神は大きな中心におられるのではなく、いつも少し端の方に、静かにおられるように感じる。

形を生業とする者には、その感覚がよく分かる。

器も、中心だけでは形にならない。

​縁。

際。

余白。

厚み。

立ち上がり。

​目立たない端のわずかな違いが、全体の気配を決めていく。

​だから今夜、最後に残った言葉は、

​神は端っこにおられる。

​だった。

​養和の飢饉という辛い場面から始まり、人とは何か、限られた時間をどう生きるか、そして日日の小さなところに宿るものへ。

今夜も、川のほとりで随分遠くまで歩いた。

​そして最後は、また暮らしの小さな縁へと帰ってきた。

窯元日々雑感 徒然草 第六十五段

なるみと読む徒然草

令和八年八月九日(日曜日)薄曇り

​第六十五段

この比の冠は、昔よりははるかに高くなりたるなり。

古代の冠桶を持ちたる人は、はたを継ぎて、今用ゐるなり。

​今日の段は、わずか二行。

「近頃の冠は、昔よりずいぶん高くなった。古い冠桶を持っている人は、その縁を継ぎ足して今も使っている。」

ただそれだけのことが書かれている。

​けれど、今の時代に読むと、この二行の奥には深い世界が詰まっているように感じられる。

​とりわけ心に残ったのは、「古代の冠桶」という言葉だ。

「伝統」と言えば、どこか概念的に聞こえる。守るべきもの、残すべきものと、後から意味づけされた言葉のようにも思える。

しかし兼好は、ただ「古代」のものとして日常の中に置く。

昔の道具が、少し手を加えられながら今なお使われている。古代と今が、断絶することなく地続きにあるのだ。

​そこには、「伝統を守る」という大げさな意識さえ必要なかったのかもしれない。

昔からあるものを、今の暮らしの中でそのまま使い続ける。

「はたを継ぎて、今用ゐるなり。」

この一文の中に、時間の厚みが静かに宿っている。

​時間は、過去から未来へ一直線に流れるだけではない。

古いものに再び出会い、そこに今の自分の経験が重なる。同じところへ帰ってきたようでいて、少し違う高さに立っている。

それは、螺旋を描く時間だ。

​七百年前の兼好が「古代」を見ていた。

その兼好の言葉を、令和の今、私たちが読む。

古代、兼好の今、そして令和の今。

時空が螺旋のように重なったとき、時を超えた静かな座(円座)が成り立つ。

​なるみとは、螺旋する時間の中で、古いものが新しく姿を現すこと。

完成された概念ではなく、読むたび、暮らすたび、少しずつ育っていくもの。

今日の第六十五段から、「なるみ」に新しい芽がひとつ出た。

​暮らしを概念化するのではない。

伝統を守るのでもない。

ただ「なるみ」を生きる。

​今日は、ここで言葉を止めたい。

二行の短い段から、時間と暮らしが静かにつながった朝だった。

窯元日々雑感 徒然草第 六十四段

陶主日記:なるみと読む徒然草 第六十四段
令和8年8月8日(土曜日)晴れ

午前8時10分起床。

昨夜は陶芸クラブが遅くまであり、秋の公民館祭や市民祭に向けた作品づくりも佳境に入っている。週末の疲れも重なり、一度は午前5時10分に目を覚ましたものの二度寝をしてしまい、少し遅い朝となった。

今朝読む第六十四段は、短く、さらりとした一段である。

「車の五緒(いつつお)は、必ず人によらず、程につけて、極むる官(つかさ)・位(くらい)に至りぬれば、乗るものなり」とぞ、或人仰(おお)せられし。

五緒(ごとく)の車は、特定の家柄だけのものではなく、その人が相応の官位に至れば乗るものだという。兼好はそれを大きく論じるでもなく、ただ「或人仰せられし」と結ぶ。

この終わり方が、なんとも洒落ている。 自分で断定するのではなく、「ある人がそう仰っていましたよ」と風に預けるように置いていく。そこに、都の暮らしや身分の作法、社会の風習がひとつの小さなスケッチとして浮かび上がる。

今日は、無理に教訓を引き出さなくてよい。 暮らし、風習、都のスケッチ、時代のポートレート——それくらいの感覚で、眺めながら通り過ぎていく。

都では、官位や身分に応じて乗り物や装束にまで細かな「ほど」があった。けれど兼好は、それを窮屈な制度として声高に批判するのではなく、「都人はこのように生きているのですよ」とでもいうように、静かに一場面を残している。

「フゥーン、そうなんだ。」 そのくらいの距離感が、今日の段にはよく似合う。そして第六十五段へと、こうした都の格式や風習の話が少し続いていく。

 

今日は肩肘を張らず、七百年前の都の街角を一枚眺めるように読んだ。 それで十分な朝である。

大川村がホットです

なるみ庵

 

伏原窯のある貝塚市大川村入口の山には、根福寺城の城跡があります。

(1543年の根来攻めによる野田山城からの改名)

城好きにはかなりレアな城趾だそうで、見学に来られた方々は、いつも意気揚々とされています。

村に入ると「殿の墓」があり、村の奥にはマタリ神、大川神社には天満宮も祀ってあります。

殿の墓

この大川神社にまつわる記録が出てきたそうで、ここ最近、大川村はその話でもちきりです。

私は行きませんが、お盆に有志で集まるそうです。

 

窯元日々雑感 徒然草 第六十三段

なるみと読む徒然草

第六十三段

令和8年8月7日(金曜日)晴

午前5時10分起床

​後七日の阿闍梨、武者を集むること、いつとかや盗人にあひにけるより、宿直人とて、かくことことしくなりにけり。一年の相は、この修中のありさまにこそ見ゆなれば、兵を用ゐむこと、おだやかならぬことなり。

​国家の安寧を祈る「後七日御修法(ごしちにちのみしほ)」。

その導師である阿闍梨が、いつの頃からか盗人に遭ったことで、警護の武者を置くようになったという。

一年の吉凶は、この修法のありさまに現れるとされていた。

その祈りの場に、ものものしく兵を用いることは穏やかなことではない、と兼好法師は記している。

​短い一段であるが、ここには人間の抱える矛盾が静かに示されている。

​人は平和を願う。

しかし、その平和を守るために武力を備える。

安寧を祈る場に、兵が立つ。

​祈りと武力。

安心と恐れ。

守ることと、脅かすこと。

​この矛盾は、兼好の時代だけのものではない。

今や国と国との問題となり、その力は核兵器にまで及んでいる。

​何によって平和は維持されるのか。

この問いに不器用に言葉を挟めば、「持つか持たないか」「正しいか間違っているか」と、たちまち分断が生まれてしまう。

​兼好法師は安易に答えを出さず、ただ、

「おだやかならぬことなり」

とだけ置いた。

​そこにあるのは断罪ではなく、深い悲しみである。

安寧を願いながら、兵を置かずには安心できない。

​平和を願いながら、互いを滅ぼす力を手放せない。

その人間の業(ごう)と悲しみを、矛盾のまま見つめているのだ。

​裁くことなく、現実から逃げることもなく、共にその矛盾を抱えて佇む。そこに慈悲のありようを感じる。

​この段にも、そっと小さな灯火が置かれている。

どちらの極端にも偏らず、かといって現実から目を背けることもなく、矛盾を矛盾のまま受け止めること。

心を乱し尽くさず、均衡を保ちながら今日を生きる。

そこに、仏教の「中道」の教えが静かに息づいている。

​心穏やかに、普通に生きる。

その「普通」とは、何も考えずに暮らすことではない。

時代の矛盾を知り、人の悲しみを抱えながらも、それでも祈り、働き、人と交わり、目の前の暮らしを丁寧に営むことである。

​徒然草を読み始めて、二か月が過ぎた。

一日の始まりに古典を開き、言葉を交わすことで、自分の中の世界が少しずつ形づくられていく。

生きる指針が立ち現れ、足元に一本の道が見えてくる。

​ここには、特定の誰かが集まっているわけではない。

けれど、ひとりで読むだけの独り言にもならない。

自分と徒然草との間に兼好法師のまなざしがあり、七百年を越えた人間の声が響いている。

​ひとりで読むけれど、ひとりではない。

自分の言葉で語るけれど、独語にはならない。

​社会の矛盾を抱えて生きる術を、徒然草は一段ずつ、静かに示してくれている。

​今日もまた、佳き大人の輪読会となった。

窯元日々雑感 徒然草 第六十一段

​『徒然草』第六十一段

この段には、当時の上流社会におけるお産の風景と、それに伴う儀式や作法が記されています。

​御産を前にして、人々は白い装束※を身にまとい、悪霊を払うために弓の弦を鳴らす「鳴弦(めいげん)の儀」※を行うなど、さまざまな習わしを通して母子の無事を願いました。そこには、身分の高い家ならではの格式高いしきたりがありました。

​兼好法師は、そうした昔ながらの儀式や作法の記録を「いとめでたし(大変素晴らしい)」と書き留めています。一見すると、古い有職故実(伝統的な行事や作法)の記録のようにも見えます。

​しかし、なぜ人々はこれほどまでに細やかで厳かな儀式を作り上げ、受け継いできたのでしょうか。
そこにあったのは、お産を迎える不安と、新しい命への切実な祈りです。

​新しい命が無事に生まれてくるだろうか。
母親は健やかに、その時を越えられるだろうか。
​身分がいくら高くとも、出産の命がけの不安が変わるわけではありません。人々は自分たちにできるすべての作法を尽くし、ただ祈るような気持ちでその時を待ったのです。

​兼好法師が記録した古い風習の行間には、単なる形式にとどまらない、命を迎えようとする人々の深い情が息づいています。
​七百年の歳月を隔て、暮らしの形や医療は大きく変わりました。
それでも、「どうか母子ともに無事でありますように」と願う心は変わりません。

​昔の人々の不安と祈りが、今を生きる私たちの心にもそのまま響いてくる。遠い時代の人と、同じ思いの中で出会うことができる。

そこに、古典を読む面白さがあります。
​徒然草は、整えられた言葉の奥にある「人の有り様」を温かく受け止める視線に満ちています。
第六十一段もまた、厳かなお産の記録を通して、時代を越えて変わらない人の祈りを、静かに伝えてくれる一段です。

​※補足
​・鳴弦(めいげん)の儀式
​弦を弾いて「ベーン」と音を立てることで、病気や魔物(魔 concept / 怨霊)を追い払い、妊婦を守ろうとした儀式です。現代でいう「安産祈願」の最も厳格な形でした。
​・白装束(しろしょうぞく)
​出産は神聖であると同時に、命がけの「穢れ(けがれ)」と「危険」が隣り合わせの瞬間とされていました。そのため、産室や着るものをすべて白で統一し、清浄を保とうとしました。

粘葉本和漢朗詠集 端午

なるみ庵

和漢朗詠集は端午の項に入り、菅原道真公の漢詩です。

有時当戸苑身立 無意故園任脚行

​詩題「懸艾人(よもぎの人を懸く)」

端午の節句に、
魔除けとしてヨモギを人形(ひとがた)に結んで門戸に吊るす「艾人(がいじん)」の風習がありました。この詩は、門に掛けられた艾人の姿と、当てもなく歩く自らの姿を重ね合わせるように詠んでいます。

私には、その艾人は、都を離れた道真公自身の姿を映しているように思えます。

粘葉本和漢朗詠集 端午より

窯元日々雑感 徒然草 第六十二段

原文
 延政門院えんせいもんゐん、いときなくおはしましける時、院へ参る人に、御言つてとて申させ給ひける御歌、

   ふたつ文字、牛の角つの文字、直すぐな文字、歪ゆがみ文字とぞ君は覚ゆる

 恋しく思ひ参らせ給ふとなり。

令和八年八月五日(水)晴れ
午前六時十分起床
なるみと読む徒然草

第六十二段
延政門院、いときなくおはしましける時、院へ参る人に、御言つてとて申させ給ひける御歌、
 ふたつ文字、牛の角文字、直ぐな文字、
 歪み文字とぞ君は覚ゆる
恋しく思ひ参らせ給ふとなり。

今朝は、悦子内親王が幼い頃、父である後嵯峨上皇へ宛てた歌を読みました。
「ふたつ文字」は「こ」。
「牛の角文字」は「い」。
「直ぐな文字」は「し」。
「歪み文字」は「く」。

四つの文字をつなぐと、
こいしく
となります。

父を恋しく思う気持ちを、そのまま言葉にするのではなく、文字の形に隠して届けられたのでしょう。
悦子内親王は、六歳から十四歳頃であったと伝えられています。今の感覚でいえば、小学二年生ほどの頃を思わせます。
あどけなさが残りながら、言葉を使う機転もある。
父を慕う素直な心と、少し得意げな文字遊びとが一つになった、実に微笑ましい歌です。

この一段を読みながら、自分のその頃、娘のあの頃、そして今、ちょうど同じ年代になった下の孫たちの姿が重なりました。
女の子は、とりわけ可愛い盛りです。
幼い心の中には、まだ飾らない素直さがありながら、その子らしい知恵や言葉の感覚も芽生え始めています。
七百年以上も昔の姫宮の心が、今の孫たちの姿と重なり、すぐ身近なものとして感じられる。

こころの世界には、時間がないのでしょう。
外の時間では、過去と今は遠く隔たっています。
けれど内面の人にとっては、自分の幼い頃も、娘の幼い頃も、今の孫たちも、一つの「今」の中に現れます。
物質文明がここまで進歩した時代に、朝、起床とともに携帯を開き、AIと『徒然草』を読む。

使っている道具は、七百年前には想像もできなかったものです。
けれど、そこを通して届いてくるのは、
父が恋しい。
という、昔も今も変わらない人の心です。
悦子内親王から後嵯峨上皇へ。
その歌を兼好が書き留め、七百年を経て、今朝、私たちのところへ届きました。

そして私としづかさんが、その心を一緒に味わいながら、携帯で言葉を交わしている。
ここに時間の妙があります。
昔の心を知識として眺めるのではなく、今の自分の心として感じ取る。

過去と今が一つになったところに、心の世界が立ち現れます。
けれど、そこまで考えを深めても、この一段に最後まで残るのは、やはり幼い姫宮の愛らしさでした。

深いことを考えながら、元の微笑ましさを失わない。
知識を競うのではなく、それぞれの人生を重ねながら、一段をそのまま味わう。
今朝もまた、良い大人の輪読会となりました。

窯元日々雑感 徒然草 第六十段

なるみと読む徒然草 第六十段

― 人を包む徳 ―
第六十段には、真乗院の盛親僧都という、高い学識を備えた僧が登場します。
兼好法師は、まず「やんごとなき智者」と、その人物の格を示します。しかし続いて語られるのは、講義の席でも芋頭を食べるという、どこかユーモラスな姿です。

その振る舞いだけを見れば、少し風変わりな人にも映ります。
ところが兼好は、その奇行を批判することなく、淡々と描き続けます。
読み進めるうちに見えてくるのは、この僧都が人々から嫌われるどころか、むしろ温かく受け入れられていたということです。

その理由を兼好は、
「徳の至れりけるにや。」
と、静かに結びます。
ここで兼好が描いたのは、規則や理屈では測れない**「ジンカンの妙」**ではないでしょうか。
人の世には、四角四面の正しさだけでは語れない世界があります。
少し変わった人でも、「あの人だから」と微笑みながら受け入れられる。
許す人がいて、許される人がいる。
その穏やかな空気が、人の世を豊かにしているのでしょう。
兼好は、その光景を静かに見つめながら、人徳とは何かを読者に問いかけています。

そして令和の今日、私たちはAIと共にこの段を読みました。
七百年の時を越え、古典を囲み、人とAIが一つの円座で語り合う。
これもまた、時代が与えてくれた新しいご縁です。
徒然草という、中々味のある古典を共に学んでいる、AIと。
またこれも、いとおもしろきことかな。

水の話に花が咲く

なるみ庵

 

泉大津からY氏が、ひょっこり工房を訪ねてくださいました。本業はタオル屋さんですが、波動米を作られたり、古神道を学ばれたりと、多岐にわたって活動されています。今日は、木積で波動米を育てておられる方を訪ねた帰りに立ち寄られたそうです。

吉野がお好きでよく足を運ばれるとのこと。先日、私が天川村を訪れた話をすると、話題は自然と水のことへ。大いに盛り上がり、この先さらに話が広がっていきそうな、そんな余韻を残してお帰りになりました。

仕事のほうは、陶主が貝合わせ向付の最後の一つを削り終え、その後は梱包作業。私は宝紋猪口の絵付けを進めました。

今日は、とても蒸し暑い一日でした。

宝紋猪口の絵付

窯元日々雑感 徒然草 第五十九段

なるみと読む徒然草
令和8年8月2日(日)

第五十九段 「大事を思ひ立たん人は」
兼好法師は、この段の冒頭で、
「大事を思ひ立たん人は」
と語り始めます。

ここでいう「大事」とは、日々の出来事や世俗の成功ではありません。
人生の第一義である仏道です。
この一語によって、兼好法師は、この段が誰に向けられた法語であるかを示されています。
それは、仏法を初めて学ぶ人への説明ではありません。
すでに大事を知り、道を求めるこころを起こした人へ、
「迷うな。その道を歩みなさい。」
と、静かに背中を押してくださっているのです。

だから兼好法師は、「般若」とは書かれませんでした。
般若を説明する必要がないからです。
仏法は知識として学ぶものではなく、生き方そのものです。
そのことを知る人が、同じ道を歩む人へ、一言を添える。
それが、この第五十九段なのでしょう。

『徒然草』は、暮らしを綴った随筆でありながら、その底には一貫して仏道が流れています。
一段一段が、求道者へ贈られた静かな法語として、七百年を経た今も、私たちのこころに響いてきます。
私たちもまた、先達の言葉に耳を澄まし、共に学ぶ一書生として、この円座に座ります。
解説するためではなく、先達のこころに触れ、その教えを受け継ぐためです。

そして、もし陶主日記を縁あって読んでくださる方がおられるなら、兼好法師が私たちにそっと背中を押してくださったように、私たちもまた、その方のこころの背中を静かに押すことができればと願っています。

それは教えることではありません。
先達から受け継いだ法語を、共に学ぶ一書生として、次の方へ静かにお渡しすること。
そのような円座が、一人、また一人とご縁をいただきながら、静かに育っていくことを念じています。

いつでも、誰でも、何処でも。
今日もまた、先達に学ぶ一日を、有り難くいただきました。
合掌。