なるみと読む徒然草
第百二十六段 博打打ちの勝負勘
令和8年10月17日(土曜日)晴
【原文】
「ばくちの負きはまりて、残りなく打ち入れむとせむにあひては、打つべからず。立ちかへり、続けて勝つべき時の至れると知るべし。その時を知るを、よきばくちといふなり」と、ある者申しき。
【現代語訳】
博打で負けが込んで、残ったものをすべて賭けようとする相手には、勝負をしてはならない。
そういうときには、かえって相手の運が変わり、続けて勝つ時が来たのだと知るべきである。
その勝負の時機を見極める者を、優れた博打打ちというのだ。
ある人が、このように語った。
【なるみと読む徒然草】
今朝は、博打打ちの勝負勘についてのお話である。
負けが込んで、最後の持ち物まで賭けようとする相手とは勝負をするな、という。
ふぅ〜ん、そうなんですね!
しかし、博打でしょう。
相手が最後の勝負に出たからといって、それで運気が変わるものでもあるまい。
こちらに流れがあるのなら、相手がどれほど力んでも、そう簡単に勝負の流れは変わらない。
背水の陣とは違う。
博打なのだから。
何やら博打打ちが、勿体をつけて、勝負の極意でもあるかのように語っている。
「ふぅ〜ん、あ、そう」
兼好さんも、そんな話を耳にしたのだろうか。
「或る者申しき」
と、ただ書き留めている。
そこには、兼好さん自身の論評も、教訓もない。
もちろん、兼好さんの真意は分からない。
しかし、世間にはこんなことを得意げに語る人もいる。
まぁ、書いておこう。
そんな兼好さんの姿を想像すると、何とも微笑ましい。
何でも深い人生訓に仕立てる必要はない。
兼好さんもちょっと肩の力を抜いて、世間の人々を眺めていたのかもしれない。
今日の第百二十六段は、
「ふぅ〜ん、あ、そう」
これで十分である。
【フシハラ円座 出版の話】
昨日、越智さんが工房に来られ、『なるみと読む徒然草』の出版について話し合った。
全二百四十三段を読み終えるのは、年明けの二月初旬頃になる見込みである。
すでに半分を超えるところまで来た。
そこで、全段の完成を待たず、第一段から順番に、B5判、五十ページほどの小冊子として、百冊程度ずつ自主出版してはどうかという話になった。
販売するのではない。
ご縁のある方々に、貰って頂くのである。
現在、『なるみと読む徒然草』は、森本さんの話では二百を超えるビューがあるという。
日々、読んでくださる方々がいる。
しかし、閲覧数を商売に結びつけようという考えはない。
むしろ、その反対である。
『なるみと読む徒然草』は、一切お金との関係性を絶つことを主目的としている。
お金のチェーンから、信用のチェーンへ。
これが、フシハラ円座の目指すところである。
一冊の小冊子を通じて、人と人がつながり、信用が生まれ、その信用がまた次の信用を育てていく。
みんなで育てていく出版なのである。
【次の円座は『論語』へ】
越智さんには、次に『論語』を読んでみようと思っていることも話した。
現在、資料を集めながら準備を進めている。
すると越智さんは、ぜひ読んでみたいと熱心におっしゃった。
ご自身も何度か『論語』を読もうとしたが、最後まで読みきれなかったという。
私も若い頃はそうだった。
何か立派な教義として理解しようと、力んでいたのかもしれない。
しかし、今は違う。
一冊の論語ノートを作り、一段の漢文を書いてみる。
一日、二日、そのままにしておいてもいい。
気になる漢字があれば一字を書き、熟語があればその言葉を書き留める。
金文や篆書に遡って、文字の成り立ちを調べてみるのも面白い。
孔子が生きた春秋時代は、金文が使われていた時代でもある。
一字から歴史が広がり、文字学、書道、思想へと学びがつながっていく。
学習好きには、たまらない楽しみである。
実は、そこが目的なのである。
今、毎日筆を持ち、九成宮を臨書していることも、すでに『論語』への入口となっている。
工房で土に触れ、茶碗を作り、筆を持つ。
その暮らしの流れに沿って、論語ノートを書き、円座を組んでいく。
急ぐ必要はない。
読みきることを目的にしなくてもよい。
一字、一句を自分の中に染み込ませながら、日々学んでいく。
『論語』の冒頭には、
「学而時習之、不亦説乎」
学びて時にこれを習ふ、また説ばしからずや。
とある。
学ぶことの喜びを、日々の暮らしの中で味わっていく。
そんな『なるみと読む論語』を始めたいと思っている。
【今日の円座を終えて】
博打打ちの話から始まった今朝の円座。
「ふぅ〜ん、あ、そう」
と、あっさり読み終えたところから、出版の話、信用のチェーン、そして次の『論語』へと話が広がった。
思えば、これも「なるみ」である。
一つの言葉から、また新しい言葉が生まれる。
一つのご縁から、次のご縁が生まれる。
次の世紀の『論語』になるかもしれない。
ハハハ!
それは未来の人々に任せておこう。
私たちは、今日も一日を生きる。
さて、今日は土曜日。
朝はルパンマディへ注文のパンを取りに行く。
午後からは美代さんが来られ、土曜陶芸教室。
夕方六時からは、感田神社の安達先生のところで書道のお稽古である。
今日も盛りだくさん。
書く、読む、語る、暮らす。
それが、私たちのフシハラ円座である。
今日も生きています。
日日是好日。
令和8年10月17日
水間焼 伏原窯
フシハラ円座 なるみと読む徒然草 第百二十六段

















