なるみと読む徒然草
第百三十七段・結び
令和八年十一月三日(火・文化の日)
フシハラ円座 — 無常から全分他力へ
一、原文に立ち返る
『徒然草』第百三十七段は、よく知られた一節から始まります。
「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは。」
花は満開のときだけ、月は曇りなく照るときだけを愛でるものでしょうか。
兼好法師は、咲く前の梢にも、散りしおれた庭にも、雲に隠れた月にも、味わうべき情趣があると語ります。
「咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ、見どころ多けれ。」
この段は、自然の美を語りながら、やがて人の生死へと眼差しを向けてゆきます。後半には、「今日まで逃れ来にけるは、ありがたき不思議なり」とあります。今日まで生きてこられたことを、兼好さんは「ありがたき不思議」と観ていました。兼好さんが観ていたのは、無常の世界でした。
二、現代語訳と兼好の眼差し
花は盛りのときだけが美しいのではありません。月も、曇りのないときだけが美しいのではありません。
咲く前の花、散ったあとの庭、雲に隠れた月。そこにも、人の心を動かす美しさがあります。
人の命もまた、いつまでも変わらずにあるものではありません。生まれ、老い、病み、死んでゆく。だからこそ、今という時がかけがえのないものになります。
兼好法師は、その移ろいの中に、人間の哀れと美しさを観ていたのでしょう。
三、フシハラ円座 — 無常を越えて
今朝の円座では、兼好さんの無常観から、現代を生きる私たちの世界観へと話が広がりました。
兼好さんは、無常を言い、生命の哀れを言います。
私は、生老病死を、この地球の変化と観ます。変わる変わる。生まれることも、老いることも、病むことも、死ぬことも、この地球に生きる生命の変化です。
無常を否定するのではありません。無常そのものを、絶えず生まれ変わってゆく世界として観るのです。
兼好さんの時代から七百年。人間の眼は、地上の天地から宇宙へと開かれてきました。
昔、私は他力を説明するとき、水に入って力を抜き、身体を浮かせることを例にしていました。しかし今は、宇宙を思い描くことができます。東西南北もなく、上下もない世界に浮かんでいる。そこでは、自分の力で身体を支えようとする発想そのものが変わります。
私は、それを次元の違いとも、気根の違いとも、全分他力とも呼んでいます。
兼好さんは兼好さんの時代を、私たちは今の時代を生きています。その違いを観ることもまた、『徒然草』を読む楽しみなのでしょう。
四、観る事がなること
今朝、繰り返し語り合った言葉があります。
観る事がなること。
思いがなること。
それが繋がり、世界を創る。
変わる変わる。
これが「なるみ」です。
科学が先にあるのではありません。生きることが先にあり、その実証があとからついてくる。見えるから生きるのでも、分かったから生きるのでもない。信じて生きよ。まず、生きることに専念する。
佛を信じて、共に泣き、共に喜び、共に暮らし、共に去ってゆく。生きることを自分一人の力で成し遂げようとせず、与えられた一日を丸ごと頂く。これが、私の語る全分他力の世界です。
そして、すべてをそのまま頂く。
もの皆全てが懐かしく、
もの皆全てが美しい。
全分肯定、全分他力。
そこには、悲しみを否定する必要も、老いや死を恐れて人生を閉ざす必要もありません。今日という一日を、喜びをもって生きるのです。
五、地球再生 — 普通が一番
私は、宇宙的な実験も終わりに近づいているのではないか、と感じています。
宇宙から観れば、地球は特殊な星でした。しかし、人間の意識次元が変わってゆけば、地球もまた宇宙の普通の星になってゆく。これが、私の思い描く地球再生です。
普通が一番。
この言葉は、日々の暮らしだけでなく、宇宙の中の地球という星にまで広がってゆきます。
一人ひとりの観ること、思うこと、生きることが繋がり、世界を創ってゆく。変わる変わる。
六、工房に掲げられた先生の言葉
朝の円座を終え、工房に来ました。昨日から窯に火が入っています。
午前八時五十分、森本さんから連絡がありました。天の温度は一一〇五度、根の温度は一〇五三度。順調に温度が上がっています。今日も、有り難い仕事をいただいています。
工房には、私の信仰の先生である京都修道院の院主先生のお言葉が掲げられています。
「人生至高の目的は
人の為に生くるにあり」
言葉は、聖き御国へ同胞と共に帰ることを説いて続きます。先生は十六年前にご帰還されました。しかし私にとっては、今も永遠の先生です。
今朝、私は座右の言葉をお話ししました。
「皆共に御霊(御国)の世界に帰りなん。」
人は一人で生きているのではありません。人のために生き、共に喜び、共に悲しみ、共に去ってゆく。先生から頂いた信仰は、今も私の暮らしの中にあります。
五十年余り、茶碗を作り続けてきました。人の役に立ちたい。その思いで轆轤を挽き、器を作り、ご縁をいただいてきました。
信仰は、日々の仕事と離れたところにあるのではありません。今日も窯に火が入り、土が焼き物へと変わってゆく。その仕事をさせていただけることが、何より有り難いのです。
七、結び — 皆共に帰りなん
兼好法師は、花を観、月を観、人の生死を観て、無常の美しさを語りました。
七百年後の私たちは、その言葉を読みながら、さらに宇宙へと眼を開いています。しかし、どれほど世界が広がっても、今日という一日を生きることに変わりはありません。
朝が来る。人と語る。仕事をする。土を練り、火を焚き、器を作る。喜び、悲しみ、老い、やがて去ってゆく。そのすべてが、有り難い。
もの皆全てが懐かしく、
もの皆全てが美しい。
全分肯定。全分他力。
先生のお言葉を胸に、今日も茶碗屋として生きています。
皆共に御霊(御国)の世界に帰りなん。
変わる変わる。
なるみゆく。
普通が一番。
令和八年十一月三日 文化の日
水間焼 伏原窯
フシハラ円座「なるみと読む徒然草」第百三十七段・結び























