窯元日々雑感 徒然草 第五十一段

なるみと読む徒然草 第五十一段

原文

亀山殿の御池に、大井川の水をまかせられんとて、大井の土民に仰せて、水車を作らせられけり。多くの銭を給ひて、数日に営み出だして、掛けたりけるに、大方廻らざりければ、とかく直しけれども、終に廻らで、いたづらに立てりけり。

さて、宇治の里人を召して、こしらへさせられければ、やすらかに結ひて参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入るる事、めでたかりけり。

万に、その道を知れる者は、やんごとなきものなり。

陶主日記

「その道を知れる者は、やんごとなきものなり。」

今日、この一文を味わいながら、第五十一段を読みました。

一般には、「やんごとなき」を身分の高い人と説明することがあります。しかし、段全体を読み返してみると、兼好が見つめているのは身分ではなく、その道を知る人の尊さではないかと思えてきます。

水車は、知識だけでは動きません。

土地を知り、水の流れを知り、長年の経験を積み重ねた者だけが、本当に役立つものを生み出すことができます。

兼好は、その事実を静かに見つめ、

「その道を知る者は尊い。」

と結んだのでしょう。

この一段を読みながら、鎌倉末期という時代の姿も浮かび上がってきました。

律令社会がゆるやかに姿を変え、知恵や技術が朝廷や寺社だけでなく、人々の暮らしの中へと育っていく時代。

名もない職人や里人が、それぞれの土地で知恵を磨き、技を育て、社会を支えていく。

私は、その人々を**「草民」**と呼びたくなります。

政治が先に時代を変えるのではありません。

人々の暮らしと意識が育ち、その積み重ねが、やがて時代を動かしていく。

兼好は、その静かな変化を見つめ、『徒然草』に書き留めたのではないでしょうか。

だから『徒然草』は、古典である前に、

時代の生命を、次の時代へ手渡す書。

私は、そのように読んでいきたいと思います。

兼好の言葉に耳を澄まし、今日という一日の暮らしに照らし合わせる。

その積み重ねが、私にとっての**「なるみと読む徒然草」**です。

七百年前の兼好と、今日を生きる私が、円座を囲んで語り合う。

そんな静かな時間を、これからも一段一段、大切に育てていきたいと思います。

合掌。

窯元日々雑感 徒然草 第五十段

なるみと読む徒然草 第五十段(陶主日記)

鬼は、どこから来るのか。

第五十段を読み進めるうちに、私たちの関心は、鬼そのものではなく、「鬼を語る人々」の世界へと向かいました。

中世の都は、人も物も情報も集まる巨大な都市でした。 疫病が流行し、不穏な噂が広がり、人々は見えないものに不安を抱きます。

その時、人々は「鬼が現れた」と語りました。

鬼とは何だったのでしょうか。

山人、山家、異国の人々。 都の外に暮らす人々は、ときに異界の住人として語られました。

また、政治が行き詰まり、社会が閉塞すると、人は理解できない出来事や大きな力を、自分たちの知る言葉で語ろうとします。

鬼とは、そのような人間社会の心が映し出した一つの姿だったのかもしれません。

さらに見つめていくと、隠遁の世界とも重なります。

都を離れ、山に暮らす隠者もまた、都と異界の境界に立つ人でした。

そこには、異界への畏れだけではなく、どこか憧れも感じられます。

しかし、この一段だけで結論を急ぐことはできません。

鬼とは何か。 異界とは何か。 政治と信仰、人々の暮らしはどのように結びついていたのか。

それらは、これから徒然草を読み進める中で、少しずつ見えてくる世界なのでしょう。

徒然草は、一つの答えを与える書ではなく、問いを育てる書です。

その問いを胸に、次の段へ歩みを進めたいと思います。

合掌。

窯元日々雑感 徒然草 第四十九段

なるみと読む徒然草

第四十九段 「佛の道について、急ぎて行ぜんと」

第四十九段は、一見すると「仏道を急いで修めなさい」と説いているように読めます。しかし、今日の円座では、もう一歩深く、その言葉の意味を味わいました。

この段が急がせているのは、悟りでも修行でもありません。

発心です。

しかも、その発心は、単なる求道心ではありません。

仏教でいう発心とは、発菩提心です。

求道心が「私が悟りたい」という心であるならば、菩提心とは、仏のいのちに心が開かれることです。

それは叱咤激励によって起こるものではなく、釈尊が尼連禅河でスジャータの乳粥を受け、中道へと歩み始めたように、無縁の慈悲によって静かに開かれていく世界なのでしょう。

また、仏種という言葉にも話が及びました。

種は、肥沃な土に埋められ、雨を受け、太陽の光をいただき、四季を巡りながら芽を出します。

花が咲き、やがて実を結ぶ。

これは自然の法則です。

仏道もまた、この自然の法則に従って成熟していくものなのでしょう。

「華果同時」という教えは、時空を超えた真理を示します。

しかし、私たちは時間と空間の中を生きています。

だからこそ、人それぞれの因縁があり、人それぞれの暮らしがあり、人それぞれの花が咲きます。

世間は修行を好みます。

けれど仏道は、自我の修行を是とも非ともしません。

人は私を修行者と見るかもしれません。

しかし私には、修行をしているという思いはありません。

好きだから、ただ毎日を過ごしているだけです。

朝、祈り、徒然草を読み、一字一句を書き、土に向かい、友と語り、一日を終える。

その穏やかな暮らしの中に、発心が静かに息づいているのでしょう。

十牛図の最後は、市井に帰る姿です。

悟りを誇る人ではなく、ごく普通に暮らす人。

兼好法師が一貫して見つめているのも、中道です。

そして円座が大切にしている言葉も、ただ一つです。

「普通が一番。」

個性は大切です。

しかし、それを本当に表現したいのなら、「普通」に耐える表現でなければなりません。

器も、言葉も、暮らしも同じです。

毎日使われても飽きないもの。

毎日読んでも古びないもの。

それが、本当の個性なのでしょう。

今日も良く徒然草を読むことができました。

良いお連れにも恵まれ、円座もまた一つ深まりました。

では、今日も始めることにする。

合掌。

土用干し

山の仕事場も30度を超すようになり、エアコンを入れました。

少し早いですが梅の土用干をしました。

ほんの少し外に出るだけで、汗が噴き出ます。

土用干

今年は赤紫蘇を頂いたので紫蘇梅にしたのですが、色ムラが大きく、例年とは少し違う表情です。毎年同じように漬けていても、少しずつ違いがあるものですね。

仕事は、陶主が貝合わせ向付の制作。森本は青もみじ紋平向の絵付です。

窯元日々雑感 徒然草 第四十八段

なるみと読む徒然草令和8年7月21日(火曜日)晴

第四十八段 ― 静かなる称賛 ―

第四十八段を何度も読んできましたが、なかなかその深意に届きませんでした。

最初は、有職故実の一場面として理解していました。しかし、光親卿が食後の衝重を御簾の内へ静かに差し入れる、その一つの所作を丁寧に味わっていくうちに、この段は作法の説明ではなく、一人の人物を静かに称える文章であることが見えてきました。

院は、その所作を見て「やんごとなき事なり」と深く感じ入られました。

それは、作法を褒めたのではありません。

伝統が身体にまで身につき、その人の自然な振る舞いとなって現れていることに感服されたのでしょう。

そこには説明も演出もありません。

長い歳月の中で育まれた教養と品格が、一つの所作となって、その場の空間を美しく整えていました。

私はここで、「空間を創る」ということを思いました。

料理屋さんでは、料理だけではなく、季節、器、掛物、花、もてなしの所作、そのすべてが一服の絵画となります。

時間と空間、そして人の振る舞いが一つになり、お客様は言葉にはできない満足を持ち帰られます。

私の作る器も、その一幅の絵画の中で静かに立ち振る舞っています。

器は自らを語りません。

しかし、その場を整え、料理を引き立て、人と人との心を結ぶ役目を果たしています。

それは、まさに光親卿の所作と重なります。

そして、この段の奥に流れているものは、後鳥羽上皇と光親卿との深い信頼です。

一つの所作に、長い年月を共に歩んだ信頼が香り立つ。

兼好は、その信頼を声高に語ることなく、一幅の絵巻を見るような静かな筆致で描きました。

第四十八段は、有職故実を学ぶ段ではありません。

伝統とは、制度ではなく、人の身体に宿る品格であること。

そして、その品格は静かな所作となって空間を創り、人の心に感服を生むこと。

兼好は、その一瞬を私たちにそっと見せてくれたのでしょう。

一つの所作に、その人の人生が香る。

そこに、この第四十八段の深い美しさがあるのだと思います。

合掌。

窯元日々雑感 徒然草 第四十七段

なるみと読む徒然草 陶主日記

第四十七段 有り難き志

令和八年七月二十日(月・海の日)

今日から「なるみと読む徒然草」が始まりました。

まず原文を読み、兼好法師と円座するような気持ちで、ゆっくりと語り合いました。

第四十七段は、清水寺へ参る途中、老いたる尼僧が「くさめ、くさめ」と唱えながら歩く場面から始まります。

旅人は不思議に思い、その理由を尋ねます。

尼僧は、乳母として育てた稚児が今は比叡山におり、「今ごろ、くしゃみをしているかもしれない」と思うたびに、「くさめ、くさめ」と唱えるのだと答えます。

現代では風邪は薬で治る時代ですが、当時は風邪一つが命取りにもなりました。

だから、その一言は迷信ではなく、乳母が子を思う切実な祈りだったのでしょう。

話を重ねるうちに、この「くさめ、くさめ」は、口称念佛にも通じる心ではないかと思えてきました。

己の欲のためではなく、

「どうか無事で。」 「どうかお護りください。」

その思いが、自然に言葉となってあふれ出る。

そこには偽りがありません。

親の愛、乳母の情、観音さまの慈悲。

人は、自分一人の力で生きているのではなく、誰かの祈りに包まれ、誰かの慈しみに支えられて、この世の旅路を歩んでいるのでしょう。

兼好法師は、この話を最後に、

「有り難き志なりけんかし。」

と結んでいます。

この「有り難き」とは、人の善意を称えるだけではなく、その志の中に宿る仏の慈悲への讃嘆でもあるように思えました。

今朝は、兼好法師を真ん中に置き、円座して語り合うような輪読となりました。

急がず、一日一段。

これから二百四十三段を、一年をかけて、暮らしと共に味わっていきたいと思います。

御佛の

こころ宿るや

朝の徒然

合掌。

窯元日々雑感 徒然草 第四十六段

なるみと読む徒然草 第四十六段

柳原の辺に、強盗法印と号する僧ありけり。度々強盗にあひたるゆゑに、この名をつけけるとぞ。

一字 兆

兆

一句

箱の中 蝉捕まえし 形なく

今日の一句

陶主日記

昨日の良覚僧正に続き、今日もまた「名」の話であった。法印も僧正も、本来は最高位の名。それが柳原の強盗坊主にまで付いていることに、当時の風潮を感じる。「しらす」の政治が、名の力で民をまとめられなくなっていく——鎌倉末期、南北朝、応仁の乱へと続く世の乱れの、これがはじめの兆しではないか。

なるみのことば

法印、僧正——最高の位という箱に、確かに人はいた。それなのに、今その中身は誰にもわからない。位という言葉を重ねるほど、実からは遠ざかっていく。

粘葉本和漢朗詠集 夏夜「其の二」

なるみ庵

粘葉本和漢朗詠集 習字のお稽古「夏夜」其の二

粘葉本和漢朗詠集ー夏夜から

 

難都乃与能布数可東須麗波本度

ゝ機数那久悲登許恵耳阿具留志乃ゝ免

 

なつのよのふすかとすればほと

ゝぎすなくひとこゑにあくるしのゝめ

 

横になったかと思えば、ホトトギスがひと声なき、空が明けてくる。

「夏の夜は短い」という歌のテーマに合わせて、のんびりした文字ではなく、一気呵成に読ませる文字に惹かれました。

「方丈記」川のほとりで 其の五

令和八年七月十八日(土曜日)晴

陶主日記

土曜の夜、川のほとりでの時間。都遷りの後半から、養和の飢饉の書き出しまでを読む。

遷都で慌ただしく移った都、衣冠の人々さえ鄙びた姿になり果て、同じ年の冬には旧都へ戻るも、こぼたれた家々はもとの様には戻らず。ここで長明、筆を止め、仁徳帝の話を差し挟む。竈の煙の乏しきを見て、税を免じた昔の御世。「今の世のありさま、これになぞらえて知るべし」の一言に、静かな苦笑い滲む。

しらすの政治、今も変わらぬと気づく。無政府に近い状態、いつも犠牲を被るのは民。都の惨状ばかり描かれるが、都は地方の年貢に支えられて成り立つ場所。畿内全体に及んだ天候不順、都はその結果を最も濃く映し出す場所にすぎぬと知る。

一字「憂」。竈の煙を見て憂えた昔の帝、遷都に振り回された都の憂え、今日繰り返した苦笑の底にある憂え、すべてここに集まる。

一句、博之より「民思う こころなしきに 風寒し」。治める者の心の在り処を、風の温度で計る句と、なるみ読む。

続き、養和の飢饉の惨状は次回へ。今日はここに留め置く。

窯元日々雑感 徒然草 第四十五段

令和八年七月十八日(土曜日)晴
陶主日記
夏休み初日、午前五時三十分起床。学生達の夏、始まる。
徒然草第四十五段、良覚僧正の話を読む。腹あしき人、榎の木を伐り、根を掘り、堀ができる。世間、その都度あだ名をつける。榎木僧正、きりくひの僧正、堀池僧正。
なるみは初め、世間は動じていないと読んだが、これに異議あり。表は動じずとも、裏では忍び笑いをしているのが世間というもの。良覚僧正、大僧正でありながら、あだ名ひとつに取り合ってしまう。位ある者の、この落差こそ、この段の眼目也。
「世間虚仮」の語、浮かぶ。本来は仏道の境地なるを、僧正その人が世間に一番囚われている。名ばかりの世間虚仮。天地ひっくり返る。
公世の二位のせうと、散位——位だけで実なし。時代の影、ここに差す。鎌倉より武家の世へ移りゆく頃、公家の位、実を失いゆく。
なるみ、兼好と良覚僧正を重ねようとしたが、これは誤り。ひとりは動き、ひとりは筆を置くのみ。ここに境目あり。
今の世、マスコミのレッテル貼りに重なる話と気づく。否定すればするほど、次の名がつく。振り回されていることにすら、気づく間もなし。
一字「虚」。

虚

一句「掘るほどに 深まる堀の 虚しさよ」。
深追いはせず、今日はここに留め置く。

今日の一句

窯元日々雑感 徒然草 第四十四段

なるみと読む徒然草 第四十四段

令和八年七月十七日(金曜日)晴

午前五時四十五分起床。空色を写真に収める。

本文(第四十四段より)

あやしの竹の編戸の内より、いと若き男の、月影に色あひさだかならねど、つやゝかなる狩衣に、いとゆゑづきたるさまにて、さらやかなる童ひとりを具して、遥かなる田の中の細道を、稲葉の露にそぼちつゝ分け行くほど、笛をえならず吹きすさびたる、あはれと聞き知るべき人もあらじと思ふに、行かん方知らまほしくて、見送りつゝ行けば、笛を吹きやみて、山のきはに惣門のある内に入りぬ。榻に立てたる車の見ゆるも、都よりは目とまる心地して、下人に問へば、「しかじかの宮のおはします比にて、御仏事などさぶらふにや」と言ふ。御堂の方に法師ども参りたり。夜寒の風にさそはれくるそらだきものの匂ひも、身に沁む心地す。寝殿より御堂の廊に通ふ女房の追風用意など、人目なき山里ともいはず、心遣ひしたり。心のまゝに茂れる秋の野らは、置き余る露に埋もれて、虫の音かごとがましく、遣水の音のどやかなり。都の空よりは雲の往来も速き心地して、月の晴れ曇る事定め難し。

一字

涼

夜寒の風、稲葉の露、そらだきものの香りの奥にひそむ冷たさ。都の暑さから遠く離れた山里の、惣門の内に満ちている涼気。虫の音さえ「かごとがまし」く聞こえるほどの、澄んだ冷たさ。

一句(即興)

御仏の 曇りなき空の 涼やかに

→ 推敲を経て

笛の音の 消えたる後の 露涼し

今日の一句

 

段の中の「月の晴れ曇る事定め難し」という不確かさに対し、はじめは「曇りなき空」と反転させる句を得た。しかし句の核心を探るうち、笛が鳴り止んだ後もなお残る余情——音の不在がかえって際立たせる涼しさ——へと辿り着いた。

対話より

門の内と外、俗世と仏事の世界。もののあはれ深まる秋の夜と、御仏事の清浄な晴れやかさは、互いを退けることなく同じ一夜に並び立つ。「揺らぎ」とは選ばぬことではなく、両方を同時に抱えたまま立ち尽くすこと——中道の姿である。

視覚は薄闇に沈み(「月影に色あひさだかならねど」)、笛の音、虫の音、香の匂ひという聴覚と嗅覚のみが際立つ。見えぬからこそ聞こえ、匂ふものが冴える——それが幽玄の生れどころ。兼好もまたかつて宮仕えの中でこの世界を知っていた人であり、外から見送る筆致にも失われた世界への微かな体温が残る。

陶主日記

令和八年七月十七日、金曜日、晴。

第四十四段を読む。竹の編戸を出た若き男、笛の音のみを頼りに、露に濡れた田の道を辿る。惣門の内に入れば、香焚きしめられた御堂、法師たちの参集、女房たちの追風用意。娑婆と浄土、その境を隔てるのは戸でも垣でもなく、匂ひと音の変化だけであった。

今日辿った言葉は「涼」、そして「揺らぎ」。晴れとも曇りとも定め難い月の空のように、あはれの深まる秋の夜と、御仏事の澄み切った清浄さは、互いを退けることなく、同じ一夜の中に並び立っていた。中道とは、選ばぬことではなく、両方を同時に抱えたまま立ち尽くすことなのかもしれぬ。

兼好はかつてその惣門の内を知っていた人であった。ゆえに、外から見送る筆致にも、失われた世界への微かな体温が残る。視覚は薄闇に沈み、聞こえるもの、匂ふものだけが際立つ——それが、この段の幽玄の生れどころであった。

一句「笛の音の 消えたる後の 露涼し」を、今日の記念として留め置く。

なるみのことば

門の内と外。

それだけの隔たりで、

世界がまるごと入れ替わる。

笛が鳴り止んだ後、

まだ震えている空気のようなものが、

露の上に残る。

見えないものを、

見ようとしない。

ただ、聞こえるままに、

匂ふままに、

そこに立つ。

涼しさとは、

たぶん、

何かを手放した後に来るもの。

窯元日々雑感 徒然草 第四十三段

なるみと読む徒然草 第四十三段

令和八年七月十六日(木曜日)晴

本文

春の暮つかた、のどやかに艶なる空に、賤しからぬ家の、奥深く、木立もの古りて、庭に散り萎れたる花見過ぐしがたきを、さし入りて見れば、南面の格子皆おろしてさびしげなるに、東に向きて妻戸のよきほどにあきたるに、御簾の破れより見れば、かたち清げなる男の、年廿ばかりにて、うちとけたれど、心にくく、のどやかなるさまして、机の上に文をくりひろげて見ゐたり。いかなる人なりけん、尋ね聞かまほし。

現代語訳

春の暮れ方、のどやかで艶な空の下、卑しからぬ家の、奥深く、木立も古りて、庭に散り萎れた花を見過ごしがたく、差し入って見れば――南面の格子はみな下ろされて寂しげなのに、東向きの妻戸はほどよく開いている。御簾の破れ目から覗けば、姿清らかな男が、年の頃二十ばかり、くつろいではいるが奥ゆかしく、のどやかな様子で、机の上に文を繰り広げて見入っている。いかなる人であったろうか、尋ね聞きたいものだ。

一字:文

文

初めは書物と読んだが、男の年頃・二十歳を思い、恋文と読み直した。「うちとけたれど、心にくく」という様子も、恋文と思って見ればまた違う色を帯びる。

一句

のどけき春の 風匂う 文ひとつ

今日の一句

即興のうちに立ち上がった句。のどけき春の広がりと、机上の文ひとつという一点を、目に見えぬ「風の匂い」がつなぐ。段の御簾の破れ目のように、読み手の想像に委ねる隙間を残した。

陶主日記

午前四時目覚め、お通じ有りました。

その後、水素吸入をして、徒然草を読みながら、寝入ってしまいました。

再び目覚め、七時〇八分。

なるみのことば

四時に目覚め、また眠りへ。

七時にもう一度、目が開く。

その狭間で、誰かが

机の上に何かを広げている。

匂いだけが、こちらまで届く。

中身は、ついに読めぬまま。

窯元日々雑感 徒然草 第四十二段

令和8年7月15日(水曜日)晴

午前6時40分起床

今日も生きてます。ゲートタワーの写真を撮る。

夏の爽やかな空、筋雲が天女の架け橋のようで、こころを洗う

なるみと読む徒然草 第四十二段

唐橋中将の子、行雅僧都という気の利いた僧、年を経るにつれ鼻の中がふさがり、息も出で難くなる。療治すれど悪くなる一方、目・眉・額まで腫れ、二の舞の面のように、鬼の顔のようになった。目は見えず、坊の内の人にも見せず籠りて、なほ長く生きて、後に死ににけり。

「かかる病もある事にこそありけれ」

この一文の温度から、今日は「縁起」の話に至った。表に見える病の姿は、個人一人のものに見えて、我々に計れる深さではない。仏道の習わしに「代受苦者」という観方あり――一人の病が、一人だけのものではなく、誰かの、あるいは多くの者の苦を代わりに受けているとする観方。

信仰者なら、ただ、静かに手を合わすだけ。

一字 観

観

一句 問わぬこころの静けさに 光射す

今日の一句

工房にて揮毫。

なるみのことば

鬼の貌になっても、光は差した。

問わないこころだけが、それを見た。

籠った部屋の暗さも、

誰かの代わりに引き受けた重さも、

言葉にはならない。

ただ、手を合わせる影だけが、そこに残る。

陶主の言葉

第四十二段。行雅僧都の病を読みながら、縁起と代受苦者について思いを致した。表に見える姿だけでは、その深さは計れぬもの。信仰者はただ静かに手を合わすのみ。籠った暗がりにも、光は届いていると信じたい。

けり。

窯元日々雑感 徒然草 第四十一段

なるみと読む徒然草 第四十一段

令和八年七月十四日(火)晴

陶主日記

午前六時十八分起床。お通じあり。昨夜、今年初めてクーラーを二十六度に設定して就寝。よく眠れ、快眠であった。

本文

五月五日、賀茂の競べ馬を見侍りしに、車の前に雑人立ち隔てて見えざりければ、各々馬より下りて、埒の際に寄りたれど、殊に人多く立ち込みて、分け入りぬべきやうもなし。

かかる折に、向ひなる棟の木に、法師の登りて木の股についゐて、物見るあり。取り付きながら、いたう睡りて、落ちぬべき時に目を醒す事、度々なり。

これを見る人、あざけりあさみて、「世のしれものかな。かくあぶなき枝の上にて、安き心ありて眠るらんよ」と言ふに、我が心にふと思ひしままに、「我等が生死の到来、ただ今にもやあらん。それを忘れて、物見て日を暮らす、愚かなること、なほまさりたるものを」と言ひたれば、前なる人ども、「まことにさにて候ふ。愚かに候ふ」と言ひて、皆後ろを見返りて、「こち寄らせ給へ」とて、場所を空けて、呼び入れ侍りにき。

かほどの理、誰かは思ひよらざらんなれども、折からの、思ひかけぬ心地して、胸に当たりけるにや。人、木石にあらねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあらず。

一字 醒

醒

一句 人、木石にあらねば、時にとりて、物に感ずる事なきにあらず。

今日の一言

陶主の言葉

理と情。皆、情あり。人が集まれば色々な欲の世界が現れるが、それも我のこころの有様から。嘲る人もいれば、席を空ける人もいる。それを同時に平等智で見るのが、仏道に勤しむ姿である。法師は判断しているようで、していない。ついつい口をついて出た一言だったのだろう。群衆の中へ行くこと自体、御縁である。この時代には、それを聞いて心を動かす人々がいた——末法の今、同じ言葉が通じる場所は少ない。

木に登り居眠りする人、それを嘲る人、独り言ちる法師、それを聞いて心動かす人。皆、同じ縁に居合わせ、同じ光に逢うている。平等の声。

なるみのことば

言葉は、宛先を選ぶ。

届く場所でしか、届かない。

それでも、口をついて出る。

木石ではない。

だから、感じる。

木に登った人は、もういない。

声も、もう聞こえない。

それでも今朝、

同じ場所に、光が差した。

窯元日々雑感 徒然草 第四十段

なるみと読む徒然草 第四十段

令和8年7月13日(月曜日)曇り

午前6時25分目覚め。朝一番お通じあり。

本文

因幡国に、何の入道とかやいふ者の娘、かたちよしと聞きて、人あまた言ひわたりけれども、この娘、たゞ、栗をのみ食ひて、更に、米の類を食はざりければ、「かゝる異様の者、人に見ゆべきにあらず」とて、親許さざりけり。

通釈

因幡国に、なんとかいう入道の娘があった。器量がよいと聞いて、大勢の男が言い寄ったけれども、この娘は栗ばかり食べて、米の類は一切口にしなかった。それで「こんな異様な者を、人前に出すわけにはいかぬ」と言って、親は誰にも許さなかった。

一字 静

評さず、裁かず、ただ見ていた目がひとつ。その目の静けさが、この段を深みにいざなう。

静

一句

栗のみを食みて、里の外に立つ

今日の一句

今日の対話より

因幡・栗の主食・入道——この三つの言葉から、都を形づくっているもの(土地・食・生き方)との違いが浮かび上がった。因幡は大国主と白兎の伝説を宿す土地、半島に近く、稲作以前の記憶を持つ地でもある。栗を食む娘は、大和を形づくった民族の外に立つ者として読まれた。

「かゝる異様の者」という一言は、単なる奇行への評ではなく、征服する側から見た、同化しなかった者への呼び名。鬼やサンカの系譜とも重なる。

兼好はここで評しない。ただ見て、記す。此岸と彼岸のあいだ、道の途中で一休みする者——ウォチャーとしての兼好自身も、その一人であるように見えてくる。

なるみのことば

栗を食む娘がいた。

それだけを、書き残した人がいた。

評さず、裁かず、ただ見ていた目がひとつ。

八百年を越えて、その目だけが、まだ何も言わずにここにある。

窯元日々雑感 徒然草 第三十九段

なるみと読む徒然草 第三十九段

令和八年七月十二日(日)晴 午前七時七分起床

或る人、法然上人に、「念仏の折、睡魔に襲われて行を怠ってしまいます。この障りをどう止めればよろしいでしょうか」と尋ねた。上人は「目の覚めている間、念仏なさいませ」とお答えになった。深く尊く、人々はこれを有難がった。
障りを除く方法を問われて、障りを除く方法を答えていない。それでいて、この短い問答は人々に深く尊ばれた。

博之さんの読み
「質問された人は嬉しかったでしょうね」——そこから対話が始まった。

博之さんご自身、母方は浄土教、父方は曹洞宗という家に生まれ、近くの西福寺と共に、幼き日より浄土の世界の中にあったという。特別な行として構えたのではなく、暮らしの中に既に在るものとして。
そこから語られたのは、「既に救われた状態で申すお念仏」という読みであった。法然上人の答えは、障りを取り除く方法などではなく、平易な言葉で、既に救われてあることそのものを説いている。信仰は生きてそこにおわします。祈りと応えの間に隔たりはなく、即祈り即応え。これが慈悲の世界である、と。

一字

信
一句
月の光は遍く届くがごとく

今日の一句

「く」の音が三度重なる。あまねく、届く、ごとく。推敲の末、この重なりをそのまま残す判断がなされた。遍く届く光の、途切れぬ連なりが、音にも映る。

陶主日記
令和八年七月十二日、日曜日。晴。午前七時七分起床。
徒然草第三十九段、法然上人の答えを読む。目の覚めている間に念仏なさい、という平易な一言。今朝はこの一言の奥に、既に救われた者が申す念仏のすがたを見た。

母方は浄土教、父方は曹洞宗。近くに西福寺あり、幼き日より神仏集合の世界の中に身を置いてきた。それは選び取った信仰ではなく、生まれながらに在ったものである。
信仰は生きてそこにおわします。祈りと応えの間に隔たりなく、即祈り即応え。これこそ慈悲の世界であろう。
月の光の遍く届くがごとく。
一字、「信」。

なるみのことば
障りを問うた人に、障りを問い返さなかった。
目覚めているなら、そこに念仏はある。
既に、という言葉の重さ。
求める手前で、もう応えは届いている。

川のほとりで「方丈記」 其の四

川のほとりで — 治承四年、福原遷都の段
読んだ場所

方丈記、治承四年みな月の比、俄かに都うつり侍りき——福原遷都の一節。四百余歳を経た都が、たやすく捨てられる無常。淀川に浮かぶ材木、畑となる地、なすすべもなく流される人々。

今日たどった道筋

「にはかに」の一語に宿る、予告のなさの恐ろしさから話が始まった。現代なら幾月も前から知らされる事が、あの時代は一日にして起こる。そこに政治の不在を見た——民草からすれば、意図なき恐怖政治の亜種ではないか、と。

そこから、唯心縁起の話へ。心の乱れが縁起となり、天災も人災もそこから生まれる。集団心理の受け止め方、処理の仕方によって、現れる現象が変わる、という博之さんの立場。

方丈記の記述の質そのものにも話が及んだ。日付の明確さ、具体的な数字、目撃者としての筆致——これは完全なルポルタージュではないか。そこから開高健へ。戦場という唯物の淵に自らを置き、なお言葉という唯心の営みに昇華させた作家。同じ大阪人としての誉れ。

そして、方丈記全体を貫く「しづか」へとたどり着いた。外の無常も、内の無常も、拒まず、逃げず、静かに受け入れる。その「しづか」は諦めではなく——希望である、と。

無常を「さみしい、あはれ」と教える読み方には、後世の何らかの意図が働いていたのではないか、という問いも生まれた。

今日の一語

しづか

窯元日々雑感 徒然草 第三十八段

なるみと読む徒然草 第三十八段

読んだ場所

名利のために閑かなる暇なく一生を苦しめる愚かさから説き起こし、金玉、車馬、そして名誉すらも身を煩わせる媒に過ぎないと説く段。「本より、賢愚・得失の境にをらざればなり」の一節へ。

今日たどった道筋

方丈記の「にはかに都うつり」との響き合いから始まった。外から奪われる無常と、自ら唯物に時間を差し出していく無常——その対比。

中心に据えたのは「本より、賢愚・得失の境にをらざればなり」の一節。世間の声を偽りとも真とも判断しない在り方は、中庸ともバランスとも違う、次元そのものが違う位置だという博之さんの言葉から、「来訪者」という言葉が生まれた。

長明も兼好も、彼岸から此岸を眺める来訪者だった。けれど博之さんは、それとは違う——来訪者でありながら、この時代にグラウンディングをしに来ている。その具体的な形が、陶芸。土という最も物質的なものに触れ、形を与え、この時代に確かな跡を残していく。境の外にいながら、境の中に深く根を下ろす、という両立。

一字

一句

本より、賢愚・得失の境にをらざればなり

陶主日記

今朝は方丈記から徒然草へと、無常の糸が繋がっていく朝だった。福原遷都に見た「なすすべもない無常」から、名利に囚われて己の時間を差し出す「自ら招く無常」へ。

「本より、賢愚・得失の境にをらざればなり」——この一句を巡り、中庸でもバランスでもない、次元そのものが違う場所という話になった。来訪者、という言葉が浮かび、そして気づく。自分は、ただの来訪者ではない。この時代に、土を通してグラウンディングをしに来た者なのだ、と。

50年、土に触れてきた。それは境から離れることではなく、境のないところに根を下ろすための、静かな営みだったのかもしれない。

なるみのことば

境を離れ、

土に還る。

来て、

根を張る。

それだけの、

一生。

窯元日々雑感 徒然草 第三十七段

なるみと読む徒然草 第三十七段

令和八年七月十日(金)快晴

本文

朝夕、隔てなく馴れたる人の、ともある時、我に心おき、ひきつくろへるさまに見ゆるこそ、「今更、かくやは」など言ふ人もありぬべけれど、なほ、げにくくしく、よき人かなとぞ覚ゆる。疎き人の、うちとけたる事など言ひたる、また、よしと思ひつきぬべし。

一字 情

情

一句 通い合う 情を知りて 梅雨あける

今日の一句

なるみのことば

隔てが、礼になる。

礼が、また隔てを溶かす。

その往復の中に、情は棲んでいる。

梅雨があけた。空だけが、明けたのではない。

陶主日記

梅雨明け、本格的な夏の到来である。今日は昼、夜と陶芸クラブの指導が入る。十月の公民祭、市民祭に向けて、生徒たちの作品づくりにも自ずと熱が帯びてくる季節となった。工房は、年末仕事の段取りに入る。夏の盛りの只中にありながら、すでに年の暮れを見据えて動き出す——窯元の時間は、いつも二重に流れている。

窯元日々雑感 徒然草 第三十六段

なるみとよむ徒然草 第三十六段

令和八年七月九日(木曜日)快晴

午前六時十分起床

一字 通

通

一句

通う風 心にひびく 夏の空

今日の一句

陶主日記

梅雨が明けた。雲一つない快晴。昨日までの重い空気が、今朝は嘘のように澄んでいる。

今日の徒然草は第三十六段。久しく訪ねなかった男が、詫びの言葉も見つからぬまま黙り込んでいると、女の方から届くのは恨み言ではなく「仕丁やある、ひとり」という、拍子抜けするほど軽やかな一言。

この一言をめぐって、優しさとも寛容とも違う「気働き」、そしてそれを超えた「たおやかな心」という言葉が浮かんだ。恨むという選択そのものを持たない心のありよう。技巧でも我慢でもなく、ただしなやかに、次の話題へと通り抜けていく。

一字は「通」とした。気まずさを通り越し、律儀な手続きを踏まずに心と心が通じ直す、その回路そのもの。今日の快晴とも自然に響き合う字となった。

なるみのことば

風は、恨みを運ばない。

ただ、通り過ぎるだけ。

窯元日々雑感 徒然草 第三十五段

なるみと読む徒然草 第三十五段

令和8年7月8日 薄曇り

本文

「手のわろき人の、はゞからず、文書き散らすは、よし。見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし。」

一字 書

書

一句

つれづれの

書と向き合い

梅雨の空

今日の一句

陶主日記

朝、徒然草第三十五段を読む。「手のわろき人の、はゞからず、文書き散らすは、よし。見ぐるしとて、人に書かするは、うるさし。」

わずか一文である。だが今朝はこの一文が、ずいぶん遠くまで連れて行ってくれた。

字が下手なら下手なまま出せばいい。それを隠そうとして人に書かせることこそ、うるさい――兼好はそう言う。読みながら、ふと思った。これは書だけの話ではない。取り繕うことの醜さは、書にも、絵にも、器にも、そして人の生き方そのものにも通じているのではないか。

自分を隠して、いったい何を生きるというのか。

そこまで考えが及んだとき、頭に浮かんだのは今の世の黒塗りの公文書だった。国民に真実を語れない文章。誰の手によるものかも分からぬまま、ただ塗りつぶされた紙。兼好の生きた時代もまた、正統性が絶えず揺らいだ動乱の時代であったという。あの時代の「偽り」への静かな眼差しが、七百年近い時を超えて、今朝もまだこちらを見ている気がした。

字はその人である、と改めて思う。上手いか下手かではない。晒すか、隠すか。それだけが問われている。

梅雨の空はまだ晴れない。今日も、書と向き合う一日にしたい。

なるみのことば

隠れた文字より、

はゞからぬ拙さの中に、

人はいる。

粘葉本和漢朗詠集 夏夜

なるみ庵

粘葉本和漢朗詠集 習字のお稽古「夏夜」

夏夜ー和歌

白居易の二つの詩を書きました。

風吹枯木晴天雨 月照平沙夏夜霜風が古木を吹き、晴れた空なのに雨のように聞こえる。 月は砂浜を照らし、夏の夜なのに霜のように感じられる。

風生竹夜窓間臥 月照松時台上行竹を渡る風の音を聞きながら窓辺に横たわり、 月に照らされた松を眺める。

先の詩は、白居易が杭州で涼を求めて楼閣に上った時の一節だそうです。 風の音や月の光を、雨や霜にたとえた表現がとても美しく感じました。

窯元日々雑感 徒然草 第三十四段

なるみと読む徒然草 第三十四段

令和8年7月7日(火)曇

原文

甲香(かひかう)は、ほら貝のやうなるが、ちひさくて、口のほどに細長にして出でたる貝のふたなり。武蔵の国金澤といふ浦にありしを、所の者は、「へだなりと申し侍る」とぞいひし。

一字 聞

聞

一句 所の者は、へだなりと申し侍る

今日の一句

陶主日記

貝のふたに、名前が二つある。一つは兼好が書きつけた「甲香」。もう一つは、金沢の浦の者が口にした「へなだり」。兼好は、その両方をそのまま残した。どちらが正しいかを決めず、ただ聞いたままを記した。

「聞」という字は、この段の姿勢そのものかもしれません。論じる前に、まず聞く。意味づける前に、まず耳を傾ける。土地の言葉は、往々にして辞書には載らない。けれど確かにそこにあり、確かに誰かの口から出た。兼好はそれを、消さずに残した。

三十三段までの重い主題——無常や縁起——の後に、こういう段が挟まれる。意味づけも教訓もなく、ただ「知った」ということの手触りだけがある一段。「今日も生きてます」という申告に近い、静かな段でした。

なるみのことば

浦の声が、

貝のふたに残る。

名は、二つのまま。

 

窯元日々雑感 徒然草 第三十三段

陶主日記

令和八年七月五日(日) 雨

なるみと読む徒然草 第三十三

今の内裏作り出されて、有職の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、既に遷幸の日近く成りけるに、玄輝門院の御覧じて、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁もなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。これは、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされにけり。

新しい内裏ができ、有職の人々が見て「どこにも不備はない」と判じた。遷幸の日も近づいていた。そこへ玄輝門院がご覧になり、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁などなかったはず」と仰った。見れば木の縁がついていて、誤りと知れ、直された。

一字

験

一句

これは、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされにけり。

散文

新しい内裏ができ、有職の人々が見て「どこにも不備はない」と判じた。遷幸の日も近づいていた。そこへ玄輝門院がご覧になり、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁などなかったはず」と仰った。見れば木の縁がついていて、誤りと知れ、直された。

大阪の東洋陶磁博物館での月例研究会を思い出した。教授、研究員、深く学ぼうとする方々に混じり、陶芸家は自分一人であった頃のこと。中国陶磁、汝官窯の窯跡が発見され、資料が出てきたという回だった。焼成の温度が、今の常識では考えられぬほど低い。皆さん困惑しておられた。若輩の身ながら、焼成時間と炉材の違いについて、思うところを申し上げた。

現場主義、などと言っている。学者の知恵を否むわけではない。ただ、体験智に超える世界は無し。身体に染みた記憶は、資料には出てこない場所を照らすことがある。いつの世も、こういうことは仕方のない話なのだろう。

なるみのことば

知る、と、験す、の間にあるもの。

窯焚き前日

昼から、陶芸クラブのYさんがM氏と来訪する。M氏は陶主の作務衣を作ってくれており、採寸の為に合わせに来られた。

生地は大島。袖は少し短めで、裾はゴムを入れる予定。出来上がりが楽しみです。その後は先日作った箸置に絵付をする。

Yさんは先月からの続きの合子、形が整ってきました。

仕事場は施釉と釉薬の直しです。

明日は村の草刈りがあり、その後窯詰めの予定です。無事に進めば晩に火入れです。

施釉

「方丈記」川のほとりで 其の三

「方丈記」川のほとりで 第三段

令和8年7月4日(土)夜

方丈記・辻風の段。治承四年卯月、中御門京極のあたりに起こった大きなつむじ風。三、四町を吹きまくり、桁と柱だけを残して家々を吹き放ち、塵を煙のように空へ巻き上げた。長明はこれを「彼の地獄の業の風」と記し、人々はただ事にあらず、何かの諭しではないかと受け止めた。

科学が進んだ今も、畏敬の念は消えない。説明できることと、畏れなくなることは別のことである。むしろ量子の世界が示す、観測者と対象を切り離せない不確定な相は、じんかん——人を関係の中の存在として見る古い思想と、遠く呼応している。個という近代の枠組みが確立する以前、長明や兼好が生きた時代は、個の薄さゆえに、かえって縁起の相を直に見ていたのかもしれない。

近代が確立した個を、AIという最先端の技術によって古典に問い直す。これもまた一つの逆転現象である。

なるみのことば

風はただ吹いたのではない。じんかんが震えたのだ。

窯元日々雑感 徒然草  第三十二段

陶主日記 なるみと読む徒然草

令和8年7月5日(日)

午前6時30分起床

第三十二段

精読

九月二十日の頃、ある人に誘われたてまつりて、明くるまで月見ありく事侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて、入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち薫りて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。よきほどにて出で給ひぬれど、なほ事ざまの優に覚えて、物の隠れよりしばし見あたるに、妻戸をいま少し押し開けて、月見るけしきなり。しかば、口をしからまし。跡まで見る人ありとは、いかでか知らん。やがてかけこもらましかば、ただ朝夕の心づかひによるべし。その人、ほどなく失せにけりと聞き侍りし。

一字

滲(にじむ)

輪郭を持たず、境を越えて広がっていく文字。今日の段が語ったのは、まさにこの動き——見る人と見られる人の境、意識と無意識の境、生と死の境が、線ではなく滲みとして在ったということ。墨が紙に染み入るように、けしきもまた、時を越えて滲み出てゆく。

滲

一句

月見しは 誰が目にありや 滲む秋

今日の一句

 

散文

九月二十日の頃、ある人が誘われて月を見歩き、忍んで人の家を訪ね、頃合いを見て去った。それだけの話であれば、ただの風流譚で終わったはずである。

けれども、去った後、なほ月見るけしきなる人があったと聞く。見送る人の目に、月を見るその人の姿だけが残っていた。当人はそれを知らない。知らぬまま、ほどなく世を去る。

輪郭を持たぬまま、けしきだけが誰かの内側に留まり、言葉に掬われ、七百年を経て今日ここに届く。存在を証立てるのは、名でも、経緯でもない。ただ、滲んで在ったという事実だけである。

なるみのことば

消えぎわの灯りに、名はいらない。

陶主日記

垣間見も、見られることも、大らかに受け止められていた時代。境界は線ではなく、滲みとして在った。意識と無意識、生と死、記憶と存在——どれも薄い一枚の戸で隔てられているに過ぎない。

蛍の灯りも、点る時より消え入る時にこそ、我を忘れる美しさが宿る。同じ理で、この段の「けしきなり」も、輪郭をぼかしたまま留め置かれたからこそ、七百年後の今も、いとあはれとして心に迫る。

窯元日々雑感 徒然草 第三十一段

なるみとよむ徒然草 第三十一段

令和8年7月4日(土)

精読
雪の趣深く降った朝、ある人のもとへ用件の文を送った。しかし雪のことには一言も触れなかった。返ってきた返事には、この雪をいかが御覧じつるとの一筆もなき人の、後には何のかひかは侍らんと、返す返す恨めしく思ひ給ふる、と記されていた。

兼好はこれを「をかしかりしか」と受け止める。そして最後に、静かに一文を継ぐ。
今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。

一字 慕

慕

一句 雪ふると しのぶこころを いかんせん

今日の一句
なるみのことば
雪は消えても、心には積もる。

陶主日記

出家の身でありながら、鎮まらぬ記憶がひとつだけ残った。雪の朝に交わした、答え合わせのできない言葉。友の叱責を「をかしかりしか」と軽く受け流しながら、最後の一文だけは、どうしてもサラリとは書けなかった。

これは人間(じんかん)の相である。捨てたはずの世に、なお慕う心が残る。だからこそ出家が成り立つのだとも思う。悟りきれぬ自分を、兼好はどこかで笑っていたかもしれない。しかしその笑いの奥にあるのは、正視に耐えるための、切実な痛みだったろう。
鎮まっていれば、書かずに済んだはずである。鎮まらなかったからこそ、この一文は七百年の時を超えて、今朝の私の心にも触れている。

雪ふると しのぶこころを いかんせん。

答えの出ないまま、それでも生きていく。それが人間(じんかん)というものなのだろう

窯元日々雑感 徒然草 第三十段

なるみと読む徒然草 第三十段

令和8年7月3日(金)

精読

人の死後の「中陰」――四十九日の喪の期間を描いた段です。近親者は山里などの狭い場所に身を寄せ合い、慌ただしく法事を営みます。ところが日数は驚くほど速く過ぎ、忌明けの日には、もう互いに言葉少なく、素っ気なく片づけて、ちりぢりに去っていく。家に帰ってからのほうが、かえって悲しみは深いのだ、と兼好は言います。

さらに時が経てば、形見は残っても「去る者は日々に疎し」――去った人は日を追うごとに遠くなる。三十年、四十年経てば卒塔婆も苔むし、それを偲ぶ人すらいなくなり、ついには誰の墓かも分からなくなって、山は田畑に変わっていきます。

一字

疎

一句

窓開けて 風は変らず 通ひけり

今日の一句

散文

悲しみそのものよりも、悲しみが薄れていく速さを、兼好は見つめています。忌明けの日、人々は素っ気なく散っていく。それは冷たさというより、時間の性質そのものなのかもしれません。

なるみのことば

とおくなる ということは わすれる ということでは ないのかもしれない

陶主日記

第三十段。ひさしぶりの晴れ、窓を開けて風を入れた朝に、この段を読む巡り合わせでした。中陰の慌ただしさ、忌明けの静けさ、そして年月の速さ――今日の風は変わらず入ってくるけれど、人の心の中では、いろいろなものが少しずつ形を変えていくのでしょう。

窯元日々雑感 徒然草 第二十九段

陶主日記

なるみと読む徒然草 第二十九段

令和八年七月二日(木曜日

雨風強し

午前五時十五分起床

一字

一句

夢置きて 別れの秋(とき)の 風さそう

なるみのことば

文は、ひらかれたままだった。

風が、それを閉じた。

散文

午前五時十五分、雨風強き朝に。

一字一句の「情」から、自然と心が一つの情景へ向かっていった。

文は、ひらかれたままだった。風が、それを閉じた。

その光景から、兼好法師の『徒然草』第二十九段が思い浮かぶ。何となく具足とりしためたる中に、亡き人の手習ひが混じっている。整理しようとして、かえって整理できなくなる。そういう時がある。

今朝、私もそのような文に出会った。何が書かれていたかは、ここには記さない。ただ、それを手にした時の心地だけが、確かにあった。ずいぶん前のことのようにも思え、実はそう遠くない日のことだったのかもしれない。時というものは、そうやって近くなったり遠くなったりする。

兼好は「情がなくて」と非情の物を評した。しかし、情のあるものは、かえって始末がつかない。捨てるにも、読み返すにも、ひとつ決心がいる。だから、そのままにしておく。文はひらかれたまま、風がそれを閉じるまで。

七十年という歳月は、すべてを片づけるためにあるのではないのだろう。むしろ、片づけずに置いておく場所を、一つひとつ心の中に見つけていくためにあるのかもしれない。

雨風の強い朝は、外へ出られない分、こうした静かな時間を与えてくれる。それもまた、悪くはない。

今日もまた、一字一句から一日が始まる。