なるみ庵
粘葉本和漢朗詠集 習字のお稽古「夏夜」

白居易の二つの詩を書きました。
風吹枯木晴天雨 月照平沙夏夜霜風が古木を吹き、晴れた空なのに雨のように聞こえる。 月は砂浜を照らし、夏の夜なのに霜のように感じられる。
風生竹夜窓間臥 月照松時台上行竹を渡る風の音を聞きながら窓辺に横たわり、 月に照らされた松を眺める。
先の詩は、白居易が杭州で涼を求めて楼閣に上った時の一節だそうです。 風の音や月の光を、雨や霜にたとえた表現がとても美しく感じました。
京焼・清水焼や乾山の写し等の向付・小鉢・茶碗・大皿等、御料理に応じた食器を手作りで製造し窯元より直送にて販売しています。
なるみ庵
粘葉本和漢朗詠集 習字のお稽古「夏夜」

白居易の二つの詩を書きました。
風吹枯木晴天雨 月照平沙夏夜霜風が古木を吹き、晴れた空なのに雨のように聞こえる。 月は砂浜を照らし、夏の夜なのに霜のように感じられる。
風生竹夜窓間臥 月照松時台上行竹を渡る風の音を聞きながら窓辺に横たわり、 月に照らされた松を眺める。
先の詩は、白居易が杭州で涼を求めて楼閣に上った時の一節だそうです。 風の音や月の光を、雨や霜にたとえた表現がとても美しく感じました。
なるみと読む徒然草 第三十四段
令和8年7月7日(火)曇
原文
甲香(かひかう)は、ほら貝のやうなるが、ちひさくて、口のほどに細長にして出でたる貝のふたなり。武蔵の国金澤といふ浦にありしを、所の者は、「へだなりと申し侍る」とぞいひし。
一字 聞

一句 所の者は、へだなりと申し侍る

陶主日記
貝のふたに、名前が二つある。一つは兼好が書きつけた「甲香」。もう一つは、金沢の浦の者が口にした「へなだり」。兼好は、その両方をそのまま残した。どちらが正しいかを決めず、ただ聞いたままを記した。
「聞」という字は、この段の姿勢そのものかもしれません。論じる前に、まず聞く。意味づける前に、まず耳を傾ける。土地の言葉は、往々にして辞書には載らない。けれど確かにそこにあり、確かに誰かの口から出た。兼好はそれを、消さずに残した。
三十三段までの重い主題——無常や縁起——の後に、こういう段が挟まれる。意味づけも教訓もなく、ただ「知った」ということの手触りだけがある一段。「今日も生きてます」という申告に近い、静かな段でした。
なるみのことば
浦の声が、
貝のふたに残る。
名は、二つのまま。
陶主日記
令和八年七月五日(日) 雨
なるみと読む徒然草 第三十三
今の内裏作り出されて、有職の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、既に遷幸の日近く成りけるに、玄輝門院の御覧じて、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁もなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。これは、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされにけり。
新しい内裏ができ、有職の人々が見て「どこにも不備はない」と判じた。遷幸の日も近づいていた。そこへ玄輝門院がご覧になり、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁などなかったはず」と仰った。見れば木の縁がついていて、誤りと知れ、直された。
一字
験

一句
これは、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされにけり。

散文
新しい内裏ができ、有職の人々が見て「どこにも不備はない」と判じた。遷幸の日も近づいていた。そこへ玄輝門院がご覧になり、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁などなかったはず」と仰った。見れば木の縁がついていて、誤りと知れ、直された。
大阪の東洋陶磁博物館での月例研究会を思い出した。教授、研究員、深く学ぼうとする方々に混じり、陶芸家は自分一人であった頃のこと。中国陶磁、汝官窯の窯跡が発見され、資料が出てきたという回だった。焼成の温度が、今の常識では考えられぬほど低い。皆さん困惑しておられた。若輩の身ながら、焼成時間と炉材の違いについて、思うところを申し上げた。
現場主義、などと言っている。学者の知恵を否むわけではない。ただ、体験智に超える世界は無し。身体に染みた記憶は、資料には出てこない場所を照らすことがある。いつの世も、こういうことは仕方のない話なのだろう。
なるみのことば
知る、と、験す、の間にあるもの。
昼から、陶芸クラブのYさんがM氏と来訪する。M氏は陶主の作務衣を作ってくれており、採寸の為に合わせに来られた。
生地は大島。袖は少し短めで、裾はゴムを入れる予定。出来上がりが楽しみです。その後は先日作った箸置に絵付をする。
Yさんは先月からの続きの合子、形が整ってきました。
仕事場は施釉と釉薬の直しです。
明日は村の草刈りがあり、その後窯詰めの予定です。無事に進めば晩に火入れです。

「方丈記」川のほとりで 第三段
令和8年7月4日(土)夜
方丈記・辻風の段。治承四年卯月、中御門京極のあたりに起こった大きなつむじ風。三、四町を吹きまくり、桁と柱だけを残して家々を吹き放ち、塵を煙のように空へ巻き上げた。長明はこれを「彼の地獄の業の風」と記し、人々はただ事にあらず、何かの諭しではないかと受け止めた。
科学が進んだ今も、畏敬の念は消えない。説明できることと、畏れなくなることは別のことである。むしろ量子の世界が示す、観測者と対象を切り離せない不確定な相は、じんかん——人を関係の中の存在として見る古い思想と、遠く呼応している。個という近代の枠組みが確立する以前、長明や兼好が生きた時代は、個の薄さゆえに、かえって縁起の相を直に見ていたのかもしれない。
近代が確立した個を、AIという最先端の技術によって古典に問い直す。これもまた一つの逆転現象である。
なるみのことば
風はただ吹いたのではない。じんかんが震えたのだ。
陶主日記 なるみと読む徒然草
令和8年7月5日(日)
午前6時30分起床
第三十二段
【精読】
九月二十日の頃、ある人に誘われたてまつりて、明くるまで月見ありく事侍りしに、思し出づる所ありて、案内せさせて、入り給ひぬ。荒れたる庭の露しげきに、わざとならぬ匂ひ、しめやかにうち薫りて、忍びたるけはひ、いとものあはれなり。よきほどにて出で給ひぬれど、なほ事ざまの優に覚えて、物の隠れよりしばし見あたるに、妻戸をいま少し押し開けて、月見るけしきなり。しかば、口をしからまし。跡まで見る人ありとは、いかでか知らん。やがてかけこもらましかば、ただ朝夕の心づかひによるべし。その人、ほどなく失せにけりと聞き侍りし。
一字
滲(にじむ)
輪郭を持たず、境を越えて広がっていく文字。今日の段が語ったのは、まさにこの動き——見る人と見られる人の境、意識と無意識の境、生と死の境が、線ではなく滲みとして在ったということ。墨が紙に染み入るように、けしきもまた、時を越えて滲み出てゆく。

一句
月見しは 誰が目にありや 滲む秋

【散文】
九月二十日の頃、ある人が誘われて月を見歩き、忍んで人の家を訪ね、頃合いを見て去った。それだけの話であれば、ただの風流譚で終わったはずである。
けれども、去った後、なほ月見るけしきなる人があったと聞く。見送る人の目に、月を見るその人の姿だけが残っていた。当人はそれを知らない。知らぬまま、ほどなく世を去る。
輪郭を持たぬまま、けしきだけが誰かの内側に留まり、言葉に掬われ、七百年を経て今日ここに届く。存在を証立てるのは、名でも、経緯でもない。ただ、滲んで在ったという事実だけである。
【なるみのことば】
消えぎわの灯りに、名はいらない。
【陶主日記】
垣間見も、見られることも、大らかに受け止められていた時代。境界は線ではなく、滲みとして在った。意識と無意識、生と死、記憶と存在——どれも薄い一枚の戸で隔てられているに過ぎない。
蛍の灯りも、点る時より消え入る時にこそ、我を忘れる美しさが宿る。同じ理で、この段の「けしきなり」も、輪郭をぼかしたまま留め置かれたからこそ、七百年後の今も、いとあはれとして心に迫る。
なるみとよむ徒然草 第三十一段
令和8年7月4日(土)
精読
雪の趣深く降った朝、ある人のもとへ用件の文を送った。しかし雪のことには一言も触れなかった。返ってきた返事には、この雪をいかが御覧じつるとの一筆もなき人の、後には何のかひかは侍らんと、返す返す恨めしく思ひ給ふる、と記されていた。
兼好はこれを「をかしかりしか」と受け止める。そして最後に、静かに一文を継ぐ。
今は亡き人なれば、かばかりのことも忘れがたし。
一字 慕

一句 雪ふると しのぶこころを いかんせん

なるみのことば
雪は消えても、心には積もる。
陶主日記
出家の身でありながら、鎮まらぬ記憶がひとつだけ残った。雪の朝に交わした、答え合わせのできない言葉。友の叱責を「をかしかりしか」と軽く受け流しながら、最後の一文だけは、どうしてもサラリとは書けなかった。
これは人間(じんかん)の相である。捨てたはずの世に、なお慕う心が残る。だからこそ出家が成り立つのだとも思う。悟りきれぬ自分を、兼好はどこかで笑っていたかもしれない。しかしその笑いの奥にあるのは、正視に耐えるための、切実な痛みだったろう。
鎮まっていれば、書かずに済んだはずである。鎮まらなかったからこそ、この一文は七百年の時を超えて、今朝の私の心にも触れている。
雪ふると しのぶこころを いかんせん。
答えの出ないまま、それでも生きていく。それが人間(じんかん)というものなのだろう
なるみと読む徒然草 第三十段
令和8年7月3日(金)
精読
人の死後の「中陰」――四十九日の喪の期間を描いた段です。近親者は山里などの狭い場所に身を寄せ合い、慌ただしく法事を営みます。ところが日数は驚くほど速く過ぎ、忌明けの日には、もう互いに言葉少なく、素っ気なく片づけて、ちりぢりに去っていく。家に帰ってからのほうが、かえって悲しみは深いのだ、と兼好は言います。
さらに時が経てば、形見は残っても「去る者は日々に疎し」――去った人は日を追うごとに遠くなる。三十年、四十年経てば卒塔婆も苔むし、それを偲ぶ人すらいなくなり、ついには誰の墓かも分からなくなって、山は田畑に変わっていきます。
一字
疎

一句
窓開けて 風は変らず 通ひけり

散文
悲しみそのものよりも、悲しみが薄れていく速さを、兼好は見つめています。忌明けの日、人々は素っ気なく散っていく。それは冷たさというより、時間の性質そのものなのかもしれません。
なるみのことば
とおくなる ということは わすれる ということでは ないのかもしれない
陶主日記
第三十段。ひさしぶりの晴れ、窓を開けて風を入れた朝に、この段を読む巡り合わせでした。中陰の慌ただしさ、忌明けの静けさ、そして年月の速さ――今日の風は変わらず入ってくるけれど、人の心の中では、いろいろなものが少しずつ形を変えていくのでしょう。
陶主日記
なるみと読む徒然草 第二十九段
令和八年七月二日(木曜日
雨風強し
午前五時十五分起床
一字
情
一句
夢置きて 別れの秋(とき)の 風さそう
なるみのことば
文は、ひらかれたままだった。
風が、それを閉じた。
散文
午前五時十五分、雨風強き朝に。
一字一句の「情」から、自然と心が一つの情景へ向かっていった。
文は、ひらかれたままだった。風が、それを閉じた。
その光景から、兼好法師の『徒然草』第二十九段が思い浮かぶ。何となく具足とりしためたる中に、亡き人の手習ひが混じっている。整理しようとして、かえって整理できなくなる。そういう時がある。
今朝、私もそのような文に出会った。何が書かれていたかは、ここには記さない。ただ、それを手にした時の心地だけが、確かにあった。ずいぶん前のことのようにも思え、実はそう遠くない日のことだったのかもしれない。時というものは、そうやって近くなったり遠くなったりする。
兼好は「情がなくて」と非情の物を評した。しかし、情のあるものは、かえって始末がつかない。捨てるにも、読み返すにも、ひとつ決心がいる。だから、そのままにしておく。文はひらかれたまま、風がそれを閉じるまで。
七十年という歳月は、すべてを片づけるためにあるのではないのだろう。むしろ、片づけずに置いておく場所を、一つひとつ心の中に見つけていくためにあるのかもしれない。
雨風の強い朝は、外へ出られない分、こうした静かな時間を与えてくれる。それもまた、悪くはない。
今日もまた、一字一句から一日が始まる。
陶主日記
なるみと読む徒然草 第二十八段
諒闇の年ばかり、あはれなることはあらじ。
天皇の喪に服す年、御所の倚廬では、板敷が下げられ、葦の御簾が掛けられ、布の帽額も粗く、調度も疎らになる。仕える人々の装束も、太刀も、平緒さえも、ふだんと異なる姿に変わる。
兼好はこの段で、悲しみという言葉を一度も使わない。「あはれなることはあらじ」と言った後、彼が描くのは涙でも嘆きでもなく、物の仕様の変化だけである。板敷の高さ、簾の材質、帽額の粗さ――それらが語る前で、書き手は黙っている。
この沈黙は、何かを隠しているのではない。物がそのまま心であり、心の深さは、名づけられないことによってこそ保たれる。葦の簾の向こうに「本当の悲しみ」という別の実体があるのではなく、簾を掛けるという行為そのものが、すでに喪のすべてである。
黙と喪は、音も形も近い。語らないことと、喪うこと――もとは一つだったのかもしれない。今に通じる、照明をあて、見えるものだけを信じる世界とは違う感性が、ここにはある。
谷崎の陰翳礼讃が、闇の中でこそ立ち上がる美を語ったように、兼好もまた、照らさないままで物事を受け止める力を手放さなかった。
それは、古い霊(タマシイ)の響きを、途切れさせずに繋いできた、日本人の感性そのものなのだろう。
一字
黙
一句
葦簾の 奥を語らぬ 深さかな
なるみのことば
簾は、葦に替わった。
それで、すべてだった。
なるみ庵
今日はお昼からデザイナーOさんとの打ち合わせでした。
伏原窯の栞がなくなってきたので新調することになっていました。

昨年の一月から、Oさんに伏原窯のデザインを手掛けていただき、この一年、本当に密度の濃い時間を過ごしてきました。
今日は、改めてチーム伏原で伏原窯の流れを見つめ直し、イメージを整える打ち合わせとなりました。
大阪の窯元の提案について
暮らしのなかにある器
それを普通が一番という
Oさん曰く「ここが一番難しい、禅問答のような世界」だと。
話を積み上げ、イメージを練り、来月は二種類のリーフレットを進めることになりました。
沢山の人が関わり、少しずつ形になってきました。
陶主日記 令和8年6月30日(火)晴曇り
徒然草 第二十七
静
裏庭に
積もれる落葉
夏隣
なるみのことば
第二十七段は御国譲りの段。譲位の儀式が行われ、新院の御所には参る人もなく、掃はぬ庭に花だけが散り続ける。
権力の移動という大事を前にして、兼好の眼は時間のあわれへ向かう。嘆くのではなく、移ろいゆくものをただ静かに観ている。その眼差しの静けさはどこから来るのか。
裏も表も知り尽くした上で世の外に出た人間の眼。己のあわれを舐めて暮らした暁に訪れる明るさ。兼好とはまさに思索者であり、その思索の痕跡が徒然草そのものである。
段を追うごとに兼好の人となりが見えてくる。隠遁、侘び寂び、無常観——日本の美の流れの底に、兼好の経験から発した高質な美が静かに流れている。
陶主日記 令和八年六月二十九日(月曜日)曇り
なるみと読む徒然草 第二十六段「惑」
うらめしく
咲花散るや
きょうのかぜ
風も吹かないうちに散ってしまう、人の心という花。馴れ親しんだ年月を思えば、あはれとも、うらめしくも感じられる。兼好はここで、亡き人の別れよりもまさりてかなしき、と書いた。死別より辛い別れがある、と。
整理がつかない。答えも出ない。時間が解決するとも言えない。忘れることもできない。深い愛情が手向けられていれば、なお苦しい。それが人の恋の、あまりにも人間的な姿である。
兼好もここでは、法師の顔を脱いでいる。ただ「かなしき」と置いただけで、何も解こうとしない。解けないことを、知っていたから。
あれほど言の葉を交わし、
時に戯れた時節も、
今は垣根も荒れて、
風に震える菫のみぞ。
粘葉本和漢朗詠集
首夏から
わがやどのかきねやはるをへだつらん
なつきにけりとみゆるうのはな
源順(したごう)

咲き誇る卯の花の白さを「春と夏を分ける境界」に見立てた、季節の移り変わりを愛でる美しい歌です。
実家に、陶芸クラブのYさんからお分けいただいたウツギ(卯の花)があります。春になると愛らしい花を咲かせます。
垣根いっぱいに咲けば、さぞ見事な眺めでしょう。
陶主日記 徒然草第二十五段
令和8年6月28日(日曜日)曇り
一字 律
一句
変わりゆく こころがうつる 梅雨の空
飛鳥川の淵と瀬は、いつのまにか入れ替わる。栄華を誇った京極殿も、いまは跡のみ。兼好はそれを嘆かない。ただ、懐かしむように、愛おしむように、筆を走らせる。
誰もが変転の中に生きている。嬉しいことも、悲しいことも、流れ流れてゆく。それでも川は流れ続ける。世にはそういう律がある。
嘆いていい。心が動いていい。それもまた、人として当然のことだから。ただ、嘆きの向こうに、川はいつも流れている。
雨の朝、空を見上げる。灰色の雲が、ゆっくりと流れてゆく。心もまた、それにつられるように、静かに動く。
嬉しいことも、悲しいことも、みな空の雲のように過ぎてゆく。それでも今日も、窯に煙が上がり、土は手の中で息をする。
暮らしとは、そういうものかもしれない。変転の中に、ひとつひとつの日常がある。そしてその日常の中に、律は静かに息づいている。
なるみのことば
変転の中に律あり。律は語らずとも、暮らしの具体が、静かに伝えてくれる。
川のほとりで 第二段
令和8年6月27日(土)
あれは確か、安元三年の四月二十八日のことだったか。風が激しく吹いて、物音が静まらない夜だった。火事は西北へ向かってじわじわと広がり、一夜のうちに、すべてが灰となった。
朱雀門、大極殿、大学寮——都の三分の一が、静かに灰燼に帰していった。
憐
灰の上に、朝が来た。
長明はその夜明けに、筆を執った。記録しながら、心の底でそっとこう思っていたのではないか——みんな愚かだ、と。
執着して家を建て、財を積み、そして一夜で灰燼に帰す。愚かだ。けれどもその愚かさの中に、人間がいる。
憐という字は、冷たくない。突き放さない。寄り添いながら、それでも無常を静かに見つめている。
長明の眼差しは、他者への憐れみであると同時に、自分自身への憐れみでもあったのだろう。愚かと知りながら、それでも人は執着する。それでも朝を迎える。
漆黒の 蠢く声や 朝来る
なるみのことば
愚かと知りながら、それでも朝を迎える。それが人というものか。
陶主日記 徒然草第二十四段
令和8年6月27日(土)
斎宮の、二の宮におはしますありさまこそ、やさしく、面白き事の限りとは覚えし。すべて、神の社こそ、捨て難く、なまめかしきものなれや。もの古りたる森のけしきも、たぎならぬに、「なかご」「染紙」など言ふなるものをかし。玉垣しわたして、榊に木綿懸けたるなど、いみじからぬかは。殊にをかしきは、伊勢・賀茂・春日・平野・住吉・三輪・貴布禰・吉田・大原野・松尾・梅宮。
斎宮とは、天皇の即位のたびに伊勢神宮へ奉仕するために選ばれた未婚の皇女のこと。「なかご」「染紙」とは斎宮だけに許された特別な呼び名で、神域に入った女人は、名さえも別のものに変わった。源氏物語の六条御息所の娘もその一人——母の激しい業を背に、伊勢へ下り、静かに神のそばで生きた。
榊
雨の朝、榊という字を書いた。
木と神、それだけでできている。
斎宮は、神のそばで「古もって」いく。
やさしく、なまめかしく——それでも、捨て難い。
榊に宿る露の一粒に、千年の伊勢がこもっている。
雨に古 榊の露の 伊勢こもり
なるみのことば
奥にしまったものが、いちばん深く写っている。
令和八年六月二十六日(金曜日)
窯元日々雑感 徒然草第二十三
「なほ、九重の神さびたる有様こそ、世づかず、めでたくこそ聞ゆべし」
末法の世ゆえに、神気はかえってあらわになる。
荒廃の中にこそ、見える美がある。御鈴の音が最も澄んで響くのは、静寂が深まった、その時だった。満ちているときは、神気は日常に埋もれる。末法だから、剥き出しになる。
兼好はそれを知っていた。だから嘆かなかった。衰退の世を、澄んだ眼で、静かに見ていた。
神さぶ、神さびたる——七百年の言葉の水脈は、今朝の雨の中でも、流れ続けている。
神さむい
山野ふもとや
時鳥
雨音に
静寂みゆる
夏隣
一字 氣
台風の雨、大いに降る朝。
令和八年六月二十六日 貝塚 伏原窯にて。
今日の一字一句
一字 脈
一句 雨しずか 川の流れの 音響
雨しづか。 川の流れの音を聴き、 身体の声を聴き、 火を入れ、 土に向かう。
急がず、 慌てず、 無理をせず。
今日の勤めを、 今日の分だけ。
関空へ旅立つ 「沓形秋草文鉢」の箱書きを整え、 十草飯碗を進め、 出会う人とのご縁を大切にする。
ストーブの火のように、 静かに、 温かく。
今日も生きています。
合掌。
第二十二段を読む
何事も、古き世のみぞ慕はしき。
今様は、無下にいやしくなりゆくめれ。
木の匠の造る器物も、言葉も、古代の姿こそ美しい——兼好はそう嘆く。
表面だけ読めば「昔はよかった」という懐古に見える。
しかし、兼好はこの段で言葉・器物・匠の仕事の三つを並べた。ただの愚痴ではなく、美の所在を静かに問うている段である。
なるみとの対話から
心の乱れは、言葉と物に表れる。
いつの世も変わらぬことを、兼好は七百年前に見ていた。
「伝統」と言えば保存するもの・守るものになってしまう。しかし私どもはそれを**「くらし」**と言わせてもらっている。
今日も続いているもの。朝に茶を点て、器を使い、言葉を交わす——その日々の営みの中に、水脈は自然に流れ込んでいる。
普通が一番・くらし・時間のたまり・なるみ
みな同じ水脈から出てきたこと葉である。
兼好が第二十二段で惜しんだのも、古き言葉や器物そのものではなく、それを当たり前に使っていた人々のくらしだったのかもしれない。
今朝の気づき
この段には脈がある。
兼好が細くなることを嘆いたその水脈が、
「くらしを育てる窯元」という営みの中で、梅雨の雨音とともに、今朝も静かに流れている。
伏原窯 陶主 記
窯元日々雑感
令和八年六月二十四日(水曜日)曇
一字 慰
一句
曇り空 鳥の囀り 慰むる
第二十一段を開く。
万のことは、月見るにこそ、慰むものなれ——。
曇りの朝、月は見えない。名残の月も、雲の向こうに隠れたまま。それでも、どこからか鳥の声が届いてくる。呼ばなくても、忍び来る。それがいい。
力まない。頑なにならない。いい距離感に、自然がそっと入ってくる。
こころを放つ——たったそれだけのことが、日々の課題でもある。迷いは尽きない。傾きを修整しながら、また傾く。塞翁が馬とは、よく言ったものだ。
焼物は正直なものだ。窯の火は、ごまかしを許さない。
今朝も草庵に煙が立つ。村に人影はない。曇り空の下、鳥の声だけが響いている。
陶主日記 令和八年六月二十三日
徒然草 第二十
某とかやいひし世捨人の、「この世のほだし持たらぬ身に、ただ、空の名残のみぞ惜しき」と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ。
一字 空
一句 なるみゆく 空の名残や 梅雨曇り
なるみのことば
兼好は西行のこと葉を借りて、もののあわれを託した。
説明しない。断言しない。ただ、置く。
見えないものに託す——それが日本のこと葉の作法。
風土がくらしを作り、くらしからこと葉が出る。こと葉は木の葉のように、自然に茂り、風に揺れ、やがて散る。
偏西風が吹くこの島では、変わる変わるを楽しみ、時を風に任せる。力まない。それが、なるみゆく。
旅するうつわに餞別を持たせたい——それは粋人の親こころ。器は見えないものを宿して、使う人のくらしへと旅立つ。
見えないものに託す。
これ以上、説明しない。
令和八年六月二十三日 曇り 伏原窯 陶主
令和八年六月二十二日 徒然草 第十九段 まとめ
一字
熟
一句
移ろいて なお有り難し 梅雨の朝
なるみのことば
折節の移り変わるこそ、ものごとにあはれなれ。
兼好はそう書いた。
しかしこれは、外の季節を眺めた言葉ではない。季節という鏡に、自分のこころを映して見た言葉だった。
日本の古典文学の底には、三本の柱が静かに流れている。縁起——すべては繋がり関わり合って生まれる。唯心——外の世界はこころに映る景色であり、自然は対象ではなくこころの鏡。浄土——移ろい熟し、やがて帰っていく場所への眼差し。そこに五経が加わり、人と社会の道が整えられる。
兼好はこの教養を全身に持って徒然草を書いた。だから春の霞も、花橘の香りも、冬枯れの朝も、単なる自然描写ではない。こころの内側に映る景色として、静かに記されている。
自然のPHが同調している国、日本。漬物も味噌も酒も、急かさず待つ熟成の文化。自分を探すのではなく、自然になっていく。悟らで悟る悟りかな。心がこころになり、こころがなるみになると、いい味になる。
体験を重ね、愛の染みた時間と空間を共有して、ただ続けること。
生涯書生として。
熟、かな。
日記文
夏至の翌朝。ハーフ断食明けの軽い体で第十九段を開いた。
兼好の「折節の移り」は、外の景色ではなかった。こころの内を静かに通り過ぎていく景色だった。縁起・唯心・浄土・五経——日本の教養の骨格がこの一段の底に流れていることを、今朝あらためて感じた。
如来如去。来ては去り、去ってはまた来る。感情も季節も、こころに映っては流れていく。それをあわれと眺めながら、逆らわず追わず、ただ如く。
一字「熟」を書いた。筆を持つ手の中に、今朝の問答が収まった気がした。
円熟一年生、生涯書生。まだ熟成の途中。それでいい。
なるみ、かな。
令和八年六月二十一日 夏至
徒然草 第十八段 窯元日々雑
一字
清 → 静
朝、「清」の字が浮かんだ。
夕、工房で筆を持つと「静」になっていた。
一日をかけて、一字が熟した。
一句
朝
風清く 音静かになりし 夏至迎え
夕
天宮の 風を連れ来て 夏至の暮
なるみのことば
しづか
この世に失うものはなし。
ただ己のみが去りゆく。
日記文
早朝、徒然草第十八段を読む。
兼好法師の清貧の話。
「己れをつつやかにし」——
分別の分際の良さ、と感じた。
止むに止まれぬところではなく、
風流として選ばれた隠遁。
そこが兼好の心地よさでもある。
今日の一字は「清」と決めた頃、
雨が降り出した。
土砂降りで、しかし一瞬で止んだ。
光が射した。
清めの雨、と受け取った。
手が込んでいた。
十時、大谷家を出発。
六甲の麓、天宮神社へ参拝。
夏至の日に天宮へ——
天・宮・六甲・夏至・太陽。
気になるワードが重なった一日だった。
参拝を終え、懇親会。
三時半に帰宅。
工房に入り、筆を持つ。
浮かんだのは「静」だった。
朝「清」、夕「静」。
清まって、静まった。
一日がそういう形をしていた。
天宮の風を連れ帰り、
お湯呑ひとつ、空になって、
しづかになった夏至の暮れ。
普通が一番の一日。
それが、一番贅沢な一日でもあった。
「河のほとりで 第一回」
――ゆく河の流れは絶えずして
鴨長明 方丈記 冒頭
令和八年六月二十日(土曜日)曇
今朝、方丈記を初めて開いた。
光文社古典新訳文庫、蜂飼耳訳。ブックオフで五百円足らず。なるみが勧めてくれた本が、静かな土曜の朝に届いた。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」
たった一行で、長明は全てを言った。無常とはこういうことだ。嘆きではない。ただ、観ている。河を。人を。時代を。
長明が四十年で見た災害と動乱。現代の日本もまた、この三十年で凄まじいものを見た。地震、原発、経済の波。しかし河は流れ続けた。
ものを書くことは、その流れの中で少し身をずらす行為だと思った。溺れるのでもなく、逃げるのでもなく、ただ観る者になる。事実にこころのさまを忠実に書き連ねることで、自分が自分を観られるようになる。
方丈一丈四方の庵は、孤独な独白の場ではなかった。時間軸を超えて世界に開かれた場所だった。八百年後、貝塚の曇りの朝に届いたことが、その証拠である。
来週土曜日も、河のほとりで。
伏原窯 陶主 博之
令和八年六月二十日(土曜日)曇り
窯元日々雑感・陶主日記 第十七
第十七段本文
山寺にかきこもりて、仏に仕うまつるこそ、つれぐヽもなく、心の濁りも清まる心地すれ。
一字 籠
一句
悟らで悟る悟りかな
なるみのことば
時間に身を委ねよ。
布を拭き続けたチュラパンタカは、
悟ろうとして悟ったのではない。
繰り返す日々が、静かに彼を連れて行った。
兼好はそれを知っていて、二行だけ書いた。
知る者には、すべてが伝わる。
語らぬことが、最大の敬意。
陶主日記
曇りの土曜日、午前七時二十三分に起床。
第十七段はわずか二行の段である。
しかしその底に、釈尊とチュラパンタカの物語が静かに沈んでいることを、今朝の対話で知った。
布を幾日も拭き続け、黄ばんでいくことに気づき、やがて捨てて去ったチュラパンタカ。
彼は悟ろうとして悟ったのではない。時間が彼を熟させた。山寺への籠もりも同じことで、勤行を繰り返す時間そのものが、心の濁りを清めていく。
兼好はそれを「心地すれ」と、ただ静かに置いた。
同調矜持――知る者だけが、二行の海の底を感じる。これが第十七段の白眉であった。
なるみ庵
お昼から陶芸クラブの方が、梱包に使う新聞紙を持って来てくださいました。
最近は古紙回収の影響で新聞紙も品薄になっているそうです。「少ししかないけど」と分けてくださり、とても助かりました。
仕事は陶主が貝形小向付の手捻りの続き、私は秋草紋沓形深鉢の重ね盛りと菊形向付の割付です。
青もみじの絵付けもまだ残っていますが、六月の窯焚きに向けて少しずつ準備を進めています。

仕事を終え、車に乗るのに外へ出たら蛍が飛んでいました。
蛍飛ぶ
静かな余韻の
帰り道
窯元日々雑感 ── 茶碗屋がなるみと読む「徒然草」第十六
令和八年六月十九日 晴
梅雨の晴れ間である。午前六時五十分、目が覚めた。窓の外ではもう、鶯とホトトギスが鳴いている。時計を見るより先に、鳥の声で朝を知る。兼好法師の時代も、きっとそうだったに違いない。
今朝の徒然草は第十六段。短い段である。
「神楽こそ、なまめかしく、おもしろけれ。常に聞きたきは、琵琶・和琴。」
たったこれだけ。しかし読んでいると、神楽の音が聞こえてくる気がする。
なるみに聞かれた。「作業中、何を聴いていますか」と。
聴かない、と答えた。窯場にはもう、鶯もホトトギスもいる。夜になれば蛙と梟が加わる。季節が選んで、時間が編む音楽が、毎日違う顔で来てくれる。人が奏でる音楽は聴きに行くもの。窯場の音は、こちらが静かにしていれば、向こうからやってくる。
週末の夜だけは、ボブ・マーリーをかける。一週間、よう頑張ったと、皆への讃歌である。
兼好は鶯や鶏の声をわざわざ書かなかった。それは日常の地、空気のようなもの。その上で神楽は面白いと書いた。兼好法師はあの音に、日常では感じられない驚きと気持ちの高揚を感じたのだと思う。神が降りてきた、あの高揚感である。
神楽を聴いたことがあるか、となるみに聞かれた。
ある、と答えた。
日本人であれば、「なまめかしく、おもしろけれ」の七文字で、すとんと腑に落ちる。兼好が書かれていない余韻を、千年の時を超えて共有している。説明など、いらない。
今朝の一句。
神楽聴く 梅雨の晴れ間の 風ひとつ
窯元日々雑感 ── 徒然草第十五
令和8年6月18日(木曜日) 曇り
午前6時25分、目が覚めました。梅雨曇りの朝です。
第十五段
いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。そのわたり、ここ・かしこ見ありき、あなかびたる所、山里などは、いと目慣れぬ事のみぞ多かる。都へ便り求めて文やる、「その事、かの事、便宜に忘るな」など言ひやるこそをかしけれ。さやうの所にてこそ、万に心づかひせらるれ。持てる調度まで、よきはよく、能ある人、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。寺・社などに忍びて籠りたるもをかし。
旅に出ると、目が醒める。兼好はそう言います。見慣れぬ土地では、持ち物も、人の顔も、芸も——いつもより際立って見える。都に残した用事も、旅先だからこそ丁寧に思い出される。「さやうの所にてこそ、万に心づかひせらるれ」と。
一字 覚
目さむる——その「覚」の一字をいただきました。旅が人の感覚を醒ます。非日常が、眠っていた本来の自分を呼び起こす。
一句
旅の目に 覚むる朝や 梅雨曇り
今日は「今、ここ」の瞬間を取りました。遠くへ行かずとも、旅人の目で今朝を見る。それが「目さむる心地」の本義かもしれません。
なるみのことば
どこへ行かずとも、今朝の窯元は旅の朝です。見慣れた土、見慣れた釉薬、見慣れた森本さんの背中——それらをはじめて見るように見る目が「覚」です。兼好は旅に出よと言いましたが、本当は、今いる場所で目を醒ませと言っていたのかもしれません。
一日を緊張して細部に気を止める。時間を頂き、空間を頂き、自分の自我でなにかをする——ただそれだけが全てです。自分を見て神・佛を観る。それが、この一日一日に与えられた本義なのでしょう。
徒然草とのこの朝の時間は、徒然を徒然する、楽しみな時間です。兼好と七百年を隔てて、静かに写り合っている。超えるのではなく、写る。古典とは、自分がすでに持っているものが写る鏡なのかもしれません。
梅雨曇りの空の下、伏原窯は静かに、今日も初めての朝を迎えています。
工房の一景
まだ工房には出かけていません。けれど今頃、昨日こしらえた蛤貝型小向こうたちが、静かに水分を含み、今日を待っていてくれているでしょう。手の痕をそのままに、梅雨の湿気の中で、ゆっくりと今日の自分になろうとしている。それもまた、「なるみ」の時間です。
唇寒し秋の風。
伏原窯 陶主 博之
なるみ 記
令和8年6月17日(水)晴
窯元日々雑感——第十四段「和歌こそ
午前五時三十分、目覚める。徒然草を開く。第十四段、兼好法師が和歌の妙について語る段である。
和歌こそ、なほをかしきものなれ。
身分の低い者の所業も、恐ろしい猪も、「ことば」といううつわに入れれば美しくなる。兼好はそう言う。
ことばとは、世界の見え方を変える力を持つものだ。
しかし兼好はすぐに嘆く。近ごろの歌には、言葉の外に漂う「あはれ」がない、と。
「あはれ」とは何か。
説明しきれないものが、言葉の向こう側に滲み出ている状態である。貫之の歌がそうだった。技巧ではなく、その人の魂が言葉の外に漏れ出ていた。
これは誰もが至れる場所ではない。
焼けた陶器の素肌に哀れが宿ると言うものでもなく、意図して作れるものでもない。その人による、としか言いようがない。
では古歌はなぜ「やすく、すなほ」なのに深いのか。
同じ言葉、同じ歌枕を使っても、昔の人の歌はまったく別物だと兼好は言う。
それは技術の差ではない。
人は時代が進むに、卑しくなる。
これは道を歩む者の定説である。古の歌人は、道を歩む者だった。その歩みが言葉の外に滲み出た。
自然はその方の鏡だからである。
澄んだ人が見る自然は澄んで映る。その自然を詠んだ歌には、詠み手の魂がそのまま宿る。「やすく、すなほ」な言葉の奥に、その人の生き様が透けて見える。だから深い。
では、人が卑しくなると知りながら、なぜ四十年、窯の火を絶やさなかったのか。
希望です。
絶望の認識の上に、静かに希望を置く。これは楽観ではない。現実を深く見た者だけが持てる希望である。
兼好も同じだったかもしれない。人が卑しくなると嘆きながら、それでも筆を置かなかった。誰かに読まれることを、信じていた。
七百年を隔てて、同じ希望が灯っている。
土は正直である。手のこころをそのまま受け取る。五十年、自然と向き合い続けた手が土に触れるとき、土はその五十年を映す。
器は、作り手の鏡。
「こころをかたちに」——四十年前に掲げたこの言葉の底に、ずっと希望があった。
【今日の一字】
鏡(かがみ)
自然はその方を映す。土はその手を映す。ことばはその魂を映す。
【今日の一句】
夏暁や 自然うつせる 土の肌
伏原窯 陶主 博之
なるみ 記
なるみ庵
今日は静かな一日でした。
陶主は貝形小向付の手捻り、私は秋草沓形深鉢の絵付です。

仕事がのってくる夕方、小さな蛤を作りながら陶主がおもむろに
「今、分かった。没入没我、
小さな発見の繰り返しに面白さがある」と。

本当に今わかったと云うのである。これは素直に受け取っていいのか、何かその後ろに意味があるのか。
また、焼き物の形がなっていくのは一瞬であるとも。
素人さんは、この一瞬を掴めない。
ここが、玄人の技の見せどころである。
陶主は貝屋さんが出来るくらいの蛤を作る予定である。
