懐石食器のこころ

こんばんは。山桜があれよあれよと咲き始めました。梅、椿、桜、それに山つつじまでも咲きだし、なかなか今年の三月は珍しい山の景色になっています。何か落ち着かない気持ちです。桜が咲いたことを素直に喜べないのは、今年も何かに追われている慌ただしさから解放されていない思いだからでしょう。

今日はJコムで流す地方番組の撮影がありました。泉州の伝統技術を紹介するそうです。午後1時過ぎにやって来て、5時ごろまで色々な場面と撮っていきました。こちらも地元の番組とあって大分サービスをして、轆轤のシーンなんぞまで提供しました。食器の話を中心にあれやこれや焼き物が持っている心の部分まで話してみましたが、そのことをマスメディヤで伝えるには難しいと思います。しかし少しでも食器の奥深さが伝わればと思っています。

食器にこだわりあらゆるデザインを形にしたのは京都の工人達だと思います。中心になるのはやはりお茶の文化でしょう。色々な茶人が自分の好みを実現するのに、各窯業地に型紙を送り、その型通りの器を作らせています。また南蛮貿易なども盛んだったので、安南(ベトナム)やスンクローク、スコータイなどインドシナまでも注文しています。中国明にも通称「古染付」と呼ばれるものを景徳鎮に発注しています。茶人が色々な発想でまた色々なデザインを駆使し懐石食器を作った事が、今の食器世界の古典となっています。

京焼は京の文人茶人が地方の窯に発注するより自らの地で作らせようと試みた事が始まりのように思えます。需要があり各地の陶工がやって来て盛んに茶事の器を作った事でしょう。

乾山陶器は懐石の器を日本情緒あふれる独特の世界に昇華させました。先にも後にもここまで斬新的に食器を作った陶工はいません。食器の奥儀を極めつくした感があります。
日本人のこころ、食器のこころを表現したいと心から思うこのごろです。

乾山の王朝復興

こんばんは。今日は午後から晴れて来ました。驚いたことに山桜が咲き始めたのです。ここにきて25年になりますが、御彼岸もまだ来ないうちにこの様に咲いたということは初めてです。驚きと共に何か困惑しているようですね。

乾山はよっぽど土器皿が好きだったようですね。土を変え色々な形態のものをたくさん作っています。何ともかわいらしく、手作り感一杯の風合いがいいのでしょう。

日本固有の焼き物の一つに「楽焼」があります。この焼のもは手びねりで全てを作っていきます。轆轤は使うのですが、いわゆる量産用の轆轤とは違って、小轆轤といわれる小型のものです。土の塊をその轆轤に載せ、手でたたきながら土を伸ばし板状にして、その上にひも状に伸ばした土を付けていく技法です。何も変わった方法でもなく、むしろ大昔から行われていた伝統技法です。縄文土器や弥生土器のこの様に作られたものでしょう。

量産に使われる轆轤が入ってきたのは、須恵器以降とされていますが、その前にも轆轤は使われていたとも言われていますが。弥生土器の流れが須恵器にとって変えられたと云うとそうでもなく、神事に使われる器はずっとそのまま弥生土器のようにてひねりで作られていました。このことに乾山は意識したかどうか定かではありませんが、てひねりを主体にした作品が多く見られるのは、偶然とも思えませんが。その辺が乾山の先生にあたる仁清との違いのようにも思えます。乾山がデザイン上からこの様な焼ものを好んだというより、日本固有の伝統を意識していたのではないかと推測するのです。

王朝復興を乾山は美術の世界で実現しようとしたのかも知れません。私はそのように思っているのですが、他の京焼との大きな違いと受け取っているのです。それの意識の違いが作品を独特の世界まで昇華させているとも思っているのです。

乾山の王朝復興

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乾山陶器、釉薬テスト考

こんばんは。春を呼ぶ嵐がこの何日間吹き荒れています。今年はどうも桜の開花が早いようで、この辺の山桜も色づき始めています。気が付けば来週は御彼岸、春分の日ですね。絵付け工房は桜が終わり、もう5月の青もみじに移っています。季節を追う仕事ですが追い切れないものも山ほど溜まっています。頑張らなければ。(笑)

乾山 土器皿 花

工房は乾山土器皿を作っています。昨年納めて、本年そうそうようびさんのHPで紹介しました。アップした瞬間に売り切れたそうです。数も五枚組で二組限定ということも手伝ったのでしょうか。作品としてはかなり上質に仕上がったと思っていましたが、反応の速さに驚いています。仕掛けもよかったのでしょうが、受け手の方々が敏感に対応してくれたことに喜びを感じて居ります。その追加を四組頂いています。今日はその絵付けをすたっふMさんにしてもらいました。

乾山を実際に写し始めるとその奥深さに驚き、またその魅力に取りつかれて行きます。一見素朴に見える轆轤や絵付けも全ての線に神経が行き届いていて、器の機能を十分満たしながら斬新な構図でこんなにも新しい食器を作りだしたことに改めて感心しています。

乾山陶器は初期から絵高麗をベースにしていました。今でいう北宋の磁州窯ですが、この陶器は白化粧施をベースに鉄絵具で自由奔放な雅趣あふれる絵が描かれています。乾山はこの陶器から白化粧の技法を学び、意識的に意匠に取り込んでいきました。
乾山ほど白化粧をデザインした作家は陶磁史にはなかったと思います。乾山のベースは絵画を器化することでした。絵画が器になり用を満たし、料理と一体になっていく。その絵画の基本もまた王朝復興が主題になっています。紋様も天皇ゆかりのものが多く使われています。桐と菊、また椿も多く用いられています。新しい技法を貪欲に開発していく姿を器の中から見ることが出来ます。写しながら感心することの連続です。

前回の窯に乾山陶器専用の釉薬をテストしてみました。乾山当時の窯と今我々が使用している窯は大きく違っています。一番の違いは熱効率が断然違います。もちろん今の窯は少ない燃料で素早く焼けるように出来ています。土もそのような窯に合わせて調合されています。そのような焼け方の違いを十分理解しながら古典に迫っていこうとしています。乾山の釉薬は決して難しい調合ではありません。石と灰、ただそれだけのように思われます。しかしどの灰なのか、どこの長石なのか、またその石や灰が分かったとしても、今の窯では乾山は焼けません。今の窯に合う石と灰を探さなくては焼けないんですね。

鉄絵や呉須絵が主体になっているので少しマット風な落ち着きのある釉薬を多く用いています。このマットをカオリンのアルミナからとるとカオリンマットになります。しかし乾山はそのマットではなく、灰から来るシリカ系のマットです。このマットは品が良く私も気に入っているのですが、大変微妙な調合を必要とします。私はあまり神経質な調合を好みません。大らかで簡単な調合の中から品のある釉薬を目指しています。

これからも乾山やっていきます

こんばんは。啓蟄も過ぎいよいよ春めいて来たと思いきや、ここ何日かは寒さがぶり返して参りました。年度末、どこも皆さんかなり厳しいようで、昨年の決算もまた数字が伸びなかったようです。この業界もご多分にもれず、どん底を這っているようです。各地の窯業地はどこも壊滅状態だと聞きます。みんな、生きているかぁ、がんばってるかぁ!連絡待ってるでぇ。

昨年は淘汰の時代なんて言っていましたが、すっかり時は変わってしまい、残っている陶家もまばらな状態になっています。自分がひき籠っているせいか、皆さんと連絡を取らない事が禍っているのでしょうが、全くと言っていいほど個展等の連絡は入って来ません。心配になって、少しは百貨店などにも顔を出そうと思いますが、億劫さが先に立ち、目の前の仕事にかまけている状態です。

今日の工房は「色絵青もみじ紋向付」の薬掛けをしました。明日窯に入る予定なので、窯の棚板を掃除し、窯詰め準備は完了しておきました。

乾山陶器を進めているのです。釉薬のマチエール、我々は釉調と云いますが、今の窯は釉薬の表面をきれいに溶かすように出来ています。どうしても表面のてかり具合が気になるようで、何とかこの窯を使いながら、沈んだ釉調を実現したいと思っています。

明日テストピースをいくつか作ろうと考えています。それを窯の根、一番温度が低いところ、と中間部分、それから天井、一番温度が上がるところ、にそれぞれ置いてみようと思います。釉薬のテストは5種類くらいになるでしょうか。微妙なところを攻めていくので、机上の計算通りには事が運ばないかも知れません。しかし結果はわれわれの宝ものなので、こつこつ進める以外に手はないと思います。

どのような世の中でも、丹念に手を抜かず、いいものを目指す以外われわれの生きる道は有りません。食器を通し、一つでも繋がる心を探していきたいと思っています。

乾山土器皿を思う

こんばんは。二月も今日で半分が過ぎてきました。二月逃げる、三月去るなんて言いますが年度替わりで、明日から確定申告も始まり、ますます慌ただしくなって来ます。
今日の巷は「バレンタイン」なんかで、華やいでいるのでしょうか?わたくしなんぞは、とんとお呼びも掛かりません。当たり前ですが。

工房は今日、昨日焼き上がった窯を出しました。難なく無事に温度は上がり、新作の千鳥紋小皿もかわいらしく仕上がりました。乾山陶器の釉薬テストも三種類入れました。予想していた以上に釉薬が融けていたので、今後の展開を考えるに、今一度テストを重ねていきたいと思います。

私どもの作品は古典が重要なベースになっています。新しく物を作るにしても古典からの写しを一度試して、今使える器に転化させていきます。一昨年から工芸店様との関係で、乾山陶器に力を注ぎ込んで来ました。京焼きの頂点とされる乾山の食器は、仁清や他諸窯の陶器とは全く異なった趣があり、単にデザインや様式を写したところで乾山陶が醸し出す王朝陶器にはなっていません。

今私たちが一番苦労しているところは、釉調の部分です。所謂素地のマチュールの所です。乾山の特徴は、歴史上かつてなかった芸術性の高い絵画陶器であるということです。もちろん光悦、宗達、光琳の琳派が大きく影響しているのですが、世界の焼き物技法を駆使し絵画化させた乾山陶器は今も陶器愛好家の羨望の的です。またその殆どが懐石食器に集中しているのも、特徴の一つではないでしょうか。私は主にその食器の世界を作ろうとしています。

乾山写し 桐文土器皿昨年末乾山土器皿をようびに納めました。土器皿なんて聞きなれない言葉でしょうが、今も日本で土器を作っているところもあるのです。神事に使う器はかわらけ(土器)と云い、素焼きの姉さん程度の温度で焼いた無釉陶器を使います。それを専門に作る方も昔は居られたようです。土の塊を肘に当て、形を出していくところを写真で見たことがあります。実際の現場は伊勢神宮かどこかで見た様に記憶しているのですが、定かではありません。

乾山はこの土器皿を模したのでしょう。当時土器皿が各諸窯で流行ったという文献もあるのですが、乾山もまた色々な技法を使い、独特のデザインで見事に絵画陶器に高めています。私はその一端を探りたくて、今回土器皿に挑戦してみました。自分でも面白いように難なくイメージが出来、工芸でよくいう「手なり」の仕事が出来ました。

いい土に出会い、自分の持っている世界がすんなり出てくると、自ずといい食器が生まれるのだと、実感する事の出来た仕事でした。これからも奥深い幽谷を一歩一歩進んで行きたいと願っています。

乾山土器皿を思う

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この頃都に流行るもの

こんばんは。大阪はすっかり春の様な気候になっています。今日も朝から三月、四月に降るような雨になって、工房は機嫌よく仕事を進めることが出来ました。

時代がすっかり変ってしまい、我々の陶芸界も流通の変化で大きく作るものも変ってきました。百貨店業界の低迷、コンビニに売り上げが抜かれ久しくなって、今はもっぱら水をあけられているような状態です。この頃は家に籠ってネットで買い物という事も多くなって来たのでしょうか。インターネットでの売り上げがコンビニを抜いて一位になったそうです。今後益々ネット販売が主流になるのでしょう。

2011年の地デジで今までネットに係わりの薄かった地域や年代も、難なくテレビからネットに入ってくるようになるでしょう。いったん係わり始めると便利さに慣れて、充分生活の主流になるのも早いと思います。工房のこの地域にも間もなくザックが入って来ます。高齢化で益々買い物が不便になりつつある中で、ネットで買い物が出来たら、なんと負担のない便利なのもだと実感出来ると思います。

我々の業界も販売は商店での卸しであったり、ギャラリーでの個展販売であったり、また問屋卸し、個人でのお店販売等々、、、。色々あるでしょうが、この頃は自社ホームページでの販売にみなさんも力を入れてきました。今まで陶器をウエブで売ることは難しいといわれてきましたが、カメラの質も上がり写真でかなりの部分を説明出来るようになったせいか、この業界もウエブでの売り上げが大分パーセントを上げているようです。

しかしウエブは多品目を要求してきます。また情報の劣化も早く、陶芸がもつ緩やかな時間との整合性が合わなくなってきました。ハイクオリティ、少ロット、多品目、ハイスピード。益々そこのところが要求されてくることでしょう。はたしてそのような事をクリアー出来る工房があるでしょうか?しかし実はそこが一番生き残れる世界なのです。

出来るか出来ないかの問題ではなく、やり続けていかなければ明日はありません。20、30年前の牧歌的雰囲気の陶芸はすでに無くなってしまいました。懐かしい思いで、自分の今有る引き出しをあちこち開けながら、多品目をテーマに仕事を進めています。

この頃都に流行るもの

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新作に集中しています

こんばんは。暖かなまるで春雨のよう雨が降っています。夜になり山間のこの村はすっぽりと霧に覆われています。おぼろ月がこの時期に見れるとは。

もう一月も終わりになりますね。この一年の私たちがやるべき仕事がようやく見えて参りました。毎年の事ですが2月の立春までにはこの一年の姿が見えてくるように思えます。一月という月は昨年の気と今年の気が拮抗しているように思えます。工房の玄関にはまだしめ縄が上がっています。二月二日の夜にとるつもりでいます。節分が年明けと考えているからです。

季節の上では春になっていくのでしょうが、「春は名ばかり、風の寒さや、、、。」と歌にもあります。しかし確実に季節は変わり、どこか春の息ぶきを感じるようになります。プロ野球のキャンプインも始まり、何かと春の話題が多くなってきます。今年は梅の開花も早く、この分では鶯の初音も間近でしょうね。

工房は新作を中心に集中して進めています。土や形式にとらわれず、どんどん作りたいものを作るようにしています。HPの充実に力を注いでいます。来月初旬には多くの新しい作品が掲載されると思います。HPを通じ皆様とともに作り上げていく作品も面白く感じています。ウェブ世界の特色も少しずつ理解されてくると、仕事での絡みも面白くなってきました。もっともっと作品を掲載し皆様とお付き合いしていきたいと思うようになりました。多種多彩な作品、色々な話題、切り口を増やし、一つの作品にもより多くの意味が発見出来るよう興味が湧くHPを作って参ります。

今後ともよろしく御ひいき下さいますようお願い申し上げます。

新作に集中しています

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どんどん変わっていきますよ

こんばんは。またたく間に一月も一週間になってしまいました。正月の気分もすっかり消えて、今年の初めの様相がはっきりとしてきました。どうしようもなく、やっぱり厳しいと思いますよねぇ。どうしようか?ていう感じです。まぁ、いいですか?そんな、感じですよ。

うだうだと進んでいるのもいい加減にしてくれ!って、国民は思っているでしょうね。一昨日、私の市の市長選挙でした。40年も同じ市長が続くって、異常でしょう。大阪ですよ。ここは。民主主義が機能していないのですね。何ともお恥ずかしい限りです。それをギネスが認める長期市長だなんて。これって、誇れますか?不思議な市ですね。

副市長同士の選挙って、それも片方は選挙直前に90日免許停止の中、信号無視か何かで無免許で逮捕ですって。それでも選挙に出て戦うって?どうでしょうか。ドロドロの市民不在のおらが村の意地の選挙になってしまいました。明治時代かと思わせる市の実態ですね。悲しい。

国会も国民も今、そのような状況に置かれているのかもしれませんね。維新の会ですって。大阪府議員で橋本知事を推す会を立ち上げてそんな会を作ったそうです。

民主党も同じような発想で、維新を強調していましたが、はっきり明治維新はそんなにいいものではなかったと思います。中途半端な先の見えぬ、維新はしたけれどという感じでしたよね。不満武士の反乱のピークが西郷と担いだ西南戦争と発展していきました。

維新を唱えているということは、地方、また中央政権の反乱を起すということでしょうかね。いったい、どこへ日本を向かわせるということなのですか?どこに連れていこうというのですか?誰もその事について明確なビジョンを提示していません。そこに今の日本の悲劇があると思います。

悲劇で思い出しましたが、「日本の悲劇」でしたでしょうか、金子光春氏の文章が蘇ってきました。今日本が置かれている状況は、あの頃の精神状況とあまり変わらないとも思います。

今日工房は京焼に移り、千鳥紋のかわいらしい豆皿を作りました。どうも私どもはこの焼き物(古清水)が一番フィットしているようです。体質に合っているのでしょうね。面白く感じています。

どんどん変わっていきますよ

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工房はマグカップの削り仕上げ

こんばんは。2012年が騒がれて久しくなってきましたが、このような天候が続けばさもありなんとも思われてきますね。2010年今年フォトンベルトに入ったとも言われていますが、真相は誰もわかりません。ブッダの弥勒の予言、キリストの復活、1000年王国等々、、、。精神世界では多くのことが語られていますが。

日本という国は多くの謎を秘め、世界の精神世界ではキーパーソン的な役割をしていると聞きます。特に今年はそのことが顕著に現れてくるとも言われています。このタイミングで昨年政権交代が行われて、今なんだかんだと政治と金の問題で国会も重要な案件がすっ飛んでいる事をみると、はたしてこの国がそのような重要な使命を担っているのか怪しくもなります。

年が明け20日が過ぎました。いよいよ本年の姿が見えてくるような感じになっています。自然は相変わらず安定を欠き、ハイチの大地震で本年も始まりました。これも我々人類の心理に大きく係わっているのでしょう。我々は大きな動揺を感じています。本当に人類はアセンションをクリアー出来るのでしょうか?この時代に遭遇しアセンションを経験することは私たちの魂に大きな意味をもたらします。

核兵器が何故悪なのか。何故地球から廃絶しなければならないのか?誰も明快な言葉でその答えを言っていませんが、核兵器は人類と云わず地球上の生命、また地球と大いに関係する太陽系宇宙、それにとどまらず輪廻を含め生命の宇宙的循環に大きな損傷を与えるからです。核はズバリ魂を破壊してしまう唯一の兵器だからです。

私たち日本人はこの兵器でどれだけの損傷を負ってきたことでしょうか。その因縁はどこから生まれどこからやってきたのでしょうか?私はそのことを深く思います。21世紀になり隣国に今までにない核の緊張が存在するようになりました。世界を見ると各地に核の緊張が増大しています。アメリカやロシア、フランスは言うに及ばず、イラン、パキスタン、インド、中国、北朝鮮等々。今、人類に何が起こっても不思議でない状況だと思います。このような危機的状況から人類は本当にアセンションに耐え、1000年王国、弥勒の世を迎えることが出来るのでしょうか?

2010年一月、ついついこの様な事が気になりブログに書いてしまいました。今日の工房はマグカップの削り仕上げをし、そのあと取手を付けました。HPからの問い合わせが色々とあって、私たちの仕事が皆様と繋がっている事に感謝しております。

制作風景

工房はマグカップの削り仕上げ

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片口鉢の削り仕上げ

こんばんは。三寒四温でこの二、三日は穏やかな日が続いています。青空が澄んで燦々と日が注ぎ、轆轤場から見える陽だまりに小鳥のさえずりが聞こえてきます。静かな山間の工房は新年の晴れやかな風景が今も続いています。 

松に梅、2月に入るとまもなく鶯の初音が聞こえてきます。明日から暦の上では大寒に入りますが、本格的な寒さはこれから始まります。しかしその寒さの中に春の息吹がそこかしこに感じることが出来ます。梅一輪ほどの暖かさ。寒風に咲く梅をこよなく愛する人がいます。微かな梅の香りがその人の境遇に高貴な品格をもたらしてくれます。それは、がんばれ、とは言いません。その寒さに咲く花が、ただ匂い立っているのです。

さて、今年はどのような年になるのでしょうか?日本全体がまだまだ委縮しているように思えます。毎日流れるニースもじっと耐えながら聴くことしか出来ない内容です。残念ながら出口はまだまだ先のようにも思えます。昨年{淘汰の時代」という文章を書きましたが、今はみんなで耐えているという状況に思えます。どこまで耐えられるでしょうか。

今日工房の仕事は片口鉢の削り仕上げをしました。地味ですがコツコツと品数を増やして参ります。季節が変わるころにはHPも充実させておきたいと思っています。

制作風景

片口鉢の削り仕上げ

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震災15年を思って

こんばんは。一月も早半ばを過ぎました。各地に大雪をもたらした寒波も東に去り、今日は一日穏やかな日曜日になりました。暦を見ていると二十日が大寒ということで、寒さの一番底ですね。この冬予報では暖冬ということでしたが、昨年末から集中豪雪の様相です。夏と云い冬と云い寒暖の差が激しく、人の世もまた激変の大波にさらされています。

今年は阪神淡路大地震から15年ということです。1995年は、日本国が「地割れ」をしたという印象をもった一年でした。オーム真理教の地下鉄サリン事件。宗教という蓑に隠れた国家テロに対する恐怖。政府の危機管理の曖昧さ。等々が露呈された一年でした。戦後築いてきた「神話」が、まるで旧約聖書のバベルの塔のように、われわれの心から崩れ去って行ったように思われます。あのときから長く日本は彷徨ってきたように思われます。

21世紀に入り間もなくアメリカの同時多発テロが起こりました。貿易センターが崩れる様子は、この世のものとは到底思えない光景でした。その後、アメリカは一方で莫大な戦費を使い中東に戦争を仕掛け、国内ではサムプライムという誰が考えてもおかしな投機に、なだれを打ってばく進していきました。そして一昨年、アメリカ発経済危機を起こす羽目になりました。そしてオバマ大統領の誕生となるのですが、、、、、、。

この15年を振り返れば、何か5年置きぐらいに大きな節目がある様に思えます。国内では昨年ようやく政権が交代しました。新年明日から国会が始まりますが、民主党は小沢疑惑事件でどのような国会運営をするつもりなのでしょうか。小沢さんがあれほど強く言い切るには、よほどの覚悟があるのでしょうか。田中ロッキード事件の怨念とも受け取られていますが。説明責任を果たしていないとかなんとか言いますが、真相は実はどうにでも解釈されるようなことではないのかとも思います。民主党大会の鳩山首相の発言も尋常でないように思いますが。もっとドシッとした国家ビジョンを見せてほしい。その様に願っているのですが、どうもワイドショウ的で、軽々しく思えてなりません。

工房は今日はお休みですが、先週色々な食器を轆轤挽きしたので、写真で紹介するつもりでしたが、つい色々と書き始めるとこんな風になってしまいました。今年のテーマは「原点回帰」より多くの食器を提供できるよう頑張っていきたいと思っています。

震災15年を思って

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ぐい呑みの削り

こんばんは。昨日は成人式で町は華やいでいたそうです。私は山の工房にこもりっきりでその様子は娘の話で伺うばかりです。昨今少子化でどんどん若者が少なくなって来ています。日本社会の大きな問題ですね。未婚率が高く、私の周りにいる若者(?)達も一人でいる方が多くいます。むしろ結婚しているほうが珍しいという状況です。私が住んでいるところは世帯数8軒、人口25人。若者6人。比率からいえば多いほうかも知れませんね。 (笑)

こんな過疎の村にブロードバンドがやってくるということで、その説明会が会館で行われました。11年に地デジが始まるというのに、ここはその対象外の地域でした。大阪府下でこの地域だけが光ファイバーから見放されていましたが、ようやくその整備に予算が付き、この3月にはとうとう入ってくることになりました。もちろんこの村でHPを持ってウエブを活用しているのは私ところ一軒なのですが、いくら光がやってきてもその恩恵を十分活用するにはかなりの知恵が必要になってくると思いますが。たとえインフラが整備されても、時代について行けなくてはどうしようもありません。テレビだけを見るのに60何チャンネルも必要ないし、それよりも経費がかかり負担になってくるのでしょう。地域によっては高齢の方々でもPCを活用し、自分たちの生活の活路を開いているという報道を見聞きしますが。変化について行けない方々のほうが圧倒的に多いのでしょう。
考えさせられます。

今日の工房はぐい飲みを削り仕上げしました。ざっくりと土味を表現することが出来、気分上々です。微妙なタイミング要求される仕事ですが、このタイミングこそがこのぐいのみの全てです。出来る限り柔らかい状態で削るのですが、その道具は木へらであったり、軟鉄であったりと土の状態によって変えるのですが、その道具の接点、摩擦によって色々土の顔が違ってきます。その道具を発明するのも陶芸家の自然に対する観察力だと思います。色々な土があり、色々な道具があり色々な表現が生まれると思います。

ぐい呑みの削り

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「モノ言う作り」

こんばんは。強烈な寒気団が東に移動して、今日はほっと暖かな一日になりました。ここは南に和泉葛城山をいただき、大阪湾に向かって吹く山風が案外寒く身にしみます。その風も今日は治まり、温暖なん静かな一日になりました。
工房は今年になって「原点回帰」をテーマに仕事をしています。目標300アイテムをホームページに掲載しようと頑張っています。

今日は昨日から続いている土で、ぐい呑みを作りました。久しぶりに轆轤で「モノ言う作り」にしてみましたが、かなり気分が入らないと続かない轆轤です。沓型の大きなぐい呑みになりました。面白く挽けたので、今度は徳利に挑戦してみたいと思いす。新酒のおいしい季節、我が家も色々と地方のお酒を頂き、ちびりちびりと徳利で燗をして頂いています。冷で頂くお酒もいいのでしょうが、私は大吟醸といえども少し燗をするほうが気持よく頂くことができるように思います。
明日は片口や徳利を挽いてみましょう。たのしみですね。

「モノ言う作り」

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本年工房は「原点回帰」

新年が明けて今日は初仕事のところも多かったのではないでしょうか。私どもの工房もご多分にもれず今日から仕事にかかりました。特別なことはないのですが今年は原点回帰を意識しながら進めていこうと、昨年末から話し合ってきました。

ここ4,5年は工芸店との付き合いの中、仕事を進めてきました。色々なことを学ばせて頂き、特殊な焼き物を作り続けて参りました。古清水を中心に仁清、乾山と進めて来ました。が、乾山の山を登るには今一つルートを考え直さなくてはならないように感じ始めました。

この辺りはかなり作り手の個人的資質にかかわる問題と思っているのですが、もう一度食器を作る楽しさを取り戻したいと考えました。あまりにこのような「奥の細道」の世界を歩いていると「食器のための食器」にいるように感じています。それはそれでいいのでしょうが、富士の裾野が広大なように、高い山を築くのは土台を大きくとる必要があります。

仁清にしろ、また乾山にしても、彼らの文化意識はあまりにも深く、日本文化の根幹に達しています。単に形を写したところで、そのエッセンスが匂い立つまでには私はまだまだ研鑽をつむ必要を感じました。

しかし決して登れない山だとは感じていません。もっと周辺を眺め、愛でたり楽しんだりする必要を改めて痛感しています。

原点回帰とは私たちが従来持っていた「牧歌的」「民芸的」焼き物をもう一度考えていこうということです。日々の食器からふつふつと湧き出て来る生活の楽しみを、今一度取り戻すことだと思いました。

本年も皆様よろしくお願いいたします。

本年工房は「原点回帰」

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残すところ数時間、一年を振り返って

こんばんは。2009年も後数時間となりました。忙しさにかまけて陶主日記を長らくお休みしていました。最後の一日を締めようと思いきや刻々と時間が過ぎて参りました。工房で原稿を書いていますが、まだまだやり残した仕事が山の様に積み上げられています。

毎年のことですが前のめりになりながら大晦日に突入し、何とか掃除と締め縄を玄関に掛けるところまでやってきて、「ま、後はなるようになるわ。」と諦めながらお正月を迎えます。一年の計は元旦にありといいますが、あれだけ引きずっていた色んな思いが、元旦の朝日とともに雲散霧消し、新鮮な無垢な一日でスタートを切れるのは、いったいどれだけの浄化力があるのか、感心いたします。

不思議なものでこの時期になって初めて一年を振り返ることが出来ます。後数時間となったこのタイミングでこの一年を思うと、ぎっしり詰まった一日の積み重ねが思われてきます。父や母の介護、仕事との両立。ハリケーンが一年の時空を駆け巡ったようでした。振り返ると大変なエネルギーだったと思われます。今は全体が落ち着くところにあるという状態で、少し平安が感じられます。

時代も大きく変わったようです。来年は政権交代の姿がはっきりとしてくることでしょう。特にお金の流れが今までになく変化します。その変化の結果は一年後のこの時期の反省になるのでしょう。皆さん一年頑張りました。私も頑張りました。どの様な状態でも一年を過ごさせて頂いたことに感謝し、くる年の寿ぎを敬虔な気持ちでお迎えしたいと思っております。本年有難うございました。

日常即宇宙

こんばんは。八月も余すところ一週間になり、また総選挙も今週が大詰めになってきます。今年は夏が有ったのか?先週の暑さがどうもピークで今週からすっかり季節が変わってくるそうです。何年も続く異常気象はますます混迷を深めてきそうですね。

どうも私は昔から天気予報が好きで、自然の変化に大変興味を覚えます。今年はいつ鶯が鳴いたか?いつ春ゼミが鳴いたか、ここにホタルフクロが咲くといつ川に蛍が飛び始めるか、365日自然は止まることなく変化をしていきます。細かな観察が出来ると自然はどんどん広がっていきます。そのことが堪らなく面白く魅力的です。

ある植物の根を調べると長さが地球を一周することが分かったと云うお話を聞きました。始めその感覚が掴めなかったのですが、根を拡大すればするほど無限と思えるほどの毛根があることが分かってくると、その細かな根の長さを測れば、それも無限と思えるほどの長さになることが認識することができました。

私は美の世界に住んでいるのですが、先ほどの話はこの世界と大変共通しています。細やかな世界が認識されてくるとどんどん新たな世界が展開されてきます。宇宙の神秘ですね。食器という日常をテーマに仕事をしていますが、この日常という世界ほど千差万別、個人的なものはないでしょう。

食器一つに宇宙があることが面白いと思うのですが。買ってくださる方々の世界に、私たちの食器が万華鏡のように展開することを望んでいます。使えば使うほど魅力を増すことを、作り手は望むものです。

細やかな繊細な意識を時間を掛け丁寧に作り込むことが、私たちが興味の尽きない面白い世界と思っています。

日常即宇宙

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お盆の窯

こんばんは。やっと湿気のない清々しい夏空を見ることができました。お天気の日が続く様ですが、いつもの夏の高気圧とはどうも違って、オホーツクにある高気圧が覆っているようですね。やはり東北地方は冷害が避けられないようです。

工房は今日ミンミン蝉が鳴き始めました。季節がはっきり変わりました。夜になってコオロギの声も聞こえてきました。梅雨が立秋の日に明けたのですから夏がないのは当然なのですが、どうも調子が狂ってきます。

涼しい風が吹き始めると私たちはどうもそわそわします。年末の仕事に時間が追われ出します。今年はどの様な食器を作ろうか?いろいろ考えます。乾山陶器に移行しています。型ものが多く今回もそのような楽しい食器を作っていきたいと思っています。

今日は明日窯焚きをする「四方小皿」の薬掛けをしました。細かな作業が続きますがコツコツと仕上げて参ります。とうとう予定していたようにお盆の窯焚きになってしまいました。慎重に進めていきたいと思います。

お盆の窯

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夏休み

こんばんは。盂蘭盆会に入りました。日本にとって8月は特別な月です。原爆祈念日に始まり15日の終戦記念日とまたこの盂蘭盆会と重なり、「祈り」の機会が多い月です。夕方になると工房は蜩の鳴き声で満たされます。彼岸此岸の境を感じさせてくれる独特の雰囲気を醸し出しています。

この時期高校野球がこんなにも人気なのは全員が坊主頭だからでしょうか?その事がこの季節独特のイメージに重なり繋がって行くからなのでしょうか。

日本は不思議な国です。そのように思うのです。詳しい表現は避けますが、21世紀になり益々使命感を帯びているように感じています。

これから原爆の問題が重要性を増してくるでしょう。隣の国が核保有国になったことで大きな危機感を感じています。長く仮想敵国とされ、今唯一残っているその国がミサイルをこの国に向けています。 

今回の選挙で戦後続いてきた体制が大きな転換期を迎えています。この8月に総選挙があることも因縁のように感じています。しかしどうも深くえぐった論戦が聞こえてこないのが不安です。

工房はやはり盆とは関係なく仕事が進んでいます。15日に窯を焚くようになってきました。休みをなかなかもらえません。気を付けて頑張りましょう。

夏休み

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露光する光

こんばんは。台風や地震で大きな被害が出ています。夏をなかなか感じられない今年ですが、台風一過、カーと眩しい太陽が出てきました。
とらえ難い夏ですね。今回の選挙もこの様な感じがします。なかなか気持ちを載せていけない。確実に政権交代はしなければならない。今までの長い政権下で隠されていた多くの情報と金を政権を交代させることで表に出す、ここが一番大事なところだと思うのです。55体制の総括をしなければいけないと思うのです。

今地球を覆っている光(?)波動の方が伝わるのでしょうか、その様な物を感じるのですが、それは今まで隠されていたものがよくも悪しくも表に出てくる、それも今までよりかなり早いように感じます。故に変化も速いですよね。かなり気持ちをタフに持たないとやっていけませんよね。

最近芸能界の薬物事件が世間を騒がしました。これもあぶり出されてきた結果のように感じています。個人レベルも国家レベルも同じ様に隠れたところがどんどん出てきそうに思います。新しい世界に移行するにはどうしても通っていかなければならないと思います。

今個人はかなり厳しい現実を体験していると思います。どうでしょうか?それで、そのことで何を希求しますか?この願いが次の世界なんでしょう。その願いを実現したいと思う強さが、今を生きる力だと考えています。

今日は火曜教室が有りました。お盆なので二人の方がお休みになりましたが、じっくりゆっくり手の仕事を楽しまれていきました。

露光する光

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秋草紋湯呑の轆轤挽き

こんばんは、梅雨開けもどうかなぁ?という感じですが、仕方なく宣言したようです。一向晴天がなく、むんむんと湿気に覆われた日が続いています。この山間は霧の中に住んでいる様な趣で、家の中がカビで辛い思いです。いつもなら夏の風が吹き、家の中にもギンヤンマが入ってきて清々しい気分にもなるのでしょうが。

ここの特産ですが「水ナス」が思うように育たないようです。日照時間が足りないようです。病気や害虫で薬を撒きなかなか収穫に結び付かないようです。北陸や東北各地でお米の被害も出始めているようです。気が付けばすでにお盆もまじかで、このまま夏が終わりそうです。

今日は広島原爆祈念日でした。戦後64年が過ぎ時代もかつてない変化の時を迎えています。この夏日本が大きく変わるかも知れない選挙を控えています。

私は地割れがする位の変化変革を求めています。しかしそのことに自分が耐えられるのか疑問です。

工房は今月の締めに間に合わせたい秋草紋湯呑の轆轤挽きをしました。十草紋飯椀、四方小皿、と秋草紋湯呑。時間が足らないと云いながら別の仕事を入れてしまいました。すたっふMさんの奮闘を期待しながら、こちらはお盆も返上で仕事になるようです。さすが窯は焚けないと思うのですが、計算上どうも盆に掛かりそうです。地獄の釜が開くといわれているのに、何もこちらも合わせて窯を焚かなくてもいいと思うのですが。

この一週間が今年の一つ山場と感じています。今私たちの意識は年末商戦に向けてどのような形で向っていくか、ということです。一言、がんばろう!ですか。

秋草紋湯呑の轆轤挽き

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十草紋飯椀の削り仕上げ

こんばんは。関西は今日やっと梅雨が明けました。夏の顔をした朝を迎えて、久しぶりに季節を感じています。雨の後の晴れの日は草がぐんぐん伸び、草刈りの仕事が待っています。家や工房の周りをきれいに刈り込んで、スッキリとしたいのですが。仕事に追われなかなか時間ができません。夏は早起きをして暑くなる前にこの様な仕事を済ませてしまう。田舎暮らしの鉄則なのでしょうが。

以前は隣の爺さんが元気よく、朝6時頃からブンブンと草刈り機の音を鳴らし、家の周りをすっかりきれいに刈ってくれました。その爺さんも数年前に逝ってしまったので、昨年草刈り機を買って自分で刈るようになりました。慣れない機械を操り何とか見様見まねで刈っています。やはり刈り終えるとどこからともなく清々しい風が吹き、夏の風景になるのが不思議です。

工房は十草紋の飯椀の削り仕上げをしています。すったっふMさんは乾山写し菊紋向付の原形型を作っています。八月に入ったばかりと思っていましたが、すでに仕事が遅れはじめています。そのような状況でHPから問い合わせが入ってきました。今週までに名入りの御湯呑を作ってほしいということです。切羽詰まった状況の様です。私どもで出来る限りのことをしてみましょうとお請けいたしました。

HPでオーダーメイドのコーナーを持っています。色々な注文を頂くのですが、私共も勉強することばかりです。私どもの工房はどこも受けてもらえない仕事が多く来ます。今回も何件も鼻で笑われるような断りをされ、最後と諦めて電話を掛けてきたそうです。

良いじゃないでしょうか。このご時世、求められるだけうれしいと感じて居ります。難しい仕事を丁寧にこなすことで、新しい視野に立てるのですから。時代の変革期、意外な所に展開があるように思うのです。

寸法にやかましく

こんばんは。とうとう7月も終わりました。どうもこのまま梅雨の状態が続きそうですね。八月になって夏の空を見たいものですが、そんな事を言っているとすぐにお盆になってしまいます。季節の感が狂うと体調もおかしくなってしまいます。閉塞感を持ったまま、総選挙に突入しそうですね。何か総崩れの様相を呈していますが、さてどうでしょうか。

工房はすたっふMさんが来て乾山芙蓉紋の型原形を作り直しています。また新しく菊紋の型を作って秋の二ユーバージョンに加えていく予定です。乾山の変形型の向こう付けは独特のデザインで今までにない陶芸史上画期的な食器です。

昨年からの課題です。乾山陶器に移行していくのですが、いままでやってきた古清水や仁清とはだいぶ趣が違っています。どこがどう違うのかと言えば色々な言葉でそれは言えるのでしょうが、本当のところは作った者以外なかなか表しにくいところです。仁清とは全く違っていて、当時の懐石料理に精通して初めてこのような独創的な器が出来るのだと感心しています。食器は寸法が一番やかましく言われます。当時の懐石盆と今の盆は大きさが違っています。当時の寸法で作っていいものや、また小さくする方がいいものがあります。その感覚はようび店主真木さんが一番だと感じます。

よく1ミリの誤差を指摘されますが、その違いを轆轤挽き出来るようになると、その寸法が一番きれいだと感じ入ってしまいます。かなり鍛えられています。古清水はすべてかなり薄く轆轤が挽かれていますが、乾山陶器は色々なバリエーションを持っています。一つ一つ趣の違う轆轤や型作りは相当熟練がいると思います。

今回も一つの作品に十分時間と手間をかけていくことだと思います。もう八月、秋はそこまでやってきています。
季節に追われながら工房は進んでいきます。

寸法にやかましく

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