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青海波向付ー見本色盛り

制作は4寸皿の削り仕上げと萩紋小皿の原型制作です。絵付けは菊形向付の下絵付けと青海波向付の見本色盛り、紅白梅紋向付の上絵付けです。今日は貝塚駅の東口を出たところにある貝塚ブランドショップへ水間焼の展示ブースをリニューアルするために出かけました。


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松図向付、角向付ー型制作

朝から貝塚ブランドショップに工房で売れた品物を引き取りに行ってきました。位置は貝塚駅の東口を出てすぐ向かいの筋に入ってすぐのところです。始めて行ったので少し迷ってしまいました。仕事は梅文平向付のろくろ成形と型成形の続きです。


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松図向付、角向付ー型制作

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伏原窯工房日記履歴22年6月第2週(6/6~6/12)

伏原窯ー工房日記22年6月11日
窯入りました!中身は昨日釉掛けしました京焼「十草文飯碗」「十草文飯碗(小)」と乾山写しの見本です。

 

伏原窯工房日記22年6月11日 伏原窯工房日記22年6月11日 伏原窯工房日記22年6月11日


伏原窯ー工房日記22年6月10日
お昼に貝塚ブランドショップの方が補填商品を取りに来てくれました。貝塚ブランドショップは南海貝塚駅前です。お気軽にお立ち寄りくださいませ!仕事は京焼、十草文飯椀、乾山の見本の釉掛けと釉直しをしました。明日は窯づめです。

伏原窯日記6月10日
伏原窯日記22年6月10日 伏原窯日記22年6月10日 伏原窯日記22年6月10日


伏原窯ー工房日記22年6月9日
今日は延びにのびていました磁器釉薬ものの釉掛け窯づめの予定でしたが、大変なことになってしまいました。磁器釉のかけ違いをしてしまい、すべてやり直しになってしまいました。磁器焼成を心待ちにしてくださっている方々には、本当に申し訳ない気持でいっぱいです。今しばらくお時間をくださいませ。よろしくお願い申し上げます。
このアクシデントは私どもにとっても大ダメージでした。心機一転のためにも、磁器の窯が終わったら焼く予定だった乾山の見本と十草文の器の窯焚き準備に入りました。乾山葵文大鉢に絵付けをし、素焼窯に入れました。さぁ、明日も頑張りたいと思います!

伏原窯日記22年6月9日 伏原窯日記22年6月9日 伏原窯日記22年6月9日
伏原窯日記22年6月9日 伏原窯日記22年6月9日 伏原窯日記22年6月9日

伏原窯ー工房日記22年6月8日
今日は月2回の火曜教室の日でした。ここのところ乾山の食籠(じきろ)が流行っています(^^)とても楽しそうに制作されていました。私は昨日に引き続き乾山葵文飯碗の絵付けをしました。

伏原窯日記22年6月8日 伏原窯日記22年6月8日 伏原窯日記22年6月8日


伏原窯ー工房日記22年6月7日
今日は釉掛け窯づめの予定でしたが、陶主が体調不良のために延期になりました。日ごろの疲れに無理が祟ったのでしょうね。お疲れ様です。仕事は乾山の見本に絵付けをしました。

伏原窯日記22年6月7日 伏原窯日記22年6月7日 伏原窯日記22年6月7日

乾山の食器

こんばんは。気が付けば四月も半ば、桜もすっかり葉桜になっていました。御近所さんから筍のお裾分けが届きます。今日は朝からしとしと春雨になって静かな一日を工房で過ごしています。と云いたいのですが、、、、。
まとまった時間を作るのがこの頃難しくなって来ました。こま切れになった時間を継ぎ合わせながら、同じテンションで物を作っていくには、それはそれでなかなか修行がいるものなのですよ。独立してそのことが身に付かなければ、短時間に集中して仕事が出来ないと思います。山に籠って陶芸三昧、いいなぁ。私もやってみたいですね。(笑)

乾山陶器の見本をあれこれ作っています。今日はすたっふMさんが来てそれぞれの素地に白化粧を施すための下絵を描いています。先週この仕事のために近くの図書館に行って、乾山の全ての資料を借りて来ました。中にはかなり興味のある資料もありました。翌日大阪市の図書館に問い合わせると同じ作者でかなり量のある資料が見つかりました。早速すたっふMさんが借り出しに行きました。 三冊組になっていて、限定本なのですがある古本屋のネットでも売りに出ていたそうです。中身がよかったらかってもいいな、と思っているのですが。

また、「緒方光琳二代目 乾山」細野耕三著を読んでいます。色々な角度から乾山を見ているのですが、魅力ある苦労人です。詳細は次回に書いてみたいと思うのですが、時代を通じてファンを引き付けてやまない数々の食器は、彼の人となりともいえる繊細な心使いによるものだと痛感しています。

私が食器に固守するのも、乾山の食器に対する芸術性の高さによるものだと思うのです。京土産乾山焼は今のブランド物になっていたのですが、食器の量産といえども物によってはかなり高い精神性を含んでいたと思うのです。はたして食器に精神を表現出来るのか?近代の陶芸家は作品と普段作る食器を分けて考えていました。そのような分離のない心と一つになった食器を普段の仕事を通して作りたいと願っているのです。

乾山の食器

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