伝統継承の難しさ

伝統継承の難しさ

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残暑お見舞い申し上げます。65回目の終戦記念日と盂蘭盆会でもある8月15日を今年も迎えることができました。戦後の記憶がどんどん失われていく中、テレビで学者さんたち、ジャーリストや作家さんたちがいろいろなことを語ってくれます。今年は全閣僚の靖国参拝もなかったようです。隣国の日本批判もなく、本来の静かな祈りを捧げることができました。山間の仕事場は、風の木立を抜ける音や蝉の声が木霊しています。 

一昨日、ひょんなことから35年も前の知り合いからメールを頂きました。HPを見てくれたそうで、懐かしく思い連絡をくれたそうです。

彼は瀬戸の窯業訓練校の同期で、地元赤津から通っていました。三歳位年上で卒業後は赤津の霞仙陶苑さんに就職されたと思います。私は卒業後静岡森山焼、中村陶吉先生の弟子につき、またその後赤津の菊陶園さんにお世話になりました。そんなことがあって、仕事帰りに霞仙に寄ってみたりもしました。轆轤に乗ってものを作っている彼をみて、「独立しないの?」「このまま職人さんでいるひと。」と勝手に思っていました。

窯業地に生まれた人の感覚と私のそれとは全く違っていました。35年も前のことです。オイルショックやニクソンショック、プラハ合意が有ったといっても高度成長の真っただ中、それも陶芸ブームで各窯業地は賑わっていた頃です。技術や才能を持たない私でさえ、未来に夢や希望が持てた頃です。陶芸で独立して、それも窯業地でもない場所で一家をかまえるなんて。今考えると「無謀」ですね。彼のほうが堅実で、当たり前な感覚なのでしょう。それから35年も経ったのですね。以前から赤津の様子は気にはなっていたのですが。頼りの内容は想像以上でした。

10年程前、陶芸クラブから瀬戸へ研修旅行に出かけました。愛知県立陶芸資料館を見学して、その後瀬戸の本業焼き窯元水野総一郎さん宅にお邪魔いたしました。彼とも訓練校同期で、懐かしく再開することができました。その時もすっかり窯場の様子が変わっていたのに驚きました。私が初めて本業窯に伺ったのは、まだ民芸ブームが盛んだった頃です。彼のお父さんも健在で、瀬戸一番の大窯を焼くところを見ることができました。そんな窯も今は小さなガス窯でした。

あれから瀬戸の状態はどんどん悪くなる一方と聞きます。どこもかしこも田園牧歌的な焼き物の懐かしい風景は見る影もなく、陶芸はいったいどうなってしまったのでしょうか?

彼の赤津の便りにも明るい未来はありません。「瀬戸で焼き物をするのは困難です。」って言っています。窯業地自体が淘汰されていく時代です。いろんなところで日本の伝統がすっぽり消えてしまう、デフレ世界の現状です。

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