慌ただしい一週間

慌ただしい一週間

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こんばんは。慌ただしく一週間が過ぎてしまいました。品物を納めにようびさんに行ったのが先週の火曜日。その日電話注文で紫陽花の角皿が売れ、それに合う桐箱がほしいということで、ようびに出発間際バタバタしながら寸法を取ると、案の定それが間違っていて、最速して作った箱がオジャン。またまた作り直してもらい、金曜日クラブから帰って、墨を磨りこころ落着かせ箱書きをしました。19日土曜日に会社のパーティーがあってそこでお渡しするということでした。なんとか間に合わせることができたのですが、先週は全てにチグハグが付いて回りました。

日曜日、甥の結婚式で京都に出かけました。雨の京都は車がいっぱいで、三条辺りから渋滞で東大路はなかなか進まない状態でした。最近の結婚式は、神前でもなく、アーメンでもなく、仏前でもなくて、人前式という形式が流行りだそうです。親族一同の前でみんなに承認してもらうということのようです。いいと思いました。色々な価値観を持っている方々も参加しやすい形式のように思いました。結婚式もこの様になって来たのだから、葬式もまた変わっていくといいのにと思うのですが。江戸封建社会の檀家制度が、葬式を独占しているように思います。地獄、極楽を作ってあの世の引導を渡すという事も、時代にそぐわなくなっているようにも思うのですがね。ついでに言っておいきますが、「悟り」なんて誰が発明したのでしょうか。仏と凡夫に分けて「浄土」往生、そろそろ其処も私たちは卒業としましょうよ。もう宗教の時代ではないでしょ。

そんなこんなを考えながら、若者が作る「結婚式」に参加し、シャンパンに酔いながらもしっかりフレンチを楽しんで参りました。80歳を超えた父を連れていくのは大変でしたが、人生の半ばを過ぎ、往く世界、またやって来る世界が同時に見え、人間って何、生きていくって何、としきりに考えてしまいました。

この二三年ですっかり世界が変わってしまいました。以前の価値観が全くと言っていいほど通用しなくなりました。ただ言えることは、ある意識を持って生活しなければ人や社会との繋がりもなくなってしまうと思うようになりました。テレビで無縁社会というテーマの番組がありました。不気味なタイトルだな、と思いながらも案外普通と見える生活の中に大きな穴が開いているのだと思うようになりました。

個人が意識を持って社会と繋がりを持つことは、その個人が社会に対して何をするのかをはっきりさせなければいけなくなってきました。なかなかそのことはハードな事だと思うのですが、しかし時代がそのことを個人に迫っているように思うこの頃です。
工房は磁器の仕事にかかり出しました。

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