寒の戻りと云うのでしょうか、この週は先週と違って本来の二月らしい天候になるようです。一旦緩んだ身体には少し厳しく感じるのでしょうか。昨日の朝、鶯の初音を聞きました。何ともたどたどしい鳴き声ですが、この山合の二月の風物詩です。寒さが行ったり来たりしながら春を迎えるのでしょう。もうひとつ花粉症が昨日から始まりました。今年は例年の倍ほど飛んでいるそうですが、ここ何年かはそれほどひどくならなかったのですが、久しぶりに来たぁ~っと思いました。外出は控えて、工房に籠りたいです。
今日はすたっふMさんが工房に来て、「京焼十草飯碗」の口に鉄を巻いて行きました。といっても業界言葉なので何だか分からないでしょうね。お茶碗の口元に鉄絵の具を筆で描いたということです。十草の線はMさんの絵付け工房で描けるのでしょうが、お茶碗を固定させる為口元で受けて移動するのに、先に描いてしまうとそこの鉄絵の具が剥がれてしまいます。それでこの作業は工房ですることになっています。手回し轆轤に乗せ、中心を出して、丁寧に鉄絵の具を施していました。一般的なところでこんな作業をすると、瞬く間に終わってしまうのでしょうが、ここでは一つに掛ける時間が他の工房とは全然違っています。一つの手作業がきっちりと視覚認識がされていかなければならないので、どうしても時間がかかるのです。贅沢な「時間」を一つの作品に掛けて行きます。作り手が心地よい時間でいる様にしなければ作品に「たまり」が生まれません。
「たまり」というのは時間の密度の事です。単純な作業の中にでも「こころ」を入れていくと、時間が形になって融け込んで行きます。一種の酩酊状態が生まれます。線一本に喜びが生じ、充実感を味わうことがあります。工芸が持つ魅力のひとつです。
私は今日から新しい土で、乾山陶器に入って行きます。初めに鉄絵深向こうを作っていきたいと思います。








その後土練りをし、「京焼十草紋飯茶碗」を水挽きしました。華奢なご飯茶碗に呉須と鉄で十草を描きます。細かな線が活きるように、腰に少し膨らみを持たせながら口元まで続く優しいカーブがこの茶碗の命です。このラインは日本特有の世界だと思っています。古くは弥生の木器、漆が施された器がありますが、それはやはりこのラインなんですね。仁清のお茶碗は腰に特徴があると云われていますが、やはり同じこのカーブなのですね。
工房は昨日焼き終えた素焼きを出し、釉薬掛けをしました。すたっふMさんもお手伝いに来てくれて、スムーズに窯詰めまで終えることが出来ました。明日は陶芸クラブの指導日なので、今夜は焼くのを止め、明日の夜に火を入れることにしました。今年の初窯になります。お神酒、榊をお供えして、今年の安全をお祈りいたします。
工房は午後から「色絵梅紋輪花向付」の削り仕上げをしました。今日のノルマは土曜日の残り全部を仕上げることです。7時に削り完了致しました。明日から輪花を取っていきます。口に墨で印を入れ、カンナで一つずつ輪花を取っていきます。輪花を取るとどうしても口元が堅苦しくなるのですが、絵が紅白の梅で日本情緒の強い器なので、柔らかな口元になるよう工夫しなければなりません。均一な輪花ではなく、梅の花びらに合わせた変形輪花になっています。そこが中国の器と違った趣のある輪花となっています。
今日から大阪市立東洋陶磁器美術館で「浜田庄司展」が有るということを言われました。日曜日にでも行ってみようとおっしゃる方がおられました。どうも新聞に紹介されていたようで、神戸のコレクターの作品80点を紹介するという企画の様です。関西は案外民芸ファンが多く残っていて、今でも人気が高いです。万博公園には民芸館もあり、アサヒビールの大山崎美術館には多くの浜田先生の作品が展示されています。神戸にも多くのコレクターが居られるようで、この展示会もその方面の方のようです。何と云っても、民芸運動の推進者で有名な人は大原さんでしょう。私はまだ行く機会がないのですが、「大原美術館」は民芸運動の核となった大きな存在でした。
お正月実家にいると身体が鈍るので、かなり距離を歩きました。しかしどうもいつのも様な高揚感がなく、心は晴れなかった。ただ身体がくたびれたという思いでした。やはり自然はすごいですねえ。工房の周辺を一時間も歩けば、心地よい疲労感と気持ちの開放感を得ることが出来ます。一日の仕事のイメージもすっかり出来上がり、どことなく確信に満ちた世界を味わうことが出来ます。自分にとって改めて環境の良さを思いました。
桂離宮は誰もが知る日本文化の代表格です。庭園、お茶屋、書院からなるその全ては、月の桂と呼ばれ、月の名所であるここに最高の月を愛でるための装置を作った、とされています。柱一つ、襖のデザイン、違い棚の工夫、細かな細工の工芸品。庭に点在する置き石の数々。池に船を浮かべ歌を詠む。八条の宮家 智仁(とししと)親王(1579-1629)と続く智忠(としただ)親王(1619-62)が創設されました。御水尾上皇の桂御幸に際して各書院の増築が施され、現在の古書院、中書院、楽器の間、新御殿と雁行する書院群はこの時以来のものです。上皇の御幸に際しては特別な思いれが有ったように思われます。



