「京焼十草紋飯碗」の水挽き

「京焼十草紋飯碗」の水挽き

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こんばんは。穏やかな晴天の一日でした。今週も一つの形を作ることでスタートを切ることが出来ました。ブルーマンデイなんて言葉がありますが、直訳すると「憂つな月曜日」と云うのでしょうか。朝からの気持の立ち上がりが何となく辛く感じられていました。年末から年始に掛け暮らしが大きく変わってしまったので「くたびれたぁ」って身体がそう言っています。こういう時は静かに心を落ち着かせて、自然の波動に逆らわず身近で出来る範囲の事を、着実にして行くことです。体質が変わって来たのでしょうか、以前に比べてお酒などの執着がそれ程強く無くなって来ました。ははははは。いや、歳のせいかもしれませんが。今日は休肝日にします。しばらく続けて内臓の掃除をします。

今日の工房は「京焼十草紋飯碗」の水挽きです。ノルマ20個。何とか午後7時半に達成です。明日は残りの分とビールカップを挽く予定です。陶芸家といってもこの様に日々こつこつと日常の物を作っているのです。私の基本はこのような生活ですので、あまり突飛な事は好きではありません。特に轆轤は毎日の積み重ねが大事だと思っています。どちらかと云えばかなり職人肌なんでしょうか。陶芸ブームが盛んな頃は、「うまへた」が大いにはやっていました。へたににせてうまく作る、っていうことなんでしょうかねえ。よく分かりませんが、自分にはあまりない部分なので。自己主張の強いものが個性として受けがよかったんでしょうね。私はどちらかと云えば、地味なんでしょういか。よく云われるのが、玄人好みの作品なんて、そんな評価を受けていましたが。どうなのでしょうね。今もそれは変わらない事のように思いますが。

「清澄」こんな言葉で評価された事がありますが、内心うれしく思っています。私自身は「震え」という言葉で、自分の轆轤を表現して居ります。決して力強い作品ではありませんが、この線の細いバイブレーションは他にない貴重な存在だと思っています。邯鄲(かんたん)と云う、こうろぎを小さくしたような晩秋に鳴く虫がいますが、そのなき声は何とも侘びた風情のあるものなのですが。邯鄲の賦という故事から来ているのですが。この声が聞こえるバイブレーションの持ち主なんかに見えてくる世界があります。私は「悲しみ」と言っています。「悲」という文字は日本ではよく深い心に使われているように思うのですが、「悲願」「慈悲」奥深い仏心が我が心の震えとして響いているという感じなのでしょうか。

その響きを写し取る様に、今日も静かに轆轤は回っています。

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