用の美

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こんばんは。昨日から冷たい雨が降っています。今日は久しぶりに大阪市内に用事で出かけていました。ヤフーオークションの講習を肥後橋、堂島まで受けに行きました。私共のHPはテレウェーブ・リンクスから購入したもので、それにヤフーショッピング、オークションが付いているのです。お商売が目的のお店なら色々なオプションが付いている事で、販路の拡充を図ることができるのでしょうが、どうも私たちの仕事にはお店を幾つも持っても手間と時間がかかり過ぎて、いい結果を生む事がない様に思います。HPを充実させることで精いっぱいな状態なのに、これ以上PCに座ることはよくないと判断しました。

そんなことは最初から分かっていたのですが、どうしても経験をしなければならないのでしょう。勉強には消去法的なるものもあるということでしょうか。自分たちの立ち位置が定まるまで色々と遠回りも学習の一環なのでしょう。向上や進化は螺旋状に進むものなのですね。この講習で分かったことは、自分の時間はこの事には使えないなと云う事でした。

私にとって一番大切な事は、この環境からいい陶器を作り出すことです。PC環境も未だにISDNですから、辛うじて繋がっているということです。ここはもう他の人にお任せ致しましょう。で、要らぬ経費も掛けないと決めました。

帰りは淀屋橋の方に行き、「東洋陶磁美術館」に足を伸ばしました。先日も書きましたが、「濱田庄司展」が開催されていたので懐かしい作品を見て参りました。この美術館のベースは韓国陶磁なので、濱田作品の持っているエッセンスによく共鳴して、より分かり易く作品を見ることが出来ました。特に飴釉や鉄砂の鉄釉は小品も大作も見ごたえのあるものが多く有りました。先生の轆轤はいつ見ても屈託なく、土がよく伸びていて、造形に嫌みのない地についた堂々とした世界が余すところなく出ていました。濱田陶磁の特徴の一つは、還元焼成が少ないことです。これは意識されていたのか、もともと益子にはそのような焼成窯がなかったのか、一つも青磁が掛かった作品がないことです。それもわれわれ日本人に親しみを覚えさせる一つの様に思うのですが。還元また酸化焼成は、焼く側の意識の違いが大きく現れて来ます。やはり青磁には強い意志というものを感じますが、酸化焼成のものはどちらかと云えば、感情の世界が感じられます。柔らかさ、ふくよかさ、造形ラインがどうしても優しく感じられます。濱田陶磁が肉質的であったり、感情的に見えたりするのは、そのせいかも知れません。先生の言動を見ると、知、情、意を方円の如く円満に生きていく姿が感じられて、そこに尽きない魅力が放たれているように思います。器を越えて人間の生きる力を表現された作品です。私は今も大きな影響を受けている作家の一人です。

用の美、器はこの言葉に尽きると思っています。

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