「かろみ」の世界から

「かろみ」の世界から

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こんばんは。二月に入って来ました。春は名のみの風の寒さや、立春とは言え寒さが増して参ります。しかしこの時期を境に確実に春の足音が聞こえて来ます。工房は梅や桜が満開の様な仕事が続きます。私どもはどこか気持が春になっているのでしょうか。ウキウキとした気分で仕事を進めています。

土曜日に汲み出しの見本を水挽きしました。少々小ぶりですがふくよかさを残した形に納めるのに、良いラインを探っています。口径や深さの寸法は決まっているのですが、見込み、立ち上がり、口作り、のラインは無数にあります。特に轆轤で見込から立ち上がりのラインは、大変重要で器の善し悪しが決まるところです。一般に素人さんはこのラインが分からないのではないでしょうか。私たちは器の外の形状を見るのではなく、中の形状、特に見込を見てよく判断いたします。外と中とが違っている器は意外と多いです。不自然な重さを感じるのはそのせいです。私は轆轤に「かろみ」という言葉をよく使います。軽さを意味する言葉なのでしょうが、単に重い、軽い、を言っているのではなく、見込みの良さからくる、形の晴れやかさを言いたいのでしょう。京都の言葉なのでしょうか?はんなり、という優しい言葉があります。この言葉をたとえば東京に持って行って使おうと思っても、その風情が残念ながらないのです。それに似た意味合いで「かろみ」を私は使います。京都や奈良といった都びとが見た春の風情は、はんなりとかろみのある柔らかな光のなかに融け入る感覚なのでしょうか?その様な何の違和感もない自然とひとつになった世界を「かろみ」のいい轆轤、器と表現しています。

この部分が京焼の生命線なのでしょう。特に「古清水」と云われている焼き物を写すには、この世界を轆轤で挽き分けなくてはなりません。艶やかな絵付けが活きる為には、轆轤も一つになってなければなりません。私はあまりにも普通の事を言っているのですが、この形が出来るのには長い年月が必要のようです。

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