2009年 2月 の投稿一覧

京都五条の筆職人、稲本さんを訪ねて

こんばんは。寒さも峠が過ぎたのでしょうか、穏やかな日和の中、京都五条に出かけました。稲本さんの筆を買いに行くのが目的です。ここの筆でないと仕事にならないことが多く有ります。すたっふMさんが描いている世界は、ここの筆でないと出ない線が多く有って、実は昨年から稲本さんの状態が思わしくなく、筆を注文してもなかなか作ってもらえない事が続きました。今回もお電話を差し上げて状態をお聞きしてから出かけて参りました。身体に詳しい状態はここでは書けないのですが、今日はご機嫌もよく、遠いところからわざわざ来てもらったと、喜んでくださいました。こちらも鉄絵に合う筆を頂きたく、色々とお話しながら、これもあれも試して下さいとたくさんの筆を頂きました。ご厚意いつもありがたく思います。

少し筆のお話です。私はどちらかと言えば鉄絵を得意としています。色々な筆を使って描いてみたのですが、面白い調子がつかめませんでした。そこで稲本さん宅を訪ね、鉄絵で面白い筆はありませんか?20年以上前のお話ですが、ちょうど人間国宝にもなられたある作家からの依頼で、何とか合格を頂いた筆が一本余っているので、これを試してください、と手渡された筆があります。正当な職人世界から見るととんでもない筆なのでしょうが、その先生は何か面白いものが出来そうだと仰って、それを持って帰られました。その先生から何度も修正があって色々な手法で作ってみたが、素人に依頼し作らせた筆が一番よかったという話でした。それも、後で聞いた話ですが、面白いはなしだなあ!と関心しました。何を言っているのかと言えば、プロが作る筆は完成されていて、誰でも使えばある程度の線が描けるように作られているのです。しかし鉄絵などは素地と筆との葛藤があった方がすんなり書けない方が断然面白いのです。それを使いこなせるようになって誰もが描けない線が生まれてくるのです。思わぬ拍子に表現される線がいきいきとして生まれ出てくる。そんな事が期待されることで、作品に緊張感とユーモアーが生まれてくるのです。

20年前に頂いた筆もさんざん描かせてもらい、毛も寂しくなってきました。その筆はもう誰も作ることはできないというお話です。その時代その瞬間に出会う道具があって、その時代の作品も生まれてくるのです。この筆屋さんもなくなるとまた一つの時代が変わってしまうのでしょうか?工芸もまた生きづらい世の中ですね。

ニーズの発見と創造

こんばんは。冷たい雨が降っています。北の地方は雪模様ですが、関西はこの様な寒さと温かさが入り混じりながら春を迎えていきます。もうそこまで春がやって来ているのでしょうね。寒さの中にも希望が見えてきます。

今日は金曜日で公民館の陶芸クラブでした。昼のクラスに私はお休みをしましたが、夜のクラスには指導に行ってきました。その前にようびさんから電話が入りました、24日に送った十草紋の飯茶わん、枝垂れ桜紋湯呑、新しい小さな汲み出しの焼き見本についてのコメントです。課題だった十草の口もとの線の揺らぎはまずまずの評を頂きました。温度を5度近く落とした事で少々の呉須泣きはおさまったのでしょうが、今度は焼きの甘さが気になるようでした。早速お店の方で御茶碗に水を張って、焼きの甘さがどの様な影響が出るのかテストをすることになりました。京焼は酸化焼きでどうしても温度が低めで焼かれる為、貫入にシミがつきやすくなります。このシミはまた京焼の魅力に転嫁していくのですが、それを知らない方が買われると、クレームの元になってしまいます。私どもで使用している土は低下度でも焼きしまるように調整してあるようです。普段家で無地の鉢を色々な状況で使っているのですが、全く貫入にシミが入らないということはないのですが、汚いということは全くありません。使って行くたびに歴史の様な重厚さが生まれてきます。これが京焼の魅力です。もちろん扱う状況で同じ器でもこれ程違うのかと思うような器に出会うこともありました。今の京焼は酸化焼は電気窯で焼かれることが多く、私共のように灯油窯で焼くことはめったにありません。電気窯はどうしても素地が焼き締まるということが難しく、それ故食器ではシミが入り易いのも否めません。その難を解消したいがため私どもは素地の焼きしまる、また柔らかく焼きあがる為に灯油窯を使っています。

食器はこれだけ色々な事に制限されながら作っています。今の時代のニーズに合うことと、いい食器とはなかなか折り合いが付かないことが多く有ります。しかし作り手も奢らず、使ってくださる方の意見を素直に受け入れることで、新しいニーズが生まれてくると思うのです。今、私たちが作っている京焼の食器は、たぶんどこの窯屋さんも作っておられないのではないでしょうか。そこに私たちの新しいニーズを産み出してきました。今金の高騰でこの仕事もある局面に来ていますが、この状況を深く受けと止めてまた新しい作品に展開していきたいと思います。

乾山陶器 筆使いの面白さ

今日は早春の好天に恵まれました。穏やかな日差しが戻って来ました。久しぶりに大きな山桜の木のある橋まで奈菜(工房のマドンナ)と散歩に出かけました。途中にある梅の木は今が盛りとばかり満開で、福郁とした高貴な香りを放っていました。梅一輪程の暖かさとは言いますが、すっかり気候は春に変わっています。こんな事を云っていますが気が付けば後二日で二月も終わり、いよいよ弥生三月に入って行きます。

工房は昨日の続き、削り仕上げをしました。気が落ち着かないで夕方になってようやくいくつか削ることが出来ました。手探り状態なので考えがなかなかまとまりません。結局は早く一度焼くことが先決です。どうこう考えまた思っていても一度焼くことで、なにわともあれ一回目の結果が出るのですから。そこからいいところを延ばし、積み上げていけばいいのです。傍から見れば何をだらだら、うろうろしているんだろうと見えるのでしょうが、思いついた資料を探したり、乾山の筆使いを調べたりと情報集めに一日を掛けてしまいます。乾山には梅のモチーフが多くありますが、筆使いは色々なタッチが有って筆も変えて描いています。

鉄絵の筆はすたっふMさんが使っているものとはまた違う素材で作ってあります。週末筆を見に出かけようと思っています。その筆屋さんは陶磁器に描く筆を作ってくれるところなので、こちらの気持ちにあった筆がなかったら、お話をして作って頂こうと思っています。鉄絵の筆はどちらかと云えば穂先が長く、腰をためて描くと面白い線が生まれます。筆には正面と裏があって、裏から入る線やまた腹で引きずったように描く線など色々な筆法があります。乾山陶器を見ていると絵付けは生素地の段階で描かれています。普段絵付けをする陶器は素焼きをしてから描くのが一般的なのでしょうが、事乾山の陶器は生素地にダイレクトに描かれた味が器とひとつになって面白さを醸しだしています。

乾山陶器のどこか焼き物から離れて見える作品があるのは、一般の焼き物の手順では表現できないものなら独自の方法を発明してでも、乾山絵画を見せるための作品だからでしょう。たとえ陶器を離れていてもそれは一向に構わないという感じが強く出ています。どの様に作られたのか?色々と試しながらこの山を登って行きます。

「乾山は京焼だったのよ」

こんばんは。昨夜に続き雨が降っています。珍しいです。すっかり春に変わってしまいましたね。何故か、変に焦っていますが、きっと桜が咲き出してくるのじゃないかと不安に思っているのです。春の仕事が遅れてきています。季節に追われながらの仕事です。

工房は乾山陶器の準備です。鉄絵深向付けの削り仕上げをしました。食器に施されている乾山独特の絵付けに目が奪われがちですが、素地を作ってみると分かってくることが多くあります。単純な形、例えば切っ立ちの深向こうにしても(切り立ったまっすぐなという意味)、轆轤挽きはかなり丁寧に仕上げていて、思った以上に時間が掛かっています。贅沢な時間の掛けようだと感心しています。到底今のご時世では食器にこれだけの手間をかける工房はないでしょう。乾山写しと云ってとんでもない湯呑何かが高く売られていたりしています。陶芸はどんな種類のものでもみんなそうですが、何といっても素地が一番重要なのです。乾山陶器は素地に白化粧が施されていてなかなか素地事態を見ることが困難ですが、高台の削りの写真なんかを見ると、素地の様子がよく分かります。何ともスッキリとしたと云って固くなく柔らかな線ですべてが構成されています。この様な線を醸し出すには、かなり熟練が必要と伴に、削りのタイミングが早い段階で仕上げされていることが分かります。その様な段階の削りは大変時間が掛かります。素地の肉厚を薄く持って行くのに手間を通常の何倍も掛けて、削り味を残しながら品良くまとめていくには、何かをどこか度外視していかないとできません。そうなるとこれは食器ではなくなります。もう既にお道具の域になっています。

そうなのですよね。今の時代だからこそこんなにも手間暇掛けて作ったお湯呑みを使ってくださる方々が居られるのです。乾山陶器を作り始めて最初に感じた言葉は「遊び」ということでした。自分を手放して遊んで行くことができたら、この世界は大きく開いてくれるだろうと、思いました。

ようびの真木さんが、「乾山は京焼だったのよ」と云った事が、色々な意味で面白く展開し出しました。誰が聞いても工芸店の店主がいまさら何を言うか?と思いでしょうが、乾山陶器の素地を挽く事の難しさを再発見されたのだと思います。さて、これからどの様になってくのでしょうか。わたしも楽しみです。

夜の梅

こんばんは。この一週間はまるで菜種梅雨の様な天候と云われていますが、どんより雲に覆われた山間も今夜は暖かく感じています。季節が先走っているようで感覚として二三週間のずれを感じますが。夜の山道を歩いていると、どこからともなく馥郁とした梅の香りが漂ってきました。この世界をどの様に表現しようかと迷っていますが、香りとともに胸が締め付けられるのも、そこに「春」を思い起こすからでしょうか?いつになっても春を待つ気持は、初々しい心を自己の中に発見できるからかも知れません。昨日80も過ぎた父が、「早く三月になればいいのだがなあ。」と独り言を云ったのも、今年も春に出会える喜びを言いたかったのかも知れません。

工房はすたっふMさんが焼き上がった作品を持って来ました。見本「しだれ桜のお湯呑」も春の光を感じられる出来上がりでした。早速十草紋のお茶碗、毬紋皿、と一緒に工芸店様に発送しました。水仙の箸置きも全て削り仕上げを終えました。紅白椿紋箸置きの見本も納得いく削りが出来、かなりの手の込みようですが、この様な箸置きもあってもいいのではないかと思いながら作ってみました。この何年かで色々なお箸置きを作って来ましたが、少しずつ箸置きの魅力にはまりだしています。彫塑的な感覚が面白いのでしょう、もっと色々アイディアが生まれてきそうです。季節には何合わないですが、一年もすぐに巡ってくるのでどんどんチャレンジしていきたいと思っています。

夜から乾山陶器の作成に入りました。轆轤で挽いてあった湯呑、筒向付け、小鉢等を削って行きます。明日白化粧をいくつかテスト用に準備したいと思っています。土に馴染む様な化粧や独立して主張する化粧などを考えています。

一つひとつ、口癖ですが前に進めて参ります。

京焼十草飯碗が焼けました

こんばんは。今週で二月もおしまいです。瞬く間に三月の声が聞こえてきました。夜になるとお雛様のぼんぼりに火が入り、静かに春を待っています。隣の桃の木が深いピンク色に染まって来ました。後一週間二月に納める仕事に精を出して参ります。

京焼 十草飯椀

京焼十草飯碗が焼けました。温度を下げて焼いたのですが、口もとの呉須の流れは治まらなかったようです。自然な感じで問題はないと思っています。今後の課題としておきましょう。釉薬や下絵の具をいじると全体のバランスが崩れるので、そんな事はやる気はないのです。一度新しい形に十草を描いて釉薬や下絵の具のテストをしてみるのも案かも知れません。出来上がった作品に手を加えると、かえっておかしくなりマイナススパイラルにはまるのが常ですから。

工房は水仙の箸置きの削り仕上げをしました。細かな部分にも丁寧に気遣いしながら作っていくのは面白いです。気持ちが自然と入っていくのが楽しいです。使ってくださる方と心の交流が生まれてくると、一つのヘラ使いにももう一つ、もうひとつとついつい手間を掛けてしまいます。釉薬が掛かるとほとんど分からない線でも、こだわってみたくなります。このこだわりが何を生み出すのか、面白く興味のある所です。作品の厚みとは、そんな色んな気遣いのこだわりの層だと思っています。小さなこんな箸置きにも使われる方の生活の風景が見えて、大切に扱われて行く事を思うと、手間を入れたくなって来ます。

食器は結局使われる方が作っていくのですね。厳しい要望があればある程、作り手も育って行くのです。このご時世有難いことだと感謝いたして居ります。

京焼十草飯碗が焼けました

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水仙文箸置き 追加制作

こんばんは。今日は寒い一日でした。昨日から焚いている窯はお昼の12時半に焼き上がりました。数が少ないこともあって、温度も順調に上がってくれました。いつもより3度から5度低めに焼いてみました。明日の窯出しでどの様になっているか?楽しみにしておきましょう。

工房は午後から水仙の箸置きを作りました。HPからのお問い合わせで、在庫が切れているのですが作る予定がないのでしょうか?とのことでした。15個在庫を持って1月の下旬に売り出したのですが、瞬く間に完売となってしまいました。一商品がアップしたとたんにお客様が素早く反応して下さって大変うれしく思っています。御使い物にされ相手様も大変喜ばれたと云って、再度注文して下さいました。

京焼 水仙文箸置き今日もまた箸置きのお問い合わせがあったので、窯も一段落したことだし時間が少し出来たので、早速作り出しました。水仙は私どもの庭にたくさん咲いていて、年末からずうっと途絶えることなく咲いてくれます。また種類の違うものが裏山に3月から咲き出して来ます。そういう意味では季節の長い花なのですね。小さな箸置きからでも暮らしに季節の彩りが演出され心も和んで来ます。

器で繋がる心の世界を共有するとことが、私たちが一番いきいきする瞬間です。丁寧に心を込めて作って参ります。

水仙文箸置き 追加制作

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ゆらぎの感性

こんばんは。春のはしりによくある寒の戻りも今回は長くは続かないようで、この寒さを超えるともう寒波は来ないという話です。三月の中頃には桜が咲くのではないでしょうか。季節に追われながら進める仕事にとってはいつものことながら、てんてこ舞いさせられることでしょうね。少しでも急いでいきましょう。

工房は昨日の続きで窯焚きの用意をしました。午後6時には火が入り、少し早目なのですがあぶりを開始いたしました。今回は十草の飯碗を主流に焼くので、いつもより低く焼き上げたいと考えています。呉須と鉄で交互に描かれた細い線は、釉薬の厚みや焼成温度で微妙に調子が変わります。今使うこの呉須はこの樫灰の釉薬では少し泣くので(釉薬に反応して線が揺らぐこと)線がぼけてしまいます。特に口もとの線が細るのでそのことを避けたいと思っています。温度が上がると融けもその分進むので、線の揺らぎを避けて焼き上げたいと思います。

「ゆらぎ」という言葉が出てきましたが、私はこの言葉を大切に扱っています。陶芸ではあまり使われませんが、一種のバイブレーションによって発せられる「気持ちよさ」みたいなものです。この世界でよく使われる味という言葉でくくられるのでしょうが、「ゆらぎ」にはもう少し違った意味を私は持たせています。超振動より伝わってくる感覚と言えばいいのでしょうか。焼き物には釉薬と素地の間に、釉薬でもないまた素地でもない、「中間層」という独特の物質があります。この中間層が大きければ大きいほど、独特の焼き物感が生まれます。それとはまた違うのでしょうが、空間に溶け込んで、稜線が甘くぼやけている感じをイメージしています。

その様な陶器を作ることが出来たら、古来より言われる「雅」にも通じていくのだと思っているのです。彼岸と此岸の間を超高速で行ったり来たりしている感覚です。日本でしか生まれえない世界だと感じているのです。このお話は作品を元に進めていきたいと思います。

ゆらぎの感性

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窯が焼き物を作ります

こんばんは。大阪は先ほどから雨が降り出しました。北陸などでは雪になっているようですが、春間近の湿気の多い重たい雪なのでしょうね。修行期間は10年ほどありましたが最後の三年は石川県で過ごしました。山中温泉の近くの寒村で、何メートルも積もる雪の冬を体験していました。今年は暖冬と聞きますが、どの位雪が残っているのでしょうか。

工房は午後から、すたっふMさんも来て、窯の準備に取り掛かりました。十草紋飯碗、扇型箸置き、桜紋煎茶碗テストと数もそんなに多くないのですが、十草紋のお茶碗は釉薬掛けに大変神経を尖らします。釉薬の厚みが微妙な感覚なので失敗すると台無しになってしまいます。もともとこの京焼きは普通の焼き物に比べて釉薬の厚みが薄掛けになっています。青磁の釉薬はかなり厚く掛けていくのですが、それとは別にしても京焼きは「水薬」とも言われるくらい薄く掛けていきます。それ故釉薬に対する水加減が微妙で、多い少ないで貫入の入り方も大きく影響してきます。私たちの京焼きはかなり薄作りなので、水回りの加減も計算しなければなりません。また釉薬の掛けた後の処理も重要で、普通の焼き物は釉溜まりを意識して掛けるのですが、この焼き物はそれを嫌います。均一に掛けることが重要になるので、釉溜まりは竹へらなどを使い綺麗に処理していきます。この様に手間仕事が多く有るので、数が少なくても時間が掛かってしまいます。一日掛けても窯づめにはいかず、明日に回すことになりました。明日の夜から火をつける段取りにしました。

今回の窯には乾山陶器のテストは入りません。乾山陶器は窯を変えて焼く予定です。昨年暮れに、無理を言って運んでもらった耐火煉瓦の窯で焼きます。乾山陶器は極端な事を云えば彩色土器に近いと思っています。高火度で焼かれた作品もせいぜい1200度までで焼かれているようです。乾山は絵が主流なので、高温で焼けて絵に雅味のない作品より、どちらかと云えば焼けが甘くても画に調子のいいセンスがあればそれが最高の焼きと思っています。その様な陶器なので土自体の焼け方が問題になって来ます。今私たちが作る京焼きはどちらかと云えば表面が美しく焼けなければならないのに対して、乾山陶器は焼きと絵の調子が一致してはじめて作品になっていく様です。しかし現代に焼きの甘い食器は通用しません。いくら雅味があるといっても、普段使うのに不便をきたすものは使ってもらえません。素地がある程度焼きしまって、尚且つ絵に雅味が残っている、そんな陶器をどうすれば焼けるのか。

それで私は窯を変えてみたいと思いました。そんなこんな事を色々と思索をしながら進めていきます。

乾山陶器の特徴-白化粧

昨日と打って変って暖かな一日でした。神戸の町並みがきれいに見えていました。空気が澄んでいるんですね。大阪湾も穏やかで船も見えるぐらいでした。昔子供がまだ幼かったころ、神戸が外国だと思い込んでいたらしく今日の風景はその様に見えていました。大阪湾は黒潮の支流で南から北へ、泉州沖を通って明石に向かって流れています。大阪の冬は懐に湯たんぽを抱えているように、温暖な気候に恵まれています。大阪湾をちぬ(黒鯛)の海と呼ばれているように、黒鯛がたくさん取れるのです。これから三月には「いかなご」の漁が始まり、本格的に春を迎えます。

工房は乾山陶器の試作を作っています。昨年テストした土にいくつか種類別に食器を作って、白化粧を施してみようと思います。乾山陶器の大きな特徴に白化粧があります。乾山窯は大きく二つの違った焼き物の流れを持っています。楽焼きや上絵の軟質陶器と鉄や呉須で描かれた高火度陶器です。初期の頃乾山窯は白化粧をベースにした、所謂「絵高麗」を主に作っていました。この陶器は今でいう中国華北にある磁州窯系の焼き物で、灰褐色の胎土にカオリン(磁器の原料)をベースにした白泥を生掛けし、鉄絵の具で流麗なタッチの文様が描かれています。日本に茶道具として入って来たものを「絵高麗」と呼ばれるようになりました。乾山はこの絵高麗を手本に数多くの作品を焼いています。白と黒のモノトーンの世界が墨絵とイメージされたのでしょうか、光琳も手伝って多くの作品を残しています。乾山陶器には必ずと言っていいほど全ての作品に白化粧の技法が施されています。意匠的に掛けてあるものや素地の土に馴染ますように薄く施されているものなど、一見すると化粧と分からないような使い方をしています。乾山本人も白化粧にはかなりのこだわりがあって「秘伝」とさえ云っています。私もこの道に入ったころから白化粧には魅せられて来ました。乾山は絵画陶器を作ろうとしたのでしょう。彼の作品には釉薬で見せるという陶器は一つもありません。黒楽さえ必ず意匠が入っています。

仁清陶器と乾山陶器の大きな違いは、仁清は焼き物の手順を踏んで焼き物の作品を作っているのですが、乾山は彼の持っている「文化」を陶器に借りて作っているのだと思うのです。乾山陶器の難しいところは、実はそのことにあるのです。私はこの何年かを掛けて、古清水、仁清を写してきましたが、この陶器事態はかなり高い技術が必要でしたが、思考的には「焼き物」を作ることには変わりがなかったのです。しかし、乾山はこの手順を踏んで行くと似て非なる物が出来かねないと思っているのです。乾山の血に潜む「文化」とは?これから深く潜行して行くテーマです。

乾山陶器の特徴-白化粧

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乾山陶器のはじめに

こんばんは。今日は気が付けば雪が降っていました。底冷えのする一日でした。この時期降る雪はどこか明るい感じがします。立春が過ぎ日の光に力があるのでしょうか。雪が華やいで見えます。

今日は一日工房で一人乾山陶器のあれこれを考えながら、轆轤を回していました。何から手を付けていこうか色々思いながら、文献資料を読んでいます。乾山について書かれた本は山ほどありますが、ここ最近窯跡調査が進み今まで謎めいた部分も多く解明されて来ました。昨年も「光琳、乾山展」が京都で開催されて私たちも行ってきました。昨年は光琳生誕三百周年記念とあって、東京国立博物館で「大琳派展」が催しされました。大変な賑わいだったそうです。日本人はどうもこの辺りの文化が好きなようですね。血に眠る郷愁ということでしょうか?四季の移ろいを見事に速写したような、今でいうビジュアル化した世界は私たちのこころの宝として、また世界でも類ない品格に溢れた作品が多くあります。秀吉の時代は終わっているのですが、といってもまだまだ日本は世界ナンバーワンの金、銀の産出国だったのですから、国の勢いというか、どこか力を感じます。

乾山はそんな時代から百年近く遅く、少し陰りが出てきた頃でしょうか。徳川幕府の政治色が濃くなって来て、王朝復古の華やいだ様相も影を潜めてきました。乾山の心中は如何なものだったのでしょうか?兄の光琳とは対照的で、乾山の地味でどこか隠遁感の強い世界が、侘びた風情の好きな人にはたまら無いでしょう。この対比を押さえておかないと、乾山陶器の見どころがぼけてしまいます。乾山の何を写すのか?一見稚拙に見える絵付けも、技術的に云えば高度な実験を繰り返し、独自の美の展開にまで発展させてきた結果だと考えています。

私はあまり結論を急がずにいようと思っています。一つずつ小さな作品でも納得のいくところまで考えて、また乾山と同じ実験を重ねてみたいと思っています。

序説「こころを形にする」

寒の戻りと云うのでしょうか、この週は先週と違って本来の二月らしい天候になるようです。一旦緩んだ身体には少し厳しく感じるのでしょうか。昨日の朝、鶯の初音を聞きました。何ともたどたどしい鳴き声ですが、この山合の二月の風物詩です。寒さが行ったり来たりしながら春を迎えるのでしょう。もうひとつ花粉症が昨日から始まりました。今年は例年の倍ほど飛んでいるそうですが、ここ何年かはそれほどひどくならなかったのですが、久しぶりに来たぁ~っと思いました。外出は控えて、工房に籠りたいです。

今日はすたっふMさんが工房に来て、「京焼十草飯碗」の口に鉄を巻いて行きました。といっても業界言葉なので何だか分からないでしょうね。お茶碗の口元に鉄絵の具を筆で描いたということです。十草の線はMさんの絵付け工房で描けるのでしょうが、お茶碗を固定させる為口元で受けて移動するのに、先に描いてしまうとそこの鉄絵の具が剥がれてしまいます。それでこの作業は工房ですることになっています。手回し轆轤に乗せ、中心を出して、丁寧に鉄絵の具を施していました。一般的なところでこんな作業をすると、瞬く間に終わってしまうのでしょうが、ここでは一つに掛ける時間が他の工房とは全然違っています。一つの手作業がきっちりと視覚認識がされていかなければならないので、どうしても時間がかかるのです。贅沢な「時間」を一つの作品に掛けて行きます。作り手が心地よい時間でいる様にしなければ作品に「たまり」が生まれません。

「たまり」というのは時間の密度の事です。単純な作業の中にでも「こころ」を入れていくと、時間が形になって融け込んで行きます。一種の酩酊状態が生まれます。線一本に喜びが生じ、充実感を味わうことがあります。工芸が持つ魅力のひとつです。

私は今日から新しい土で、乾山陶器に入って行きます。初めに鉄絵深向こうを作っていきたいと思います。

「扇型箸置き」の削り仕上げ

昨夜の突風も治まり、一つ春に近づいた様な今日は静かな一日でした。雲の流れる風景や空の色が柔らかな感じになって来ました。間もなく鶯の初音が聞かれる頃です。来週あたりのいい日和にはきっと聞かれることでしょう。どこからともなく梅の香りが漂って来ました。少し足の痛みも引いて参りました。

今日の工房は「扇型箸置き」の削り仕上げを終わらせなければなりません。色々なところから電話が入り、なかなか集中出来ませんでしたが、午後8時にやっと仕上げることが出来ました。これで来週から新しいテーマの仕事に移れます。御苦労さまでした。

ようびの真木さんからお電話を頂きました。本格的に「乾山」をやっていこうというお話です。昨年からこれに合わせて準備をしてきました。土、窯、鉄絵の具、呉須、釉薬、白化粧等々。少しずつ色んなものが集まって来ました。これで材料の準備は大体揃ってきたので、来週から早速作品を作ろうと思います。参考資料を点検しながら、今一番作ってみたいものを探しています。白化粧に鉄絵と呉須。定番ですが芙蓉の絵柄。抹茶碗に描かれている図案をお皿に写してみようと思います。また、お湯のみも作ってみたいと思っています。色々な試作をしながら、早急に結果を持って真木さんに会いに行こうと思います。

乾山陶器のバックボーンの精神は何といっても「王朝復古」です。しかし時はすでに元禄、どこかその思いも陰りを帯びてきています。そこに乾山の儚さが漂うという見方もありますが。そのあたりは作品を作って行きながら研究を進めて参ります。


京焼 扇子箸置き

春の嵐に十草の飯椀

こんばんは。春の嵐がやって来ました。今年は早いですねえ。こんな時期に一番が吹くなんて、どうなのでしょうか?山々の梅も咲き出しました。ちと感が狂ってきます。このまま一気に春になるのでしょうか?季節の変化とともに世間の情勢も変わり出してきた様です。いったん流れ出したものは大きな流れになるのも早いでしょう。急変しそうですが。

金曜日なので今日も公民館の陶芸クラブに出かけて来ました。嵐の中も遠いところからやって来て、熱心に作陶に励まれていました。物を作るのは楽しいですね。実際に形になっていくと、益々興味が湧いてきます。一人ではできないものでも、みんなと作っていると手助けも入りだんだん出来てきます。少々陶芸から外れていても、ま、いいんでしょう。そんなに早く理解できませんから。何か楽しいという感情が、優先されます。それでいいと思っています。

今日の工房は、すたっふMさんが十草飯碗の下書き分を持ってきました。Mさんは上絵の仕事が多いのですが、上絵はすでに焼きあげている器に描くので、Mさんの持っている錦窯で焼きますが、この御茶碗は呉須、鉄絵の下絵なので、工房で釉薬掛けをして本焼きをします。下絵や上絵と少しややこしいですね、いったいわれわれが作っている京焼は何回窯に入れて焼くのでしょうか。素焼きで一回、800度で焼きます。釉薬を付けて本焼きで二回、1200度以上で焼きます。普通はこれで完成なのですが、上絵という焼きあがった器に絵を施す技法は、またもう一度800度くらいで焼きます。

下絵具と上絵具は全く違うものです。下絵具は釉薬と反応して初めて色が出るのですが、上絵具は絵具自体が色を持っています。800度くらいで焼くとその絵具の色が出てくるのです。この絵具は大変湿気を嫌うので単独の窯で焼き付けます。これを錦窯といいます。

日本で上絵をした焼き物が最初に焼かれたのは京都だといわれていますが、伊万里焼だという説もあります。

春の嵐に十草の飯椀

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「色絵金銀彩扇型箸置き」の削り仕上げ

こんばんは。午後8時ともなると山の工房は物音一つしない静かな時間になります。一日の出来事を整理しながらブログ原稿を書いています。昨年8月より始めたアメーバーブログも年を越し、この月で半年になろうとしています。すっかり夜の原稿書きが習慣になっています。原稿ネタはそんなにないのですが、何とかひねり出しては綴っているという状態です。いつもお付き合い下さって有難うございます。

昨日から足の痛みが続いていて、午前中に整骨院へ行ってきました。患部に電気を当ててもらい股関節をゆるめるマッサージを受け、先生に矯正してもらいました。その時はスーッと痛みが引くのですが、時間とともに痛みも戻って来ます。しかしやはり変化は確実に起こっています。徐々に不安感がとれて明日はもっと良くなるだろうと思えてきます。 この様にブログに書くことで一段と気持ちもよくなって来ます。おもしろいものですねえ。 皆さんと繋がっていることを実感いたします。

今日の工房は「色絵金銀彩扇型箸置き」の削り仕上げをしました。黙々とやって、13個です。力が入りますよねえ。絵付けもなかなか細かな作業があるので、箸置きとしてはお値打ち商品ですね。

集中していると身体も自然と固まってしまいます。温泉にでも行って心身を解いてみたいものですが。今日も早く終わります。

焼き物談義に花が咲き

こんばんは。焼き物好きのお客さんが来て、遅くまで話し込んでしまいました。ブログの時間が過ぎていたのに、面白く調子よく焼き物談義に花を咲かせてしまいなした。

私は大体午後7時過ぎに仕事のはかどり具合を見ながら、PCに向かいブログ原稿を書くことにしています。今日一日の出来事や感想など、また四季の移ろいに反応しながら言葉を探しながらネタを繰っています。

今日は朝八時から村の初普請がありました。村といっても10軒も満たない寒村ですが、家から人手を出して道の掃除をします。一年溜まった土砂の溝掃除です。また覆いかぶさった枝を切ったりして、山道といえども手入れをすればスッキリ新鮮な景色に生まれ変わります。今日の天候は穏やかな日和で、作業も難なく進んで美しく道作りが出来ました。

少し右足に神経痛が出てきたようです。冷えたのでしょうか右全体にツッパリ感が出てきました。冬は色々と気付かないところで負担が大きいのでしょう、昨年もやはりこの時分から色々な痛みが出てきました。明日整骨院に行ってきます。身体を冷やさない事ですね。

今日は早く休みたいと思います。昨年に大阪の雑誌に出たせいか思いもかけないところから電話があったり、工房に来たいというお便りを頂いたりと少しずつ反応が出てきています。ありがたいですね。なかなか仕事の時間が作れないのが悩みの種ですが、工夫していきたいと思っています。

仕事をたくさん頂いているのですが手間のかかる物が多く、身体と時間がぎりぎりっと音をたてています。

焼き物談義に花が咲き

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されど箸置き

昨夜の雨も朝には上がっていました。西の方から青空が見えてきて澄んだ空気の中、日課のウォーキングをしてきました。この時期になるとこんなお話を思い出します。染織工芸で今人間国宝になって居られる志村ふくみさんの著書の中に出てくるのですが、桜の薄い桃色を染めたいと思い、花びらをいっぱい集めて試したのですが全然染まらない。どうすればあの美しい桜色が出るのか、色々と試したそうです。たぶん幹や根を集め色々な焙煎方法を試されたのでしょう。ある冬の日桜の幹が異様に赤い事に気付かれたそうです。早速その幹を使って染めてみたら、あの桜色が出たという事です。寒も過ぎ冬も底打ちした頃、桜は春の準備を終え木全体にあの桜色を溜めるのでしょうか。二月も中旬を過ぎると桜の幹が日に日に赤茶に染まっていくのが分かります。赤茶に染まってつやつやしてくる幹を見て、ああ今年もそこまで春が来たあと感じます。今日はまだ桜も静かにその時期を待っているようでした。

工房は「色絵金銀彩扇型箸置き」の削り仕上げをしました。午前中に5個、午後からは「火曜教室」で5時半まで授業をしました。皆さんが帰られて続きをしました。合計10個を仕上げすることが出来ました。型抜きの仕事は仕上げにも時間がかかります。思った以上の手間が必要で、しかしきっちり手を抜くことなく進めていくと、「気持ち」が入っていくことが面白くなって来ます。どこか「馬鹿」になってやらないとどうしても入っていかないものがあるようです。計算できないところまでやることが、結果面白い世界が生まれてくると思っています。器用に計算できる人は、馬鹿ばかしく、こんなことはやってられないでしょうね。

たかが箸置き、されど箸置き。どんなものでも徹底的に作り込んで行くとどうなるのか?何が起こるのか、そんな事を思いつつ、どこか度外視して面白くやっています。

されど箸置き

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しだれ桜のお湯呑

夕方6時過ぎから雨が降り出しました。暖冬で昨日はまるで春一番の様も風が吹いていましたが、この雨もどこか三月の陽気を思わせます。二月第二週の始まりは静かなものでした。

すたっふMさんが焼き上げた品物を工房に持って行きました。ぼんぼり型猪口に桜を5弁散らしました。写真で見るより面白く焼き上がっていました。桜吹雪がまるで本当に散っているようで3Dを見るような感じをしました。頗る上品に出来たので満足して下さることでしょう。それと毬紋5寸皿。なかなかの手間ものですが、相変わらずきっちりと仕上げています。金を贅沢に使っているのですが、そう見えないのが奥ゆかしいところなのでしょう。このお皿もファンが付いて下さっているようで、有り難い嬉しいお便りをくださいました。

桜のお題で今月は仕事を進めています。従来の松桜紋のお湯呑みを少し深くしたサイズに変更して見本を焼きあげました。このお湯のみは初め深向付けで作ったのですが、どうしてもお湯呑みで使われる方が多く、ならばサイズ変更をしましょうということで、今回見本を出しました。思った以上にぴったりと図柄も合い、伸び伸びとした感じでいいお湯のみが出来ました。金で骨描きをした桜の花弁に青色をさします。京焼独特の色使いなのでしょう。私どもはこの色合いに白を加えてもうひとつの桜を表現しています。この白は今回しだれ桜にしてみたいと思っています。

しだれ桜の図案も一緒に持って来ました。どこか藤の様になってしまいますが、幹を入れて桜をイメージしてもらおうという案です。スケッチはまあまあだったので、実際に湯のみに描いてもらう様にしました。今日工房はしだれ桜紋の湯呑見本を仕上げました。しだれ桜を図案化するのも難しいですが、面白いものが出来たらあまり見かけない品物になります。

今週も限られた時間ですが、こつこつまたやっていきます。

ウォーキング秘話

こんばんは。二月に入って早いもので、一週間がたちました。二月は今年を占う意味でも大変重要な月と感じています。28日と短く慌ただしく日が過ぎて行きますが、しっかり詰めて仕事をして行きたいと思っています。

土曜日とあって山の工房にも突然の来客が続きました。思った様に仕事は進めてもらえません。実際計画通りに仕事を進めていける日がどの位あるでしょうか。ここでの生活は思った以上に雑用が多く、気持ちを制作のテンションに持って行くまでには、かなり素早く切り替えるコツを持っておかないといけません。私は朝のウォーキングで気持ちの切り替えをしています。45分位歩くのですが、20分位するとざわついた気持が一つギアーが入るというかテンションが変わります。落ち着いた気持ちが出てきます。自然の中、朝の光をいっぱい頂きながらただ歩いているだけで心が一つになって来ます。運動もかね、また精神衛生にもなって、私の大事な日課です。

古代ギリシャには「逍遥学派」といい歩きながら考える一派があったそうですが、また京都には西田幾太郎先生が歩かれた「哲学の小路」がある様に、歩くことと思考することとは大いに繋がっているように思います。日本の詩人もよく歩いています。西行然り、芭蕉然り、また山頭火然りと色々名前が上がって来ますが、歩くことで人は天啓の光に浴することが有るようです。軽いハイ状態になります。この気分が一日を決めてくてます。

朝のウォーキングから帰ってくると一日のスケジュールが体にピッシと入っている状態です。それがないとどこか頼りない感じがします。朝に歩くことができなくて昼、また夕方と歩いてみるのですが、どうも違う感覚なのですね。どうも朝のウォーキングに何かしら秘密がある様に思うのですが。

これからはもう少し早起きして、もっと朝の光を頂きたいと思っています。

ウォーキング秘話

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スローライフ

こんばんは。今日も春を感じる様なこの季節では珍しい好天気でした。金曜日とあって身体に一週間の疲れが溜まっています。午後から公民館の陶芸クラブの指導に行ってきました。今日は9名来られて熱心に作品作りをしていました。一年掛け秋には自分なりに満足いく作品を展示したいという欲求が出て来たのでしょうか。今年になって皆さん熱心です。土との関わり方は皆それぞれですが、思うような作品を作りたいという欲求は誰でも持っているものです。形になるには難しい工程がたくさんあるのですが、こちらもここというところは手助けをして行きます。10年以上の生徒さんも多くいます。最近来られる様になった方も、土を触っていると癒されてうれしくなって来ますと言っておられました。

クラブを終え、整骨院に行きました。先生は「このまま春になるようですが、身体がまだついてこないようです。首、肩甲骨、腰が開いてこないと春の身体にならない。」ということでした。一時間の整体治療で肩甲骨の張りが治まって、スッキリしました。これでまた一週間がんばれます。月曜日に電気を当てに行くようにしました。

陶芸は思った以上不自由な格好で作業が続きます。冬場は特に身体も固くなって、同じ姿勢では大分ストレスが溜まってきます。轆轤のしすぎでヘルニアになり長時間轆轤に座れないという事をよく聞きます。私も昨年第三脛骨の軟骨が減って左肩から指先まで電気が走ったようなピリピリとした痛さを感じていました。一種の職業病とあきらめていたのですが、とうとう左肩も上がらず、ついには腰痛になってしまいました。行きつけの鍼灸院に行ったのですが、埒が明かず整形外科にも行ってレントゲンも撮ってもらったのですが。

知人の紹介で今の先生に通うようになり、今年4月で一年になります。通いう始めた頃は週に三回のペースで一か月、それで少し納まってきたので週に二回、大分とひどかったようです。今も先生とは長い付き合いになるようです。しかしこの一年は腰痛もなく、まあ元気で仕事に精を出せるのですから、本当に助かっています。スローライフを心がけるよう云われています。一言でスローライフと云われますがこれは生活革命ですから仔細なことから意識の転換を図っていきたいと思っています。競争社会から共存社会の転換を生活のいちいちに自分なりにはたしていきたいと思っています。

スローライフ

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「京焼金銀彩扇型箸置き」の型起し

こんばんは。ここ二三日はこの様なポカポカ陽気が続くようで、すぐにでも春がやって来そうな感じです。杉の花粉が鈴なりになっています。早い地方ではもう飛散しているのではないでしょうか。身体の節々が痛いのはそのせいかも知れません。冬にため込んだ毒素がこの陽気につられ出てきているのかなあと思っています。

今日の工房は静かな時間を頂きました。訪ねて来る人もなく、電話もなく一人仕事場でいることが出来ました。昨日からの続きです。「京焼金銀彩扇型箸置き」の型起しです。

数を作るにつれて一度でスパッと抜けるようになって来ました。土の固さと型抜きのタイミングが合って来たのでしょう。手作業の面白さですね。考えずとも身体がその様に調整してくれます。仕事が仕事をしています。そんな感じで進められました。

今日のノルマ達成で終わりに致します。


京焼扇子箸置き

「京焼金銀彩扇型箸置き」の型起し

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立春吉日

こんばんは。今日は立春です。暦の上では春を迎え、日増しに太陽の光も勢いが増して来ます。生命の躍動を感じています。ここ大阪はやはり暖冬だったのでしょうか、今日もポカポカ陽気のお天気でした。

工房は昨日の「京焼色絵紅白椿紋箸置き」の石膏型を取りました。すっかり季節外れの様子ですが、これから梅、桜と続いて原型を作って参ります。季節と追いかけっこしながら進めていきます。負けないようにしないと、暖冬でどうも梅も早く咲き、桜も三月中頃には咲き始めるような感じです。頑張りましょう。

工芸店様からの追加注文で、「京焼金銀彩扇型箸置き」の型起しをしました。複雑な型なので思った様にすんなり入ってくれません。山型の突起が多く細かな線の入り組んだ型なので、起こしても綺麗に型どうりに出てきません。型から出てきたものにへらを使って修正をします。今日は遅くから始めたので、5個だけ起こしてみました。注文は30個。私どもは焼き損じも含めて40個くらいを作っておきます。なかなか品のいい箸置きなので、形も面白く出来上がるのが楽しみです。一番初めに作った「京焼」なので思い出もあって楽しく作っていますが、思った以上に時間が掛かります。いつものことですが、小さな作品でも一ひねり二ひねりと手間をかけて、造形に深みを出しています。しばらくは細かな仕事になりますが、背中が固まらない様に気をつけないといけませんね。


京焼 扇子箸置き

立春吉日

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「乾山紅白椿紋箸置き」の原型作り

こんばんは。今日は節分です。鬼は外、福は内。昔は子供たちと楽しく豆をまきましたが、この頃は一人で年中行事をしています。二月に入りどこか何かしら華やいでいます。今日もHPで水仙の箸置きを買って下さいました。お友達にプレゼントされたら大変喜ばれたそうで、お友達が追加をしてくださいました。作家冥利に尽きます。箸置きという小さなものですが、こころが通じが合う喜びは何とも楽しいものです。有難うございました。

季節のシリーズで工房では「京焼紅白椿紋箸置き」の原型を作りました。乾山の椿紋香合を参考にしました。春を持つ様子が表現されれば幸いなのですが、明日石膏型を取ってみましょう。


京焼 椿箸置き

ようびさんからも「扇金銀彩箸置き」の追加注文を頂きました。御能に使う扇子をかたどっています。手間の込んだ仕事でその分お値段も張るのですが、お客さまも値打ちが分かって下さっているのでしょうか、よく買って下さっています。

京焼はこの様に手の込んだ仕事が似合います。今使っている土も妥協知らずで、完成度を上げれば上げるほどこの土は生かされて来ます。細かなレリーフまで忠実に焼き上げてくれるので、安心して形を追いかけることが出来ます。自分に向いていると云えるのでしょう。面白く仕事をしています。ようびと京焼を始めた最初の仕事がこの扇の箸置きでした。箸置きの部類でダントツにお値段の高いのは須田青華さんところですがそれに次ぐ値段は、当初真木さんも売れる自信がなかったようです。かれこれ三年になりますが少しずつですが売れてくれました。金の高騰もあって追加があっても廃番にしようかとも考えていたのですが、せっかく要望されているのを無くするというもの何なんで、快く作らせていただくことに致しました。

一つひとつ手間暇掛けたものが分かってくださることに感謝申し上げます。箸置き一つにも気持ちを入れて作れば通じる事の喜びを味わいつつ、四季の箸置きシリーズを完成させていきたいと思っています。今後ともよろしくお願い申し上げます。

「かろみ」の世界から

こんばんは。二月に入って来ました。春は名のみの風の寒さや、立春とは言え寒さが増して参ります。しかしこの時期を境に確実に春の足音が聞こえて来ます。工房は梅や桜が満開の様な仕事が続きます。私どもはどこか気持が春になっているのでしょうか。ウキウキとした気分で仕事を進めています。

土曜日に汲み出しの見本を水挽きしました。少々小ぶりですがふくよかさを残した形に納めるのに、良いラインを探っています。口径や深さの寸法は決まっているのですが、見込み、立ち上がり、口作り、のラインは無数にあります。特に轆轤で見込から立ち上がりのラインは、大変重要で器の善し悪しが決まるところです。一般に素人さんはこのラインが分からないのではないでしょうか。私たちは器の外の形状を見るのではなく、中の形状、特に見込を見てよく判断いたします。外と中とが違っている器は意外と多いです。不自然な重さを感じるのはそのせいです。私は轆轤に「かろみ」という言葉をよく使います。軽さを意味する言葉なのでしょうが、単に重い、軽い、を言っているのではなく、見込みの良さからくる、形の晴れやかさを言いたいのでしょう。京都の言葉なのでしょうか?はんなり、という優しい言葉があります。この言葉をたとえば東京に持って行って使おうと思っても、その風情が残念ながらないのです。それに似た意味合いで「かろみ」を私は使います。京都や奈良といった都びとが見た春の風情は、はんなりとかろみのある柔らかな光のなかに融け入る感覚なのでしょうか?その様な何の違和感もない自然とひとつになった世界を「かろみ」のいい轆轤、器と表現しています。

この部分が京焼の生命線なのでしょう。特に「古清水」と云われている焼き物を写すには、この世界を轆轤で挽き分けなくてはなりません。艶やかな絵付けが活きる為には、轆轤も一つになってなければなりません。私はあまりにも普通の事を言っているのですが、この形が出来るのには長い年月が必要のようです。

「かろみ」の世界から

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