乾山陶器のはじめに

乾山陶器のはじめに

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こんばんは。今日は気が付けば雪が降っていました。底冷えのする一日でした。この時期降る雪はどこか明るい感じがします。立春が過ぎ日の光に力があるのでしょうか。雪が華やいで見えます。

今日は一日工房で一人乾山陶器のあれこれを考えながら、轆轤を回していました。何から手を付けていこうか色々思いながら、文献資料を読んでいます。乾山について書かれた本は山ほどありますが、ここ最近窯跡調査が進み今まで謎めいた部分も多く解明されて来ました。昨年も「光琳、乾山展」が京都で開催されて私たちも行ってきました。昨年は光琳生誕三百周年記念とあって、東京国立博物館で「大琳派展」が催しされました。大変な賑わいだったそうです。日本人はどうもこの辺りの文化が好きなようですね。血に眠る郷愁ということでしょうか?四季の移ろいを見事に速写したような、今でいうビジュアル化した世界は私たちのこころの宝として、また世界でも類ない品格に溢れた作品が多くあります。秀吉の時代は終わっているのですが、といってもまだまだ日本は世界ナンバーワンの金、銀の産出国だったのですから、国の勢いというか、どこか力を感じます。

乾山はそんな時代から百年近く遅く、少し陰りが出てきた頃でしょうか。徳川幕府の政治色が濃くなって来て、王朝復古の華やいだ様相も影を潜めてきました。乾山の心中は如何なものだったのでしょうか?兄の光琳とは対照的で、乾山の地味でどこか隠遁感の強い世界が、侘びた風情の好きな人にはたまら無いでしょう。この対比を押さえておかないと、乾山陶器の見どころがぼけてしまいます。乾山の何を写すのか?一見稚拙に見える絵付けも、技術的に云えば高度な実験を繰り返し、独自の美の展開にまで発展させてきた結果だと考えています。

私はあまり結論を急がずにいようと思っています。一つずつ小さな作品でも納得のいくところまで考えて、また乾山と同じ実験を重ねてみたいと思っています。

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