令和8年9月10日(木)曇り
午前十一時二十分 工房にて
「なるみと読む徒然草・陶主日記」
第九十六段
めなもみといふ草あり。くちばみに螫されたる人、かの草を揉みて付けぬれば、即ち癒ゆとなん。見知りて置くべし。
ほんの数行の、なんとも短い一段である。
蝮に噛まれたとき、「めなもみ」という草を揉んでつければ治る。だから知っておきなさい——兼好はそう書いて文章を締めくくっている。まるで昭和の『暮しの手帖』にある知恵袋のようだ。
これまで読み進めてきた『徒然草』には、政治や寺社、宮廷社会の裏側から、人の噂、酒、猫また、男女の機微まで、実に多種多様な話題が描かれてきた。そこへきて、今日の「めなもみ」である。なぜ兼好は、このようなごく私的な民間の薬草知識まで書き残したのだろうか。
兼好が生きたのは、元寇の記憶が生々しく残り、やがて鎌倉幕府の滅亡、建武の新政、南北朝の乱へと続く激動の時代だった。社会が不安定になればなるほど、「確かな情報を知っていること」が直結して身を守る術となる。何を見て、何を聞き、何を信じ、覚えておくか。今でいう「インテリジェンス」が、そのまま生きることに直結していた時代とも言える。
そう捉え直すと『徒然草』は、単なる優雅な古典文学にとどまらない。当時の人々が何を恐れ、何を噂し、どんな知恵を伝えて生きていたのかという、歴史書には残りにくい「暮らしの具体」を克明に捉えた記録なのだ。
そして今日、この「めなもみ」から一つ見えてきたことがある。
時代が不安定になると、私たちの意識は途端に抽象化を始める。「これから世の中はどうなるのか」「自分はどう生きるべきか」——実体のない未来へばかり心が引っ張られ、いま目の前にある一日から離れていってしまうのだ。
兼好もまた、そうだったのかもしれない。だからこそ、
「めなもみという草あり」
と、徹底して手触りのある「具体」を書き留めたのではないか。
草がある。蝮がいる。噛まれる。揉む。付ける。この容赦ない具体の連鎖を記さなければ、兼好自身も辛かったのではないか——そんなことまで思う。
これは、私がかねてより考えてきた「観念遊戯から観念打破へ。具体に生きる」という姿勢に、そっくりそのまま重なってくる。
昨日、私は「暮らしの全情報化」というテーマに思いを馳せた。しかし、それは暮らしを無機質なデータに置き換えて抽象化することではない。真逆なのだ。情報化とは、抽象の渦に飲み込まれて具体を失わないために、今ここにある事実を記録することではないだろうか。
朝起きた。空を見た。飯を食べた。徒然草を読んだ。土を触った。人と出会った。一字を書いた。一つの茶碗を作った。
そんな何気ない動作の積み重ねこそが、「私はたしかに今日を生きた」という手応えそのものだ。そしてこれからは、その具体を自分の中に閉じ込めるだけでなく、静かに分かち合っていくことも大切になってくるように思う。
大きな思想を声高に叫ぶ必要はない。「私は今日、このように暮らしました」と、自分の具体を静かに差し出す。それを見た誰かが、自分の暮らしへ帰っていく。そういう共有が、これからますます大切になるのではないだろうか。
記録は深く、共有は静かに。
このところ続けてきた「窯元365日」も、「なるみと読む徒然草」も、どうやら同じところへ向かっていたようである。
もし一度に何十段もまとめ読みしていたなら、第九十六段など「昔の薬草の話か」で終わっていただろう。だが、一日一段というテンポだからこそ、「めなもみ」だけを一日、手のひらに載せて考えることができた。
七百年前の一行から、令和のAI時代まで、一本の線が伸びてくる。
古典を勉強しているのではない。兼好の時代を読みながら、今という時代を読み、そして自分自身の暮らしを読んでいるのだ。毎朝、一段がある。明日もまた、一段がある。それが、何とも心丈夫である。
七百年前、兼好は書いた。
「見知りて置くべし。」
令和の今なら、私はこう続けてみたい。
見て、知って、具体に生き、記して、未来へつないで置くべし。
今日の「めなもみ」という小さな草から、ずいぶん大きな世界が見えてきた。
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