令和8年9月17日
なるみと読む徒然草 第百三段
――宮中座興の一場面
大覚寺殿で、近習の人々が集まり、なぞなぞを作って遊んでいる。
そこへ遅れて医師忠守がやって来た。
侍従大納言公明卿が、
「我が朝の者とも見えぬ忠守かな」
と謎を掛ける。
その答えが、「唐瓶子」
皆は笑い合う。
しかし忠守は腹を立て、その座を退出してしまった。
直接読んだだけでは、何のことか分かりにくい一段である。解説を読んでみれば、これは宮中での酒席、座興の一場面だったことが見えてくる。
ただし、洒落としては少々きつい。
酒が回っていた勢いなのか。
日頃から公明卿が忠守について思っていたことが、つい口から出たのか。
あるいは、皆もどこかで同じように感じていたから、どっと笑いが起こったのか。
それは分からない。交々である。
忠守にしてみれば、遅れてその席へやって来た。周囲はすでに酒が回り、座は出来上がっている。自分はまだシラフだったのかもしれない。
そこへ、いきなり自分を種にした、かなりきつい洒落である。
皆は笑っている。
しかし本人には笑えない。
腹立ちて、退り出でにけり。
うふふ。
私でも、よほどでない限り、こういう席なら帰るだろう。その場ですぐ立つかどうかは分からないが、もともとこのような酒席はあまり好きではない。
よく考えれば、これはそれほど品の良い座でもない。身分の高い人々が集まっていても、酒が入れば人をからかって笑う。上に立つ者の意地の悪さや酒癖までが、そこに露呈してしまう。宮中といっても、人間の集まるところである。
けれど兼好は、誰が悪いとも書かない。忠守を擁護するわけでも、公明卿を非難するわけでもない。
ただ、
笑った。 腹を立てた。 帰った。
その一瞬を切り取っただけである。
まるで兼好が、宮中の座興の一場面をカメラに納めておいたようである。
七百年ほど後の私たちがその写真を眺めても、
「ああ、今でもありますなぁ〜」
と思う。
人間とは、案外変わらないものである。
今日はそれくらいで、この一段を置いておこう。
深く掘る段もあれば、さらりと眺めておく段もある。
これもまた、『徒然草』である。
【原文】
大覚寺殿にて、近習の人ども、なぞなぞを作りて解かれける処へ、医師忠守参りたりけるに、侍従大納言公明卿、「我が朝の者とも見えぬ忠守かな」と、なぞなぞにせられにけるを、「唐瓶子」と解きて笑ひ合はれければ、腹立ちて退り出でにけり。
【現代語訳】
大覚寺殿で、近習の人々がなぞなぞを作って解き合っていたところへ、医師の忠守がやって来た。侍従大納言公明卿が、「我が朝の者とも見えぬ忠守かな」となぞなぞを出されたのを、誰かが「唐瓶子※」と解いて皆で笑い合ったので、忠守は腹を立てて座を退出してしまった。
※「唐瓶子」は唐渡りの瓶子=酒器のこと。「からへいじ」の音が「唐へ行じ」に通じ、忠守が異国風に見えることへの掛け言葉になっている。
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