2010年 3月 の投稿一覧

仕事の流儀

こんばんは。今年の三月は寒暖の差が激しくて、裏山の木蓮もいっせいに咲いたのはいいのですが、先日の思わぬ雪にびっくりしたのでしょう咲ききらぬうちに枯れて来ました。情けなくしょんぼりしている様に見えます。かわいそうですね。各地の農作物もこの異変について行けず大打撃を受けているというニュースが有りました。

工房は乾山陶器の見本をあれやこれや作っています。一窯見本で焼きたいと思っています。二年近く掛け集めてきた材料が、やっと決まって来ました。しかし原料の安定した供給は望めなく、最近では廃業する業者が多く来ているので、絶えず新しい原料を手に入れてテストを繰り返していかなくてはなりません。

私は原料を調達する時の自分なりの流儀を持っています。今の御時勢インターネットなどで簡単に材料は宅急便などで送ってもらえるのですが、そういうことはどうなのでしょうか。私はやはり実際に現場に行かなくてはいけないと思っているのです。鉱山に行ってあれやこれやとお話を伺うのが、礼儀だと考えています。土になる前の原料を手にすることは、大変重要なことだと思います。石は意思を持っていますよ。伝わるのですね。その原料を土屋さんはどのようにして作っているのか、どのような機械で作っているのか、仕事場は整理されているのか。行くとまた多くの知識を得ることが出来ます。

陶土を作る事は大変な仕事なのです。私も山から自ら掘って来た土を使うこともあるのですが、精製し成形出来るまでどんなに手間がかかるか、充分体験しています。弟子のころは木根で土を砕き、スイヒ層に入れ何日も掛けて土を作りました。いい土を作るには作り手の思いや願い、哲学が重要です。そんな手塩にかけた陶土ですから、まずは挨拶が必要と考えています。

色々な特殊な材料が窯業地でもないこの地に集まって来てくれるのも、私には大変ありがたいまた誇れる流儀の一つだと思っています。

仕事の流儀

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灰も渥も使いよう

こんばんは。桜の開花が普段と違っています。気温の変化が桜のセンサーを狂わせているのでしょうか?いつもなら先に咲き始めるところが後先になり逆転している開花している状態です。私自身もうまく季節に乗っていかない様に感じています。

工房は乾山陶器の釉薬が解決して、色々な作品の見本出しになりました。乾山の釉薬はどちらかと云えば灰マットな釉薬です。一番苦労するのはどの灰を使うかです。調合自体は簡単な構造になっているのでしょうが、化学的に調合された灰、合成灰を使っての調合ではきれいに仕上がるのですが何かもの足りなさがぬぐえません。

八木一夫先生は、「灰も生きている。」と表現されていましたが、ここでいう「生きている」は、灰の渥(アク)の事を言っているのです。焼物で使う灰はアク抜きがされたものを使います。紺屋灰という灰があります。紺屋さんが染めでアクを使い、その残りの灰を焼物屋が使うという昔ながらのリサイクルです。今では灰自体も貴重品になっています。そこで科学的に調合された灰も時々テストで使ってみるのですが、今回使ってみて何か物足りなさを感じたのは、やはり灰特有のアクがない事だったと思います。昔からアクも使いようと云われています。アクは釉薬本来の色合いにあまりいい影響を与えませんが、と云ってアクを全て殺してしまうと、焼もの独特の釉薬や生地の焼き色がうまく表現されません。

今回色々なテストをして一番適した釉薬は、私共で青磁釉として調合し粉引きにも使う陶石立ての灰釉でした。天草陶石6、特選いす系灰4、簡単な二成分立ての調合です。

私にはなかなか想いれのある調合なのですが、今回これが乾山陶器に使えるとは深い因縁を感じます。私が乾山陶器から始まっていたら、きっとこの灰には巡り合っていないでしょう。適した原料に巡り合うということは、すでに目指す焼き物が出来上がったということに等しいと思います。

色々な原料に巡り合って来ました。今となっては貴重なものが多くあります。私しか持っていないものもたくさん所持しています。30年もまたもっと前から巡り合った原料が、この仕事のために必要だったと思われる瞬間があります。この様な出来事に会うたびに陶芸の奥深さを感じるこの頃です。

灰も渥も使いよう

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乾山陶器のベースはこれで

こんばんは。今日は一日冷たい雨が降っていました。咲きかけている桜も縮こまって、寒そうに震えているようでした。どこかかわいく健気にも思えて来ます。

一昨日焼きなおした乾山土器皿は、輪郭がしっかりと現れ、コロコロした雰囲気が面白く焼き上がりました。今日は雨の中、梅田にある工芸店様に品物を納めに行きました。「ずいぶん久しぶりな様に思えるのですが。」と店主真木さんに言われてしまいました。「乾山陶器の釉薬の試行錯誤に手間取っていまして。」と言い訳しています。

釉薬のテストはかれこれ十種類くらいしてみました。いつものことですが、必要なものはとっくに手に入っていて、ただそのことを確かめるためにテストを繰り返しているように感じています。最初からど真ん中なものを手に入れていても、本人は分からないものなのです。自信がないのですね。自信が出来るまで、テストをするのですね。

ようやく何点か絞り込んで今日は見せることが出来ました。私が一番に推す釉薬がすんなりと決まりました。私どもで古くから使っている釉薬です。不思議を感じます。もう25年近く使っているものが、この仕事にもまた使うことが出来るということに縁を感じます。

「この灰はなんなの?」と聞かれますが、私もなになにとはっきり言えないもののようです。偶然ある業者で手に入れた内容のはっきりしない灰なのですが、なかなか重宝しています。またこの灰を使って今度は乾山陶器オリジナルを調合していきたいと思います。

今回は白化粧も少し変えてみました。一般的に使う蛙目土の代わりに白絵土というものを使っています。以前より白さが増した様にも思います。もう少し手を加えてみたいと思うのです。乾山陶器の土台になるものが大体そろって来ました。いよいよ専念して行ける状態になりました。今日もたくさんの注文と研究材料を貰って帰って来ました。

あれもこれもやってみたいことが実現しそうで、うれしくなっています。明日から頑張りましょう。

乾山陶器のベースはこれで

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懐石食器のこころ

こんばんは。山桜があれよあれよと咲き始めました。梅、椿、桜、それに山つつじまでも咲きだし、なかなか今年の三月は珍しい山の景色になっています。何か落ち着かない気持ちです。桜が咲いたことを素直に喜べないのは、今年も何かに追われている慌ただしさから解放されていない思いだからでしょう。

今日はJコムで流す地方番組の撮影がありました。泉州の伝統技術を紹介するそうです。午後1時過ぎにやって来て、5時ごろまで色々な場面と撮っていきました。こちらも地元の番組とあって大分サービスをして、轆轤のシーンなんぞまで提供しました。食器の話を中心にあれやこれや焼き物が持っている心の部分まで話してみましたが、そのことをマスメディヤで伝えるには難しいと思います。しかし少しでも食器の奥深さが伝わればと思っています。

食器にこだわりあらゆるデザインを形にしたのは京都の工人達だと思います。中心になるのはやはりお茶の文化でしょう。色々な茶人が自分の好みを実現するのに、各窯業地に型紙を送り、その型通りの器を作らせています。また南蛮貿易なども盛んだったので、安南(ベトナム)やスンクローク、スコータイなどインドシナまでも注文しています。中国明にも通称「古染付」と呼ばれるものを景徳鎮に発注しています。茶人が色々な発想でまた色々なデザインを駆使し懐石食器を作った事が、今の食器世界の古典となっています。

京焼は京の文人茶人が地方の窯に発注するより自らの地で作らせようと試みた事が始まりのように思えます。需要があり各地の陶工がやって来て盛んに茶事の器を作った事でしょう。

乾山陶器は懐石の器を日本情緒あふれる独特の世界に昇華させました。先にも後にもここまで斬新的に食器を作った陶工はいません。食器の奥儀を極めつくした感があります。
日本人のこころ、食器のこころを表現したいと心から思うこのごろです。

乾山の王朝復興

こんばんは。今日は午後から晴れて来ました。驚いたことに山桜が咲き始めたのです。ここにきて25年になりますが、御彼岸もまだ来ないうちにこの様に咲いたということは初めてです。驚きと共に何か困惑しているようですね。

乾山はよっぽど土器皿が好きだったようですね。土を変え色々な形態のものをたくさん作っています。何ともかわいらしく、手作り感一杯の風合いがいいのでしょう。

日本固有の焼き物の一つに「楽焼」があります。この焼のもは手びねりで全てを作っていきます。轆轤は使うのですが、いわゆる量産用の轆轤とは違って、小轆轤といわれる小型のものです。土の塊をその轆轤に載せ、手でたたきながら土を伸ばし板状にして、その上にひも状に伸ばした土を付けていく技法です。何も変わった方法でもなく、むしろ大昔から行われていた伝統技法です。縄文土器や弥生土器のこの様に作られたものでしょう。

量産に使われる轆轤が入ってきたのは、須恵器以降とされていますが、その前にも轆轤は使われていたとも言われていますが。弥生土器の流れが須恵器にとって変えられたと云うとそうでもなく、神事に使われる器はずっとそのまま弥生土器のようにてひねりで作られていました。このことに乾山は意識したかどうか定かではありませんが、てひねりを主体にした作品が多く見られるのは、偶然とも思えませんが。その辺が乾山の先生にあたる仁清との違いのようにも思えます。乾山がデザイン上からこの様な焼ものを好んだというより、日本固有の伝統を意識していたのではないかと推測するのです。

王朝復興を乾山は美術の世界で実現しようとしたのかも知れません。私はそのように思っているのですが、他の京焼との大きな違いと受け取っているのです。それの意識の違いが作品を独特の世界まで昇華させているとも思っているのです。

乾山の王朝復興

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乾山陶器、釉薬テスト考

こんばんは。春を呼ぶ嵐がこの何日間吹き荒れています。今年はどうも桜の開花が早いようで、この辺の山桜も色づき始めています。気が付けば来週は御彼岸、春分の日ですね。絵付け工房は桜が終わり、もう5月の青もみじに移っています。季節を追う仕事ですが追い切れないものも山ほど溜まっています。頑張らなければ。(笑)

乾山 土器皿 花

工房は乾山土器皿を作っています。昨年納めて、本年そうそうようびさんのHPで紹介しました。アップした瞬間に売り切れたそうです。数も五枚組で二組限定ということも手伝ったのでしょうか。作品としてはかなり上質に仕上がったと思っていましたが、反応の速さに驚いています。仕掛けもよかったのでしょうが、受け手の方々が敏感に対応してくれたことに喜びを感じて居ります。その追加を四組頂いています。今日はその絵付けをすたっふMさんにしてもらいました。

乾山を実際に写し始めるとその奥深さに驚き、またその魅力に取りつかれて行きます。一見素朴に見える轆轤や絵付けも全ての線に神経が行き届いていて、器の機能を十分満たしながら斬新な構図でこんなにも新しい食器を作りだしたことに改めて感心しています。

乾山陶器は初期から絵高麗をベースにしていました。今でいう北宋の磁州窯ですが、この陶器は白化粧施をベースに鉄絵具で自由奔放な雅趣あふれる絵が描かれています。乾山はこの陶器から白化粧の技法を学び、意識的に意匠に取り込んでいきました。
乾山ほど白化粧をデザインした作家は陶磁史にはなかったと思います。乾山のベースは絵画を器化することでした。絵画が器になり用を満たし、料理と一体になっていく。その絵画の基本もまた王朝復興が主題になっています。紋様も天皇ゆかりのものが多く使われています。桐と菊、また椿も多く用いられています。新しい技法を貪欲に開発していく姿を器の中から見ることが出来ます。写しながら感心することの連続です。

前回の窯に乾山陶器専用の釉薬をテストしてみました。乾山当時の窯と今我々が使用している窯は大きく違っています。一番の違いは熱効率が断然違います。もちろん今の窯は少ない燃料で素早く焼けるように出来ています。土もそのような窯に合わせて調合されています。そのような焼け方の違いを十分理解しながら古典に迫っていこうとしています。乾山の釉薬は決して難しい調合ではありません。石と灰、ただそれだけのように思われます。しかしどの灰なのか、どこの長石なのか、またその石や灰が分かったとしても、今の窯では乾山は焼けません。今の窯に合う石と灰を探さなくては焼けないんですね。

鉄絵や呉須絵が主体になっているので少しマット風な落ち着きのある釉薬を多く用いています。このマットをカオリンのアルミナからとるとカオリンマットになります。しかし乾山はそのマットではなく、灰から来るシリカ系のマットです。このマットは品が良く私も気に入っているのですが、大変微妙な調合を必要とします。私はあまり神経質な調合を好みません。大らかで簡単な調合の中から品のある釉薬を目指しています。

これからも乾山やっていきます

こんばんは。啓蟄も過ぎいよいよ春めいて来たと思いきや、ここ何日かは寒さがぶり返して参りました。年度末、どこも皆さんかなり厳しいようで、昨年の決算もまた数字が伸びなかったようです。この業界もご多分にもれず、どん底を這っているようです。各地の窯業地はどこも壊滅状態だと聞きます。みんな、生きているかぁ、がんばってるかぁ!連絡待ってるでぇ。

昨年は淘汰の時代なんて言っていましたが、すっかり時は変わってしまい、残っている陶家もまばらな状態になっています。自分がひき籠っているせいか、皆さんと連絡を取らない事が禍っているのでしょうが、全くと言っていいほど個展等の連絡は入って来ません。心配になって、少しは百貨店などにも顔を出そうと思いますが、億劫さが先に立ち、目の前の仕事にかまけている状態です。

今日の工房は「色絵青もみじ紋向付」の薬掛けをしました。明日窯に入る予定なので、窯の棚板を掃除し、窯詰め準備は完了しておきました。

乾山陶器を進めているのです。釉薬のマチエール、我々は釉調と云いますが、今の窯は釉薬の表面をきれいに溶かすように出来ています。どうしても表面のてかり具合が気になるようで、何とかこの窯を使いながら、沈んだ釉調を実現したいと思っています。

明日テストピースをいくつか作ろうと考えています。それを窯の根、一番温度が低いところ、と中間部分、それから天井、一番温度が上がるところ、にそれぞれ置いてみようと思います。釉薬のテストは5種類くらいになるでしょうか。微妙なところを攻めていくので、机上の計算通りには事が運ばないかも知れません。しかし結果はわれわれの宝ものなので、こつこつ進める以外に手はないと思います。

どのような世の中でも、丹念に手を抜かず、いいものを目指す以外われわれの生きる道は有りません。食器を通し、一つでも繋がる心を探していきたいと思っています。