伏原窯 線 かたち 造形

春を追越して

令和八年三月二十一日 晴

三連休の中日。

朝六時三十三分に目覚める。

静かな春の朝である。

工房へ行き、いつものように朝食をいただく。

今日は新しく出来た笹の鉢に蓮根の煮物を盛った。

藪に鶯の頃、春の食卓である。

藪に鶯

森本さんがそれを見て一句。

笹の鉢や

使いていきる

春の膳

器は作って終わりではない。

使われて、暮らしの中に入って、はじめて生きてくる。

改めてそんなことを思う。

今日は十草飯碗の削り仕上げ。

並んだ飯碗を一つひとつ削り、轆轤の線を整えていく。

静かな仕事である。

正午過ぎ、先の貝塚市長選挙の後、二度目の挨拶に

田中学 さんが来られる。

選挙後の報告や内輪の話など、二時間ほど話して帰られた。

人の世はいろいろあるものだ。

その後また工房に戻り、削りの仕事。

伏原窯の一日は、いつものように夜八時まで続く。

今日は対話の中で、こんな言葉もまとまった。

暮し。

それをどう捉えるか。

その中でどう自分を表現するか。

どう生きるか。

暮しはその人の舞台。

  • そして僕は、うつわを作る。

風呂をいただき、一日を終える。

静かな三連休の中日。

線の造形

陶主日記

線の造形
伏原窯の仕事は、
土で線を描くことだと思っています。
轆轤の仕事は、
ただ形を作ることではありません。
見込みから胴へ、
そして口へと。
その一本の線で、
器の姿は決まります。
線は毛糸を張るようなもの。
ぴんと張るのか、
少し緩めるのか。
その張り具合で
器の表情は大きく変わります。
伏原窯は、
その線の造形を
静かに続けています。