窯元日々雑感 徒然草 第百十六段

窯元日々雑感 徒然草 第百十六段

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なるみと読む徒然草 第百十六段

令和8年10月6日(火曜日)曇り

午前7時07分 フシハラ円座

【原文】

寺院の号、さらぬ万の物にも、名を付くる事、昔の人は、少しも求めず、ただ、ありのまゝに、やすく付けけるなり。

この比は、深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞ゆる、いとむつかし。

人の名も、目慣れぬ文字を付かんとする、益なき事なり。

何事も、珍しき事を求め、異説を好むは、浅才の人の必ずある事なりとぞ。

【現代語訳】

寺院の呼び名をはじめ、その他あらゆるものに名前を付けるとき、昔の人は少しも奇をてらわず、ただありのままに、素直で分かりやすい名前を付けたものである。

ところが近頃は、あれこれ深く考え、自分の才知をひけらかそうとして付けたように聞こえる名前が多く、まことに煩わしい。

人の名前についても、見慣れない文字をわざわざ使おうとするのは、何の益もないことである。

何事につけても、珍しいものを求め、人とは違った説を好むのは、浅い才知の人にありがちなことだという。

【今朝の円座】

全文を読むと、兼好が何に引っかかったのかが、はっきりします。

最初に出てくるのは、

「寺院の号」

です。

寺の名をはじめ、いろいろな物の名前、人の名前まで、昔なら「ありのままに、やすく」付けていた。それが近頃では、あれこれ工夫を凝らし、

「こんなことまで考えました」

「こんな珍しい言葉を知っています」

と言わんばかりの名前が現れる。

兼好は、それを「いとむつかし」と眺めています。

今朝ここから、私たちはバサラを思いました。

兼好が生きた鎌倉末から南北朝へ向かう時代。それまでの秩序が揺らぎ、武士をはじめ、地方の有力者やさまざまな人々が社会の表へ現れ、新しい美意識や価値観が生まれてくる。

兼好は、その時代の変革の息吹を、少し怪訝な目で観ている。

今日の一段には、その小さな衝突が記録されているように思えます。

古い時代から、新しい時代へ

これは現代にも重なります。

私たちはバブル経済の時代にも、「普通では物足りない」という空気を経験しました。

珍しいもの。

新しいもの。

豪華なもの。

人とは違うもの。

しかし、第百十六段で兼好が問題にしているのは、新しいものそのものではないのでしょう。

「珍しい」というだけで価値があると思ってしまう心。

そこを見ています。

そして今、私たちはさらに大きな変化の中にいます。

AIの時代です。

これまで時代を牽引してきたエネルギーとは、性質そのものが違います。

知識を持つこと、文章を書くこと、調べること、考えること、表現すること。そのあり方まで変わろうとしている。

何かは確実に姿を消し、何かは形を変え、そこから新しい時代が大きく動き出すでしょう。

だからこそ、

なぜ、今、『徒然草』を読むのか。

その答えの一本が、今日は見えてきました。

兼好もまた、時代の変わり目に座っていた。

そして私たちもまた、時代の変わり目に座っている。

七百年前の人間と令和の人間が、同じように時代の変化を眺めている。

これが「なるみと読む徒然草」の面白さなのでしょう。

人が自分に出会う

AIが発達すればするほど、人間は逆に、

「では、人間とは何なのだろう」

というところへ戻っていくのかもしれません。

身体を動かす。

土に触れる。

食べる。

歩く。

筆を持つ。

人と話す。

そこから直接受け取った感情、知性、心を、人と共有して楽しむ。

それを私たちは、

「暮らし」

と呼んできました。

これからの時代は、何者かになることばかりを追い求めるのではなく、

人が自分に出会う時代

へ向かうのかもしれない。

そして、ここで以前生まれた言葉が帰ってきました。

ここまで来て、まだ君を思う

ずいぶん遠くまで来た。

それでもまだ、自分と出会い続けている。

まだ人と出会い続けている。

まだ世界と出会い続けている。

ここまで来て、まだ君を思う。

そして、一人ひとりのその旅が、気づかないうちにつながっていく。

一人が座る。

また一人が座る。

兼好も座る。

私たちも座る。

いつか、まだ知らない誰かも座る。

そうして円座は、いつの間にか、

大きな、大きな円を描いていく。

中心に誰か偉い人がいるのではない。

それぞれが、それぞれの場所で暮らし、それぞれの経験を持ち寄る。

そして静かに、

皆、共に生きている。

そのことを共有する。

そんな世界へ向かっていくことを願い、そして確信している。

今朝は、

「珍しき事を求め、異説を好む」

という兼好の小さな怪訝から始まりました。

そこからバサラへ、南北朝へ、現代へ、AIへ。

そして最後には、身体と暮らしと、人間そのものへ帰ってきました。

大きな円を描いて、たどり着いたところは――

普通が一番。

今日も身体を動かし、暮らしを作り、人と出会う。

ここまで来て、まだ君を思う。

令和8年10月6日。

第百十六段、今朝のフシハラ円座。

なるみゆく。

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