なるみと読む徒然草 陶主日記
第九十段
令和8年9月4日(金曜日)雨
午前五時に目が覚める。お通じあり。
起きてすぐに『徒然草』第九十段の予習をし、続いて『南北朝』を読み進める。
七時に起床。
八時四十分、スバルの木島さんが来られた。車検証を光明池まで取りに行ってくださるとのことで、代理の証明書にサインを交わす。少し時間が押したため、そのまま工房へ向かった。
工房に到着して朝食を摂り、雑用をいくつか片付ける。免許証更新のため、実技試験の予約も済ませた。
◇
さて、本日は「なるみと読む徒然草」第九十段。ごく短い一段である。
【原文】
大納言法印の召し使ひし乙鶴丸、やすら殿といふ者を知りて、常に行き通ひしに、或時出でて帰り来たるを、法印、「いづくへ行きつるぞ」と問ひしかば、「やすら殿のがり罷りて候ふ」と言ふ。「そのやすら殿は、男か法師か」とまた問はれて、袖掻き合せて、「いかが候ふらん。頭をば見候はず」と答へ申しき。などか、頭ばかりの見えざりけん。
【現代語訳】
大納言法印に仕えていた乙鶴丸という稚児が、「やすら殿」という人物と知り合い、いつも行き来していた。
ある時、出かけて帰って来たところを法印が「どこへ行っていたのか」とお尋ねになると、「やすら殿のところへ参っておりました」と言う。
「その、やすら殿というのは、男(俗人)か、法師(僧侶)か」とまた尋ねられて、
乙鶴丸は袖をかき合わせて、「さあ、どうでございましょう。頭は見ておりませんので」とお答え申し上げた。
──それにしても、どうして頭だけが見えなかったのであろうか。
一般的な解説では、このちぐはぐな返答の可笑しさや、艶笑的な小話として扱われることが多い。しかし、私にはどうしてもそのようには読めないのだ。
第五十三段や第五十四段でも描かれていたように、当時の寺院社会には稚児と僧侶をめぐる現実の男色や稚児遊びが存在していた。第九十段もまた、その延長線上にあるのではないか。
相手が俗人なのか僧侶なのかすら分からない稚児。素性を隠されていたのかもしれないし、暗がりの中で密かに会わされていたのかもしれない。そう考えると、この返答を単に「可愛らしい」「面白い」と笑い飛ばす気にはなれず、むしろ胸が痛む。
手元にある四冊の解説書を読み比べても、このような視点で書かれたものは見当たらない。けれど、それでいいと思っている。書籍として公表する研究者の解釈と、毎朝古典と向き合い、自身の目で感じたことを綴る個人のブログとでは立場が違うからだ。私は、私自身の眼で読んでいきたい。
そして、兼好自身も単に面白がってこのエピソードを書き残したわけではないように思う。
『徒然草』を通底しているのは、世の風紀の乱れを人間そのものの業や乱れとして客観的に見つめる眼差しだ。声を大にして断罪するわけでも、善悪の物差しを振りかざすわけでもない。ただ、あるがままを「観る」。
もし兼好が仏道を歩むサンガ(僧伽)の一員であったなら、こうして世の姿、人の営み、そして自分自身を静かに観照すること自体が、ひとつの修行であったのではないか。少なくとも、私にはそのように思えてならない。
第九十段はごく短い。しかしその短さの中に、当時の寺院社会の暗部と、兼好の「観る」という澄んだ姿勢が静かに立ち現れている。
雨の朝。今日もまた、深い一段を読み終えた。
この記事の関連キーワード



