窯元日々雑感 徒然草 第一段

窯元日々雑感 徒然草 第一段

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なるみと読む徒然草

令和8年9月28日(月)曇り

序段・第一段を読み返す

午前6時8分、目覚める。

今日は昨日からの懸案だった第一段へ戻り、序段とあわせて読み返した。

第百十三段まで読み進めてきて、もう一度最初へ帰ってみると、四か月前とは景色がずいぶん違って見える。

これまで私は、『徒然草』を「隠者文学」という枠の中で見ていたところがあった。

兼好は世を離れ、無常を見つめる人——そんな先入観が、知らぬ間に読みの前に立っていた。

ところが百十三段まで歩いてみると、そこに現れるのは、宮中、僧侶、男女、故実、芸能、遊び、人の失敗や可笑しさなど、実に生々しい人間世界である。

そして第一段へ戻ると、その姿勢は最初から見えていた。

兼好は、世間を捨てて外から眺めているのではない。

世間も遁世もよく知りながら、少しだけ身を引いて、人間を見ている。

「世の外」ではなく、「世の縁」に立っている。

この位置が、今日いちばん腑に落ちた。

そこには『枕草子』の人を見る眼も、『方丈記』の無常と遁世も、西行の生き方も、遠く響いているように思える。

それらを知りながら、兼好は誰かの真似をするのではなく、自分の場所から「心にうつりゆくよしなし事」を書き続けた。

まだ「随筆」という形が、今の私たちのようにはっきり意識されていなかった時代に、人間を見つめ、日々の断片を書き留めていった。

その積み重ねが『徒然草』になった。

四か月前、私は徒然草を読もうとしていた。

今は少し違う。

一段一段を読み、考え、話し続けた時間が、こちらの眼そのものを変え始めている。

徒然草を読み直したのではない。

四か月を生きた自分で、もう一度徒然草へ帰ってきた。

この作業は、思っていたよりずっと深い。

だから急がない。

少し時間を掛けながら、もう一度、最初から見ていこうと思う。

今日の円座は、ここまで。

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