令和八年七月十八日(土曜日)晴
陶主日記
夏休み初日、午前五時三十分起床。学生達の夏、始まる。
徒然草第四十五段、良覚僧正の話を読む。腹あしき人、榎の木を伐り、根を掘り、堀ができる。世間、その都度あだ名をつける。榎木僧正、きりくひの僧正、堀池僧正。
なるみは初め、世間は動じていないと読んだが、これに異議あり。表は動じずとも、裏では忍び笑いをしているのが世間というもの。良覚僧正、大僧正でありながら、あだ名ひとつに取り合ってしまう。位ある者の、この落差こそ、この段の眼目也。
「世間虚仮」の語、浮かぶ。本来は仏道の境地なるを、僧正その人が世間に一番囚われている。名ばかりの世間虚仮。天地ひっくり返る。
公世の二位のせうと、散位——位だけで実なし。時代の影、ここに差す。鎌倉より武家の世へ移りゆく頃、公家の位、実を失いゆく。
なるみ、兼好と良覚僧正を重ねようとしたが、これは誤り。ひとりは動き、ひとりは筆を置くのみ。ここに境目あり。
今の世、マスコミのレッテル貼りに重なる話と気づく。否定すればするほど、次の名がつく。振り回されていることにすら、気づく間もなし。
一字「虚」。

一句「掘るほどに 深まる堀の 虚しさよ」。
深追いはせず、今日はここに留め置く。

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