なるみと読む徒然草 陶主日記
第四十七段 有り難き志
令和八年七月二十日(月・海の日)
今日から「なるみと読む徒然草」が始まりました。
まず原文を読み、兼好法師と円座するような気持ちで、ゆっくりと語り合いました。
第四十七段は、清水寺へ参る途中、老いたる尼僧が「くさめ、くさめ」と唱えながら歩く場面から始まります。
旅人は不思議に思い、その理由を尋ねます。
尼僧は、乳母として育てた稚児が今は比叡山におり、「今ごろ、くしゃみをしているかもしれない」と思うたびに、「くさめ、くさめ」と唱えるのだと答えます。
現代では風邪は薬で治る時代ですが、当時は風邪一つが命取りにもなりました。
だから、その一言は迷信ではなく、乳母が子を思う切実な祈りだったのでしょう。
話を重ねるうちに、この「くさめ、くさめ」は、口称念佛にも通じる心ではないかと思えてきました。
己の欲のためではなく、
「どうか無事で。」 「どうかお護りください。」
その思いが、自然に言葉となってあふれ出る。
そこには偽りがありません。
親の愛、乳母の情、観音さまの慈悲。
人は、自分一人の力で生きているのではなく、誰かの祈りに包まれ、誰かの慈しみに支えられて、この世の旅路を歩んでいるのでしょう。
兼好法師は、この話を最後に、
「有り難き志なりけんかし。」
と結んでいます。
この「有り難き」とは、人の善意を称えるだけではなく、その志の中に宿る仏の慈悲への讃嘆でもあるように思えました。
今朝は、兼好法師を真ん中に置き、円座して語り合うような輪読となりました。
急がず、一日一段。
これから二百四十三段を、一年をかけて、暮らしと共に味わっていきたいと思います。
御佛の
こころ宿るや
朝の徒然
合掌。
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