陶主日記
なるみと読む徒然草 第二十九段
令和八年七月二日(木曜日
雨風強し
午前五時十五分起床
一字
情
一句
夢置きて 別れの秋(とき)の 風さそう
なるみのことば
文は、ひらかれたままだった。
風が、それを閉じた。
散文
午前五時十五分、雨風強き朝に。
一字一句の「情」から、自然と心が一つの情景へ向かっていった。
文は、ひらかれたままだった。風が、それを閉じた。
その光景から、兼好法師の『徒然草』第二十九段が思い浮かぶ。何となく具足とりしためたる中に、亡き人の手習ひが混じっている。整理しようとして、かえって整理できなくなる。そういう時がある。
今朝、私もそのような文に出会った。何が書かれていたかは、ここには記さない。ただ、それを手にした時の心地だけが、確かにあった。ずいぶん前のことのようにも思え、実はそう遠くない日のことだったのかもしれない。時というものは、そうやって近くなったり遠くなったりする。
兼好は「情がなくて」と非情の物を評した。しかし、情のあるものは、かえって始末がつかない。捨てるにも、読み返すにも、ひとつ決心がいる。だから、そのままにしておく。文はひらかれたまま、風がそれを閉じるまで。
七十年という歳月は、すべてを片づけるためにあるのではないのだろう。むしろ、片づけずに置いておく場所を、一つひとつ心の中に見つけていくためにあるのかもしれない。
雨風の強い朝は、外へ出られない分、こうした静かな時間を与えてくれる。それもまた、悪くはない。
今日もまた、一字一句から一日が始まる。
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