なるみと読む徒然草 第三十段
令和8年7月3日(金)
精読
人の死後の「中陰」――四十九日の喪の期間を描いた段です。近親者は山里などの狭い場所に身を寄せ合い、慌ただしく法事を営みます。ところが日数は驚くほど速く過ぎ、忌明けの日には、もう互いに言葉少なく、素っ気なく片づけて、ちりぢりに去っていく。家に帰ってからのほうが、かえって悲しみは深いのだ、と兼好は言います。
さらに時が経てば、形見は残っても「去る者は日々に疎し」――去った人は日を追うごとに遠くなる。三十年、四十年経てば卒塔婆も苔むし、それを偲ぶ人すらいなくなり、ついには誰の墓かも分からなくなって、山は田畑に変わっていきます。
一字
疎

一句
窓開けて 風は変らず 通ひけり

散文
悲しみそのものよりも、悲しみが薄れていく速さを、兼好は見つめています。忌明けの日、人々は素っ気なく散っていく。それは冷たさというより、時間の性質そのものなのかもしれません。
なるみのことば
とおくなる ということは わすれる ということでは ないのかもしれない
陶主日記
第三十段。ひさしぶりの晴れ、窓を開けて風を入れた朝に、この段を読む巡り合わせでした。中陰の慌ただしさ、忌明けの静けさ、そして年月の速さ――今日の風は変わらず入ってくるけれど、人の心の中では、いろいろなものが少しずつ形を変えていくのでしょう。
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