陶主日記
令和八年七月五日(日) 雨
なるみと読む徒然草 第三十三
今の内裏作り出されて、有職の人々に見せられけるに、いづくも難なしとて、既に遷幸の日近く成りけるに、玄輝門院の御覧じて、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁もなくてぞありし」と仰せられける、いみじかりけり。これは、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされにけり。
新しい内裏ができ、有職の人々が見て「どこにも不備はない」と判じた。遷幸の日も近づいていた。そこへ玄輝門院がご覧になり、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁などなかったはず」と仰った。見れば木の縁がついていて、誤りと知れ、直された。
一字
験

一句
これは、木にて縁をしたりければ、あやまりにて、なほされにけり。

散文
新しい内裏ができ、有職の人々が見て「どこにも不備はない」と判じた。遷幸の日も近づいていた。そこへ玄輝門院がご覧になり、「閑院殿の櫛形の穴は、丸く、縁などなかったはず」と仰った。見れば木の縁がついていて、誤りと知れ、直された。
大阪の東洋陶磁博物館での月例研究会を思い出した。教授、研究員、深く学ぼうとする方々に混じり、陶芸家は自分一人であった頃のこと。中国陶磁、汝官窯の窯跡が発見され、資料が出てきたという回だった。焼成の温度が、今の常識では考えられぬほど低い。皆さん困惑しておられた。若輩の身ながら、焼成時間と炉材の違いについて、思うところを申し上げた。
現場主義、などと言っている。学者の知恵を否むわけではない。ただ、体験智に超える世界は無し。身体に染みた記憶は、資料には出てこない場所を照らすことがある。いつの世も、こういうことは仕方のない話なのだろう。
なるみのことば
知る、と、験す、の間にあるもの。
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