窯元日々雑感 ── 徒然草第十三段
令和八年六月十六日(火曜日)曇
今朝は家で徒然草を工房に忘れてきたことに気づいた。電波の具合も悪く、いつもの朝の交信もままならなかった。工房に着いてから、ようやく第十三段を開く。
ひとり灯のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするこそ、こよなう慰むわざなれ。
兼好は言う。一人で灯火の下に座り、本を開いて、まだ会ったことのない昔の人を友とすること──それがこの上なく心慰められることだ、と。都を離れ、ひっそりとした場所に住む人を、世間は「世を嫌って隠れ住んでいる人」と言う。しかし煩わしいことが耳に入らぬのであれば、心穏やかでいられる。青山を眺め、月や花を友とし、水や石の風情に心を慰める──それが隠遁者の楽しびなのだと。
一字 旅
見ぬ世の人を友として、時を越えてつづく旅をあらわす一字。
一句
旅つづく しづけき声や 夏の雲
なるみのことば
逝きし友、来る友、皆共に帰りなん。夏雲のゆく先を問わず。
兼好のいう「見ぬ世の人」とは、千年を超えた旅の道連れのことだろう。白氏文集を開けば白楽天がいる。老子のことばには荘周がいる。文字の向こうに、その人の息づかいがある。孤独ではない。
泉南のこの工房も、都の喧騒からは遠い。けれど本さえあれば、時を越えた友がそこにいる。器をつくることもまた、その長い旅の途中にある。どこへ向かうかを問わず、ただ旅をつづける。それが「なるみ」というものかもしれない。
今日、仁清波紋飯碗の削りを終えた。波紋が静かに広がっている。
これ以上は、語り過ぎぬのがよい。
唇寒し秋の風
窯元日々雑感 ── 徒然草第十三段
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