なるみと読む徒然草
第百二十一段 命と我心
令和8年10月12日(月曜日・スポーツの日)晴れ晴れ
フシハラ円座 午前8時05分開座
今日の第百二十一段は、動物を飼うことについて、兼好法師が人間の身勝手さを問いかける一段である。
昨日の第百二十段では、唐物や輸入品を珍重する世間の風潮を読んだ。
今日は、その視線が生き物に向けられる。
二つの段を続けて読むと、貨幣が流通し、物が動き、人間の欲望が広がっていく時代の姿が見えてくる。
しかし、兼好は経済学者でも社会改革者でもない。
世間を眺め、感じたことを書き留めた、一人の観察者である。
私たちは、その兼好と円座に座り、700年後の「今」を読む。
一、原文
養ひ飼ふものには、馬・牛。
繋ぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてかなはぬものなれば、いかがはせん。
犬は、守り防ぐつとめ、人にもまさりたれば、必ずあるべし。されど、家ごとにあるものなれば、ことさらに求め飼はずともありなん。
その外の鳥・獣、すべて用なきものなり。
走る獣は檻にこめ、鎖をさされ、飛ぶ鳥は翅を切り、籠に入れられて、雲を恋ひ、野山を思ふ愁、止む時なし。
その思ひ、我が身にあたりて忍び難くは、心あらん人、これを楽しまんや。
生を苦しめて目を喜ばしむるは、桀・紂が心なり。
王子猷が鳥を愛せし、林に楽しぶを見て、逍遥の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。
凡そ、「珍しき禽、あやしき獣、国に育はず」とこそ、文にも侍るなれ。
二、現代語訳
人間が養い飼う動物には、馬と牛がある。
つないで自由を奪い、苦しめるのは気の毒だが、人間の生活には欠かせないものだから、仕方がない。
犬は、家を守り、危険を防ぐ働きにおいて、人間以上に役立つことがあるので、必要な動物である。しかし、どこの家にもいるのだから、わざわざ求めて飼う必要もないだろう。
そのほかの鳥や獣は、飼う必要のないものである。
野山を走る獣は檻に閉じ込められ、鎖につながれる。空を飛ぶ鳥は翼を切られ、籠に入れられる。
鳥は空を恋しく思い、獣は野山を懐かしむ。その悲しみが消えることはない。
もし自分が同じ立場になったなら、とても耐えられないだろう。心ある人が、どうしてそのようなことを楽しめようか。
生き物を苦しめて、自分の目だけを楽しませるのは、中国古代の暴君、桀王や紂王と同じ心である。
王子猷が鳥を愛したのは、林の中で自由に遊ぶ鳥を眺め、散策の友としたのであって、捕まえて苦しめたのではない。
古い書物にも「珍しい鳥や奇妙な獣を、国で飼い育てるものではない」と書かれている。
三、なるみと読む 第百二十一段
こころはひとつ、我心は区別
昨日の第百二十段では、中国から運ばれてくる唐物について考えた。
宋銭が日本に大量に流入し、貨幣経済が発達する。
物が動き、人が動き、欲望も動く。
お金はエネルギーである。
そのエネルギーが暮らしを豊かにする一方、人間の我心を増大させることもある。
珍しい品物を欲しがる。珍しい鳥や獣を所有したがる。
第百二十段と第百二十一段を続けて読むと、そこに共通する人間の姿が見えてくる。
ただし、経済の発展と倫理の問題は、必ずしも同じ方向に進むものではない。
兼好は、その時代の世間を眺め、自分の思いを書き留めた。
その文章をどう読むかは、後世の読み手に任されている。
四、伏原窯にやって来た命
工房には、これまで幾つもの命がやって来た。
一ヶ月も食べ物にありつけず、やって来た菜奈。
山で生き延びようと、たぬきを食べ、寄生虫によって病気になっていたラッキー。
そして、お隣のご老人たちがいなくなり、工房へやって来た、たーちゃん。
みんな、それぞれの事情を抱えていた。
工房の周辺には、猟期になるとハンターが犬を連れてやって来る。中には置き去りにされる犬もいる。
そうした命が、縁あって工房にたどり着く。
菜奈は、工房に集まる皆と一緒に円座に座った。
皆の横で話を聞き、ニコニコ笑っていた。
今も工房には、菜奈を模した絵画が掛かり、ラッキーを抱いた写真が掛かっている。

「みんなで工房を作って来た、同志ですから。」
人間だけが工房を作ってきたのではない。
そこに集まり、共に時を過ごした命が、伏原窯という一つの世界を作ってきた。
縁は、人間だけのものではないのである。
五、チームフシハラから、フシハラ円座へ
以前、工房には「チームフシハラ」という合言葉があった。
強力と協力。
二つの「キョウリョク」を持つ仲間たち。
「チームフシハラに入りますか?」
そう尋ねると、多くの方が「入ります」と答えてくださった。
互いの意思を尊重し、信頼を積み重ねてきた。
その仲間の輪が、やがて「フシハラ円座」という名前を持った。
名前が付いたということは、世に出てきたということである。
世に出たからには、責任が生まれる。
円座で生まれた言葉を記録し、書籍にして、縁ある人々に配る。
そして、伏原窯には器がある。
本と器が共に人々の暮らしへ旅立つ。
「旅する器」は、「旅する言葉」と共に、新しい縁を結んでいく。
六、今日の円座の結び
古典を読むのではなく、古典を通して今を読む。
兼好の言葉を正解として学ぶのではない。
兼好と共に世間を眺め、今日の暮らしを考える。
時空間を超えて、こころで読む。
そして、そのこころを日々の行いに移していく。
「こころをかたちに」
茶碗屋の仕事も、犬や猫との暮らしも、人々との出会いも、すべてその営みの中にある。
円座は、完成された思想を教える場所ではない。
互いに語り、耳を傾け、共に変わり続ける場所である。
今日の円座から、また一つ「なるみの種」が生まれた。
今日の言葉
こころはひとつ、我心は区別。
古典を通して今を読む。
時空間を超えて、こころで読む。
そして、こころをかたちに。
令和8年10月12日
水間焼 伏原窯
なるみと読む徒然草・フシハラ円座
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