なるみと読む徒然草 陶主日記
第九十九段 唐櫃の行方
令和八年九月十三日(日)晴れ
【原文】
堀川相国は、美男のたのしき人にて、そのこととなく過差を好み給ひけり。御子基俊卿を大理になして、庁務行はれけるに、庁屋の唐櫃見ぐるしとて、めでたく作り改めらるべきよし仰せられけるに、この唐櫃は、上古より伝はりて、その始めを知らず、数百年を経たり。累代の公物、古弊をもちて規模とす、たやすく改められがたきよし、故実の諸官等申しければ、その事やみにけり。
【現代語訳】
堀川相国(久我基具)は、美男子で裕福な人であり、何事につけても贅を好まれた。息子の基俊卿を検非違使庁の長官に据え、庁の務めを執り行わせていたところ、庁舎にある唐櫃が見苦しいというので、立派に作り替えるよう仰せになった。しかし、この唐櫃は大昔から伝わるもので、いつからあるのかさえ分からず、数百年の時を経ている。代々受け継がれてきた公の器物は、古び傷んでいることこそが規範なのであり、たやすく改めるべきものではない――と、故実に通じた役人たちが申し上げたので、その話は立ち消えになった。
午前五時四十五分、目覚め。六時より『徒然草』第九十九段の予習。八時五十分、円座を始める。
今日の第九十九段は、検非違使庁に置かれていた一つの古い唐櫃をめぐる話である。
堀川相国の子、基俊卿が大理となって庁務を行うことになった。庁舎の唐櫃があまりに見苦しいので、立派に作り替えようと言う。ところが役人たちはそれを止めた。この唐櫃は上古より伝わり、その始まりさえ分からない。数百年を経た「累代の公物」であり、「古弊をもちて規模とす」という。古びているからこそ、それがこの役所の姿なのである。こうして新調の話は取り止めになった。
最初は、古いものを残すのか、新しいものへ改めるのか――今風に言えば「保守と革新」の話にも見えた。しかし、どうもそれだけではない。
この時代、検非違使庁がかつて持っていた治安・司法の実権は、すでに大きく武家へ移っている。朝廷の官職や制度は残っていても、その実態は変わりつつあった。そんな役所へ、新しく大理となった基俊卿がやって来て、「この唐櫃は見苦しい。新しくしよう」と言う。それに対して、長くその役所を知る者たちは、「いや、これは変えてはならない」と押し返した。
今日の円座では、ここを単に「残した」とは読まなかった。死守した。その言葉の方が、この時代の空気には近いように思えた。
しかし、ここでもう一つ大きなものが見えてきた。守る本元そのものが、なくなりつつある。古い唐櫃を死守する。故実を守る。官職を守る。制度を守る。しかし、そのすべてを支えてきた貴族社会そのものが、大きく姿を変えようとしている。それなのに、「唐櫃を新しくする」「いや、変えてはならない」と人々は真剣にやり合っている。
そこに今日、思わず一つの言葉が出た。
「儚さでしょう。」
ああ、そうだったのか。
兼好は、どちらが正しいとも書かない。基俊卿を断罪することもなく、古参の役人を称賛することもない。ただ出来事を置き、「その事止みにけり。」と筆を置く。
人は一生懸命に生きる。作り、守り、争い、伝えようとする。けれども、その人も、その制度も、その時代も、やがて移ってゆく。兼好自身も貴族社会に片足を置いていた。だから外から冷たく眺めているのではない。その世界を知りながら、それを越えて、移りゆく時代そのものを見ようとしていたのではないだろうか。
そして今日、第九十九段。九十九という、百に満たない数字にも、なぜか意味を感じた。
円座の終わり近く、以前先生から聞いた言葉が蘇った。
「嗚呼――ただ、この言葉を胸に生きる者が、真の佛道者。」
理屈ではない。無常を説明する必要もない。人の営みを見つめ、世の移ろいを見つめ、自分自身もその中を生きて、最後に残るもの。
嗚呼。
今日、第九十九段まで来て、私の中から自然に「儚さ」という言葉が出た。そして、何かが腑に落ちた。ああ、ここが徒然草だったのか。
今朝は、この言葉を胸に置いて、円座を閉じることにする。
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