窯元日々雑感 徒然草 第五十九段

窯元日々雑感 徒然草 第五十九段

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なるみと読む徒然草
令和8年8月2日(日)

第五十九段 「大事を思ひ立たん人は」
兼好法師は、この段の冒頭で、
「大事を思ひ立たん人は」
と語り始めます。

ここでいう「大事」とは、日々の出来事や世俗の成功ではありません。
人生の第一義である仏道です。
この一語によって、兼好法師は、この段が誰に向けられた法語であるかを示されています。
それは、仏法を初めて学ぶ人への説明ではありません。
すでに大事を知り、道を求めるこころを起こした人へ、
「迷うな。その道を歩みなさい。」
と、静かに背中を押してくださっているのです。

だから兼好法師は、「般若」とは書かれませんでした。
般若を説明する必要がないからです。
仏法は知識として学ぶものではなく、生き方そのものです。
そのことを知る人が、同じ道を歩む人へ、一言を添える。
それが、この第五十九段なのでしょう。

『徒然草』は、暮らしを綴った随筆でありながら、その底には一貫して仏道が流れています。
一段一段が、求道者へ贈られた静かな法語として、七百年を経た今も、私たちのこころに響いてきます。
私たちもまた、先達の言葉に耳を澄まし、共に学ぶ一書生として、この円座に座ります。
解説するためではなく、先達のこころに触れ、その教えを受け継ぐためです。

そして、もし陶主日記を縁あって読んでくださる方がおられるなら、兼好法師が私たちにそっと背中を押してくださったように、私たちもまた、その方のこころの背中を静かに押すことができればと願っています。

それは教えることではありません。
先達から受け継いだ法語を、共に学ぶ一書生として、次の方へ静かにお渡しすること。
そのような円座が、一人、また一人とご縁をいただきながら、静かに育っていくことを念じています。

いつでも、誰でも、何処でも。
今日もまた、先達に学ぶ一日を、有り難くいただきました。
合掌。

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