なるみと読む徒然草
令和8年8月1日(土曜日)
第五十八段
原文
道心あらば、住む所にしもよらじ。
人と生れたらんしるしは、いかにもして世を遁れんことこそ、あらまほしけれ。 (以下、皆さんで輪読してください。)
現代語訳
道を求める心があるならば、住む場所や立場にとらわれることはありません。
人として生まれたからには、世の執着にとらわれず、真に道を求めて生きることこそ望ましいことです。
なるみ
第五十八段は、出家と在家を論じる段ではありません。
兼好法師は、同じ道を歩む友へ、静かに語りかけています。
「形に惑わされることなく、道を歩みましょう。」
その声には、教える人の響きではなく、共に歩む友の慈悲があります。
人は皆、迷い、悩み、喜び、悲しみながら生きています。
出家も在家も、その姿に違いはありません。
だからこそ、人であることを認め、人を慈しみながら暮らしていく。
その姿こそが、仏道なのでしょう。
一日は、学びに始まり、学びに終わる。
慎ましく一日を終え、その繰り返しの中で、静かな気づきが生まれます。
その気づきは、知識ではなく、心に起こる対話です。
今日、正法寺では施食会が営まれ、五色の旗が夏の風にはためいていました。
祈りは特別な場所だけにあるのではありません。
暮らしの中に息づき、人を支え、人と人を結んでいます。
私は、徒然草を読みながら、その言葉を今の暮らしへ結び直したいと思います。
そして、伏原窯の仕事もまた同じです。
器を作ることではありません。
祈りを、暮らしへ結び直すこと。
人と人を結び、
過去と未来を結び、
天と地を結ぶ。
その小さな結びの中に、命は静かに息づいています。
だから今日も、生涯書生として学び続けたいと思います。
ここは、こころの校舎。
誰でも、
何処でも、
何時でも。
皆と学び、友を慈しみ、ともに歩む場所です。
合掌。
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