なるみと読む徒然草 第五十三段
普通は、己から創るもの
第五十三段は、昨日に続き仁和寺の僧のお話です。
宴席で笑いを誘おうと、頭に物を載せて芸をしていましたが、興に乗るうちに度を越え、ついには鼎を頭にかぶって抜けなくなり、大騒ぎとなります。
これは悪人の話ではありません。
当時のお寺は、現代で言えば寄宿舎を備えた学校のような面もあり、若い僧たちは学生のような共同生活を送っていました。
若さゆえの悪ふざけが、思いがけない事故へと発展した一場面なのでしょう。
人は社会の中で生きています。
生きることそのものが、少なからず緊張やストレスを伴います。
だからこそ、笑いは人を解放し、心を和らげる大切な働きを持っています。
しかし、その笑いが「もっと受けよう」「もっと面白く」と度を越えたとき、笑いは事故へと姿を変えます。
兼好法師は、その境目を静かに見つめています。
今日の対話の中で、一つの言葉にたどり着きました。
「普通は、放っておいてあるものではない。己から創るものである。」
心と気持ちと身体。
その三つを日々調え、自らの暮らしを丁寧に築いていく。
その積み重ねの先に、「普通が一番」という世界があります。
『徒然草』の「徒然なるまま」とは、気ままに生きることではなく、調えられた心が自然に言葉となって現れる姿なのかもしれません。
そして、この文章を書き終えようとした時、義兄の訃報が届きました。
生も死も一如。
逝くものも、来るものも、皆、同じいのちの流れの中にあります。
だからこそ、今日のこの言葉を捧げたいと思います。
普通が一番。
何気ない一日を生きることの尊さを、あらためて胸に刻みながら。
合掌。
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