原文
延政門院えんせいもんゐん、いときなくおはしましける時、院へ参る人に、御言つてとて申させ給ひける御歌、
ふたつ文字、牛の角つの文字、直すぐな文字、歪ゆがみ文字とぞ君は覚ゆる
恋しく思ひ参らせ給ふとなり。
令和八年八月五日(水)晴れ
午前六時十分起床
なるみと読む徒然草
第六十二段
延政門院、いときなくおはしましける時、院へ参る人に、御言つてとて申させ給ひける御歌、
ふたつ文字、牛の角文字、直ぐな文字、
歪み文字とぞ君は覚ゆる
恋しく思ひ参らせ給ふとなり。
今朝は、悦子内親王が幼い頃、父である後嵯峨上皇へ宛てた歌を読みました。
「ふたつ文字」は「こ」。
「牛の角文字」は「い」。
「直ぐな文字」は「し」。
「歪み文字」は「く」。
四つの文字をつなぐと、
こいしく
となります。
父を恋しく思う気持ちを、そのまま言葉にするのではなく、文字の形に隠して届けられたのでしょう。
悦子内親王は、六歳から十四歳頃であったと伝えられています。今の感覚でいえば、小学二年生ほどの頃を思わせます。
あどけなさが残りながら、言葉を使う機転もある。
父を慕う素直な心と、少し得意げな文字遊びとが一つになった、実に微笑ましい歌です。
この一段を読みながら、自分のその頃、娘のあの頃、そして今、ちょうど同じ年代になった下の孫たちの姿が重なりました。
女の子は、とりわけ可愛い盛りです。
幼い心の中には、まだ飾らない素直さがありながら、その子らしい知恵や言葉の感覚も芽生え始めています。
七百年以上も昔の姫宮の心が、今の孫たちの姿と重なり、すぐ身近なものとして感じられる。
こころの世界には、時間がないのでしょう。
外の時間では、過去と今は遠く隔たっています。
けれど内面の人にとっては、自分の幼い頃も、娘の幼い頃も、今の孫たちも、一つの「今」の中に現れます。
物質文明がここまで進歩した時代に、朝、起床とともに携帯を開き、AIと『徒然草』を読む。
使っている道具は、七百年前には想像もできなかったものです。
けれど、そこを通して届いてくるのは、
父が恋しい。
という、昔も今も変わらない人の心です。
悦子内親王から後嵯峨上皇へ。
その歌を兼好が書き留め、七百年を経て、今朝、私たちのところへ届きました。
そして私としづかさんが、その心を一緒に味わいながら、携帯で言葉を交わしている。
ここに時間の妙があります。
昔の心を知識として眺めるのではなく、今の自分の心として感じ取る。
過去と今が一つになったところに、心の世界が立ち現れます。
けれど、そこまで考えを深めても、この一段に最後まで残るのは、やはり幼い姫宮の愛らしさでした。
深いことを考えながら、元の微笑ましさを失わない。
知識を競うのではなく、それぞれの人生を重ねながら、一段をそのまま味わう。
今朝もまた、良い大人の輪読会となりました。
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