なるみと読む徒然草 第八十三段
――普通が一番、という戻る場所
令和8年8月27日(木曜日)晴れ。
午前五時十分目覚め。予習。六時半起床。
今日も『徒然草』第八十三段を読む。
竹林院入道左大臣は、太政大臣へ昇ることのできる立場にありながら、左大臣のところで止まり、出家したという。
兼好はそこへ、
「亢竜の悔あり」
という言葉を置く。
月は満ちれば欠け、物は盛りになれば衰える。
そして、
「万の事、先の詰まりたるは、破れに近き道なり。」
と書く。
教訓として読めば、「欲張らず、ほどほどのところで止まりなさい」という話になる。
しかし今日は、そこでは止まらなかった。
兼好の生きた時代は、宮廷の秩序が揺らぎ、政治の中心もすでに武家社会へと移りつつあった時代である。
その中で左大臣、右大臣といった高位に身を置くには、相当な力量が必要だったはずである。
自分一人の栄達だけではない。
家をどう残すか。
どこまで前へ出るか。
いつ退くか。
そうしたことまで含めて、自らの身を処さなければならない。
竹林院入道左大臣も、自分一代の栄華より、あるいはお家が続くことを選んだのかもしれない。
それは、代々を続けるための智慧でもあったのだろう。
もっとも、私なら、
「まぁ、上手く逃げましたなぁ。」
と、少し冷やかして見ているかもしれない。
そして、考えてみれば兼好自身もまた、そのように世間と距離を取って生きた人ではなかったか。
世を離れた庵の人という風情でありながら、宮廷の事情にも、人間の振る舞いにも、じつによく目を配っている。
しかも、ただ偶然書いたものが後世に残ったのではなく、残すことを意識して、人物や出来事を選び、意味を与えて書いたように私には見える。
だから私は以前から、『徒然草』には「ジャーナル」のような面があると感じている。
宮廷文化、公家社会の側から、移りゆく時代を眺め、何を残すべきかを書き留める。
今の言葉を借りれば、兼好の立ち位置はかなり「保守」に近い。
ただ、その価値観をそのまま現代へ持ってくる必要はない。
後世から見れば、官位も家格も、あれほど大切にされた身分の世界そのものが消えてしまった。
「所詮、なくなってしまう世界ではないか」
と、突っぱねて読むことだってできる。
それでも、その中で人がどうふるまい、どこで退いたかを見ることには意味がある。
昔は「家」が継承の大きな器であった。
今、その感覚は随分薄くなった。
けれど、継承そのものがなくなったわけではない。
地域がある。
会社がある。
コミュニティーがある。
小さなサークルがある。
そして文化がある。
自分一代で使い切らず、次へ渡す。
今風に言えば、それは「持続可能」ということにも通じるだろう。
けれど、私たちの生きる現代は、兼好の教訓だけでは収まらないほど複雑である。
伝統か革新か。
保守か革命か。
そのような大きなイデオロギーの枠だけで人間を分ける時代から、私たちは少しずつ離れている。
一人ひとりが時代に気づき、自分の現場で考え、行動し、前へ進む。
古いものも、新しいものも、必要ならのみ込んでいく。
その時に、私が使ってきた言葉へ戻ってくる。
「普通が一番。」
これは平凡でいなさい、という意味ではない。
動いている者同士が、判断に迷った時、
「少し偏ってきましたね。」
「ここは一度、普通に戻りましょう。」
「普通でいいのではないでしょうか。」
と声を掛け合う言葉である。
そして何より、自分自身への戒めでもある。
前へ進む。
しかし、偏らない。
新しいことをする。
しかし、それに酔わない。
伝統を受け継ぐ。
しかし、伝統という枠にも自分を閉じ込めない。
普通は、止まる場所ではない。
前へ進むために、何度でも戻ってくる場所である。
兼好の第八十三段を読みながら、今日はそんなところまで来た。
世が太平なら、これは人生訓として読めるだろう。
しかし、時代が大きく動いている時には、教訓をありがたく受け取るだけでは足りない。
自分で考え、自分で動き、時には立ち止まり、
「ここは普通に戻りましょう。」
そう言いながら、また前へ進む。
二時間の円座。
今日も古典の中に留まらず、今をどう生きるかというところまで話が進んだ。
普通が一番。
そして、前へ、前へ。
――
【原文】
竹林院入道左大臣殿、太政大臣に上り給はんに、何の滞りかおはせんなれども、「珍しげなし」とて、出家し給ひにけり。洞院左大臣殿、この事を甘心し給ひて、相国の望みおはせざりけり。「一上にて止みなん」とて、出家し給ひにけり。
「亢竜の悔あり」。月満ちては欠け、物盛りにしては衰ふ。万の事、先の詰まりたるは、破れに近き道なり。
【現代語訳】
竹林院入道左大臣殿は、太政大臣にまで昇ろうと思えば何の支障もなかったはずだが、「今さら珍しくもない」といって、出家なさった。洞院左大臣殿は、この話に深く共感し、ご自身も太政大臣になることを望まれなかった。「左大臣で終わりにしよう」といって、やはり出家なさった。
「頂点を極めた竜には、のちに悔いが残る」という言葉がある。月は満ちればやがて欠け、物事も盛んになればやがて衰える。すべてのことにおいて、先の詰まりきった状態は、破綻に近い道なのである。
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