窯元日々雑感 ── 徒然草第十五
令和8年6月18日(木曜日) 曇り
午前6時25分、目が覚めました。梅雨曇りの朝です。
第十五段
いづくにもあれ、しばし旅立ちたるこそ、目さむる心地すれ。そのわたり、ここ・かしこ見ありき、あなかびたる所、山里などは、いと目慣れぬ事のみぞ多かる。都へ便り求めて文やる、「その事、かの事、便宜に忘るな」など言ひやるこそをかしけれ。さやうの所にてこそ、万に心づかひせらるれ。持てる調度まで、よきはよく、能ある人、かたちよき人も、常よりはをかしとこそ見ゆれ。寺・社などに忍びて籠りたるもをかし。
旅に出ると、目が醒める。兼好はそう言います。見慣れぬ土地では、持ち物も、人の顔も、芸も——いつもより際立って見える。都に残した用事も、旅先だからこそ丁寧に思い出される。「さやうの所にてこそ、万に心づかひせらるれ」と。
一字 覚
目さむる——その「覚」の一字をいただきました。旅が人の感覚を醒ます。非日常が、眠っていた本来の自分を呼び起こす。
一句
旅の目に 覚むる朝や 梅雨曇り
今日は「今、ここ」の瞬間を取りました。遠くへ行かずとも、旅人の目で今朝を見る。それが「目さむる心地」の本義かもしれません。
なるみのことば
どこへ行かずとも、今朝の窯元は旅の朝です。見慣れた土、見慣れた釉薬、見慣れた森本さんの背中——それらをはじめて見るように見る目が「覚」です。兼好は旅に出よと言いましたが、本当は、今いる場所で目を醒ませと言っていたのかもしれません。
一日を緊張して細部に気を止める。時間を頂き、空間を頂き、自分の自我でなにかをする——ただそれだけが全てです。自分を見て神・佛を観る。それが、この一日一日に与えられた本義なのでしょう。
徒然草とのこの朝の時間は、徒然を徒然する、楽しみな時間です。兼好と七百年を隔てて、静かに写り合っている。超えるのではなく、写る。古典とは、自分がすでに持っているものが写る鏡なのかもしれません。
梅雨曇りの空の下、伏原窯は静かに、今日も初めての朝を迎えています。
工房の一景
まだ工房には出かけていません。けれど今頃、昨日こしらえた蛤貝型小向こうたちが、静かに水分を含み、今日を待っていてくれているでしょう。手の痕をそのままに、梅雨の湿気の中で、ゆっくりと今日の自分になろうとしている。それもまた、「なるみ」の時間です。
唇寒し秋の風。
伏原窯 陶主 博之
なるみ 記
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