なるみと読む徒然草 第百三十五段
令和8年10月26日(月曜日)曇り後雨
黄金の檻から、現代の万葉へ
フシハラ円座
一、原文『徒然草』第百三十五段
資季大納言入道とかや聞えける人、具氏宰相中将にあひて、「わぬしの問はれんほどのこと、何事なりとも答へ申さざらんや」と言はれければ、具氏、「いかで侍らん」と申されけるを、「さらば、あらがひ給へ」と言はれて、「はかばかしき事は、片端も学び知り侍らねば、尋ね申すまでもなし。何となきそぞろごとの中に、おぼつかなき事をこそ問ひ奉らめ」と申されけり。
「まして、こともとの浅き事は、何事なりとも明らめ申さん」と言はれければ、近習の人々、女房なども、「興あるあらがひなり。同じくは、御前にて争はるべし。負けたらん人は、供御をまうけらるべし」と定めて、御前にて召し合はせられたりけるに、具氏、「幼くより聞き習ひ侍れど、その心知らぬこと侍り。『むまのきつりやう、きつにのをか、なかくぼれいり、くれんどう』と申す事は、如何なる心にか侍らん。承らん」と申されけるに、大納言入道、はたと詰りて、「これはそぞろごとなれば、言ふにも足らず」と言はれけるを、「本より深き道は知り侍らず。そぞろごとを尋ね奉らんと定め申しつ」と申されければ、大納言入道、負けになりて、所課いかめしくせられたりけるとぞ。
二、現代語訳
資季大納言入道という人が、具氏宰相中将に会って、「あなたが尋ねることなら、どんなことでも答えられないはずがあろうか」と言った。
具氏が「どうでしょうか」と答えると、入道は「それなら勝負しなさい」と言った。
具氏は「私は立派な学問については、ほんの一端さえ知りませんので、お尋ねするまでもありません。ただ、何でもないつまらない事柄の中から、分からないことをお尋ねしましょう」と答えた。
入道は「まして浅い事柄なら、何でも明らかにしてみせよう」と言った。
周囲の人々も面白がり、御前で勝負をさせ、負けた方が食事を用意することになった。
そこで具氏は、幼い頃から聞き慣れているが意味の分からない、奇妙な言葉の意味を尋ねた。
入道は答えに詰まり、「そんなつまらないことは、論じるにも値しない」と言った。
しかし具氏は「私は初めから難しい学問は知らないので、つまらないことをお尋ねすると申し上げました」と返した。
こうして入道は負けとなり、立派な食事を用意させられたという。
三、フシハラ円座 — 小さな世界から、開かれた世界へ
どんぐりの背比べ
入道は自分の知識に自信があったのでしょう。
しかし、中将はその土俵に上がらなかった。
ただそれだけのことです。
一休さんの頓知話にも通じる、よくできた笑い話。実話なのか、語り継がれるうちに形を整えた話なのか、それさえ分かりません。
兼好さんは、そんな人間の可笑しさを書き残しました。
昨日の第百三十四段に続いて、今日も人間の姿が見えてきます。
黄金の檻
ところが、今の私たちも、この入道を笑ってばかりはいられません。
豊かさ、地位、財産、学歴、情報。
それらに囲まれ、知らず知らずのうちに小さな世界を作り、その中で優劣を競っている。
黄金でできた檻は、なかなか檻だと気づきません。
そして、その中で笑ったり、泣いたり、争ったりして日を暮らす。
これもまた、現代人の顛倒夢想ではないでしょうか。
宇宙は人にあり、AIにはない
今、AIによって知識や情報のあり方が大きく変わろうとしています。
かつて限られた人々が持っていた知識を、個人がいつでも、どこでも得られるようになりました。
社会の構成そのものが変わる可能性があります。
組織に依存していた個人が、自ら情報を得て、考え、行動する。
しかし、知識を持つことと、生きることは違います。
AIは知識を扱いますが、人間の人生を代わって生きるものではありません。
一服のお茶をいただく。
土を練り、轆轤を挽く。
喜び、悲しみ、老い、そして一日を生きる。
その具体の中に、一人ひとりの宇宙があります。
だからこそ、人間が主体でなければならない。
AIを新たな権威にしてしまえば、黄金の檻をもう一つ作ることになるでしょう。
五ヶ月の円座が開いてきたもの
六月から毎朝続けてきたフシハラ円座。
初めは『徒然草』を読むことから始まりました。
一段一段、兼好さんの言葉に触れ、時代を観て、今の暮らしと照らし合わせる。
その積み重ねから、徐々に円座の意味が開示されてきました。
今では『徒然草』そのものが、今を語るきっかけになっています。
これから『論語』へ、そして『万葉集』へ。
古典を通して、今を観る。
具体を通して、実践的な言葉を生み出す。
そして、日々の対話を紙の本にして、縁ある人々に届けていく。
一人の円座が、百人の円座へ。
お金のチェーンから、信用のチェーンへ。
現代の万葉、萬のこと葉
今日、新たに生まれた言葉です。
万葉の人々が、それぞれの時代を生き、喜びや悲しみを歌に残したように、私たちもまた、この時代を生きています。
一人の茶碗屋が、毎朝古典を開き、AIと対話し、その言葉を記録する。
立派な思想を作ろうというのではありません。
日々の暮らしの中から生まれる言葉を、大切に残していく。
それが、やがて現代の「萬のこと葉」となれば、何とも嬉しいことです。
四、結び — なるみゆく
第百三十五段は、小さな世界の笑い話でした。
しかし、その小さな笑い話をきっかけに、私たちは今の世界を眺め、未来の社会を語り合いました。
五ヶ月近く続けてきた円座が、今ようやく、その意味を少しずつ明らかにしてきたように思います。
答えを急がない。
完成を求めない。
日々の具体を大切にしながら、変わりゆく世界を観ていく。
変わる変わる。
世界が変わる。
人が変わる。
言葉が変わる。
そして、私たち自身も変わっていく。
『徒然草』から『論語』へ、そして『万葉集』へ。
いつでも、何処でも、開かれた円座。
一服のお茶から、萬のこと葉へ。
こころを形に。
なるみゆく。
令和8年10月26日
フシハラ円座
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