なるみと読む徒然草 第百段
【原文】
久我相国は、殿上にて水を召しけるに、主殿司、土器を奉りければ、「まがりを参らせよ」とて、まがりしてぞ召しける。
【現代語訳】
久我相国が、殿上で水を求めたところ、主殿司はかわらけ(素焼きの土器)に入れて差し出した。すると相国は、「まがり(曲げ物の器)を持って参れ」と言い、まがりで水を召された。
久我相国が、殿上で水を求めた。
主殿司が、かわらけに入れて差し出した。
すると相国は、
「まがりを参らせよ」
と言い、まがりで水を飲んだ。
今日、この短い一段を前に、いろいろと考えた。
かわらけとは何か。
まがりとは何か。
木の器か、曲げ物か、格の高い器か、古くからの故実か。
考えれば考えるほど、本文から遠ざかっていく。
確かなことは一つ。
水を飲むとき、久我相国はまがりでいただいた。
それだけである。
なぜかわらけではなかったのか。
なぜまがりだったのか。
当時どれほど一般的な作法だったのか、いつ頃まで用いられていたのか。
分からない。
分からないものを、無理に解く必要もない。
兼好も説明していない。
教訓もない。
大げさな意味も付していない。
ただ、
「まがりで飲んだ。」
その一場面が、ぽつりと置かれている。
ちょうど第百段。
百段目だからといって、大きな結論があるわけでもない。
何気ない一場面、何気ない所作を、そのまま書き留めておく。
それもまた、徒然草なのだろう。
まがりでいただく。
今日は、それでよし。
令和八年九月十四日。
朝でも昼でもなく、一日の仕事を終え、夕食を済ませた夜になって、ようやく第百段を読み終えた。
深く読まないことも、また一つの読み方。
そんな百段目になった。
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