窯元日々雑感 徒然草 第八十四段

窯元日々雑感 徒然草 第八十四段

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なるみと読む徒然草 陶主日記
第八十四段
令和8年8月28日(金曜日)曇り

法顕三蔵が天竺に渡り、故郷の扇を見て悲しみ、病の床では漢の食を願った。
それを「高僧にしては心弱い」と見る人がいた。
しかし弘融僧都は、
「優に情ありける三蔵かな」
と、その人間らしい情を歓んだ。
正直に生きた人の姿に触れ、修行者のこころがほどけたのであろう。

人は社会に生きれば、それぞれの役を演じる。
高僧も、名もなき山寺の沙弥も、社会から見れば立場は違う。しかし役を離れ、人に戻り、人と生きるところに、その人の本性は静かに現れる。

物作りもまた、そこを離れては成り立たない。
私たちは「こころ」の世界を知り、
その世界のものを形にするよう努める。
品物と自己を一致させるために、
毎日、毎日、手を動かす。
宇宙には日曜日はない。
今日もまた、それだけでよい。

言葉多くなると、こころ離れる。
喫茶去。

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