窯元日々雑感 徒然草第 六十四段

窯元日々雑感 徒然草第 六十四段

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陶主日記:なるみと読む徒然草 第六十四段
令和8年8月8日(土曜日)晴れ

午前8時10分起床。

昨夜は陶芸クラブが遅くまであり、秋の公民館祭や市民祭に向けた作品づくりも佳境に入っている。週末の疲れも重なり、一度は午前5時10分に目を覚ましたものの二度寝をしてしまい、少し遅い朝となった。

今朝読む第六十四段は、短く、さらりとした一段である。

「車の五緒(いつつお)は、必ず人によらず、程につけて、極むる官(つかさ)・位(くらい)に至りぬれば、乗るものなり」とぞ、或人仰(おお)せられし。

五緒(ごとく)の車は、特定の家柄だけのものではなく、その人が相応の官位に至れば乗るものだという。兼好はそれを大きく論じるでもなく、ただ「或人仰せられし」と結ぶ。

この終わり方が、なんとも洒落ている。 自分で断定するのではなく、「ある人がそう仰っていましたよ」と風に預けるように置いていく。そこに、都の暮らしや身分の作法、社会の風習がひとつの小さなスケッチとして浮かび上がる。

今日は、無理に教訓を引き出さなくてよい。 暮らし、風習、都のスケッチ、時代のポートレート——それくらいの感覚で、眺めながら通り過ぎていく。

都では、官位や身分に応じて乗り物や装束にまで細かな「ほど」があった。けれど兼好は、それを窮屈な制度として声高に批判するのではなく、「都人はこのように生きているのですよ」とでもいうように、静かに一場面を残している。

「フゥーン、そうなんだ。」 そのくらいの距離感が、今日の段にはよく似合う。そして第六十五段へと、こうした都の格式や風習の話が少し続いていく。

 

今日は肩肘を張らず、七百年前の都の街角を一枚眺めるように読んだ。 それで十分な朝である。

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