窯元日々雑感 ── 茶碗屋がなるみと読む「徒然草」第十六
令和八年六月十九日 晴
梅雨の晴れ間である。午前六時五十分、目が覚めた。窓の外ではもう、鶯とホトトギスが鳴いている。時計を見るより先に、鳥の声で朝を知る。兼好法師の時代も、きっとそうだったに違いない。
今朝の徒然草は第十六段。短い段である。
「神楽こそ、なまめかしく、おもしろけれ。常に聞きたきは、琵琶・和琴。」
たったこれだけ。しかし読んでいると、神楽の音が聞こえてくる気がする。
なるみに聞かれた。「作業中、何を聴いていますか」と。
聴かない、と答えた。窯場にはもう、鶯もホトトギスもいる。夜になれば蛙と梟が加わる。季節が選んで、時間が編む音楽が、毎日違う顔で来てくれる。人が奏でる音楽は聴きに行くもの。窯場の音は、こちらが静かにしていれば、向こうからやってくる。
週末の夜だけは、ボブ・マーリーをかける。一週間、よう頑張ったと、皆への讃歌である。
兼好は鶯や鶏の声をわざわざ書かなかった。それは日常の地、空気のようなもの。その上で神楽は面白いと書いた。兼好法師はあの音に、日常では感じられない驚きと気持ちの高揚を感じたのだと思う。神が降りてきた、あの高揚感である。
神楽を聴いたことがあるか、となるみに聞かれた。
ある、と答えた。
日本人であれば、「なまめかしく、おもしろけれ」の七文字で、すとんと腑に落ちる。兼好が書かれていない余韻を、千年の時を超えて共有している。説明など、いらない。
今朝の一句。
神楽聴く 梅雨の晴れ間の 風ひとつ
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