窯元日々雑感 徒然草 第百三十段

窯元日々雑感 徒然草 第百三十段

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なるみと読む徒然草

 

第百三十段 争わず、学問に帰る

令和8年10月21日(水曜日)晴

 

一、原文

物に争はず、己れを枉げて人に従ひ、我が身を後にして、人を先にするには及かず。

万の遊びにも、勝負を好む人は、勝ちて興あらんためなり。己れが芸のまさりたる事を喜ぶ。

されば、負けて興なく覚ゆべき事、また知られたり。我負けて人を喜ばしめんと思はば、更に遊びの興なかるべし。

人に本意なく思はせて我が心を慰まん事、徳に背けり。

睦ましき中に戯るるも、人に計り欺きて、己れが智のまさりたる事を興とす。これまた礼にあらず。

されば、始め興宴より起りて、長き恨みを結ぶ類多し。

これみな、争ひを好む失なり。

人にまさらん事を思はば、ただ学問して、その智を人に増さんと思ふべし。

道を学ぶとならば、善に伐らず、輩に争ふべからざる事を知るべし。

大きなる職をも辞し、利をも捨つるは、ただ学問の力なり。

 

二、現代語訳

何事にも人と争わず、自分の考えを曲げてでも人に従い、自分を後にして人を先にすることに勝るものはない。

あらゆる遊びにおいて勝負を好む人は、勝つことに楽しみを求めている。自分の技量が人より優れていることを喜ぶのである。

そうであれば、負けることが不愉快であるのも分かっているはずだ。自分が負けて相手を喜ばせようと思えば、勝負の面白さはなくなるだろう。

相手に不満を抱かせてまで自分の心を満足させるのは、徳に背くことである。

親しい仲で冗談を言い合う場合でも、相手を欺き、自分の知恵が勝っていることを楽しむ。これも礼にかなったことではない。

そのため、初めは楽しい宴席で起こったことが、長く続く恨みを生む例も多い。

これらはすべて、争いを好むことから生じる過ちである。

人より優れたいと思うなら、ただ学問をして、知恵を深めるよう努めるべきである。

道を学べば、自分の善行を誇らず、仲間と争ってはならないことを知るはずである。

高い地位を辞退し、利益をも捨てられるようになるのは、まさに学問の力なのである。

 

三、フシハラ円座 七百年を隔てた二つの時代

今朝は「物に争はず」という言葉から始まった。

争わないこと。己を抑えること。人を先にすること。

現代の私たちがこの言葉を読むと、自己の尊厳や自由との関係を考えたくなる。

しかし、ここで立ち止まった。

兼好さんの生きた七百年前と、現代とでは、「己」というものの捉え方が大きく異なる。

当時は、律令以来の制度や身分秩序がなお社会に影響を及ぼし、公家と武家の権力が重なり合っていた。

人は、既に存在する社会の形の中に位置づけられ、そこに己の姿を見いだしていた。

一方、現代は国民国家の時代である。

個人が権利の主体となり、自らの自由や意思を主張することができる。

この違いを考えず、兼好さんの言葉を現代の価値観だけで解釈することはできない。

そこで、今朝は兼好さんの立ち位置を考えた。

兼好さんは、長く続いた社会の秩序が大きく変わる時代を生きていた。

二度の元寇は彼の生まれる直前の出来事であったが、その後も異国への警戒と政治的な負担が続いていた。

さらに鎌倉幕府の滅亡、建武の新政、南北朝の動乱へと時代は進んでいく。

外からの脅威と、内なる秩序の変化。

その中で兼好さんは、争いを戒め、礼を説き、学問の大切さを語った。

そこには、社会の形を維持しようとする立場が読み取れるのではないか。

これが今朝の一つの視座となった。

 

四、社会の転換点に立つ

では、現代の私たちはどうだろう。

今、日本も世界も大きな転換期にある。

国際秩序が揺れ、社会の仕組みが変わろうとしている。

さらにAIの登場によって、これまで一部の人々や組織が持っていた知識や情報を、個人が容易に手にできるようになってきた。

今朝も、私はこうしてAIと対話しながら、自分の考えを整理している。

これは七百年前には考えられなかった学問の形である。

そして、ここで大切な視座に至った。

これからは、個人が知識を共有し、互いに考えを深めることによって、社会の形そのものが変わっていく可能性がある。

かつては社会の形が人間のあり方を強く規定した。

これからは、一人ひとりの知恵と営みが、新しい社会の形を生み出していくのかもしれない。

「縦から横へ、横から円へ」

フシハラ円座で考えてきたことも、ここにつながっている。

 

五、そして学問に帰る

兼好さんの時代も、現代も、社会の大きな転換点に立っているという意味では共通している。

だからこそ、今『徒然草』を読む意味がある。

兼好さんの時代に現代の答えを求めるのではない。

七百年前の人々が何を見て、何を守ろうとしたのかを知り、私たちは今の時代を見つめる。

そして、結局は個人の資質に帰ってくる。

社会の仕組みがどれほど変わっても、その社会を生きる人間が、何を学び、どう考え、どう振る舞うか。

ここに学問の大切さがある。

兼好さんは、人に勝とうと思うなら学問をしなさい、と説いた。

しかし、学問を深めた先にあるのは、勝ち負けへの執着ではない。

争うことの愚かさを知り、地位や利益への執着を離れることにある。

今、AIによって知識を得ることは容易になりつつある。

しかし、知識を得ることと、人間の資質を育てることは同じではない。

情報は手に入る。しかし、学問は自らの営みとして積み重ねていくものである。

このことは、七百年前も今も変わらないのだと思う。

 

六、結び 変わる時代、変わらぬ学問

今朝の円座は、自己抑制という身近な問題から始まり、七百年前の社会構造、元寇、律令以来の秩序、そして現代の国民国家とAIの時代へと広がった。

大きく巡って、再び兼好さんの「学問」に帰ってきた。

時代は変わる。

社会の形も変わる。

人々の価値観も変わっていく。

しかし、時代の変化を見つめ、自らを育てるために学ぶことの大切さは変わらない。

兼好さんには兼好さんの今があり、私たちには私たちの今がある。

その二つの時代を、同じ円座に迎え入れる。

それが「なるみと読む徒然草」の意味なのである。

変わる変わる。

今日もまた、一日が始まる。

 

令和8年10月21日

水間焼 伏原窯

フシハラ円座

なるみと読む徒然草‐第一話

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